第二十回  ナンバー3

 

 軍師、懐刀、右腕。いわゆるナンバー2。これらや参謀という存在が好きです。裏方は、ありきたりな表現を使えば、闇の存在です。光は、闇があるから輝ける。
 今回は、中国史上最も有能といっていいナンバー2を支えた人のお話。

 王位継承でもめて、争いが起きるのはよくあること。
 相続でもめるなんてドラマみたいなこと、今でも現実にあるんでしょうかね。遺産が膨大だと羞恥心も捨てて欲に取り込まれるのでしょうか。自分の力で手に入れたわけでもない財産や権力を、楽して手中に収めようなんて格好悪すぎます。

 例にもれず、古代中国の専制国家でも、権力の継承でもめることが多々ありました。
 斉(せい)という国では、二人の公子(厳密には違うのですが、とりあえずここでは「王子」の意)が王位を継承すべく争いました。
 二人は、身の危険を感じ斉国から離れていたのですが、王が死んだため、自らが王にならんとして、自国である斉に急いで向かいました。
 公子Bの傅役(守役。もりやく)である管仲(かんちゅう)は、自ら一隊を率いて、斉に向かう公子Aに奇襲をかけました。伏せていた弓兵が、矢を一斉射撃しました。公子Aは倒れました。
 公子Aの傅役である鮑叔牙(ほうしゅくが)は公子に駆け寄って安否を確かめました。公子は無事でした。腹に命中したと思われた矢は、ベルトのバックルに当たっていたのです。ウソくさい話ですが、とにかく公子に何事もありませんでした。
「そのまま動かないでください」
 鮑叔牙は公子Aに言います。そして、公子Aを霊柩車に乗せ、急いで斉に向かいました。
 これを見ていた管仲は、してやったり。公子Aがこの世からいなくなれば、斉の王位を継承できるのは、公子Bだけなのです。
 管仲は、公子Bとともに、悠然と斉に向かいました。

 公子Bや管仲が斉へ向かう途中、道を遮る一軍がありました。それは斉の軍隊でした。
 棺桶に入って斉に向かった公子Aは、さっさと斉で王になり、公子Bを討ち取ろうとしたのです。公子Bの軍は敗れました。兄弟の戦いは、管仲と鮑叔牙の戦いでもあり、鮑叔牙に軍配があがったのです。
 やがて公子Bは殺されました。今や王となった公子Aの命を狙った管仲も、当然殺されるはずでした。しかし、鮑叔牙は公子A──斉の支配者となった桓公(かんこう)に管仲の助命を訴えます。それどころか、重臣に取り立てろ、と言うのです。
「ご主君が、斉の国だけで満足できるなら、臣(自分)や今いる臣下だけでことは足りるでしょう。しかし、天下の覇者たらんとするならば、管仲はなくてはならない人物です」
 桓公は鮑叔牙の言葉に従い、管仲を登用し、後には宰相に任じました。管仲のおかげで、桓公は覇者となりました。

 自分を殺そうとした人物を用いるなんて、桓公は大した度量の持ち主です。また、桓公の期待に応えた管仲の能力は言うに及ばずすばらしい。何より、自らは管仲の下で国政に手腕を発揮し管仲を支えた鮑叔牙は偉かった。
 この3人がいたからこそ(もちろん、他にも優秀な人材がたくさんいたのですが)斉は大いに発展することができたのです。

 時代は春秋時代。(この時代、「王」は王朝の支配者ただ一人です。だから、実質的には斉の支配者でも桓公は「公」です。ですから、王子とか王位継承という語は厳密には適当ではないのですが・・・ややこしいのでなじみのある「王」という言葉を使いました)
 桓公は春秋五覇の一人です。
 この人には、人を見る目と信じた人物はとことん信頼できる度量がありました。いかに才能があっても、これがない人物は指導者として欠陥です。

「管鮑の交わり」という言葉がありますが、「管」とは管仲、「鮑」とは鮑叔牙のことです。
 二人は、大の親友だったのです。使えた人物が違ったため敵同士になってしまいましたが、心から信頼しあう友人だったのです。
「我を生む者は父母、我を知る者は鮑子」
 私を生んでくれたのは両親だが、私を本当に理解してくれるのは鮑叔牙だ、と後に管仲は言いました。
 鮑叔牙は、管仲の優れた才能を知っていました。管仲は、鮑叔牙を絶対的に信頼していました。
 だからこそ、管仲は、自分が命を狙った桓公に仕えられたのです。普通なら、いつか復讐で殺されるのではないかと疑念を抱き、逃亡を謀ったかもしれません。いわば成り上がり者の管仲が、桓公の臣下とも和して国政を行えたのも、鮑叔牙の力が大きかったのは間違いありません。
 本当の友情というものは、この「管鮑の交わり」のような関係をいうのでしょう。