女王陛下の海賊たち



4 観覧船と海賊船


 日がな一日奈落の底を巡り、白地図を少しずつ埋めていくという難行に、マーシュはようやく慣れてきた。
 初日は例外として、イワタは一日あたり三時間以上の潜水を許さなかったので、思っていたほども苦痛ではなかった。一時間かけてポジションに着き、次の一時間を地図作り、飽きてきたところで帰投時刻を迎えるというローテーションで、マーシュにとって苦労が少ない代わりに、なかなか地図の方は埋まらなかった。もちろん、それを命じたイワタは頓着しない。
「こういう仕事は怠け半分ぐらいがちょうど良い」
 とは言っているが、もちろんこれはマーシュに負担をかけないようにするためである。過酷な従軍経験を持っているイワタは、MSのコクピットという閉鎖空間がもたらす緊張と疲労についても熟知していたのだ。
 現在は戦時中ではないし、締め切りが迫っているわけでもない。友人から預かった十六歳の少年に対して無理を要求すべき時ではなかった。
 もっとも、そのためにマーシュは機械部から呼び出しを受け、ザクのレストアを手伝わされる機会が多くなった。これならむしろ潜っている方がいくらか楽だ、などと思うこともあったが、それもまあ、余裕のなせる技と言えなくもない。
 ラシーダは相変わらず何をやっているのかよく分からなかった。ブロテルとなにやら検査をしていたり、本を読んでいたり──どこで何をやっているのか、マーシュやアンナともあまり会う機会が無かった。
 それでも誰も──表だっては──あまり気にした様子も見せない。暗黙の了解のようなものが成立していた。

航海が始まって一週間が経った日の夕食の席で、イワタがスズキに修理の進行状況について訊ねたのは、あるいは乗員の間に「慣れ」が出始めてきたことに気付いたからかも知れない。「慣れ」が「だれ」になる前に適当な手を打つのも船長の責務の一つである。
「はぁ、順調です。この船の設備なら、あと二週間もあれば目処が付くと思いますが」
「そりゃ結構。では、ちょっと休憩しても問題ないな?」
「はい。何かあったのですか?」
「ふむ、明後日のことだが、上海から『レーリュンド』という客船が出港することになっているんだ。で、その船にこの前横須賀で間に合わなかった調査用の機材の一部が、積み込まれることになっているんだが、それのお守りをする人手が欲しいんだ」
「はぁ」
 スズキは曖昧な表情で相づちを打った。それなら一人で充分だろう。何人も必要ないはずだ。
「あ、その船って、ホエールウォッチングする奴ですよね」一年生部員のシオが言った。
「何日か前のニュースで流れてましたよ。太平洋にもようやくクジラが戻ってきたって」
 十七年前のコロニー落着の影響は、海棲動物にとって、致命的な衝撃波と環境の変化をもたらした。九年前にはダブリンにコロニーが落ちているが、この時には対岸のブリテン島が大半の影響を吸収し、ブリテン島の半壊という犠牲を払う代わりに、大西洋に対する影響は最小限にとどまったが、シドニーの場合はそのまま太平洋全域に影響が及んでいた。
 このため、太平洋に生息する海棲動物の半数以上が死亡、残る半数にも深刻な悪影響が生じていることが、戦後の調査で分かっていた。それ以来、連邦水産資源局や各種の民間機関の関係者が悪戦苦闘を続け、ようやく最近になって環境回復の目処がつき始めてきた、というところである。
 その被害と復興のシンボルとなったのがクジラであり、そのクジラを観察するホエールウォッチングが、ちょっとした話題になっているらしい。
「ま、そういうことだ」イワタが話を引き取った。
「クジラなんて見たことない奴ばっかりだろ。一度話題作りに見てきたらどうだ。機材の方は途中でこっちから受け取りに行くから、一週間ほど客船での航海を楽しんできたらいい」
「先生はどうするの」アンナが訊ねた。
「俺か?俺とマサフミとマーシュは留守番だ」
 あっさり言ってのけたイワタに、二人は抗議した。
「何で俺まで」
「マーシュに同感ですね、先生」
「地図作りはまだ終わっていない。カプールにはマーシュとイーディスが必要だし、イーディスにはマサフミが必要だな」
「前々から思っていたんですが、MS操縦するのって、俺だけですか?」
「俺は船から指示を出す必要があるだろ」
 なんでまた、この人はこうも言い訳が上手いんだ。マーシュは溜め息混じりに敗北を受け入れた。正直な話、さしてクジラを見に行きたいとも思わなかった、ということもあるが。
「あ、俺も残ります」
 スズキが告げた。マーシュは怪訝な顔をして理由を訊ねた。
「他の作業に比べて、基板の修理が遅れ気味なんだ。これは俺の仕事だしな」
 それを聞いたアミが、気の毒そうな表情になって言った。
「長時間続けられへん仕事やからねぇ。あたしも手伝おうか?」
「いや、いいよ。一人でやらないと混乱するから。ま、正直なところクジラよりこっちの方が楽しいし」
「そお?」
 負け惜しみという感じでもなく、ごく自然な口調だったので、それ以上追求する者もおらず、その話は決まった。

 マーシュは、南に向かって航行する『レーリュンド』に向かう連絡艇を、イワタと並んで『ボナドヴェンチャー』の艦橋から見送っていた。マサフミとスズキは、すでに船内に戻っている。
 しばらく無言でいたが、ややあってマーシュが口を開いた。視線は、相変わらず連絡艇の方に固定されている。
「先生」
「なんだ」
「なんか隠してません?」
 マーシュはイワタが、例によって韜晦を決め込むだろうと半ば覚悟していたので、イワタの言葉を聞いたときには、むしろ驚いた。
「時々、おまえがラシーダとは血は繋がっていないというのが、何かの冗談のように思えることがあるな」
 イワタも首の向きは変わらなかった。表情も、声の調子も変えることなく、反問した。
「そう考えた根拠はなんだ」
「不自然です。航海が始まって、まだ一週間しか経っていないのに、ほとんど全員に休暇を与える必要はないでしょ」
「それだけか?」
 イワタの口調は、学生を試問する教師のようだった。考えてみれば、それはスミソニアンの学芸員である彼の本業みたいなものだとも言える。マーシュは、慎重に言葉を選びながら答えた。
「いま、『ボナドヴェンチャー』に残っているのは、船自体を動かすのに必要な人間と、MSを動かすのに必要な人間──イーディスを頭数に入れての話ですが──だけです。今回の航海の目的の一つがラシーダの保護であることを考えれば、あるいは先日の不明艦のことを考えれば、状況証拠は充分に揃っていると思います」
「それなら、ラシーダはこの船においておくべきだろう」
「そうですね。俺にも分かりません。ラシーダを手元におかなくてもいい理由があるんじゃないですか。たとえば、この船の方が狙われる可能性が高いとか」
「ふむ」イワタは頷くと、マーシュの顔を見てニヤリとした。
「まあ、合格点はやる。八五点というところだな」
 ちなみに、彼は九〇点以上の点数は出さない。以前、マーシュがその理由について訊ねたとき、「九〇点が俺の答案だ。それ以上が欲しければ、俺以上の解答をよこせ」という返事をもらっている。彼を越えるのがマーシュも目標の一つだが、いまだにそれは果たせないでいる。
 つまり、八五点というのは、これまでの経験から考えてみると、最高に近い評価ということになる。
 もちろん、だからといって喜びをあらわにするようなマーシュではなかった。
「九〇点には届きませんか」
「理由を言っちまうと、俺の存在価値がなくなるからな。自分で考えてみろ」
 そう言うと、イワタは船内に戻った。マーシュは、ゆっくりと首を上に向け、空を眺めることにした。
 欠けたピースは、いくら考えても見つからなかった。

『レーリュンド』は、俗に一万トン級と呼ばれる中型の汎用貨物客船だった。『ボナドヴェンチャー』を出立する前、イーディスが連邦海軍のデータベースから「閲覧」してきた情報によると、ほぼあらゆるものを輸送してきたらしい。少々うしろ暗いものを含めて。
「ひところは、密輸業界ではかなり有名な船だったみたい」とイーディスは教えた。
「前の船主の時、ちょっとおおっぴらにやりすぎて海軍に拿捕されてからは、正道を歩いているみたいだけど。そういう仕事をするには古すぎると思ったのかもね」
 たしかに、一年戦争前に建造された老嬢であり、一応三二ノットの最大速度がカタログには載っているが、ここ何年もそんな速度を発揮させたことはないらしい。
「必要ありませんからね」というのが、船に乗り込んだ折りに、客室まで案内してくれた船員の弁だった。
「この船の経済速度、つまり一番効率よく航行出来る速度は二四ノット、それだけ出れば充分なんですよ」
 その代わりに大型のフィンスタビライザーや、性能のいい消波装置を装備していますから、客船としての乗り心地はいいですよ。私は船に弱いもんで、この船以外には乗りたくありませんね、と冗談めかせて説明した。日頃海とは縁のない人間にとっては奇異に感じられるかも知れないが、海を生活の場にする人間が、必ずしも船酔いに強いとは限らないのである。付け加えるなら、東シナ海と南シナ海の境界にあたるこのあたりは、海が穏やかなことで有名な海域ではなかった。
 なお、出発前にイーディスが軍用のデータベースから拾ってきた情報によると、数年前までその筋では結構悪評の高かった船らしい。五年ほど前に密輸取り締まり捜査の直撃を喰らうまでは、大小さまざまな「商品」を運んでいたそうである。もちろん現在は正道に戻っている──ことになっている。まあ、一年戦争前よりは治安の悪くなった海上では、さして珍しくない話だ。
 案内された客室は、八人用のものだった。当然、男女別々である。オーティス、ブロテル、ラシーダの三人に加え、アンナたち機械部の面子が七人。七人中、女が三人、男が四人という内訳だったので、問題なく部屋割りは終わる。
部屋割りが終わってしまえば、あとはやることもない。『ボナドヴェンチャー』では当番制だった調理などの仕事もないし、もちろんザクをいじるわけにもいかない。
「あー、しもうたなぁ、こんなんやったら宿題持ってきて、ラシーダちゃんに教えてもらえばよかった」
 アミはラシーダと同じ二年生である。しかし、学年末試験を終えた身に、宿題という苦行が残されているはずはない。アンナはそう思って訊ねてみた。
「試験の成績が悪かったし、補修受けてたら間にあわへんかったやろ、せやから先生に頼んで宿題にしてもうてん」
 それを聞いていたシオが、呆れたように言った。
「よく先生が許してくれましたねぇ」
「担任のキムラ先生の英語やったからね」彼女たちの通う逗子南高校の場合、二年と三年の教師は、同じ人間が担任を務めることになっている。学生の選択するコースによってはクラスの変更もあるが、アミの場合はごく一般的なコースだった。
「あたし、先生と仲ええし、先生も補修に出てくるの面倒くさいって」
 いいのか、先生。アンナとシオは、心の中でツッコミを入れた。
「でも、英語だったら別に不自由してないでしょ」
 アンナが訊ねた。この時代、英語は公用語として、地球圏のどこでも一般的に用いられる言語である。アンナの知る限り、アミの英会語は別にまずくはなかった。
「英文学史と英文法が、どーもあかんねん」
「うーん」アンナはうなった。日本に来て閉口させられたのが、英語の文法である。日本語の文法もそうだが、体験と直感から会話をこなすアンナにとっては、そういうものが不得手──あるいは鬼門だった。文学史についてもしかりである。どういうわけだか、日本の学校はそういうものが大好きな人間が多いらしい。振り返ると、三人の会話に黙って耳を傾けていた姉に助力を求める。
「おねえちゃん、なんかいい方法ない?」
 ラシーダは少し考えると、白紙を一枚取り出してアミに渡した。
「英語を使って文学史の年表を作って」
「ええっ?」
「年代別に区分けをして、アミさんの知っている限りの作家と作品とその内容について、英語で書き込んで。足りないところと間違っているところは、わたしが教えるから。全部埋まれば、多分試験を受けても大丈夫」
 その辺の辞書より強力な記憶力を持っているラシーダならではの力業である。アミの表情が明るくなった。
「なるほど」
「一日一枚作って。わたしが添削するから」
「ありがと、それならなんとか出来そう」
 現実はそう簡単にいくものでもないのだろうが、アミはあまり心配しなかった。出来なければ、その時また心配すればいい。楽観論者の鑑のような見解だった。
 そこにノックの音が割り込んだ。ドア越しにブロテルの声が聞こえる。
「うぉぃ女性陣、メシ食いに行くぞぉ」

「どうだ?」
 マーシュの問に、スピーカーから声が返ってくる。
「楽勝ね」
 あっさり言ってのけたイーディスに、スズキが呆れ声で言った。
「えらく簡単なものだな。ネットさえ繋がっていれば、世界中でも押さえられるんじゃないか?」
「理論上はね」潜水艦の発令室に、イーディスの声が響く。イワタやマサフミは自室でおそらく就寝中。三日前に乗員が四人になった『ボナドヴェンチャー』では、常時二人の船員が発令室に詰めていることになっていた。
「実際には時間差の問題があるし、あたし自身にもプロテクトが掛かっているし、そういう不心得者を退治するシステムが幾重にもネットに組み込まれているから、ほとんど無理ね」
「それでも、無防備な潜水艦一隻を乗っ取るぐらいなら、瞬殺で出来るわけだ」
「まあね」こころなしか、イーディスの声に苦笑じみたものが混じっているように思われた。
「この船とはひと月以上つき合っているから、システムの細かいところまで分かっているし、むしろ乗っ取れて当然ね。というか、乗っ取った、って感じが全然しないもん」
「実際、『ボナドヴェンチャー』のほとんどの機能はそのままなんだろ?」スズキの質問に、イーディスは「当然」と答えた。
「でなきゃ、あたし一人で全ての制御なんて出来ないって」
 自慢しているのかいないのか、少しく微妙なセリフを返す。マーシュは、人間の感情を模倣しただけで、ここまで微妙な表現が可能な人工知能というものが構築可能であるということを信じかねる思いだった。そのことについて何か口に出そうか、一瞬迷ったところで、イーディスが警告を発した。
「ミノフスキー粒子濃度上昇、救難信号受信、発『レーリュンド』、未確認の対象による低強度攻撃、以下の情報は受信不能」
 それ以上の報告を受ける必要はなかった。来るべきものが来た、というべきか。
『ボナドヴェンチャー』じゃなくて、『レーリュンド』か──
 マーシュは歯がみしたくなるような気持ちを抑え、とりあえず下すべき命令を下す。
「急速潜行。イーディス、潜望鏡深度につけろ」
 潜水艦とは、特に戦闘時には、可能な限り外界に露出する情報を減らさなければならない存在である。潜望鏡深度を指示したのは、ミノフスキー粒子濃度が低下するかも知れないと考えたからである。完全に潜ってしまえば、それが分からない。もっとも、それはそれでこちらの存在を露見させる危険性と裏腹なのだが。しかし、マーシュと同じ判断を下していたのだろう。イーディスはためらうことなくマーシュの指示に従った。戦闘においては、つねに速度こそがもっとも重要である。
「潜望鏡深度、アイ」
同時に、コンソールとスクリーンに手に入る限りの情報を展開し始める。マーシュは素早くそれらを読みとった。水に潜った潜水艦の最大の情報源、ソナーからの情報はない。潜水開始の段階では仕方がないが、潜水前の時点まで遡っても何も聞き取れなかったらしい。逆探についても同様である。一方、スズキももたもたしていなかった。たまたま腰掛けていた船長席のコンソールに取り付き、なにやら操作を始める。この瞬間に限って評価するのなら、本職の潜水艦乗りでも彼らの対応を賞賛したであろう。
「先生は?」潜航を始める潜水艦のたてる大音響で、当然に目覚めたであろう指揮官の状態を訊ねながら、マーシュの脳裏に次々と思考が湧き起こった。
 どうしてこちらが狙われなかったのか、向こうに乗船した連中は無事なのか、連邦軍の救援は間に合うのか、イワタは読み違えたのか、襲った連中は本当に海賊なのか──
 現状では無意味な思考には違いない。違いはないが、スピーカーから聞こえるイワタの声に、反射的に返答を返しながらも、マーシュは一番気に掛かる点について、繰り返し反芻せずにはいられなかった。
 俺たちは間に合うのか。



いいわけとかいいわけとか次回予告とかいいわけとか

 前回更新が五月二〇日。三ヶ月か……。あ、八月二〇日なら、ボク様誕生日か(逃避モード)。
 なんか、本編では出来そうにない軽いノリでスーパーな展開というコンセプトが、完全に破綻しているような。
 女王様が降臨あそばされると瞬殺でケリが付くからなぁ。どう思う?
「俺は無難な高校生活を送れないのか?──いや、口にするだけ愚かだったな。忘れてくれ」
 なんか、メチャ感じ悪いんですけど。
「どこの世界の高校生がグラブロ相手にASWやらにゃならんのだ」
 ……この世界だ。断わっとくが、ここは笑うとこじゃねーぞ。
「…………」
 …………
「……次回予告だったな。ASWだ。前作に引き続き、俺はまた咬ませ犬だろうが」
 周りにいるのが、なにげにガンダム世界でも最強の奴らだしな。作者設定上の話だけど。
「そうなのか?」
 存在自体がかなりまずい。でなければ、こうも追い回されないだろ。
「俺は不幸なのか?」
 おまえもよそ行けば、人並み以上に強いんだがな。カプールで深海の学術調査をやる高校生なんて、漫画か小説の世界だぞ。
「俺の存在が否定されつつあるような気がしまくるんだが?」
 まあ、いいや。後半も半分ぐらい終わってるし、来月には上げられるな。
「たしか、一〇〇〇〇ヒット記念で予定を立てて、一一〇〇〇までにアップするはずだったんじゃないか?」
 うぐぅ。




続く

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