第十四回  彼が殺された理由

 

 理由、と書いて「わけ」と読みます。
 なぜかって? 大した理由があるわけではありません。

「なぜじゃ! なぜワシが処刑されねばならぬのだ!」
 常人ならば、こう絶叫したに違いない。だが、彼は何も言わなかった。そうして、自分が死刑になった理由も知らぬまま、彼はこの世を去った。いや、強引に連れ去られた、と言った方が正しいだろう。
 彼(以下、P氏)がどのような理由で殺されたのか検証していく。それを突き止めることが「死者の人権」を擁護することになると信じて。

 P氏は、地方大学の教授だった。
 P氏の周囲の人に、彼について聞いた。
学生A「先生は温厚なお人柄で、私たちにとってすばらしい教師でした」
学生B「先生がどのような罪を犯したというのか、私には想像もできません」
同僚A「彼はもの静かな人物でした。でも、暗いというわけではなく人付き合いもよかった」
同僚B「生前彼は、私は真面目だけが取り柄なんだよ、と笑っていました」
同僚C「事実、真面目な人でした。でも、真面目だけが取り柄の人物ではありませんでした」
 これらの話を聞くかぎり、P氏がどのような罪を犯したというのか、伺い知ることはできない。故人と被害者というのは、たいてい「いい人」にされるものだ。P氏はその両方に当てはまるから、学生や同僚の話を全て信じるわけにはいかない。しかし、どうしてもP氏が罪を犯すような人物には思えない。

 P氏を処刑した側、つまり役人の方にも話を聞いた。
役人A「え? ヤツが犯した罪? 知らないよ、そんなこと」
役人B「どうやら、Pの処刑命令は皇帝陛下、御自ら発されたということだ」
 重大な事実が発覚した。P氏の処刑命令は、皇帝陛下が直々に命令された! とすれば、P氏の犯した罪とは、不敬罪や大逆罪クラスの犯罪ということになるのではないだろうか。しかし、地方大学の教授に、大逆罪は不可能だ。自ずと、不敬罪に焦点が絞られてくる。

 重大な文書が手に入った。
 P氏が、皇帝陛下に贈った、祝意を表して奉った文、即ち賀表である。
「光天の下、天は聖人を生ず」
 ──光輝くこの天の下に、天は聖人(皇帝)を生じさせました。
 特に問題があるようには思えない。まさか「朕はごますりが嫌いじゃ。こやつを処刑せよ」というわけではないだろう。
 なぜ、彼は殺されたのか。それは、現在もわかっていない──。[大漢日報]



 この皇帝は、昔、お坊さんでした。しかも、ほとんど乞食同然の坊さんでした。この過去に、彼は終生コンプレックスを持っていました。トラウマのようなものです。だから「坊主」とかお坊さんを連想させるような字をひどく嫌ったのです。他人からすれば、迷惑な話です。
 同じような人、現代にもいますね。例を挙げれば、宴会の席などで、不機嫌そうにブスッとして周りの雰囲気を壊す人。「自分が不機嫌なのは勝手だけど、周りまで巻き込まないでよ」と、言われたことがあります・・・。
 P氏の奉った賀表をもう一度見てみましょう。
「光天の下、天は聖人を生ず」
 最初に「光」の字があります。光る、といえばツルツル頭──坊主。そんなわけでブブー。
 あと問題は「生」の字です。別に問題なさそうですが、この「生」の字は「僧」の字と同じ発音なのです。この皇帝は、昔、食べるものがなくてお坊さんになったような人ですから学問がありません。文字を読むのが苦手で、秘書官に文書を読みあげさせ、それを聞いていたのです。
 というわけで、P氏が書いた「生」の字を、皇帝は「僧」の字と勘違いしてしまい、ブブー。
「光」や「僧」という特定の文字が使えないだけでも厄介なのに、これらの字と同じ発音の字も使えないのですから、書く方としてはさぞ苦労したことでしょう。
 この皇帝のコンプレックスが、かなり重度なものだったことがわかります。

 このようなくだらない理由で、P氏は殺されたのです。

 大漢日報のような記事を書いたら、当時なら即、首ちょんぱですね。ちなみに、大漢日報というのは、あるゲームに登場する新聞社です。この新聞社は、政府系なんですけど。

 明(みん)の時代のおはなしです。
 この皇帝は、明の初代皇帝である、太祖(たいそ廟号)、洪武帝(こうぶてい)とも呼ばれる朱元璋(しゅげんしょう姓名)という人です。
 この人と、漢(かん)劉邦(りゅうほう)が、農民から皇帝になったといわれますが、この朱元璋の方が、より貧しい農民から皇帝になりました。そんな身分から皇帝になった人ですから、すごい才能を持った人なんですけど、それに負けないくらい性格も凄まじい人でした。
 明という国は、中国歴代王朝の中で、官僚の給料が最も安かったそうです。貧しく育った彼は、支配者層の偉そうにした知識人が嫌いだったのです。お役人の給料が高すぎるのは問題ですが、彼らだって人間です。賃金という形で、それなりに評価しないとやる気を失ってしまいます。そんなわけで、明の時代にはあまり有能な政治家が出ませんでした。
 そういえば、あの『三国志演義』『水滸伝』が誕生したのは、この明の時代ですね。