第四回  親の心、子知らず(後)

 

 この話の結末がわかった、とおっしゃる? それはすばらしい。えっ? だから、もうこんな文章読む必要ない、と? そんなこと言わずにもう少しおつき合いください。

 目的地の国に着いた長男は、早速Sさんに会いました。父の友人であるというからどんなに立派な人かと思っていたら、かなり汚いかっこうをしています。
「おいおい、大丈夫かよ」
 不安を抱きましたが父の命令があります。黄金を渡して次男釈放の裏工作のお願いをします。Sさんは范蠡からの手紙を読み終えて言いました。
「わかりました。お引き受けいたしましょう。つきましては、あなたはすぐに帰国なさい。よいですな」
 こう言われても、どうも長男にはこのSさんが信用できません。よほど身なりがみすぼらしかったのでしょう。そこで、密かに持ってきたポケットマネーで弟の釈放運動を行ったのです。
 あーあ。

 やがて、国王から恩赦令が出されて、囚人が全員釈放されることになりました。それなのに長男は、喜び半分憂い半分です。
「こんなことなら、あのSにあんな大金やるんじゃなかった」
 そう思いつつ、暇乞いのためにSさんの家へ行きました。てっきり国もとに帰ったとばかり思っていた長男が現れて、Sさんはため息混じりに言います。
「帰ってなかったのか・・・」
 Sさんは、范蠡が友人としているだけあってするどい人です。長男がやって来た目的がピーンとわかりました。
「結局この黄金は必要ありませんでしたな。お返しいたしましょう」
「それはありがとうございます」
 長男は喜び勇んでSさんの家を出て、次男の釈放される日を待つことにしました。
 Sさんはおもしろくない。誰だっておもしろくないでしょう。
「親父がああなのだから頭が悪いわけではあるまい。金で瞳が曇ったようだな」
 思い知らさねばなるまい。
 Sさんは、その国の王城へと行くと、王と面会しました。Sさんは王に言います。
「民は、王が恩赦令を出されたのは范蠡の息子を助けるためだ、と申しております。民というものは、勝手な噂をよくも言うものですな」
 よく言うのはSさんだ。先日「天象を見るに、近いうち天災が起こりそうですから徳を行って災いを起こさないようにいたしましょう」などと王に言っていたのは、他ならぬSさんなのです。
 王に恩赦令を出すよう説得したのはこのSさんだったのです。
 Sさんは、王から頼りにされている人物だったのです。王は一言、
「けしからん!」
王としてのプライドが許しません。すぐに范蠡の次男を裁判にかけ、死刑を執行してから恩赦令を出しました。

 范蠡の元に帰ってきた長男は、次男の遺体を連れて、悲しみに沈んでいましました。
 家族も悲しみました。使用人も悲しみました。村人も悲しみました。なのに、父親である范蠡は平然としています。
「私にはこうなることがわかっていたよ」
 長男は、范蠡がいろいろ苦労しているときに生まれ育ったからお金に執着があります。
 三男は、范蠡が大金持ちになってから生まれ育ったからお金に未練などありません。
 だから、今回の使いの役目は三男でなければならなかったのです。
「私は、棺桶の中に入った次男を待っていたんだよ」
 もう充分悲しんでいたのでしょう。范蠡はひょうひょうとしていました。

 はぁー。
 思わずため息が出ます。范蠡は全てを知っていたのです。長男の性格を、三男の性格を。Sさんがどのような裏工作をするか、長男がどのような行動をするか。そして、事のてんまつも。
 全て知っていたのです。すごいとしか言いようがない。作家の海音寺潮五郎さんの「神仙的英雄」という表現は実に的確だと思います。
 ただ、思わないでもありません。「范蠡、だったらはじめからそう言えよ」と。そして「Sさんよ、ちょっとばっかし大人げないんじゃないのかい?」と。
 まぁ、これを言ってしまっては・・・。
 昔の中国は、形式や礼に非常にうるさい国でした。范蠡やSさんにも、いろいろ思うところがあったのでしょう。英雄でも親でもない私にはわかりかねます。

 

 「呉越同舟」という言葉があります。仲の悪いヤツが同じところにいる、という意味です。
 これは、という国と、という国がたいそう仲が悪くて、よく戦っていたという史実から出来た言葉です。范蠡は越の国の人で、呉の国を滅ぼした立役者でした。呉越同舟、の状態に決着をつけたのは范蠡なのです。時に春秋時代、今から2500年近く前のことです。
 ちなみに、この話の頃の范蠡は陶朱公(とうしゅこう)と名を改めていました。
 もう一つちなみに、范蠡の友人のうち、王に殺された人は文種(ぶんしょう)といいちょっと人の悪いSさんは荘生(そうせい)といいます。