女王陛下の海賊たち



5 世界で二番目に古い職業

 ラシーダが上を向いた。
 彼女の周りで力無く下に向けられていた首が、つられるように上を向く。
「ただいま」
 天井から声が降ってきた。アンナである。
「おかえり、首尾は?」
 がたがたと天井から降りてくるアンナに、アミが訊ねた。
「あんまりおいしそうなものはなかった」

 三時間ほど前、船に乗り込んできた海賊たちの目をごまかして、「この手の船にはお約束」の密輸用隠し倉庫を発見できたのは、大した偶然ではなかった。少なくとも、ラシーダの説明によるとそういうことになる。
「元密輸船」の経歴さえ知っていれば、船の構造からおおよその推測は可能である。船のいたる所に走っているダクトを使えば、移動も不可能ではない。ひとつだけ注意しなくてはならないのは、隠し部屋を発見したからといって、すぐに入ったりしないこと。海賊たちも隠し部屋のことは知っているのだから、彼らがまず家捜しを終わらすまで、根気よく待つこと。
 部屋で気分良く眠っているところを、ラシーダにいきなりたたき起こされ、手早く荷物をまとめる様に言われたときは、アミもシオも、半信半疑どころか、二信八疑ぐらいだった。
 それでも、姉が人をせかすなどという希有な事態に危機感を抱いたアンナが賛成に回ったことから、取り敢えずの決定が下った。慌てて荷物をまとめ、着替えもそこそこに天井裏のメンテナンスハッチからダクトに潜り込む。
 ダクトの中は、覚悟していたほど暑くはなかった。もちろん、比較的、ではあるが。ラシーダが廊下沿いのコースを選んだため、廊下側からは目立たないように設けられている明かり取りから、冷房の掛かった廊下の空気が流れ込んできているためである。もっとも、埃に関しては我慢するしかなかった。
 その点に関して不平が上がったが、すぐに沈黙させられた。廊下の方から、客室の中の人間におとなしく出てくるよう命じる声が聞こえてきたからだ。
 ちょうどアミの位置から、明かり取り越しに様子が見えた。銃を持った人間が三人、扉の前に立っている。三人とも同じような暗めの服を着ており、ゴーグルをかけているので、性別は分からない。当然、客室の人間は睡眠中。ドアにはロックが掛かっている。
 どうするのかと見ていると、一人がドアのノブのあたりでなにやら操作した。合い鍵を持っているのか、解錠装置を用意していたらしい。扉が開く。一人を残して、二人が部屋にはいる。中から声が上がり、すぐに沈黙し、しばらくたつと四人ほどの男女が姿を現した。家族連れなのだろう。大人が二人、子供が二人。男女がそれぞれ一人ずつ。
 三人はこの四人を連れ、アミの視界から消えた。
 凍り付いたようになっていたアミを促し、事態を確認した後は、ラシーダの判断を疑う者はいなくなった。ただ、シオが寄り道できないか提案した。
「男子の部屋、急げばまだ間に合うかも知れませんよ」
「駄目ね」というのがラシーダの返答だった。
「このダクトからそこに着くまで、三十分以上かかるわ。いまいる廊下とは反対側になるから」
「じゃあ?」
「このまま目的地へ」
 感情の片鱗すら感じさせない声だった。

 食堂に連行されて以来、不機嫌そうに黙り込んでいたブロテルは、頭の中でもてあそんでいた思考を振り払うように鼻を鳴らした。大きな音ではなかったが、隣に座っていたオーティスには、ブロテルの心配がよく分かっていた。一応私語は禁止されているので、ささやくような声で言う。
「女の子たちは大丈夫だと思いますが」
「そう思ってはいるがね」ブロテルも低い声で応じた。
「自分の目で確認できないのはつらいね」
 海賊の襲撃を受け、それぞれの部屋から連行された乗客たちは、男女に分けられた。男たちは食堂。女たちはおそらく二つある大部屋のどちらかか、会議室あたり。乗員についてもどこかに集められているのだろう。少なくとも食堂に男性の船員はいなかった。
 つまり、彼らはラシーダたちがうまく逃げおおせていることを知らない。
 もっとも──ブロテルは、彼の人格よりも知性の方を強く表す、冷たい視線をオーティスに向け、言った。
「これも予想された可能性の一つだ。別段、驚くようなものでもないね」
 それにはオーティスも、いつもなら表情に張り付けている人のよい微笑を押し殺して、同意せざるを得なかった。ブロテルが続ける。
「予定ではラシーダ一人ということになっているが、おそらくあとの三人も連れているだろう」
「逃げられる可能性が低下するのを承知で? たしかに普通なら出来ない決断ですが、合理的じゃないですね。彼女らしくないと思います」
 普段の彼からは想像しにくい言葉だった。無論、彼自身、自分の言葉が妥当であることを信じているわけではない。ブロテルから説明を引き出すための呼び水である。
 彼らは、海賊の襲撃がラシーダ一人を対象とするものであるという判断に基づいて会話を交わしていた。そう判断するだけの理由があったからだ。そして、彼女一人が狙いである以上、他の三人については放置していても、危害を加えられる可能性は低い。道義的には問題があるが、論理的にはラシーダが逃げ延びるための確率を下げるような行為は慎むべきであった。
 オーティスの知る限り、ラシーダとは論理というものを最大限に尊重する少女のはずだった。オーティスはそのことをブロテルに訊ねた。彼は完全に表情を消した声で答えた。
「ここに男ばかり集められているということは、別の部屋には女ばかり集められているだろうな。そこでは今、どうなっていると思う?」
 ブロテルの言葉は直接的ではなかったが、言わんとすることは明白だった。オーティスの表情も変わらなかったが、顎のあたりに力が入るのが分かった。
「ちょっと口には出来ませんね」
「まあ、最悪の可能性だ。実際にそこまでやるのかどうかは分からんが、年頃の娘三人を後に残して逃げるには躊躇するかも知れんな」
「そうですね」
「相手がまともな公国正規軍の兵士なら、少しぐらいは期待してもいいかも知れんが、今の奴らは海賊そのものだな。というより、メンバー構成からして軍人の方が少ないかも知れんな。いずれにせよ、ワシもあの子も希望的観測にすがる習慣は持ち合わせておらん」
 オーティスは溜め息を洩らした。
「それで、我々はどうなりますかね。ラシーダちゃんもいつまでも逃げられないでしょうし」
「連邦軍はあてにならんな」ブロテルは即答した。スクライブ社に引き抜かれる前は軍医だった彼は、オーティスよりはそうした方面に詳しい。
「ミノフスキー粒子を散布しとるだろうし、海域全体を哨戒できるほど、このあたりの部隊は整備されていないはずだ。上海や横須賀の部隊はハワイ沖の演習だろう、香港とマニラの部隊もそうじゃないか」
「つまり、緊急展開可能な部隊はほぼ全て動けないと」
「全てじゃない。場所と状況さえ分かれば、もちろん救助に来るさ。しかし、位置不明の船を見つけるのは面倒なんだ」
「衛星はどうです」
「まあ、そのあたりだな。ミノフスキー粒子濃度が上昇したことに気がついて、さらにこの船との連絡が取れないことに気がついて、この海域をフォローする位置に偵察衛星がいればいいがね」
「あまり希望が持てないような気もしますが」
 これまでの混乱で、今の連邦には、地球圏を完全に掌握できるだけの偵察衛星を、常時張り付けることは難しかった。船との連絡についても同様である。ミノフスキー粒子と戦争による混乱のため、世界中の海洋に浮かぶ全ての船舶を掌握するのは不可能になっていた。
 その代わりに、連邦軍は比較的遠距離でも測定可能なミノフスキー粒子濃度を観測し、異常を察知した場合には偵察艦をその地域の軌道上に派遣して、偵察衛星の代わりを務めさせていた。コストパフォーマンスには優れているが、時間が掛かるのは仕方がない。
「イワタが手を打つ方が早いだろう」
 そう説明した上で、ブロテルが言った。オーティスは首を傾げた。
「しかし、『ボナドヴェンチャー』に戦闘力はありませんよ」
 こちらを見つけて連邦軍に通報してくれるんでしょうかね。そう訊ねたオーティスに、ブロテルは肩をすくめて応えた。
「分からん。が、MS乗りというのは、MSさえ手元に置いておけば、大抵の問題は解決できるような気になるらしい」
「はぁ、気になるだけじゃ困るんですが」

 これが残りの五点か。マーシュはイワタの説明を聞きながら思った。
 イワタは、『レーリュンド』に移るラシーダに、船内の見取り図や逃走経路についても確認させていたのだ。海賊が『レーリュンド』を襲うという可能性に備えての用心である。
 予期せぬ攻撃ならともかく、少なからぬ確率で襲ってくることが分かっているのなら、ラシーダが不意を打たれることはない。前もって確認しておいたルートを用い、何カ所か見繕っておいた隠れ場所に逃げ込み、あとは救援を待つ。
 イワタは『ボナドヴェンチャー』を、二四時間以内に救援に向かわせられる位置に保ち続けることにしていた。もちろん、『ボナドヴェンチャー』が襲われた場合は気楽に対処すればいい。逃げに回った潜水艦を捕捉するのは、いかに両用型のMSやMAを持っていても難しい。逃げ回りながら連邦軍の救援を待てばいい。
「しかし」マーシュはイワタに訊ねた。
「前にも少し話しましたが、どうしてラシーダが襲われると判断したんですか。それに、襲われると分かっているのなら、どうして軍の支援を受けられる日本から離れたんです?」
 イワタは歪んだ微笑を浮かべた。
「分からんか?」
 そう言われたマーシュは、溜め息を洩らす。一番考えたくない可能性が正解らしい。
「軍に敵がいるわけですね。それもかなり影響力が強く、おそらくは正確な正体も分からない」
 それを聞いていたスズキが、驚いたような表情になる。彼が質問を発する前に、マーシュが説明した。
「この前の騒ぎの時、ネオ・ジオンが使ったのはゼータ・プラスだった。ゼータ・プラスは連邦軍でもそうそう見かけられるようなありふれた機体じゃないんです。それなりの影響力を持った人間が動いているはずです。そこまで分かっていて積極的な手が打てないのは、相手が強すぎるか、誰が敵なのか分からないというところでしょ」視線を再びイワタに向ける。
「違いますか?」
「アナハイムはどうだ?」
 ゼータ・プラスを生産しているのは、軍関係の機関か、アナハイム・エレクトロニクス社だという含みを持たせて、イワタは訊ねた。自説を主張する生徒に、分かり切った質問をする教師というところだ。
「それじゃ一発でバレますよ。それにアナハイムなら、未公開の試作機あたりで、同じような性能を持った機体を投入するんじゃないですか」
 マーシュはイワタや父から、過去にアナハイム・エレクトロニクス社の弄した術策について、幾つかの例を聞いていた。MS開発のトップメーカーとして、常時、無数の試作案を検討しているアナハイムは、そうした隠蔽手段に事欠いたことがないし、これまでにも幾度か実行したこともある。あまり表に出ない話だが、一時期アナハイムと関係の深かった父や、MSについて知らないことのないスミソニアン戦争博物館の学芸員であるイワタにとっては、常識のような話だった。
「まあ、その話はいいとして」マサフミは話題を変えた。
「今後、どうするのです?『レーリュンド』は軍に任せますか?」
「軍は間に合わないだろう。我々だけで海賊を退治するさ」
「民間人の我々が?」
 呆れ声で言ったマサフミに、イワタは人の悪そうな笑顔を浮かべた。
「実は俺は軍人なんだ」
「初耳です」
 たちの悪い冗談を聞いたという表情になって、マサフミが応える。
「一年戦争に従軍した公国軍の軍人は、戦後自動的に共和国軍に編入されているんだ」
 一年戦争終結の際、「ジオン共和国」の建国が認められていた。その際、「ジオン公国」の国民や資産は全て、共和国に継承されている。軍についても同様である。つまり、ジオン公国軍少尉として終戦を迎えた彼は、予備役に編入されたとはいえ、ジオン共和国軍の少尉でもあったのである。
 どういうわけか、退役しなかった、あるいはさせられなかった彼は、現在では共和国軍予備役大尉らしい。ところで、共和国軍軍人は、連邦軍の軍組織に同階級の位置づけで組み込まれることになっている。つまるところ共和国の実体とはその程度のものであるということだが、ここで重要なのは、イワタが連邦軍の大尉と同じ権限と義務とを持っているということである。もちろん、連邦軍の指揮系統が存在すれば、問答無用でその内部に組み込まれる(あるいは無視される──この可能性の方が圧倒的に高い)が、今のところそんなものは存在しない。連邦軍がこの海域に存在しないという現実と、ミノフスキー粒子による通信途絶という現実が、イワタに現場唯一の士官として振る舞うことを許している。
「ついでに付け加えるなら」嬉しそうにイワタは説明を続けた。
「『ボナドヴェンチャー』も連邦軍の軍籍を外れていない。ユーコン級潜水艦U−8192という艦は、現実に存在している」
「先生──」呆れ果てた表情で聞いていたマーシュが、ふと気付いて言った。
「やっぱり、この潜水艦手に入れるとき、妙な小細工を使ったでしょ」
 イワタは笑って答えなかった。三人ともそれ以上追求する気を無くしてしまった。
「つまり、だ」イワタは結論を述べた。
「連邦軍潜水艦『ボナドヴェンチャー』は、海賊に襲われた『レーリュンド』を救助する義務と権限とがあるわけだ。ああ、救助の過程では、民間人の貴重な協力を得られるかも知れんな」
「こういうのも盗人猛々しいと言うんですかね、艦長?」
 マーシュが口に出来た嫌味は、せいぜいその程度だった。

「よく食べられるねぇ」
 アミが呆れ声で言った。
「ほら、昔のえらい人が、こういうときこそよく食べてよく眠れって」
 コーヒー牛乳でクッキーを流し込みながら、アンナは答えた。
「へぇ、面白いこと言う人だよね」
 同じくクッキーに手を伸ばしたシオが、感心したように言った。
 ラシーダの先導よろしきを得て、無事隠し倉庫を見つけ、安全を確認した上で潜り込んだ四人だったが、アンナが偵察に出ることを志願した。
 くれぐれも危険を冒さないように、とのラシーダの言葉を受け、偵察行に出ること二時間。アミとシオは心配したが、ラシーダは何ら動じた様子は見せなかった。いつものことといえばその通りである。もっとも今回に限るなら、ラシーダはアンナを信用していた。必要さえあれば、アンナはいくらでも慎重になれると知っていたからだ。
 アンナは無事、帰ってきた。いくばくかの情報と、どこから調達したのか非常食をみやげにして。
「やっぱり、みんな捕まったみたいやな」
 アンナの報告を聞いて、アミが言った。残念ながら、彼女の報告からは、正確にどの部屋に集められているかは分からなかった。彼女はあえて人の集まる大きな部屋は避け、客室を一つ一つ調べて回ったのだ。非常食はそこで得たものらしい。
「もう、盗られるものは盗られたあとみたいだったから」
 悪びれずに彼女は言った。こういうあたりは、彼女もリー家の一員である。
 消去法で、おおよその配置図は見当がついた。少なくとも食堂と会議室は当たりである。大人数を収容できる部屋としては、他に二つほどある大部屋があるが、そのどちらもが開放されており、かなり離れた位置からではあったが、ダクトの中のアンナにもそこが無人であることを確認できた。
 ラシーダの説明によると、こういう場合の定石としては、最低でも船員は別々にするらしい。食堂と会議室は男女に分けられた乗客がいるはずだが、船員がどこに閉じこめられているかは分からない。それに、どこかその近くに海賊の本部があるはずだ。
「それで、これからどうするの?」
 アンナが訊ねた。三人とも、ごく自然とラシーダの声を待った。
 ラシーダは淡々とするべき事を告げた。
「食糧と水とはあるから、箱の中にいらない服を詰めてトイレにして、ふたをしてから天井に上げておいて、あとは待つだけ」
 少々場違いな言葉を耳にしたように思ったアミは、思わず疑問を発していた。
「トイレ? 行きたいの?」
ラシーダは軽く首を振って答えた。
「一日か二日はここで待つと思うの」
「誰をって、聞くまでもないか」
 アミの言葉に、軽く頷いてラシーダは言った。
「必ず来るわ。それがイワタ先生やマーシュたちの仕事。わたしたちの仕事はじっと待つこと」
「男子は大丈夫かな。ブロテル先生も、いい歳だし……」
 アミは、ブロテルが聞いたら怒りだしそうなことを言った。ラシーダは軽く首を傾げながら応えた。
「こういう場合、人質には手を出さないものだから」
 普段通り、あっさりとした口調で言う。嘘は言っていないが、彼女が考えている事を全て話したわけでもない。
 が、それを追求されることもなかった。ラシーダの言葉を信じきっているらしい。人を満足させる答というものを知っていると、人を操ることは造作でもなくなる。
 その代わりに得られなくなるものや、失うものもある。ラシーダはそれを知ってはいたが、そのことについて、否定的に考えたこともなかった。
 ラシーダにとっての問題は、この部屋にいつまで隠れていられるか、ということだった。
 並の相手なら、問題はないはずだった。海賊がこの部屋の家捜しを行うのを見届けてから、間借りしたからだ。単なる海賊なら、それで問題は片づいたものと考えていい。乗員乗客を掌握したとはいっても、人手が余っているわけではないはずだからだ。
 しかし、海賊の目的がラシーダの拘束にある場合、もちろんラシーダを見つけるまで、船内を捜し続けるはずだ。当然、調べの済んだ部屋でも、二度三度と見回りに来ると考えるべきである。
 こちらの予想が当たった場合、どこに隠れようと、発見されるのは時間の問題である。
 予測のつかない厄介事は二点に絞られるとラシーダは考えていた。一つはイワタたちの救援が到着するのも時間の問題だということ。どちらが早いか、まさに時間との勝負である。
 もう一つは、ラシーダがこの船に乗り込んだことが、必ずしも海賊に察知されたとは思えないこと。潜水艦から連絡艇で乗り付けたのだから、普通は分からない。ただし、船員に海賊を手引きした者がいた場合、話は別になる。もっともそうでなくても、船員の持つ情報から、ラシーダたちの存在が漏れ出る可能性は高いと考えるべきだろう。それでも相手の狙いがラシーダでないのなら、発見される可能性は少ないのだが。
 アミには二日と言ったが、たとえ海賊たちの目をごまかし通したとしても、二日は保たないのではないかとも思っていた。
 食糧や水は、ぎりぎりまで減らして食いつなげばなんとか保つが、それによってストレスが高じるのは防ぎようがない。ラシーダはともかく、あと三人がストレスに耐えられるのかどうか。補給に行くのはさほど難しくはないが、発見される確率が格段に上昇する。先刻アンナに許可したのは、海賊たちの制圧直後だったからだ。そろそろ向こうも落ち着いてきただろうから、下手な行動は命取りになる。
 結論として、ストレスに耐えつつひたすら待つしかなかった。遅くとも二日以内にイワタたちが訪れることを信じて。もっとも、イワタは一日以内に到着するつもりだと言っていた。彼のような男の言葉は、決して軽くはない。不慮の事態が発生しない限り、一日でやって来るだろう。
 そこまで考えて、ラシーダは血の繋がっていない弟のことが頭に浮かび、思わずごく僅かなほほえみを浮かべていた。
 マーシュにとって、自分の手の届かない状況に身を任せるのは、もっとも不愉快な展開だからだ。普段はどちらかといえば無気力そうに見える彼だが、状況が彼を追いつめるに従い、周囲の人間が目を見張るほどの積極性と能力を示すようになる。
 今も『ボナドヴェンチャー』の中で、じりじりしながら到着するのを待っているのだろうか。ラシーダは目を丸くしている妹を視界の片隅に捉えながらも、妹以外には気付いていないらしいほほえみを、無表情の底に沈めたりはしなかった。

 マーシュは、自分が潜水艦に向いていないことを悟った。
 最大四六ノットもの高速を発揮するはずの『ボナドヴェンチャー』は、現在一五ノットの速力で、二四ノットで航行する『レーリュンド』を追いかけていた。
 ソナーがもたらしたとぎれとぎれの情報によると、『レーリュンド』は、『ボナドヴェンチャー』からみて一八度──おおむね北北東──の方位から、ほぼ南東方向へと航行しているらしい。
 つまり、先回りすることによって、より低い速力を保ったまま、『レーリュンド』との距離を縮めることが出来るわけである。
 最初から四六ノットの速力を使わないのは、水中で高速を出すことによって生じる騒音を嫌うからだ。ミノフスキー粒子によって電磁的な目が潰された後も、より原始的な「耳」による索敵は、いまだ効力を失っていない。
『レーリュンド』が海賊に占拠された後も、三二ノットの最大速力を出そうとしないのも同じような理由だろう。『レーリュンド』には耳はないが、グラブロや両用型MS、それに近隣に潜んでいると推測される彼らの母艦たる大型潜水艦──グラブロを収納、整備しうるのはM級と呼ばれる大型汎用潜水艦のみである──などは、現在も聞き耳を立てているはずだ。
『ボナドヴェンチャー』にとって、ほぼ唯一の強みはその点にある。MAやMSの持つ聴音能力は、より大きなソナーを持てる潜水艦に劣るし、M級潜水艦は近くにいないはず──もしいるとするならば、とうに発見しているはずである──だからだ。要するに、イワタは、まだしばらくは敵に発見されないだろうと判断していたのだ。
 であるならば、その強みを捨てる必要はない。イワタは生粋の潜水艦乗りではなかったが、彼らが慎重と臆病とを混同していないことを知っていた。
 マーシュは、イワタが下した判断が適切であることを承知しながらも、より積極的な解決策がないか、考え続けていた。要するに、じっと待ち続けることが苦痛だったのだ。
 積極性の固まりみたいなアンナと一緒にいるので、彼の性格の慎重な部分だけが目立ってしまってはいるが、実の所かなり戦闘的な一面をも持ち合わせている。彼がのんびりして見えるのは、状況の展開を読み切っている場合、つまり彼がイニシアティブを握っているときだけだった。
 現在のように状況の展開が全く読めず、ただ待つだけという局面では、行動選択の材料となる情報が得られないことに、相当の欲求不満を感じてしまう。イワタあたりなら「ケツが青い証拠だ」とでも言って笑うところだろう。
「それで、どうするのです?」
『ボナドヴェンチャー』の発令所にイワタとマサフミが到着したところで、マーシュは訊ねた。イワタがイーディスと相談の上で選択した接敵コースを採用しているので、あと六時間は猶予がある。それでは六時間後、どうするのか。
 イワタは座席の手摺を軽く叩きながら──さすがに鉤爪の義手と一本棒の義足は、通常の手足に見えるものに交換していた──しばらく考え込んでいたが、ややあって事も無げな口調を作って言った。
「俺が『レーリュンド』に乗り込む。マーシュ、おまえは陽動しろ」
「……それは構いませんが、もう少し詳しく説明してください」
「ふむ」イワタはマーシュとスズキを等分に見遣って言った。
「おまえたち二人は、これから五時間三十分以内に、第三ハンガーに収納されている俺のアッガイを整備すること。
 六時間後に俺のアッガイとマーシュのカプールは『ボナドヴェンチャー』を発艦、マーシュはグラブロを陽動しろ。攻撃の必要はない。引き離すだけでいい。
 俺は『レーリュンド』に向かい、敵の正体を確認、連邦軍を誘導する。最悪でもラシーダは確保する。
 マサフミとスズキは『ボナドヴェンチャー』から支援しろ。連邦軍との連絡などはそちらに任せる。以上だ」
 海賊がミノフスキー粒子を展開した時点で、連邦軍が調査にやってくるのは、すでに了解済みの事項だった。取り敢えずは沖縄か上海、マニラあたりから飛来する哨戒機を誘導し、状況を伝達することだろう。普通の海賊が相手なら、それで充分である。海軍の哨戒艦が到着する前に、海賊は逃亡。それで問題は解決する。人質や金品についてはやむを得ない。交渉でどうにでもなる。
 しかし、ラシーダが狙いの場合、問題は簡単には行かない。海賊が逃亡する前にラシーダを押さえる必要があるし、連邦軍にラシーダのことを説明できない以上、協力も得られない。なんとしてでも独力で押さえる必要がある。
 もっとも、ラシーダがすでに捕まっている場合、今頃は撤収しているはずだが、彼女の才覚なら、まだかなりの時間が稼げるだろう。海賊に動きがないあたりからも、最悪の状態になっていないと判断していい。
「状況を整理するとだな」イワタは説明を付け加えた。
「まず奴らがラシーダを狙っていない場合と狙っている場合の二つを考える。前者は並の海賊の場合、後者は並じゃない、つまりネオ・ジオンの残党か連邦の非友好的な連中が敵に回っている場合だ。前者なら問題ないが、敵が潜水艦とグラブロを持っているという時点で、まず可能性から外れる。後者、それも二つが結託している場合、連邦軍はほとんどあてにならない。我々だけでラシーダを救出しなければならない」
「ラシーダだけですか?」スズキが訊ねかけた。
「他の人たちは……」
「無視する」イワタはあっさりと言った。
「交渉もしない。むしろ交渉のテーブルなんてものを持ってしまうと、我々はおもしろくない選択を強いられかねない。敵が我々についてどの程度の情報を持っているかは知らんが、ラシーダと他全員とを引き替えにされかねないからな。ラシーダをさらって、海の底に潜り込んで、じっと連邦軍が到着するのを待つ。そうすれば普通の海賊問題として解決して終わりだ」
「……なんか、海賊的ですね」
 マサフミが少々呆れたように言うと、イワタは笑いの片鱗も浮かべずに応えた。
「目的が明確なんだ。手段を選ぶ必要なんぞどこにもないね。俺の案について、意見は?」
 言葉は無かった。
「よろしい。ではマーシュ、スズキ、早速作業にかかれ」
 二人が出ていくと、イワタはマサフミに言った。
「ところで、六時間の暇つぶしに、ひとつ頼みがある」

「先生、起きてください」
 オーティスは、「どうせしばらくは動きはない」と言って、のんきにいびきをかいていたブロテルを揺り起こした。
 さすがに眠りは浅かったらしく、すぐに目を覚ます。
「どうした」
「誰かが動き出したようです」
 そう言うと、機械部の男子生徒の一人に目配せをした。グエンという名前だったはずだ。低い声で報告し始めた。
「ついさっき、トイレに行ってたんですが──」
 現在彼らが押し込められている食堂には、六人ほどの海賊が監視を行っていた。トイレの場合、そのうち二人が一人ずつを連行する形を取っていた。彼らが海賊か兵士かはともかく、用心深いことだけは認めざるを得ない。
 グエンの番が回ってきて、トイレまで歩いていると、途中の部屋で家捜しをしている四人ほどのグループと出会った。その時、グエンを連行していた海賊の一人が、そのうちの一人に、ごく簡単な言葉をかけたのだ。
「まだか?」
 それに対する返事も簡単なものだった。
「まだだ」
 それだけで了解が得られたらしく、グエンたちは足をゆるめることもなくトイレに向かった。
「ふむ……」
 グエンの報告を聞き終えたブロテルは、少し考え込んだ。もちろん、グエンはラシーダのことをほとんど知らない。それでも全く知らないわけではない。だから海賊のちょっとした会話に価値を見つけられたのだが──。
「あまり良くないな」
 ブロテルの言葉に、オーティスとグエンは表情を堅くした。ちなみに、機械部の他の男子生徒は、固まって怪しまれるのも面倒なので、少し離れたところにいる。
「今頃家捜ししているのは、あの子たちが逃げ回っていて、しかもどこかに隠れていることに気付かれた、ということだ」
「それでは?」
 オーティスが訊ねた。もっとも、内心ではブロテルの返事がほぼ予想できている。どちらかというと、グエンに聞かせるためだ。
「どうもしない」ブロテルは無表情な声で告げた。表情がさらにこわばったグエンに、少しだけ間をおいて続ける。
「あと何時間かすれば、イワタか連邦軍が救援に来る。それまであの子たちがうまくやることを祈るしかない」
 甘いことを言う、とオーティスの表情は告げていたが、ブロテルはさも何かの根拠があるかのような泰然とした声と表情でグエンに言った。
「だから、我々がするべき事は、時を待つことだ」




続く

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