第三章 地球へ




宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一五時四四分 地球軌道上 チベ級重巡洋艦『コルフ』 第一艦橋

「連邦の哨戒部隊が、護衛艦隊に触接した模様です」
 副官の報告を受けたマ・クベ大佐は、軽く頷くと参謀の顔を見た。
「シャピロ大尉?」
「は、ソロモンを出た護衛艦隊は、我が降下艦隊の前方に位置し、ルナ2の連邦部隊を牽制することになっています」
 シャピロはスクリーンに双方の部隊や根拠地を表示した。
 地球を中心とする時計の九時の位置にあるのが、サイド3と月から構成される公国の根拠地。彼らが出撃したのもここからである。地球を挟んだ反対側、三時に位置するのが連邦の根拠地であるルナ2。公国軍の主力が集中している宇宙要塞ソロモンは、十時と十一時の間のあたりに位置している。
 円運動を行っている各拠点から艦隊が移動するとき、一番効率の良い航路はそれらの拠点の円軌道と重なる。つまり、ほとんどの場合月軌道上である。この場合、軌道上であれば月の公転方向のどちら側でも構わない。早い話が月の存在していた空間で「静止」していれば、そのうちルナ2が「やって来る」。もちろん、実際にはそれほど悠長なわけではないが、基本的には変わりはない。それゆえ、同じ月軌道上に存在するソロモンとルナ2を出発した艦隊同士をぶつけるのは、それほど困難なことではない。
 一方、降下艦隊のように直接地球を目指すといった航路を選択した場合、その捕捉はかなり困難になる。公国本国と地球とを直線で結ぶことは可能だが、艦隊の航跡は直線とはならない。なぜなら公国本国は月同様公転運動を行っているため、艦隊の航跡は緩い弧を描く。どういう弧になるのかは艦隊の速度に依存するが、それもまた艦隊規模や編成している艦種など様々な要素によって左右される。降下艦隊の目的が地球降下である以上、最終的には地球の低軌道に乗る必要があることも考慮に入れなければならない。
 無論、そうした要素のほとんどは予測がつくので、かなり高い精度で予測することは可能だが、それにしても決定的なものとはならない。レーダーの信頼性が著しく低下していることが、決定的な予測を拒否する一番の理由になるだろう。
 それならばいっそ地球低軌道に艦隊を張り付けておけばよさそうなものだが、この場合ソロモンからルナ2に向かう護衛艦隊の格好の餌食となる。
 公国軍の判断では、連邦軍の取りうる抵抗策は二通りに集約される。一つは大規模な艦隊を地球近辺に遊弋させ、積極的に哨戒活動を行い続けて公国軍の降下艦隊を発見し、これと正面からぶつかり合う。おそらくこの場合、降下艦隊だけではなく護衛艦隊ともやり合うことになる。よほど巧妙な誘因策を取って護衛艦隊を引き離せば話は別だが、まず考えられないだろう。そのため、連邦軍がこの作戦を採用する可能性はほとんど考えられなかった。いかに連邦とはいえ、一週間戦争とルウム戦役で受けた痛手を回復しきれているはずがないからだ。今、ルナ2に残っている最後の艦隊を使い切ってしまえば、ルナ2は失われ、さらなるコロニー落としを阻止する戦力がないということになり、連邦は無条件降伏を受け入れるしかないのである。
 もう一つは少数の部隊による強襲。セイバーフィッシュなど機動兵器主体で編成された部隊を使い、降下作戦の決定的瞬間に一撃離脱を掛ける。この場合、他の戦力は牽制程度に使えばいいので損害は少ない。
 マ・クベやシャピロなど、降下艦隊の司令部も同じ判断を下していた。シャピロに言わせれば、「要するに嫌がらせ」程度の抵抗というわけである。であるならば、連邦軍との触接は早いほどいい。護衛艦隊の三個戦闘群で充分なはずだ。
 シャピロはそう述べた上で言った。
「厄介なのは、連邦軍が統制の取れた攻撃を仕掛けた場合よりも、むしろ五月雨式に少数の部隊で奇襲を狙い続けた場合です。この場合、確かに効果は弱くなりますが、護衛艦隊の索敵網を突破する可能性も高くなります。逆に我々降下艦隊の方は、完全な統制を維持し続けなければならないという弱みがあります。通常の作戦以上に混乱しやすいので、少数の敵部隊でも効果的な攻撃を仕掛けられる可能性があります」
「ということだ。ハウザー少佐。おそらく出番は回ってくるだろう」
 マ・クベは直衛部隊の指揮官に言った。ハウザーは短い返事だけを返したが、頭の中では作戦前にマ・クベと話した内容を思い浮かべていた。
 ルウム戦役の後、少佐に昇進した彼は戦死した大隊長を引き継ぐ形で、第一六MS大隊の大隊長に任命された。ルウム戦役で戦力の半減した一六大隊は、戦力を補充する必要があった。ハウザーもしばらくは骨休めできるものと思っていたが、考えが甘かった。訓練中の新兵と他の部隊から引き抜かれてきた部隊を加え、三個中隊の戦力に再編成された一六大隊は、地球降下作戦の降下部隊直衛任務を振り当てられたのだ。
 公国軍のMS大隊は、四個MS中隊から編成されることになっている。状況に応じてこれに航空部隊や歩兵部隊などが増強される。実際には四個中隊で編成されたことは、開戦直後を除いてほとんどない。おおむね三個中隊、ひどいときには二個中隊で作戦を行うことを要求されたのが普通である。
 それにしても、護らなければならない部隊に対して、手持ちの戦力があまりにも不充分である。そう判断した彼は、マ・クベに戦力の強化を要請したのである。二百隻の輸送船団からなる二個師団を護るのに、ルウム戦役の消耗からまだ癒えきっていない定数割れの一個大隊。敵の進入方向はほとんど予測できず、かといって分散配置できるほどの戦力もない。
 手持ちの部隊は三個中隊。降下艦隊は師団ごとの二つに分かれるので、各師団に直衛として一個中隊。予備に一個中隊。敵の戦力を考えれば、中隊規模の戦力があれば各個撃破の憂き目にはあわないだろうが、指揮官としての義務を放棄するような真似をしたくはなかった。予備が三個中隊あればかなりの変化にも耐えられそうなのだが。
 しかし、マ・クベはそれを拒否した。別にハウザーの要求の理由が分からなかったからではない。
 彼の任務は二個師団を地上まで送り届けることだった。そのために指定された戦力以外、彼の持ち駒は存在しない。金庫の中身に手を付けることは許されていなかったのだ。
 正直、マ・クベ自身この戦力配置には賛成ではなかった。参謀としての彼の常識は、存在・意図を完全に把握し切れていない敵から二個師団を守りきるには、あと三個大隊──つまりハウザーの大隊と合わせて一個師団──の戦力が必要であると告げていた。
 もちろん、そんな戦力が存在するはずがない。今回の降下作戦に続き、あと二回、地上に部隊を送り込まなければならないのである。つまり、あと四個師団。降下作戦直後は、軌道からの補給が地上部隊にとっての命綱であるから、軌道の制宙権を確実に握り続けなければならない。
 実際、いくら部隊があっても足りないのだ。ならば降下作戦の回数を減らすなどとして規模を縮小すれば良さそうなものだが、それでは戦争を続けられないというのが、幾度となく行った図上演習の結論だった。
 戦争経済──マ・クベは、キシリアから渡された報告書に目を通したときに、うんざりしながら思ったものだった。
 我々は旧暦一九四一年夏のドイツ軍と同じジレンマを迎えている。
 当時、ソビエト・ロシアに対する侵攻作戦を行っていたヒトラーは、参謀や将軍たちの反対を押し切り、攻撃の矛先を首都のモスクワから資源地帯のウクライナへと変えた。
 その結果、南方のソビエト軍はキエフで壊滅的な打撃を受け、ウクライナはドイツの手中に収められた。ドイツがその後四年にわたって圧倒的な国力差のある連合国と戦い続けられた要因の一つは、ウクライナの資源を手にしていたからである。
 その代わりに、モスクワ攻略作戦の開始が遅れ、攻略に失敗する。そしてドイツは、敗戦を迎えるまで二正面作戦を強いられたのである。
 二十世紀に起きた二度の世界大戦以来、人類は総力戦というものを経験していない。無論、国家や民族など、ある集団が自身の存亡を賭けて戦うということはあったが、双方が全ての能力を傾けて戦争を行ったことはなかった。
 総力戦とは、国家の持つ全ての能力を傾けて行われる闘争であるため、その力が大きい方が、小さい方に必ず勝利する。もっとも、双方がまともにぶつかり合えば、という前提での話だが。劣勢な側が勝利するためには、戦争のイニシアティブを握り続け、相手が全ての力を出し切る前に押し切ってしまう必要がある。様々な戦争において、劣勢な側が優勢な敵に対して先に戦争を仕掛けるのは、要するにそのためである。
 そう考えるならば、ブリティッシュ作戦とルウム戦役において、その戦略目的の達成に失敗した公国軍が、連邦に対して勝利を収めるのは甚だ困難だということになる。戦略レベルでの失敗を、作戦レベルや戦術レベルでの勝利で償わなければならないからだ。
 では、それは不可能なのか?
 単純に考えれば不可能ではない。再びドイツ軍を例に挙げるなら、一九四二年ならば、無理をしてスターリングラード〜カフカス方面を攻撃しなければよかったのだし、一九四三年なら、漫然と夏が訪れるのを待たず、ソビエト軍が万全の防御態勢を築き上げる前に、クルスクに対する作戦を開始することが出来た。いや、一九四一年にイタリアのムッソリーニの泣き言に応えて北アフリカやギリシアに兵を送り込まなければ、モスクワは冬を待たずに陥落していたのではないか?
 この手の「歴史のif」というものは、表層的な事象だけを捉えて、安易に量産される傾向があるが、実際にはそれほど単純なものではない。もちろん、公国軍の参謀たちもその程度のことは理解している。彼らにとって、こうしたifの存在が物語っているのは、「失敗は許されない」というごく単純な、そして完璧に実施するのはほとんど不可能な真理であった。
 公国軍にとってこの真理は、戦略的奇襲効果の持続している戦争初期に、地球上の重要な資源地帯を掌握しなければならないという制約と結びついていた。
 そしてその制約は、マ・クベにわずか一個大隊の護衛しか与えることを許さなかったのである。
 戦略レベルにおける劣勢は、作戦レベルにおいて大きな制約を課した。ハウザーは、戦術レベルでの行動をもって、それを覆さなければならない。



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一六時〇五分 ジャブロー連邦軍本部基地 第七会議室

「今のところ、我々の置かれた状況は、それほど悲観すべきものではないと考えます」
 ネフは淡々とした口調で告げた。
 数時間以内に公国軍の地球降下作戦が発動されるという状況下において、約半数の人間は彼の発言にとまどいを覚えた様子を見せなかった。その大半が彼と同じ高等軍事教育を受けた同業者であることを考えると、それほど異様なことでもない。彼らはネフの言わんとしていることを、おおむね理解していた。
 残る半数の見せた反応は、ほとんど二分された。
 内心はどうであれ、表面的には冷静さを保とうとした者と、発言の内容にショックを受けたということを表現してみせた者。ただし、後者にしても、素直に己の内心を露呈したのだとは限らない。職務上、驚きを表明する必要のある者もいるのだ。連邦政府から派遣されてきた自治省事務次官のマイケル・ヤングの見るところ、オズウェル議員の政務秘書であるウサマ・マルランダ氏は、後者に属するようだった。
 連邦政府自治問題担当議員として、サイド3──ジオン公国との開戦の回避に全力を尽くすべき責務を負っていた筈のジョージ・オズウェル連邦議員は、ヤングの評価では、その職責を果たしたとはとうてい言いかねた。開戦を阻止するどころか、無為無策のまま放任同然の有様だったし──おかげで戦後、連邦政府は戦争の勃発を全く知らなかったという「連邦無能論」が巷間を席巻するに至る。無能なのは連邦政府ではなかったのだ、というのがそれに対するヤングの反論だった──、開戦直後に四つのコロニーでジェノサイドが展開された結果、残されたサイド6と月面諸都市群が公国寄りの中立路線を選択するのを阻止することも出来なかった。もっとも、こちらは連邦軍の方こそ責められるべきなのかも知れないが。
 全てを覆したのが、南極講和会議での劇的な結末だった。レビル中将の奪還、続く演説など、連邦軍情報局とヤングたち連邦自治省が画策した演出は、その全ての功績が「総責任者」たるオズウェル氏に帰せられた。元来、彼をスケープゴートに使おうとしていた連邦政府は、それを傍観するしかなかった。
 功績を分かちあえる──どころか、実際に奪還作戦を行った情報局の面々は、表舞台に出ることを好まず、工作の実行者を「連邦軍の某特殊部隊」ということにしてしまっていた。
 要するに、これは彼らの作戦の前に行われ、しかも完全に失敗した、サイド3に対する陸軍特殊部隊の強襲奪還作戦のことを示唆している。マスコミが必死になって取材を行ったところで、「某特殊部隊」とやらの正体が判明するのがせいぜいだろう。戦争が終わるまでに、真相までたどり着ける者がいるとは、ヤングには思えなかった。まったくもってかわいげのない連中だが、プロというのはそういうものかもしれないと納得せざるを得なかった。
 もちろん、ヤングたち自治省の官僚たちには、表舞台に出るという発想はない。そういう仕事は政府官房か、報道官の「ナワバリ」だと考えている。
 かくして、レビルとオズウェルの二人が英雄となったのである。
 オズウェルはともかく、レビルには英雄になってもらわなくてはならない理由があった。ヤングも細かいところは教えられていないが、現在、軍や政府の情報誘導の専門家たちが、彼を英雄に仕立て上げるための作業を行っているらしい。レビルがそれについてどう考えているかは知らないが、彼に選択の余地はない。軍隊においては、自由とは絶対の価値を意味しない。
 オズウェル氏の場合は話は逆だった。誰も彼に英雄になってもらいたがっていないのだが、彼自身は違う意見を持っているらしい。よって、英雄たるべく振る舞うことに決めたようだ。ちなみに来年は四年に一度の政治の祭典、連邦最高行政会議議長の選挙が予定されている。選挙の日まで連邦が生き残ることについては、何の疑念ももっていないらしい。
 オズウェル氏の代理として、彼の存在感を高める義務を負っているマルランダは、連邦軍の現状認識に対して、何らかの不満を感じたようだ。発言の許可を求め、口を開いた。
「連邦軍の認識は、少しばかり楽観的には過ぎませんか。もう少し詳しく説明をしていただきたい」
 ネフは表情を動かすことなく、議長席のグリーン・ワイアット中将に視線を向けた。彼はルウム戦役に、第四艦隊司令として参戦していた。同じ第四艦隊に配属されていたネフにとって、直接ではないにせよ元上司ということになる。他の艦隊同様、彼も旗艦を沈められ、脱出に成功したものの傷を負った。ネフは、まず一級の指揮官と評価している。あの劣勢の中で、司令部を破壊されながらも、艦隊の基幹部を生還させることに成功しているのだ。凡百の指揮官なら、司令部を失った時点で、艦隊の統制も失っただろう。もちろん、代理指揮官となった四二戦隊司令のアリ大佐や、ネフの上司だった四三戦隊司令のチェン大佐など、戦隊指揮官クラスに優秀な人材がそろっていたからこその生還だが、彼らがその能力を充分に発揮する条件を整えていたワイアットの能力も否定されるべきではないと、ネフは考えていた。
 そして、傷が癒えて、最初の仕事がこの連絡会議の議長。少なくとも、連邦軍が彼を高く評価していることは間違いなかった。看板こそ連絡会議だが、実際にはこの会議が今後の連邦の戦争方針の大枠を決定することになっている。連邦行政議長や統合幕僚会議議長など、各組織のトップが参加していないのは、あくまでこの会議が実務者の会議だからだ。自治省の代理としてヤングが出席しているのは当然として、オズウェル自身の代理としてマルランダが参加しているのもそのためだ。
 このあたりから、オズウェルも馬鹿ではないということが分かる。他に個人的な代理まで押し込んできているのは、行政議長の代理として参加しているリュー安全保障担当補佐官だけであり、彼女の出席はその職務から当然ということを考えると、オズウェルの判断──あるいは政治的な嗅覚は、かなりのものだといえる。実際に人間を送り込んでいる者のみが発言力を持つというのは、この場でも適用可能な真理である。
 ただし、政治的には正しくても、実際には混乱を招く行動というのは枚挙にいとまがない。実務者会議というのは、場の空気をわきまえずに自己主張を繰り返す人間が参加すべき場所ではない。とはいえ、彼のような政治家にとって謙虚の二文字は、未来永劫に縁のないものだろう。
 もっとも、マルランダの疑問自体はヤングも同意できた。少なくとも素人目には、いまの連邦が優勢であるようには見えない。
「ネフ中佐、すまんが我が軍の現状認識を、簡単に説明してくれ」
 ワイアットは何の表情も感じさせない声で、ネフに命じた。本来彼が行うべき説明ではないが、わざわざ参謀に説明させることでもなかった。ルウム戦役の後、連邦軍の戦略研究を行うプロジェクトチームの一つを率いていたネフにとっては、自明の事柄である。ネフはマルランダの方に向き直ると、口を開いた。
「サイド3──便宜上ジオン公国と呼びますが、彼らの戦争目的は、連邦の統制からの独立です。つまり連邦を構成する諸国家が、自発的に放棄している軍事・経済面での主権を要求しているわけです。もちろん我々にとって、認められる要求ではありません」
 地球連邦とは、旧世紀の二十世紀中頃から二十一世紀の中頃までの一世紀にわたって存在した、国際連合の後身である。ただしその存在理念は、国際連合のそれとはかなり異なる。また、国際連合自身、その前身である国際連盟の時代を含めて、大きく分けて三度、その性格を変えているように、地球連邦もある時期をもって性格を変容させている。
 人類最初の世界大戦の後、国家間の調整組織として誕生したのが国際連盟である。戦争に飽いた人々の理想主義と、戦争によって憎しみを育まれた人々が築こうとしたこの組織は、現実によって大きくゆがめられる。連盟は二十年足らず後に始まる次の戦争に対して、何ら影響力を持たなかった。
 次に登場した国際連合は、現実そのものから誕生した。つまり、二度目の世界大戦を戦った片側の陣営──連合軍が、その支配者である。彼らは戦後の世界を主要な連合軍を構成した国家のみで運営しようとしたのである。
 安全保障理事会常任理事国と呼ばれた支配者たちは、続く冷戦と呼ばれる時代を、まず大過なく運営した。あるいはしなかった。冷戦の間、国際連合はほとんど機能しなかったのである。また、それで問題を感じる者もいなかった。
 二十世紀の終わり、冷戦が終わると、冷戦を勝利したアメリカ合衆国に対する道具としての使い道が注目されるようになった。冷戦中から使われてきた方法だが、要するに数の力に頼るわけである。合衆国はそれに対抗して、独自の外交関係に依存を深めた。
 二十一世紀に入り、地球環境の破壊や小規模の紛争によって列強諸国が相対的に力を失っていく中で、人類の生存を賭けた脱出計画が立案された。フロンティア計画と総称される、無数の巨大プロジェクトである。その中でも最大のものが、スペースコロニー計画などと呼ばれる、その名の通り地球衛星軌道上などにスペースコロニーを建造し、人類を移民させる計画だった。
 フロンティア計画に必要とされる資本は莫大な規模になることが予想された。一企業や一国家では到底まかなえない額である。元来、宇宙開発計画は巨額の予算が必要とされ、企業や国家の連合で実施することが多かったのだが、それでも全く不充分だった。
 地球連邦は、そうした時代の要請から誕生した。国際連合を再編し、人類の所有する全ての資産を用いて、人類を宇宙に「押し上げる」ためだけに生み出されたのである。
 無論、簡単には進まなかった。連邦を構築するためには、その性格上、国家の主権を大きく制限する必要があった。つまり、十九世紀以来人類を支配してきた国民国家を解体する必要があったのだ。様々な国家から猛烈な反発が生じるのは、目に見えていた。特に、その時点で世界最強の位置を占めていたアメリカ合衆国の動向が鍵となった。当時の世界において共通の経済理念であった自由主義のチャンピオンであり、またトップに対して最大の利益を提供するという自由主義体制における最大の受益者でもある合衆国が、こうした体制の変革を許容するわけがなかった。
 国連関係者を中心とする連邦創成時の中心メンバーたちは、合衆国の動向を注意深く観察していた。二十一世紀初頭からの景気後退に伴い、合衆国は、国際連合など国際関係からの引きこもり傾向を強めていた。これまで幾度となく繰り返されてきた現象である。彼らは、この状況を好機と捉えた。合衆国とそこに所属する企業とを切り離し、他の国家を中心とした集団と協調して、地球連邦創成へと動き出したのである。
 この時点で、控えめに表現しても成功したとはいいかねたヨーロッパ共同体の経験に大いに学んでいた当時の指導者たちは、いかにして国家から主権をむしり取るかを、徹底的に研究していた。
 彼らは、合衆国を半ば蚊帳の外においたまま、その経済力だけを抽出して、他の諸国と連合させることに成功した。それを奇跡的な勝利というのは、二十世紀後半から進んだ企業の無国籍化や、合衆国を含めた国家体制の弱体化を軽視しすぎるきらいがあるが、少なくとも簡単に手に入った勝利とも言えないだろう。
 現実の必要と、その時点でも絶大な力を持っていたアメリカ合衆国の影、そして合衆国の孤立化という三つの推進力が、それを助けたのである。
 余談になるが、このため合衆国は連邦誕生の過程に乗り遅れ、その巨大な影響力を充分に行使することに失敗している。二十世紀後半から二十一世紀前半にかけて進んでいたアメリカナイズが、現在の連邦を支配するのに失敗しているのはそのためである。
 かくして、宇宙世紀に入り、人類のほとんどを宇宙に押し上げるのに成功した連邦においては、国家の主権というものは、大幅に縮小されている。
 サイド3──ジオン公国が要求しているのは、こうした苦労の結果、なんとか過去の遺物に仕立て上げた国家主権そのものなのである。連邦に認められるわけがなかった。
「一般に、話し合いで問題が片づかない時には、要求を諦めるか、暴力に訴えることになります。国力の差から前者を選択すると考えていた我々は、戦略レベルでの奇襲を被りました。ルウム戦役に至るまでの我が軍の劣勢は、この点に起因します。ですが、彼らは二度にわたるコロニー落としに失敗した結果──」
「コロニーはシドニーに落ちただろ」たまりかねたマルランダは、口を挟んだ。
「ジャブローには落ちておりません」声の調子を変えることなく、ネフは応えた。
「彼らがコロニー落としを計画したのは、連邦と正面からぶつかり合うだけの力を持っていないからです。しかし、ジャブローを潰された場合、我が軍は戦争指導を行えなくなります。急所を叩けばいいというのは、なにも人間を相手にした場合だけではありません。これがコロニー落としを狙った理由の一つです。
 もう一つの理由は、連邦の士気を低下させるためです。我が軍に勝利する手段として、頭を潰す以外に、連邦の戦意を下げ、厭戦ムードを作って有利な状態で和平に持ち込むというものがあります。こちらの方は、コロニー落としだけでなく、コロニーに対するジェノサイド、連邦軍に対する軍事的勝利なども有効です」
「ルウムのことだな」
「はい。ルウム戦役に限りませんが、軍事的勝利というものは、他の二者に比べてより有効であると判断しております」
「なぜかね」
「ジェノサイドは、人間の恐怖心をあおります。そして追いつめられた人間にとって、恐怖心は戦意の代用品となります」
「軍事的敗北は恐怖をあおらないと?」
「戦闘員やその家族以外のほとんどの人間にとって、宇宙空間での戦闘というのは他人事です。地上戦に巻き込まれるというのなら別でしょうが。開戦から南極会議までの一ヶ月に戦死した我が軍の将兵やその家族は、開戦前の全人口の一パーセントにもなりません。一方で、戦死以外の理由で死亡したのは、人口の約半数に達します。生き残った連邦市民にとって、どちらがより直接的な恐怖となるのかは、申し上げるまでもないと思いますが」
 かなり露骨なネフの表現に、マルランダは顔をしかめながらも頷いた。
「なるほどね」
 ネフは、いかにもエリート軍官僚然とした無機質さで、説明に戻った。
「二度にわたるコロニー落としに失敗した結果、彼らは政治の場で決着を付けようとしました。ルウム戦役直後の連邦の継戦意志は、極めて低下していたためです。ですが、皆さんもご存じの通り、それにも失敗しました」
 今度は話を遮るような質問をする者はいなかった。政治の世界に身を置いている人間にとって、「劇的な」タイミングで発生するアクシデントがどのような効果をもたらすのかは、説明を受けるまでもなく、感覚的に理解できる事柄だった。
「よって、彼らは連邦に対して正面から四つに組んでやり合うことになったわけです。この場合、国力の差が大きな影響を及ぼします。彼らにとって、もっとも勝利に近づいた瞬間はすでに去ってしまったのです」
 ネフはそこで言葉を切って、ワイアットに視線を向けた。ここから先が、今日の会議の大きな議題になるのである。ワイアットは頷いてみせた。多少議事進行の予定表を繰り上げることになるが、別に構わなかった。連邦軍の展望について、どこかの段階で議題にしなければならないのだ。話の流れをつかんでいる今の方が、むしろやりやすいだろう。
 ネフは手元のレジュメに目をやった。一拍おいて口を開く。
「それでは、今後予想される公国軍の地球侵攻作戦に対する我が軍の防衛構想について、申し上げます」



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一六時一七分 地球軌道上 サラミス級巡洋艦『マキシマム・ゴーリキー』 第一艦橋

「第九艦隊か」
 アンツネスが怪訝そうな声で、ルナ2からの通信文を読み上げたガサンディに言った。
「はい。ルウムで受けた損害が多かったため、戦役後解隊されたのですが、臨時編成として再編されたようです」
 ガサンディが応えた。艦長のシーがほとんど口を開かないたぐいの人間なので、彼らがある程度まで艦橋内の「世論」を作る役割を担っていた。
 副長を兼任する情報士のガサンディはともかく、『ゴーリキー』のラインにいない二八七航宙隊隊長のアンツネスが発言を行うのは、厳密に言えば望ましいことではない。しかし、シーはそれを容認し、むしろ積極的に意見を述べるように促していた。なんといっても彼は機動兵器の運用の専門家であるし、この時代の戦闘機パイロットには珍しく、大尉時代に正規の参謀教育も受けていた。誰も口には出さないが、シー自身、あまりそういう分野は得意ではない。だからといって、沈黙のみが美徳の世界では、スタッフたちが必要な情報を共有しているかどうか分からない。シーは部下たちに比較的自由に発言させることで、この問題を解決することにしていた。 「基幹として残されていた二個戦隊に臨時編成の二個戦隊を加えて艦隊を編成する──言ってることはもっともらしいが、一個戦隊あたりのサラミスは二隻、しかも臨時編成って、いま出撃しているか、ルナ2で補給中の哨戒艦じゃないか」
 通信文に添付されていた第九艦隊の編成表を、シーに許可を求めてスクリーンに映し出させたアンツネスは、呆れ声で言った。
 一個艦隊に配備されている戦隊は四つ。各戦隊に四隻のサラミス級巡洋艦が配備されるというのが、普通の艦隊の編成だった。実際にはそれに補給や修理を担当するコロンブス級補給艦や、アンツネスの二八七航宙隊のような支援部隊が増強される。
 スクリーンに表示されている第九艦隊の編成表によると、九一と九二戦隊を示すボックスにはサラミス級の艦名が二隻ずつ入っていたが、九三と九四戦隊に充当されているサラミスの艦名はグレーに反転していた。これは定位置についていないことを意味する。それぞれの艦名には、その理由と定位置につくまでに必要な時間とを表示するためのメッセージボックスが添えられていた。九三戦隊の場合、『ゴーリキー』と二八七航宙隊、それと同じく哨戒任務中の『ハンヤン』が充当された戦力である。哨戒任務中の艦艇はこの二隻だけではないが、現在の位置関係や補給の問題から、迎撃任務には使えないと判断されたらしい。
 ただし、九三戦隊はもう一隻が配属されていた。
「なんで旗艦がこの戦隊にいるんだ?」
 第九艦隊旗艦のマゼラン級戦艦『ロドネー』は、九三戦隊に配置されていた。艦隊旗艦は、艦隊運動上の問題から、艦隊の第一戦隊に所属するのが普通である。
「戦闘能力上の問題だな」
 それまで黙っていたシーは口を開くと、コンソールを操作してスクリーンの戦力表示に項目を追加した。
 各戦隊の戦闘力評価である。一応同じ部隊として訓練を行っている九一、九二戦隊はともかく、九三と九四戦隊の数値は個艦としての戦闘力を単純に足したものとほとんど変わりない。つまり、部隊としての戦力倍加要素をほとんど持っていない。部隊としては致命的だが、まともな訓練を行っていない寄せ集め部隊としては、やむを得ないところだろう。
「まあ、サラミスの中にマゼランを突っ込むぐらいだから、その方がいいかも知れませんね」
 アンツネスは苦笑しながら納得の声を出した。
 加速性能や質量の異なる複数の艦種を一つの部隊に編成しても、部隊の運用、特に運動の点で問題が大きい。動きの鈍いマゼランに、比較的軽快なサラミスが動きを合わせなくてはならないからだ。速度より装甲を防御力の要とする戦艦に合わせられたのではたまったものではない。
 要するに艦隊司令部は、あとからやってくる九四戦隊はともかく、九三戦隊については、事実上個艦で対応させるつもりなのだろう。確かに一番合理的なのかも知れなかった。
「それで、艦隊司令部の迎撃案は、どんなものになると思う?」
 アンツネスはガサンディに訊ねた。命令文には九三戦隊への合流と、その座標などについての指示はあったが、合流後の展開までは述べられていなかった。もちろん合流すれば分かることだが、早めに知っておいて損することではない。通信に含まれていた公国軍の展開情報では、地球の二カ所に降下すべく、降下部隊を二つに分かれつつあるようだった。降下部隊の間接護衛を担当する護衛部隊は、牽制を行っている第一艦隊の方に誘引されつつあるようだった。
 しかし、第一艦隊を戦闘に巻き込むことは許されていないはずだった。連邦宇宙軍が持っている最後の正規艦隊を、こんなところで失うわけにはいかない。第九艦隊が血を見ずに降下部隊にまで切り込むのは、おそらく不可能と思われた。ガサンディも、判断がつきかねるような声で応えるしかなかった。
「さぁ、統制の取れていない急ごしらえの艦隊で、一撃離脱というのはかなり難しいかも知れませんねぇ」



宇宙世紀〇〇七九年三月一日 一六時三二分 地球軌道上 マゼラン級戦艦『ロドネー』 第二艦橋

 誰にもよく分からない理由から、連邦、公国双方の軍艦の大半には大きな艦橋が設けられており、しかも艦橋の前面はガラス張りになっているため、そこからの景観はすばらしいものである。
 もちろん「ガラス」とはいっても、ちょっとした砲弾並の破壊力を持つ『ゴミ』の直撃にも耐えられる強度と、太陽嵐の極大期であっても特定の周波数以外の電磁波は通さないほどの優れた遮蔽力を持っているが、所詮ガラス──単に透明なだけで、様々な結晶や樹脂で構成された多層構造体をガラスというのも妙だが──にすぎない。デブリとは異なり、単純な運動エネルギーにとどまらない打撃をもたらす対艦ミサイルやバズーカ弾の破壊力の前ではひとたまりもない。戦闘時には装甲鈑をおろし、外部の状況は装甲鈑と一体となっているスクリーンに頼ることになっているが、その程度ではまったくもって防御力に不足していた。
 開戦以来の数度の交戦から誰の目にも明らかだっただけに、その点について問題を感じていない人間がいないはずもなく、改善を求める声が各所からあがっていたが、連邦軍にも公国軍にも今のところ抜本的な改善策を講じる予定はなかった。それは要するに、全く新しい設計の艦船を建造しろということであり、双方ともにそんな暇はなかったのである。
 連邦軍第九艦隊司令のエリザベータ・ルロイ少将にとって、そんなことはどうでもよかった。あと数時間もすればそんなことを言っていられなくなるのかもしれないが、今この時点において、『ロドネー』の艦橋から見渡せる光景は、さして愉快なものではなかったからだ。
「『ハンヤン』の補給が完了するまで、あと三十分はかかるようです」
 報告してきた参謀長のオコンネル大佐に、ルロイはうなずいてみせた。昨年、三十八歳の若さで准将に昇進し、つい一週間ほど前に少将の階級章と艦隊司令官のポストを受けた身としては、内心でどんな感情が渦巻いていようと、それを単純に表情に出すわけにはいかない。将軍や提督と呼ばれる人々にとって、部下の前で演技が出来ないというのは、それだけで不適格の烙印を押されても文句の言えない大罪なのだ。
 もちろん、うまい下手はまた別問題であるし、それが問題とされる事も少ない。指揮官のすぐそばに身を置く部下にとって、上官の演技に付き合うというのも任務の一つだからだ。
 むしろ楽しげに見える表情を浮かべて、コロンブス級補給艦『トワダ41』に接舷して補給を受けているサラミス級巡洋艦『ハンヤン』を眺めているルロイの耳元に、すぐ左後ろに立っていたオコンネルが顔を寄せて囁いた。まだ戦闘配置が発令されておらず、ヘルメットに備え付けられた個人用回線を用いた通話が出来ないので、公にしない方がいい内容を口にする場合、こういう手段を用いざるを得ない。
「休めるうちに少し休んだ方がいいんじゃないか、リズ。今は俺だけでもなんとかるぞ」
 実際のところ、艦隊司令として着任して一週間ほどの彼女より、ルウム戦役で壊滅した司令部を再建するために着任して以来ここで仕事をしているオコンネル――八年ほど前まではルロイの夫でもあった――のほうがより効率よく仕事をこなせるはずだし、事実彼女はほとんどの仕事を参謀長に任せている。
「ありがと、でも、べつにまだ疲れてないから、ここで座ってるわ」
 補給作業が完了すると、先行している『ゴーリキー』との合流、そして会敵にいたるまで、休む間もなくイベントが連続するはずだ。もちろんルロイがそれを知らないはずがないし、なにより彼女はルウム戦役にこそ参加しなかったものの、ティアンム提督の作戦参謀として一週間戦争を経験している。これまで後方勤務が主だったために実戦参加ははじめてのオコンネルが、とやかく言うことはなかった。
「わかった」短く応えると、これまでにも幾度となく見直してきた任務計画書に、再び没頭し始めた。『ゴーリキー』との合流時間を一秒でも短縮することが、彼らが任務を成功させて、しかも生き延びるために必要だったからだ。
 ルロイには、いちいち首を回さなくてもオコンネルがコンソールに集中しているのがわかっていた。本来、参謀長がやる仕事ではないのだが、作戦参謀など数人の幕僚が分遣された部隊に乗り込んでいるため、やむをえなかった。第九艦隊の司令部機能が低下していることは疑うべくもない。しかし、オコンネルはそのことによる不都合をほとんど感じさせなかった。勤勉の二文字は参謀にとって不可欠の美徳だが、彼の場合過剰寸前にまでその徳に溢れているらしい。
 おかげでますますルロイの仕事は少なくなっていた。周囲が忙しくしている分、彼女が泰然としているのがさらに目立ってくる。かといって、ここまで来て演技を崩すわけにもいかない。彼女は、彼女に提督旗を押し付けた前の上司を恨みながら、彼女が連邦に二つしかない宇宙艦隊の一つを指揮している理由について、思いを馳せることにした。

 連邦軍が第九艦隊の再編を決めたのは、公国軍の地球降下作戦が確実視されるに至った二月に入った頃のことである。連邦軍が持つ最後の正規艦隊である第一艦隊は、ルナ2維持のためにもすり潰す訳にはいかなかったので、迎撃作戦に使える艦隊が必要だったのだ。
 第九艦隊司令部そのものは基幹要員が再建作業をはじめていたが、直接戦闘力となるべき艦船が全く足りなかった。艦隊の再建を行っていたのは第九艦隊だけではなかったからだ。
 ジャブローの参謀たちが奔走した結果、艦隊配備の優先順位を繰り上げる事で、何とか四隻のサラミス級巡洋艦を配備できたが、それだけではまともな戦闘力とは言いかねた。ちなみに四隻の巡洋艦が構成するのは一個戦隊であって、一個艦隊を構成するのに必要なのは四個戦隊である。それでも司令部の再建が進んでいる分、第一艦隊を除けば、まとまった戦力としてもっとも有力なものだった。
 とはいっても問題は残った。艦の頭数が足りないというどうしようもない点については、哨戒中の艦艇を無理やりに編入するなどしてかき集めることと、セイバーフィッシュを比較的潤沢に割り当て、これに支援させることで補おうとした。やはり再建途上にあった航宙隊関係者から、後者については強い反対があったが、有効な代案がない現状では押し切られざるを得なかった。
 あとは指揮官だった。普通、艦隊司令がそう多数必要なことはないので、必要なときにはいつでも人材を見繕う事ができた。むしろ、宇宙軍の将官にとって、もっとも競争率の高いポストの一つであるゆえに、自分を売り込もうとする者に事欠くことはなかった。
 だが、今回は事情が違った。ルウム戦役でほとんどの艦隊司令クラスの将官が戦死、もしくは負傷療養していたため、きわめて危険度の高い攻撃的な任務に就けられる人物がいなかったのだ。
 それを知って、自ら名乗り出たのが第一艦隊司令のティアンム中将だった。一週間戦争において連邦軍の第一線で指揮を続け、その時に受けた損害が大きかった事からルウム戦役にこそ参加しなかったが、連邦宇宙軍で最も有能で、戦闘的な指揮官である事は誰もが認めていた。
 しかし、それにはレビル中将をはじめとする宇宙軍首脳が反対した。ティアンムは宇宙艦隊の再建に不可欠な人材である。危険の高い任務に投入して、使い潰していい人間ではなかったからだ。また、将官の人事を決定する人事委員会からも妙な横槍が入ってきた。レビルと同様に大将への昇進が内定している彼が、「半個艦隊」の司令に就くのは格の上からも問題があるというのである。人材の柔軟な運用という点からはまったくもって問題のある意見だが、レビル達はそれに飛びついた。私淑するレビル本人の説得に、彼は主張を取り下げざるを得なかった。
 ではどうするのです。彼の反問に、レビルは推薦できる人物がいないか訊ねた。
「出来れば中将じゃない方がいい。少将だな。なんなら准将でもかまわんよ」
「ひとりおります。私の作戦参謀ですが、なかなか優秀でしてね。戦闘的という意味でも充分でしょう」
「作戦参謀? 大佐じゃないか。さすがにそれはまずいぞ」
「いえ、去年准将に昇進したんですが、ちょうど演習やなにやらでたてこんでまして、転出が延び延びになっていたんですよ。私の参謀長は一週間戦争のときに戦死してしまいましたが、彼女はその代役も充分に勤めてくれました。昇進して間もないですが、彼女ならこの任務をこなせるでしょうね」
「ふむ。わかった。彼女についての資料をお願いしたい。その線でいってみよう」
「しかし、人材なら閣下の手元の方が、多いのではないですか?」
「そういうわけにもいかんのだよ」レビルは微苦笑を浮かべた。
「私が人事に介入したとなると、色々と波風が立ちかねないんだ。君の名前を借りるようで申し訳ないが、ティアンム中将の名前で根回しを進めた方が、問題になりにくい」
「それはかまいませんが――」ティアンムは溜息を漏らした。
「私は一介の軍人でいたいと思っていますので、そのあたりはどうも不得手なんですが、連邦が滅ぶかどうかの瀬戸際に、どうにも不健全に思えてなりません」
「そんなものだろう」レビルは笑った。
「国が滅びるのは内憂と外患の結果だが、どちらか片方だけが原因で滅ぶのは、むしろ珍しいものだよ」
 ──かくしてルロイが提督旗を掲げることになるわけだが、実際にはまだ二転三転が必要だった。
 まずルロイ本人は、ちょうど訓練航海に出航することになっていたサラミスに、視察を名目として送り込まれた。台風の目をルナ2に置いておくのは危険だと判断されたからだ。実のところ、ティアンムの参謀長代行だった彼女が彼の元を離れるのはかなりの異例だったのだが、ティアンム直々の命令とあらば文句の言いようがなかった。
 一方、レビルが行っていた人事工作は難航していた。ある程度は彼も覚悟していたことだが、将官人事を司ることになっていた連邦軍高等人事連絡会議──通称人事委員会は、戦時下という非常事態においても、あいかわらず派閥均衡の原則に支配されていたのだ。
 レビルは宇宙軍の現場の利益を代表する艦隊派の領袖の一人だった。そしてティアンムは派閥抗争に関わることを嫌い、中立を標榜している人物だが、政治的な立場は個人的な親交があり、戦場では肩を並べてもいるレビルに極めて近い。つまり、ティアンムの推薦ということは、レビルの意向と考えられても仕方のないところなのである。
 問題は、レビルがあの南極会議以来、連邦軍の錦の御旗を担ぎ上げる人物として仕立て上げられつつあったということである。これは連邦軍というよりは連邦全体の意志として決定された事柄なので、おもてだって反論できる者はいない。しかし、それだけにレビル個人の意志が通りにくくなっていた。派閥均衡の原則に従うのなら、それが正義なのである。
 レビルとしても予想しなかったわけではなかった。特に連邦軍の派閥抗争の主戦場として知られている人事委員会については、それなりの手は打っておいたつもりだったのだが、やはり甘かったようだ。このあたり、ジャブローにいる人間と、実戦で血を見ているレビルやティアンムたちとでは、認識のギャップがほとんど不可避的に生じるものらしい。
 次の一手を打ちあぐねていたレビルに救いの手を差し伸べたのは、統合幕僚会議議長のゴップ大将だった。彼が「ジャブローの穴蔵」の主で、宇宙の住人であるレビルとは何かと対立してきた間柄であったことを考えると、意外ともいえる。連邦軍制服組のトップとして、派閥抗争絡みの人事に介入するリスクを考えるとなおさらである。
 まあ、連邦軍全体の調整役という、本来行われるべき職務を遂行しただけともいえるが、彼には彼なりの考え方があったらしい。統幕議長のツルの一声で決定した人事の礼を述べるためジャブローの執務室を訪れたレビルに、彼は「ワシの在任中に、連邦を負けさせるわけにはいかんからな」と言って笑ったものである。
 実のところ、ルロイの迎撃作戦が失敗したとしても、ゴップはレビルやティアンムほどには傷つかない。しかし、連邦が敗北した場合、敗者として歴史に刻み込まれるのはゴップのみである。必要充分な現実主義者である彼は、単なる派閥抗争や官僚の前例主義にこだわるつもりは毛頭なかったのである。
 かくして、ルロイがルナ2に帰還したときには全てが終わっていた。ルナ2では、少将の階級章と、迎撃作戦の指揮を執ることを命じた命令書と、半個艦隊以下の戦力が彼女を待っていたのである。

「『ゴーリキー』をセンサーに捉えました。リンク成立。ジオンの降下艦隊Bとの接敵予想時刻は四七分後、一七三一時の予定」
 情報参謀の声が彼女を現実に引き戻した。あと二十分ほどすれば『ハンヤン』の補給が終わり、『ゴーリキー』と合流して一気にジオンの降下部隊に肉薄する。これらの三隻と、先行してもう一方の降下部隊を叩くことになっている別働隊がどの程度の戦果を挙げられるかで、公国軍の地球降下作戦、そしてその後の地上での戦闘が占えるはずだった。



あとがきとか次回予告とか

ネタが尽き申した。

 ……不穏すぎ。
 いえ、本編のことではなく、ここで使っていたアニメネタの次回予告。どうもセリフだけの奴が多くて、確実に分かる決まり文句のついた奴が減ってきたように思うのですが。
 作者が言うほどアニメを見ていないという、どう評価していいものやら判断が付きかねる真実については不問に付すとして。

 なにか一年ぐらい時間があいてしまい、このショボくれた話を読んでくれていた方々にはまことに申し訳ないことで、作者割腹一家御取り潰しものでございますな。別に遊んでいた……ごめんなさい、遊んでました。今後はきりきり上げ続けますので。とにかく、以前の一ヶ月一回というペースは死守する所存にござ候。

 一章三回構成のはずだったのですが、どう考えても無理なので、四回ぐらいになりそうです。やっぱ、今回の会議シーンは邪魔だったかな。
 まあ、質はもとより物量すら誇れなくなりつつある連邦宇宙軍のみなさんには、大気圏降下までをがんばってもらうつもりであります。その後は連邦空軍と陸軍のみなさん。宇宙軍以上にしんどそうですが、彼らには九月まではMS抜きでがんばってもらう必要があるので。
 ……うわ、絶望的な気が。



つづく

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