コバルトブルーの女王



「なぁ」
「指揮所」の到着を待っていると、トレーラーの操縦席からアミが通信をよこしてきた。
「なんです?」
「頼みがあるんやけど」
「乗せろと言うなら却下ですよ」
「それはまた今度。それやなくて、こいつのリフトを使ってみたいんやけど、ええか?」
 サムソン・トレーラーは一年戦争期にジオン軍が開発したMS用のトランスポーターで
ある。車輪とホバーを併用し、不整地走破能力の高い車両として定評があった。また、オ
プションとして色々な装備が可能になっている。MSをそのまま起きあがらせる大型リフ
トもその一つである。そのどちらもがこの学校、逗子南高校の前身である連邦軍鎌倉基地
の数多い置きみやげだ。
 マーシュは少し考えた。もともとジオン軍がザクタイプのMSを搬送するためにつくっ
た車両や装備なのだから基本的には問題ないはずだが、なんといっても二十年近く経って
いるのだ。その点についてアミに尋ねた。
 アミの返答は簡潔だった。
「大丈夫」
「根拠は?」
「あたしたちの整備を信じてぇや」
 機械部の連中ときた日には……
 あきらめて了解と返事をした。そんなやりとりをかわしているうちに「指揮所」の引っ
越しも済んだらしい。アンナが準備の整ったことを告げた。
「じゃ、アミさん」
「ほい。ではリフトアップ」
 ぐぉん、という低いうなり声と共に、ザク2を載せたリフトは油圧によってゆっくりと
起きあがり始めた。周囲でどよめきが起きる。
 まあな。マーシュは心の中で納得した。いかにも「メカ発進!」ってな感じだしな。
 戦時中じゃあるまいし、三階建ての校舎とほぼ同じ高さの巨人が起きあがるのは、それ
なりに迫力のある見せ物には違いない。

 バス停に向かって歩いていると、ふとなにかが気に掛かった。学校をぐるっと回った向
こうの方だ。
 ラシーダは躊躇うことなくそちらに歩みを向けた。
 彼女はそうした自分の「勘」に絶対的な自信を持っていた。というよりはむしろ、そも
そも疑問を感じるようなことがなかったと表現するべきなのだろう。彼女にとってはそれ
が、普通の人間が五感で捉える情報と同じ価値を持っていたのだ。
 初夏の日差しとさわやかな風を受け、稲穂が輝きながらそよいでいる。今日は珍しく太
陽の光に恵まれた日だった。昨晩から夜明け頃まで、激しい雨が降ったからだろう。ここ
数年の間に立て続けに落とされたコロニーやら小惑星やらが巻き上げた大気中の塵も、す
っかり洗い流されたようだ。
 そうした風景にも心を動かされた様子を見せず、彼女はゆっくりと歩を進めた。
 学校の敷地が広いため、目指すものを見つけるまで結構な時間が掛かった。
 歩みを止めて様子をうかがう。
 まだ距離が遠い上に水田から立ち上る水蒸気のためにはっきりとは見えないが、バンが
一台、人間が二名。うち一人は三脚の上になにか望遠鏡だかカメラだかを備え付けている
ようだ。
 そうしたところをみると、彼(か彼女)が準備を始めたのもつい先ほどのことらしい。
 学校の方を見た。学校には塀はなく、ネットが張られているだけだ。二つある校庭の一
つ、正門の反対側にあるので「裏の校庭」と呼ばれる側に面している。そこではMSがト
レーラーから起きあがるところだった。
 妹から今日の行事を聞いていた彼女は、いま校庭で何が行われているかを察した。それ
とそれを観察しているらしい二人組が結びつくかどうか考える。
 こちら側に面しているのが校舎か、あるいは運動部が盛大に活動している「表の校庭」
なら他の可能性を見いだせたが、ありていにいえば「裏の校庭」側は盗撮には適さない。
普段はほとんど誰もいないのだ。単なるMSマニアという可能性もあるが、そうならもっ
と近づくなり何なら学校に入れてもらえばいい。
 そこまで考えて、さらに自分の取るべき行動について考えをめぐらした。
 幾つか選択肢があったが、結論として残ったのはかなり危険度の高いものだった。
 その結論を頭の中でもてあそぶ。
 決断した。
 彼女は、腕時計の竜頭の部分を強く押すと、二人組の方に歩み寄った。
「マーシュだ。フロントパネル閉じるぞ」
「ポスト了解。アミ、リフトの固定終わったな」
「終わったよ」
「こちらハリー。トレーラー周囲、チェック完了」
「アウトリガーはどうだ?」
「問題なし」
「スズキくん、報道の連中がインタビューだって」
「チーフと呼べぃ。なに、インタビュー? ちょっと待て、リフトオフが終わってからだ」
「チーフ、ヤン先生」
「よう、スズキ君、授業中は見かけなかったが、私の授業が終わってから学校に来たのか
ね?」
「いや、その、ちょっと……」
「指揮権継承、チーフ代理はアンナでっす」
「下」で起きている騒動を通信ウィンドゥ越しに見ながら、マーシュはザクの胸部装甲を
閉じることにした。通常ならスイッチ一つで片づく作業だが、今回は手動で行うことにす
る。本来のコクピットをリニアシートに換装したので、妙な干渉を起こさないかどうか、
一抹の不安があったのだ。このあたりのチェックは機械部の連中がさんざんに行っている
はずだが、そういう作業を手間だとは考えなかった。少なくとも、手間だと考えるべきで
はないと父に教えられていた。
 開閉スイッチの隣にある小さなダイアルを回す。それにあわせて胸部装甲がゆっくりと
閉じられる。……問題なし。半開きだったリニアシートのハッチを閉じ、これでようやく
本格的にザクを動かす準備が整った。
 余分な日光のさしこみををカットしたおかげで、リニアシート内の表示はずいぶんと読
みとりやすくなった。
 もう少し時間があるようなので、モニターのチェックを行うことにした。もっとも、起
動時からOSに常住している検査プログラムからも何も言ってこないし、こうしてガラス
張りのように機体周りの状況が目に見える以上、基本的なレベルは問題ない。あとはメイ
ンカメラのズーム機能が正確に働くかどうかをチェックすれば、視覚系の機能は完全とい
うことになる。
 モニターを見てなにか適当な対象物がないか、ざっと眺める。学校側は距離が近すぎる
ので不適当だ。機体の左側、学校の外の方向を見る。
 ずいぶん離れたところに、車が一台と人らしきものが三つ見えた。これだけでも正規の
訓練を受けていたらおおよその距離がつかめるのだが、マーシュにはよく分からなかった。
とりあえずこれをターゲットにする。
 アンナにテストを行うことを告げると、セレクターを切り替え、右手のスティックで目
標をポイントし、その画像をズームさせた。ザクの頭が左に振られ、モノアイがわずかに
せり出す。
 距離三一三メートル。予想外に近い。水田から立ち上る水蒸気が原因だ。ごく普通のバ
ンタイプのエレカが一台。男が二人、女……この学校の生徒が一人。
 マーシュは女生徒の髪の色がライトグレーであることに気付いた。それと澄んだ青色の
光が目に飛び込む。
「マーシュ、準備いいよ、リフトオフ」
 さらにズームさせようとしたところで、アンナが準備の整ったことを告げた。
「了解、そういや、スズキ先輩は?」
「まだ説教喰らってるよ」
「そりゃお気の毒」
 マーシュはトレーラーからザクを降ろす作業に意識を移した。トレーラーと地面とのわ
ずかな高度差が、どの程度ザクの脚に負担をかけるのか分からないため、細心の注意を払
う必要があったからだ。

 プロじゃない。ラシーダは思った。
 二人連れなのはともかく、一人が監視任務についているならば、もう一人は周辺監視を
行うのが当然だ。それでなければ二人で行動している意味がない。
 だが、その一人はカメラに取り付いた一人と同じ方向に注意を向けている。
 まあ、大の男が二人連れでこんなところに居座っているという時点で、プロである可能
性はほとんどないと考えていいだろう。
 風が稲穂をそよがすかすかな音は、砂利道を歩くラシーダの足音を打ち消した。
 校庭のザク2を見ていた男がラシーダの近づく気配に気付いたのは、彼女が二人から五
メートルほど離れたところで足を止めた時だった。
 驚いた様子をなんとか押し隠そうとしていたが、彼女にとってそのあたりの感情の動き
は手に取るように分かる。
 カメラに取り付いていた男も異変に気付いたらしい。ファインダーから目を離すと、彼
女に視線を向けた。
 眉をひそめ、次の瞬間、なにか思い当たるところがあったらしい。何ごとかを口の中で
呟いた。
 まず間違いなく、自分の名前だろう。
 ラシーダはそれだけの情報から相手の身元を推測した。ただし、確認がまだだ。
 彼女は尋ねた。
「ネオ・ジオンの騎士ですか?」
 二人は目を見開いた。
 カメラに取り付いていた方が口を開く。もう一人よりやや年かさのようだが、それでも
二十代半ばだろう。
「……デルタ・フォーか」
「わたしはラシーダ・リーです」
 表情を変えずに答えたが、幾分声が冷ややかになった。
「大尉、ちょうどいい機会です」
 大尉と呼ばれた男は、もう一人の言葉を制して言った。
「今回はこれでいい。それに」
 言葉を切って、南側にそびえる大楠山を見た。轟音とともに何かが飛んでくるのが見え
る。大型の飛行機だ。形状からして戦闘機らしい。
「撤収する」
 そう言うと、カメラと三脚とをバンに積み込み、助手席に乗り込んだ。もう一人の男は
ドライバー席に飛び込む。電気自動車なのでエンジンをかける必要もなくそのまま走り出
す。
 ラシーダはそれをじっと見ていた。
 車は急発進すると、その場を遠ざかっていった。入れ替わるように戦闘機が接近する。
 砂利道には戦闘機が降りられるだけの場所はない。すると機体の各部がバラバラになっ
たように見え、次の瞬間、人型のMSに姿を変えた。MSはスラスターを吹かして減速し
ながら、ラシーダから少し離れた位置に着陸した。なめらかな着陸ではあったが、着地の
衝撃でMSの足が砂利道に大きくめり込む。MSは片膝をつき上体をかがめると、コクピ
ットハッチが開いた。

「ゼータ・プラスだ!」
 大楠山の向こうから轟音と共に戦闘機が姿を現すと、誰かが叫んだ。その場にいた全員
の視線が向けられる。
 ザク2をトレーラーから降ろして脚部のテストを行っていたマーシュも、あわててそち
らを見た。先ほど車と人がいた方向だ。
 ちょうど、ゼータ・プラスが変形するところだった。MS開発の最大大手アナハイム・
エレクトロニクス社の傑作機と呼ばれたMSZ−006ゼータ・ガンダムの量産機だけあ
って、変形に隙がない。スマートな形態を維持したままMSになった。
 おい、変形と同時に着地か?
 マーシュはうめいた。ウェーブライダーと呼ばれる航空機形態からMS形態に変形する、
つまりバランスを大きく崩した状態でそのまま着地する。無駄な動きが許されない戦場で
は必須の技術らしいが、高校の目の前で見せるテクニックではない。着地時点でバランス
を完全に回復していないと、そのまま校庭に突っ込むことになりかねない。
 だが、そのゼータ・プラスは完璧な着地を行った。ふわっというかんじで着地する。少
なくとも四〇トンを越えているはずの機体なのに、ほとんど着陸音も響かせない。着地と
同時にゼータ・プラスは片膝をつき上体をかがめ、MSの右手をコクピットのすぐ下に当
てる。コクピットが開いた。マーシュは画面をズームした。
 コクピットからワイシャツ姿の男が出てくる。右手に飛び乗ると、それはすぐに地面へ
と下がっていった。
 父さん?
 毎日あわせている顔を見て一瞬疑心がはしり、次の瞬間納得した。父のバストンだ。考
えてみれば、大楠山の向こうから来たということは、連邦軍の横須賀基地かスクライブ社
の武山工場しかありえない。ゼータ・プラスは南から来たので、この学校、逗子南高校か
らみて南東方向にある横須賀基地は不適当だ。スクライブ社のパイロットであれだけ見事
に変形着地を決められるのは、テストパイロットの中でも一番腕のいい父しかいない。
 ということは、さっきのライトグレーの髪の女の子は……
 マーシュは少しだけウィンドゥの表示を下げた。
 正解だった。ラシーダだ。

「ありがとう」
 無表情に礼を言う娘に、バストン・リーは顔をしかめてみせた。
「危ないことするなって、いつも言ってるだろうが」
「最低でも十分は余裕があったから」
 スクライブ社の武山工場から逗子南高校までは一〇キロメートルほどの距離だ。航空機
としてのゼータ・プラスにとっては、文字通り「ひとっとび」の距離に過ぎない。もっと
も、バストンがいつでも飛び立てるだけの準備をしているなら、だが。
「俺はスクランブル要員か」
「お父さんは今日、夕方から飛行テストをするって言っていたでしょう」
「ああ」
 しかめた顔がさらにゆがむ。もともと、ラシーダと言い争っても勝てる道理がな
いのだ。そのことはよく分かっていた。
「まあいい。あとは戻ってからだ。工場まで乗せていってやる。家まで一緒に帰ろう」
 そう言うと右手を差し出した。ラシーダはうなずいてバストンの手を取り、MSの右手
に乗った。

 マーシュは遠ざかってゆくウェーブライダーをあきれ顔で見送っていた。
 彼はゼータ・プラスが二人をコクピットに納めたあと、どうやって工場まで戻るつもり
なのか、少し意地悪い好奇心をもって見ていた。
 なぜラシーダがこんなところにいて、父がウェーブライダーを駆って文字通りにすっ飛
んできたのかはひとまず措いて、水田の真ん中といってもいいここから、どのようにして
MSを戻すのかがMS乗りとして気になったのだ。
 するとゼータ・プラスはおもむろにジャンプをし、同時にスラスターを噴射。一気に高
度を取るとあっさりウェーブライダーに変形したのだ。
 簡単に見えるが、場所が場所だけによほど練度が高くないと大惨事を招きかねない。今
更ながらに父の腕前に感心した。まあ、砂利道は半分クレーターに変わってしまったが、
水田の方には被害が出ていないようだ。
 だといって、軍の正規行動でもないかぎり始末書の嵐が巻き起こるだろうが。スクライ
ブ社がほとんど軍の外郭組織といってもいい関係にあるのでなければ、操縦免許剥奪、悪
くするとしばらく刑務所に放り込まれかねない危険行為だ。
「マーシュ、マーシュ!」
 妹の甲高い声が彼を現実に引き戻した。
「すごかったね、いまの。どうしてあんなことしたんだろ?」
 そういえば肉眼ではラシーダやバストンを見分けられない距離だった。少し気になって
妹に尋ねた。
「なんだ、リニアシートの映像を見なかったか?」
「え、ズームしてたの?」
「ああ、左側のL2モニターだけど」
「ええーっ、正面モニターしかまだ繋いでなかったぁ」
「それじゃ、残念だったな」
「なになに、なにが見えたの?」
 マーシュは少し考えた。父や姉のことはここでは言わない方がいいな。それだけの事情
もあるようだし。
「なにも。なにかチェックしてた様だけど、誰かを拾ってそのまま飛んでいっただけ」
「なによ、それじゃなにも分かんないじゃない。だれ拾ったのかとか」
「知らねーよ」
「ああっ、じゃ、ビデオは?」
「悪いが、ビデオメモリーチェックはまだだった」
「ちぇーっ」
 舌打ちというよりは慨嘆の声を漏らしてアンナは追求をやめた。内心でほっとしながら
マーシュは告げた。
「インターミッションは終わりだ。脚部スラスターの一次試験を始めるぞ。危ないから周
りに人を近づけるな」
「了解。周囲警備のハリーくん、ザクの後方に人が入らないように注意してね。あ、それ
とアミさん……」



もどる

次へ

G−インデックス