今回は、ちょっと趣向を変えてエッセイ風に。
本文は、ほとんど中国史と関係ないので飛ばして読んだ方がいいかもしれません。
私は、スロースターターということで歴史に名を残すだろう。
日本の戦国時代後期に生を受けた伊達政宗は「生まれるのが遅すぎた」と悔やんだといわれる(群雄割拠の時代に生まれていれば、自分こそ天下を取れたのに、と彼は思っていたのだろう)。しかし、この私は、政宗よりさらに遅れること400年である。この私をしても、天下をとれないのは致し方ないところだろう。
昔の中国の荘王(そうおう)という人は、王になっても3年間なにもしなかった。3年後、ようやく政治を開始した。なかなかのスロースターターである。何故3年も遊んでいたかというと、使える人物と使えない人物を見分けていたからだ。3年後、国政を任せるにたる人物2人を見出し、ピタッと遊びをやめた。私が荘王だったら、もっとうまくやれただろう。そう思うと残念である。私なら3年間も必要なかった。1週間で十分である。私は、さっさと金銀財宝を持ち逃げして優雅に暮らしただろう。政治をよくするためには、私のような為政者がいないことが何よりの方法なのである。私がいなくなった後で、荘王のような有能な人物に国を治めてもらうのが国のためにも一番良い方法であろう。
私は、荘王の故事にならい、生き方もスロースターターを心掛けている。上述のように生まれた境遇までがスロースターターなのは、偶然ではあるまい。必然でもあるまい。たまたまであろう。
スロースターターであることを、私は常人には理解できないほど強く心掛けている。私は、眠くなったら寝て、十分睡眠を取ったら起きるよう心掛けているが、それと同じくらい強い意志をもって心掛けている。並大抵の努力でもないことが容易に想像できよう。
小学4年生の時、荘王のように生きようと決めた。3年間は何もせず力を蓄え、3年後に大きく羽ばたく決意をした。瞬く間に3年が過ぎた。自分ではさして力が蓄えられたことは実感できなかったが、身長が伸び体重が増えたことは確かだった。
さあ、これから! というときに小学校を卒業してしまった。
すぐ、中学生になった。心機一転がんばろう、と入学式で誓った。心機一転したので、3年後に羽ばたこうという小学3年生の誓いは失われてしまった。仕方ないので、中学1年生の時に再び、3年間は何もせず力を蓄え、3年後に大きく羽ばたくことを決意した。瞬く間に3年が過ぎた。自分ではさほど力が蓄えられたことは実感できなかったが、コンピューターゲームがうまくなったことは確かだった。
よし、これからだ! というときに中学校を卒業してしまった。
3年後に大きく羽ばたこうと誓っていたのに、その前の高校受験で合格し、小さく羽ばたいてしまった。高校生になって、三たび、3年間は何もせず力を蓄え、3年後に大きく羽ばたくことを決意した。瞬く間に3年が過ぎた。自分ではさほど力が蓄えられたことは実感できなかったが、私の住む小さな町にマクドナルドができたことは確かだった。
大学生の時は、勉強を除くいろいろなことに忙しく、3年もの間のんびりすることはできなかった。4年間のんびりできただけだ。当然、3年後に大きく羽ばたくこともできなかった。そもそも私には翼がない。
子供の頃の決意を私は忘れていない。就職した後、四度目の正直で、3年間何もせず力を蓄え、3年後に一気に専務あたりになろうと考えている。3年間、リストラの嵐を乗り越えられれば、であるが。
以上のことから容易に想像できるように、私の人生は、小学4年生からずっと精彩を欠いている。スロースターターも楽ではない。楽をして楽な人生を送るのは難しいことを知った。
私の人生が、最も輝いていたのは、母親のお腹にいたときではないか、と思う。輝きは、徐々に薄れていき、小学4年生でなくなってしまった。悲しいことだが、光を放たなくなった者が、再び光を放つことはないだろう。衛星が恒星に変化することがないように。もしも、月が太陽に変化したら、地球人は皆死に絶え、その事実を誰も確認できないだろう。
私が死んだら、享年は2歳くらいにしてほしい。そうすれば、私が赤々と輝いていた全盛時に死んだと後世に伝わるのだから。生涯を通じて輝き続けた人物は少ない。その数少ない一人として、私の名は永遠に語られるかもしれない。ちなみに、墓碑銘には私が最期に語るであろうアリストテレスの言葉を刻んでほしい。
それにしても、2歳では物心つく前のことである。私は、自分が自分であるという認識を持てないまま死んだことになる。私の一生は、いったい誰の人生だったのだろうか。後世の人間も、同じ疑問を抱くに違いない。
アリストテレスのだと思われはしないか、今から心配である。
これを「中国史」と銘打っている項目に載せていいのか、という方が心配です。
荘王は、春秋時代の楚の国の王です。3年間も政治をほったらかしにしていたのに、春秋五覇にも数えられる名君・・・ということですが。3年も国王が遊び呆けていたら、内政は乱れたでしょうし財政も逼迫したでしょう。3年経ってからは素晴らしい政治をひいたとしても、王が遊んでいた3年の間に亡くなった人にとっては、最低の国王だったでしょうね。
この話は「鳴かず飛ばず」という言葉を生みました。
「私の遊びを邪魔するヤツは死刑にする」と荘王は布告していました。
これに恐れず、後に国政を任された二人のうちの一人伍挙(ごきょ)は言いました。
「なぞなぞです。三年もの間、鳴きもしない飛びもしない鳥はなんでしょう?」
暗に荘王のことを指し、批判したのでしょう。これに対して荘王曰く、
「三年間も鳴かなかったのなら、一度鳴けば、その声は天下に響き渡るだろう。三年間も飛ばなかったのなら、一度飛べば、天上にまで届くであろう」
伍挙にとがめはありませんでした。
三年も鳴かなかったら鳴き方を忘れてしまい、三年も走らずに走ったら翌日筋肉痛がひどいだろう、と私なんかは思いますが。このエピソードはおもしろくて好きなのですが、3年も月日を費やした荘王は、いまいち好きになれません。大昔のホントかウソかもわからない話に大人げないのですが。
もし、今回のような文章が好きだ、という人がいたら、文春文庫から出ている土屋賢二先生の本をおすすめします。私の文章より100倍おもしろい(ふざけている?)本です。(以前書いてほったらかしだったこの本の紹介文はこちら)