コバルトブルーの女王



「いやー、よかった」
「そう」
 高ぶった声で今日の報告をしたアンナに、母のシェリーは穏やかな笑顔−苦笑ともいう
が−を浮かべて聞いていた。
「何度も見たことあるだろう、ゼータ・プラスなら」
 マーシュは、ナスのしぎ焼きを皿に取りながら言った。
「あれ、プラスじゃないよ」
 アンナは断言した。
「プラスにゃ色々タイプがあっただろ、そのどれか一つじゃ……」
 彼女は気のなさそうな声でマーシュが言いかけるのを遮って言った。
「どれも違うの。他のタイプなら全部知ってるんだから」
「はあ」
 マーシュは妹の話より、味のしみ込んだナスの方に関心を向けた様子で答えた。
 とはいってもこれはポーズだ。内心では父がどうして姉を拾っていったのか、色々と推
測している。この段階で考えてみたところで、憶測以上のものにはならないのだが、やは
り気になる。考えてみれば、父にしても姉にしてもマーシュやアンナの知らない点がかな
りある−ような気がする。誰だってそうだと言われればその通りなのだが、特にラシーダ
の場合−。
「聞いてんの?」
「ただいま」
 アンナの不満そうな声と、父の帰宅を告げる声が同時に彼の憶測を中断させた。
「おかえり」
 母とアンナが玄関へ行った。
 あらラシーダ、一緒に帰ってきたの? ああ、工場に遊びに来たんでね。そう、暑かっ
たでしょう、お風呂は? ラシーダ、先に入るか? あ、そう。じゃ俺入るわ。ねぇ、おと
うさん、今日ね、ゼータ・プラスの新型見たんだ。あー、横須賀かな? ウチでも造って
るけど。ええっ、どんなの? 風呂入ってからだ。
 そんな会話をすり抜けて、ラシーダはダイニングに入ってきた。
「おかえり」
 マーシュは何気ない様子で言った。
「……ただいま」
 一瞬、マーシュの瞳をのぞき込むような表情をつくると、ラシーダは微笑とも言えない
ような表情を浮かべて答えた。
 マーシュは苦笑した。見透かされてるか。
 父が階段を上っていく音を聞きながら、あとで今日のことを尋ねてみようかと思った。

 夜も更け、リー家の騒音の八割を生産するアンナが眠りにつくと、家内に静けさが訪れ
る。マーシュは、父の書斎−本など一冊も置いていないが−に行ってみることにした。
 普段は在宅で仕事をこなしている母も、明日は朝早くから出かけるとかで、すでに寝室
だ。アンナは機械部の「朝練」、つまり今日のデータを基に、テスト中に出た色々な不都
合を調整するとかで九時頃に寝てしまった。
 来週には学年末試験のはずだが、大丈夫なんかね? 俺と違って一夜漬けなんてマネも
出来ないくせに。
 そんなことを思っていると書斎の前に着いた。扉は閉まっている。つまり、父はこの中
にいる。ノック。返事。扉を開ける。
 父だけかと思ったら、ラシーダもいた。ソファーに座った二人を見て、ほっとしたよう
な困ったような感情がわき起こる。父はブランデーグラスを、ラシーダはティーカップを
手にしていた。
「どうした、マーシュ」
「いや、ちょっと。邪魔だったかな」
「別に。おまえも紅茶、飲むか?」
「うん」
「ラシーダ、いれてやってくれ」
 ラシーダは軽く頷くとティーセットをもって台所に行った。
「で、なんの用だ」
 ラシーダが出ていき、マーシュがもう一つのソファーに座るとバストンが切り出した。
「今日のこと」
「やっぱりあのザクはおまえか」
「うん」
「それで?」
「質問は二つ。なぜラシーダが普通なら誰も行かない校庭の裏側にいたのか、なぜそこに
いた車が逃げるように去ったあとに父さんが試作機のゼータ・プロンプトにのって、アク
ロバット飛行を強行したのか」
「上手い質問の仕方だな。二つの質問で四つの答えが欲しいのか?」
 皮肉かな。マーシュは父の顔を見た。どちらかというと、父よりマーシュが返すような
応え方のように思われた。
「いくつでも。最低二つの答えは欲しいけど−無理かな?」
 バストンはため息をもらした。
「マーシュ、おまえは頭がいい。その上に年齢には不相応なほど分別もある」
 言葉を切ると、ブランデーグラスを鼻先で揺らした。
 マーシュは黙って次の言葉を待った。沈黙が流れる。
 バストンが口を開きかけた。それより先に扉が開く。
 ラシーダは無言のまま彼女とマーシュのティーカップに紅茶を入れた。
 マーシュも無言のままテーブルに置かれていたブランデーのボトルを取り上げると、紅
茶に少しばかり流し込んだ。室内に芳香が立ち上る。リー家では原則未成年禁酒だが、ア
ンナの作るケーキの幾種類かと、マーシュの飲む紅茶だけは例外になる。ちなみにラシー
ダはいつもミルクティーである。
 その例外に照らしてみても少しばかり多すぎるように思える量だった。バストンは一瞬
顔をしかめ、マーシュの顔を見た。
 マーシュは無表情のままバストンと目を合わせた。
 思わず苦笑を漏らす。
 バストンの表情の変化にあわせて、ラシーダが口を開いた。
「お父さん、マーシュに話してあげたら?」
「いいのか?」
「マーシュはお母さんに似ているから」
 ラシーダは家族以外の者には理解できない表現で、マーシュの能力を認めた。シェリー
は幾たびもの激動の中で、常にリー家の安全を保ち続けた名「参謀長」なのだ。バストン
はいままで常にそうだったように、今回もまた彼女の助言を求めようかと思ったが、やめ
にすることにした。直接的な話をしたことはないが、彼女もまたマーシュの能力を認めて
いる。その点についてはバストンも同様だが、いまひとつ抵抗が残るのは……
 バストンはもう一度苦笑じみた表情を浮かべた。つまりこいつが一人前の「男」である
と認めたくなかったからなんだ。自分自身が十六歳だった頃と比べて、どうだ。
 やはり血の繋がっていないことが原因なのか。いや、こいつがその点になんらかの負い
目を感じてとかいう意味よりも、単にこいつ自身の資質か。あるいは両方か。まあ、いい。
背伸びして丈の合わない服を着ていても、そのうちに似合ってくるもんなんだろうな。
 バストンはマーシュの置いたボトルを取り上げると、ブランデーグラスに補充した。
「わかった。答えられるだけのことは答えるよ」

 翌日からラシーダは学校を休んだ。「体調を崩したため」というのが理由となっている。
これまでにも幾度かあったことなので、誰も特に疑問を持たなかった。ラシーダがいなく
なったといって、別段学校の様子が変わるということもなかった。
 ただ、それなりに訓練を受けた者が注意深く観察すれば、本来関係者以外の人間が行き
来することの少ない学校周辺に様々な格好をした男女の姿を見て、なにか感じるところが
あっただろう。
 スクライブ社の警備担当者である。もちろん一般には知られていないが、軍の開発を受
注するという会社の性質上、スクライブ社が雇っているこうした特殊技能者の数はかなり
多い。その一部が逗子南高校の周辺に網を張りだしたのだ。
 マーシュはそうした事情を父から知らされていた。父とラシーダは武山工場にこもって
いる。自宅の方はマーシュとアンナ、それにシェリーの三人だけだ。もっとも、こちらの
方も警護の対象になっているらしい。マーシュにはまったく気づけなかったが。
 母はどう考えているのか。おそらくマーシュよりも多くのことを知らされている−ある
いは知っているはずだが、なにも言わない。
 アンナはもとより知らされていないはずだ。これまでのように、スクライブ社の武山工
場付属病院で身体の検査を受けていると思っているのだろう。
 学年末試験のことは気にしていない……わけではなく、どうやらそれまでにザクの方に
ケリを付けたいらしい。マーシュも駆り出され、放課後は操縦やデータの評価の毎日だっ
た。機械部一同、学年末試験のことを完全に忘れることにしたらしかった。まあ、マーシ
ュにとっても試験勉強などよりはよほど面白い「遊び」であることには違いなかった。結
局、ラシーダのことを気にしながらも、忙しい毎日の方が彼を追い立てていたのである。

 ザク2の整備が完了する前日になって、父から連絡が入った。翌日、ラシーダを連れて
学校に行くらしい。
 偶然でもなんでもなかった。学年末試験を明後日に控え、明日ぐらいには学校に出ない
と試験を受けられない。もちろん追試を受けることは可能だし、彼女の成績なら落第する
ことはまったく考えられないが、望ましいことではない。ラシーダには可能な限り「人並
みな」学校生活を送らせたいと願っているバストンが、いつまでも娘を隔離したままでよ
しとするわけがなかった。
 スクライブの警備員も許可を与えたのだろうとマーシュは推測した。
 父とラシーダは、四年前に事実上の消滅を遂げたネオ・ジオンの残党に狙われている。
父は命。ラシーダは身柄。父が狙われるのは彼らを「裏切った」から。ラシーダは……捕
らえる価値があるから。
 マーシュたち残りの家族も狙われないとは限らないが、それは父に対する見せしめ以上
の価値を持たない。スクライブ社が警護している以上、危険ばかり大きい上に、大規模な
報復を招きかねない。スクライブ社だけならまだしも、横須賀基地のお膝元で大規模なテ
ロ事件が起きでもすれば連邦軍が黙っていない。彼らの主目的を達成した後ならともかく、
この段階でそこまでの危険は犯せないだろう。
 もし、何らかのテロ活動を行うつもりなら、必ず下見を行うはずだ。前回の不手際から
考えて、何らかの活動を起こせば、必ずスクライブ社の監視に引っかかるはずだ。逆にな
にも起こらなければ、当座の活動はないものと判断できる。父の話ではそういうことだっ
た。
 マーシュとしては父とスクライブ社の担当者たちの意見を尊重するしかなかった。他に
判断する材料も能力も持たないからだ。

 翌日、試験勉強で半徹のマーシュが眠い目をこすりながら学校に行くと、駐車場に父の
車があった。ラシーダを連れてきたらしい。
 試験前日は半日で終わりだ。ほとんどの生徒は掃除当番を残してさっさと帰宅するが、
機械部の面々だけはそういうわけにはいかなかった。今日は、別口の「試験」が予定され
ていたのだ。
 マーシュが「裏の校庭」に行ってみると、すでに準備は整っていた。ザクだけでなく、
ハイザックのほうも気前よく持ち出されている。別に必要はなかったのだが、誰ともなく
「二機並んだ姿を見たい」ということになったのである。ハイザックの担当はマーシュで、
アンナがザクの操縦をする事になっていた。
 だが、どうも様子がおかしい。機体の周りに人だかりが出来ているのは当然として、ア
ンナたちと一緒になってなにやら検分を行っているのはこの場では見慣れない見慣れた人
物−父だった。よく見るとラシーダもいる。
「やはりベースはF型だね」
「ええ。駆動部とかは一部J型のパーツを使ってますが、一次装甲とサブスラスターはF
型がベースです」
「胸部の構造によくリニアシートが入ったね。いや、F2型の構造を使っているからか」
「そうなんですよ。デフォルトのF型だったらリニアシートじゃ入りきらないところで…
…」
「こんちわ、チーフ」
 機械部部長のスズキは、夢中になってバストンと話し合っていた。マーシュの声が聞こ
えていない。バストンの方が息子に気が付いた。
「おう、マーシュ」
「父さん、仕事は?」
「今日は休みだ。いやぁ、いいものを見せてもらってなぁ。おまえら、こんなことしてた
んだなぁ」
「いや、俺はアンナに無理矢理……」
「あ、おとうさん、じゃ、あたしの替わりに乗ってみる?」
「そりゃ悪いよ、俺は部外者だよ?」
「いや、俺も部外……」
「あ、それはいいですね。リーさん、ぜひお願いします。一年戦争のベテランパイロット
に乗っていただけたらこいつも光栄でしょう」
「あはは、いや、そういう言われ方をされると照れるね」
「じゃ、アンナ、俺の替わりに……」
「はいはい、マーシュはあっち。さっさと乗って」
 あっさりいなされて、マーシュは不機嫌そうな顔でハイザックに向かう。父たちはなお
もしゃべり続けている。
 二機のMSはコクピットからワイアースリンガーを垂らしている。十メートルを超える
高さにあるコクピットに乗り込むのは、それほど簡単な作業ではない。
 マーシュはハイザックに乗り込み、プリチェックを始めだした。面倒なので全プログラ
ムを連続して自動的にチェックするコンバットモードで処理する。
 まあ、いいさ。これを片づけて家に帰って試験勉強の続きを−
 警報が鳴った。
 な……!
 あわてて表示を見る。警報の源は普段まったく縁のない火器管制−
 全天周囲モニターの右側に脅威対象がポインティングされる。飛行物、数二、方位〇八
三、高度二五〇、速度四二〇ノット。
 父さん!
 それとは反対方向、ハイザックの左方向に位置するザク2とその取り巻きの面々に視線
を移す。
 あまり褒められた行為ではないが、とりあえず一番気になるのが父とラシーダの行動だ。
 父はザクのコクピットに飛び込むところだった。さすがに行動が早い。他の連中は逃げ
散っている。ラシーダは−
「来るぞ、マーシュ」
 バストンが言った。早いぞ、父さん。視線を戻す。
 ゼータ・プラスが二機。なんてこったい。
 ウェーブライダーから変形するところだった。先日のバストンの着陸と違い、遠慮する
必要などないので盛大に校庭を掘り返しながら着地する。
 通信ウィンドゥが開いた。父からだ。
「俺の機体のデータを流す。完全なチェック頼む」
 事情は分からなかったが、とりあえず了解する。すぐに理由は分かった。通信ウィンド
ゥが開いた。
「バストン・グラハム中佐、お久しぶりです」
 面長の男が言った。二十代半ばぐらいか、とマーシュは思った。知らない顔だ。もっと
もラシーダだったら、先日の「大尉」だということに気付いただろう。
「ハワード中尉、そうだな、九年ぶりか?」
「いまは大尉ですよ、教官」
「これは失礼」
 双方とも穏やかにジャブの応酬を始めた。もう一機のゼータ・プラスとマーシュのハイ
ザックは空気のように無視されている。
「教官、一つ質問があるのですが」
「なんだね」
「あの時、どうして我々を裏切ったのですか」
「私はそれほど練れた人間ではなくてね」
 彼は淡々と答えた。
「ではなぜデルタ・フォーを?」
 一瞬、沈黙した。微笑のような表情を造って内心を包み隠すと、ゆっくりとした口調で
答える。
「言っただろう、私は練れた人間じゃないんだよ」

 チェック完了。オールグリーン。マーシュは父の機体にそれだけを転送した。
 ほとんど同時にコードが返信される。本来ならば戦闘時の部隊指揮に使う簡易命令だ。
「戦闘中」「2」「陽動セヨ」(戦闘が始まれば、もう一機のゼータ・プラスを陽動せよ)

 バストンの返事に、ハワードは薄笑いを浮かべ答えた。
「分かりませんね。どうしてあれにかまうのです? あなたにとって価値はないはず」
「家族の存在は価値で決まるもんじゃないさ」
「家族? あれは兵器ですよ」
「……君たちにとってはそうなんだろうな」

 マーシュはもう一つ気になっていた点を確認した。すぐに終わる。大丈夫、戦闘に巻き
込まれる範囲に人はいない。
 MS戦闘の経験のないマーシュだったが、自分でも意外なほど落ち着いているように思
えた。
 しかし、所詮彼には経験がなかったのだ。すぐにそれを思い知らされる。



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