第十三回  女のカガミか、男のカタキか

 

 祖先を大事にする中国では、夫婦は別姓です。祖先から受け継がれてきた姓を大事にしているのです。現在もそうかは知りません。
 子どもは、父親の姓を継ぎます。ですから、家(姓)を残すには男子が必要なわけです。

 ある国に、房玄齢(ぼうげんれい)という宰相がいました。ちなみに、姓が房、名が玄齢です。もう一つちなみに、アザナは喬(きょう)です。
 彼には、奥さんがいました。
 彼は、宰相という高い地位にいる人ですから、普通は妾がいます。日本風に言えば、側室となるのでしょうか。現代でいえば、愛人です。ですが「不倫」ではありません。現代の倫理観で、昔を見るのはちょっと問題があります。私たちの生きるこの時代の倫理観が、後世から見たら「不倫」になる可能性もあるのです。
 しかし、房玄齢には奥さんがいるだけで、妾がいませんでした。これは、房玄齢が奥さん一筋だった、という世の少女に賞賛されそうな男性だったからではありません。
「あなたっ! 妾を持つことは許しませんよっ!」
 と、奥さんが絶対に許さなかったからです。彼女が、房玄齢を心から愛していたからでしょうか。それとも、嫉妬だったのでしょうか。
 房玄齢は、そんな妻にほとほと困っていました。

 ある日、房玄齢が時の皇帝と話し合いをしていたとき、房玄齢の奥さんが話題の種になりました。
「朕は、そちが妾を一人も持っていないと聞いたがまことか?」
「まことでございます」
「ほう・・・それはつまらないのう」
 皇帝が家庭生活をおくる後宮には、かなり多くの女性がいました。この時代から約150年後の詩人が「後宮の佳麗三千」と歌っています。皇帝からすれば、房玄齢の生活はつまらないものに思えたことでしょう。
「はい、陛下のおっしゃるとおりです」
「なにゆえ、妾を持たぬのだ」
 世の女性方、飽くまで昔のお話です。お怒りにならないでください。世の男性方、飽くまで昔のお話です。羨ましく思ってはいけません。
「妻が、臣(臣下の皇帝に対する一人称)が妾を持つことを許さないのです」
 房玄齢は、ため息混じりに答えました。
「なるほど」
 皇帝は納得顔でうなずきます。「そちは恐妻家だったのか。よかろう。朕がそちの妻に言ってやるぞ」
 皇帝は、笑って言いました。

 房玄齢の妻は、皇帝に呼び出されました。皇帝は、彼女に言いました。
「そちの夫が妾を持つことを、許してやるがよい」
「陛下のご命令といえども、これだけは譲るわけにはまいりませぬ」
 この発言に、皇帝はびっくりしました。側にいた宦官もびっくりしました。このことを聞けば、夫である房玄齢もびっくりしたでしょう。皇帝の命令は絶対です。その命令に「否」と言ったのです。死を賜っても何ら不思議はありません。不敬罪、というヤツです。
 この奥さんの、房玄齢に対する感情は、間違いなく愛情だと私は思います。嫉妬によって他人は殺せても、自分が死ぬことはできませんから。
「皇帝たる朕の命令であるぞ」
 皇帝は、やや声を荒げました。相手は、か弱い婦女子です。少し脅せばすぐに折れると思ったのです。しかし、房玄齢の妻は了承しません。
 しびれを切らした皇帝は、一杯のお酒を持ってこさせました。すると、
「これは毒酒である」
と、怖いことをあっけらかんと言いました。
「これから朕が出す二つの命令のうち一つだけ実行すればよい。一つは、房玄齢に妾を持つことを許せ。もう一つは、この毒酒を飲め。──どちらかに従うがよい」
「かしこまりましてございます」
 房玄齢の妻は、皇帝に対して深々とお辞儀をすると、ためらうことなく毒酒を飲みほしました。
「ハッハッハッハ!」
 皇帝は、腹の底から笑い声をあげました。
「朕にさえ手に負えぬ。ましてや玄齢ではな」
 お酒には、毒など入っていませんでした。

 皇帝が、臣下の妻と話をすることなどあったのでしょうか・・・。この話は、中国の笑い話でして、事実かどうか知りません。ただ、笑い話にされるくらいですから、房玄齢の奥さんは、やはりそれなりの人だったのでしょう。
 この奥さん、出されたお酒が毒酒であると信じていたのでしょうか。それとも「皇帝陛下ともあろうお方が、臣下の正妻を毒殺するなど、無意味で不名誉な愚行するわけがない」と頭を巡らせていたのでしょうか。
 どちらにしろ、毒が入っているかもしれない酒を飲んだのですから、大した肝っ玉です。

 唐(とう)の時代のことです。日本でいえば・・・遣唐使の時代です。
 この皇帝は、太宗(たいそう)といいます。太宗とは、死後に贈られた廟号です。李世民(りせいみん)、という皇帝になる前の名前のほうが有名かもしれません。
 皇帝になるために、兄や弟を殺した過激な人ですが、将としての才能は抜群で、中国史上屈指の名将といわれます。ですが、この人は『西遊記』で有名な玄奘三蔵(げんじょうさんぞう。三藏法師)のよき後援者でもあり、無骨な武人ではありません。文化人でもあったのです。