「魔術師、手術中」という早口言葉は難しいです。
呉起(ごき)という人がいました。
主な会戦の生涯戦績、76戦64勝12引き分けという戦争の名手です。この人のすごいところは、その64勝のほとんどが、判定勝ちではなく、KO勝ちということです。
完全勝利を収めたのです。
呉起が最初に仕えた国は魯(ろ)の国でした。その魯国へ、大国であるA国が攻め込んできました。呉起の妻は、そのA国の出身でした。彼は、その妻を自らの手で殺しました。A国に対する不倶戴天の決意を示したのです。
この呉起の行為に心うたれた魯の君主は、呉起を将軍に任命しました。
彼は、たちまちのうちにA国を撃退しました。しかし、妻を殺したのですから悪い噂が立ちます。煙が立つには充分すぎる火力がありますから、当然のことです。
やがて、呉起は魯の国を追われるはめになりました。
その後、呉起は別の国に仕えました。大いに戦功をあげたのは言うまでもありません。
それは、彼を信頼して強力にバックアップしてくれる君主がいたおかげでした。
彼は軍事的才能に優れ、兵士にも人気がありました。他の家臣からすれば、おもしろくありません。中には、呉起を毛嫌いする者もいました。
重用してくれた君主が死んでしまうと、政敵の謀略によって、呉起は国を追われました。
3つ目にして最後に仕えたのは楚(そ)という国です。楚の王で、悼王(とうおう)という人が呉起をいたく気に入って宰相に任命しました。
呉起は、政戦ともに長けた人でした。彼は、楚の改革に乗り出します。法令をただし、特に必要のない官職を整理して、王族の遠縁という身分により、特権を有し官位についていた者を罷免しました。それによって生じた資金を軍事に回し、富国強兵につとめました。
ただでも有能な将軍に、強力な軍隊が従うのですから連戦連勝です。戦争というものは、勝ちさえすれば、失ったものをはるかに凌駕する莫大な利益を生みます。ますます楚の国は富み、国民は万々歳です。
しかし、特権階級の人々は違います。いくら国民が幸福になっても、特権を失った彼らはおもしろくありません。
この楚国でも、呉起を重用してくれた悼王が死んでしまうと、彼は疎んじられるようになりました。ただ、今回は逃げる暇もなく、政敵の送り込んだ刺客が呉起を襲いました。
呉起は死を覚悟しました。その上で、一目散に逃げにかかります。後方から、弓を手にした刺客たちが追いかけてきます。
呉起は、ある部屋に駆け込むと、倒れ伏しました。それを見て、刺客たちは一斉に矢を放ちました。呉起は、全身に矢を浴びて絶命しました。刺客は、呉起の死を確認しようと彼の死体に近づきました。そこで、刺客たちが見たのは、呉起の最後の策略でした。
呉起は、死後間もない悼王の遺体に覆い被さっていたのです。矢の中には、呉起の身体を貫通して、悼王に突き刺さっていたものもありました。
王に弓を引く者、即ち反逆罪を犯した者は、一族全て死刑になるのが習いです。
呉起を追撃した者は、全員殺されました。
呉起は、不敗の名将でした。
自身が殺された最後の一戦(会戦ではありませんが)も敗色濃厚でしたが、結果的に呉起を死に追いやった刺客たちは全員命を落としたのですから負けてはいません。引き分けといっていいでしょう。
「射られても、ただでは死なぬ」
私が最初に考えた今回のタイトルです。
戦国時代のことです。
呉起は、衛(えい)の国に生まれました。最初は魯の国に仕え、次に魏(ぎ)の国、最後に楚の国に仕えました。混沌とした戦国時代を象徴するような人生です。
奥さんを殺したという一点で、呉起は人気者にはなれないだろうな、と私は思います。ただ、昔の中国の女性には、凄まじい人がいます。たとえば、ある人と秘密を口外しない、という約束を交わした直後、いきなり入水自殺をした女性の話があります。
呉起の奥さんはこんなことを言ったのでは、と思ってしまいます。
「わたしは、あなたの将来のために死ぬのです。この命、無駄にしないでくださいまし」
妻を殺したことで魯の君主に重用され、そこから呉起の華々しい戦いの人生が始まりました。もしも、奥さんが同意の上呉起に殺されたのだとすると、この女性は夫である呉起にも負けぬ策略家です。
奥さんを殺した呉起を弁護するわけではありませんが。
不敗の魔術師、というフレーズは小説『銀河英雄伝説』からパクらせてもらいました。誰を指すのかは『銀英伝』ファンの方なら言うまでもありませんね。
なお、呉起は改革を実行した活動的な人ですから「しなくてもいいなら息もしたくない」というものぐさな人物ではなかったでしょう。また「ハンサムと言えないことはない」容貌だったかどうかは不明です。