第十五回  わたしが彼女を殺した

 

 笑い話を一つ。
 ある夫婦が、喧嘩をしました。旦那さんは、奥さんが怖くて机の下に隠れました。
 妻「あなた! 出てきなさい!」
 夫「へんっ、俺も男だ。妻の言いなりになってたまるか! 絶対にここから出ないぞ」

 

 暗い嵐の夜のこと。
 わたしは、人を殺した。まだ生まれたばかりの幼児だ。布団で頭を押さえつけ、窒息死させた。小さな死体が、今、わたしの目の前に横たわっている。
「どうした。公主は寝ているのか?」
「はい。そのようでございます」
 わたしは応える。公主とは、皇帝の娘のこと。すなわち、向こうでわたしを待っている人の娘ということだ。先ほどの声は、皇帝陛下が発せられたものだ。
「起こしてはならぬぞ。どれどれ、かわいい寝顔をしているのだろうな」
 陛下がこちらへやって来る。娘の寝顔を見に、こちらへ来る。
 わたしは、半ば布団に隠れた公主の顔をのぞきこんだ。これから演技をする場所は、わたしの一生を左右する大舞台だ。
「キャーッ!」
 わたしは悲鳴をあげる。生まれてからこのかた、悲鳴をあげるなんて初めてのことだと思う。
「どうしたのだ」
 陛下が駆け寄ってくる。わたしは、公主を──自分が殺した陛下の娘を指さす。
「どうしたというのだ」
「死んでいるのです。死んでいるのです!」
 わたしは、狂乱した。
 陛下は、わたしの両肩を抱き、落ち着くように言った。わたしは演技をやめなかった。
「落ち着くのだ!」
 陛下の鋭い一喝に、わたしは、ようやく落ち着きを見せる。陛下は、温厚な方だ。このような怒声をあげたのは、陛下も動揺しておられたからだろう。ただ、わたしのあまりの取り乱しようを見て、かえって冷静さを保てたのではなかろうか。
 陛下は、わたしに事情を問いただしてきた。
 わたしの言葉は、暗い陰謀そのものだったに違いない。
「さきほど、皇后さまが公主をあやしてお帰りになりました」
 これは、事実だ。皇后が公主を優しく抱き上げる姿を、わたしは隠れて見ていたのだから。わたしは、ウソは言っていない。わたしの言葉を、陛下がどう解釈するのか。それはわたしの関知するところではない。
 陛下は早々にわたしの部屋を後にした。
 わたしは、心の中でほくそ笑む。
 皇后が、わたしに好意を持っていないということは、誰もが知っている。そして何より、陛下は、皇后よりもわたしの方を寵愛なさってくれている。
「犯人は皇后に違いない」
 陛下は、そう思われるだろう。
 皇后は犯行を否定する。当然のことだ。彼女は犯人ではないのだから。
 だが、犯人を決めるのは陛下だ。わたしが、悲しみにくれる演技をうまくこなしていれば、皇后が犯人にされる。それにより、皇后が廃立されれば、陛下の寵愛を受けるわたしの出世は間違いない。うまくやれば、皇后にさえなれるだろう。
 ──わが娘よ。母は、お前の分まで幸せになりますよ。
 娘の死体に、わたしはそう語りかけた。

 よく、推理マンガなどで、名探偵がとうとうと犯人の行ったトリックを解説するシーンがあります。そのとき、犯人はどんなことを考え、どんな気持ちでいるのだろう、と思います。というわけで? 犯人の一人称形式ではなしを進めてみました。
 そのため、はなしがわかりにくかったかかもしれません。簡単に言うと、自らの野心のために、実の娘すらその手にかけた女性のおはなしでした。

 時代は唐(とう)のときのおはなしです。
 自分の娘を殺した母の名前は、武照(ぶしょう。照の字は正確には、「明」の下に「空」をつける)といいます。則天武后(そくてんぶこう)とか、武則天という名前の方が有名でしょう。皇帝は、唐の三代皇帝、高宗(こうそう)といいます。第十三回で出てきた太宗(たいそう)の9男です。お父さんに似ず、気の弱い人でした。生涯、武照の尻にひかれっぱなしでした。

 則天武后は、中国史上、女性で唯一皇帝となった人です。ただ一人の女帝というわけで、ものすごい女性なのですが、一般的なイメージといえば、ズバリ「悪女」でしょう。「中国三大悪女」なんて言葉があるそうですが、この武照さんもしっかり入っています。
 悪女、という言い方が適当かどうかはわかりませんが。

 この女性は、人材登用の天才でした。則天武后の死後、いわゆる「盛唐」の時代(唐が最も栄えた時期)がやってきます。この時代を担った人たちの中には、彼女の見出した人材がたくさんいました。
 武照は、娘をうまく使いました。娘を殺すことで、皇后になり、ひいては皇帝になれたのです。冷血な言い方をすれば、人材利用の妙というものです。
 彼女は、母であるより女であるより、政治家だった、というところでしょうか。