●オールドPC アイコン その他
他の追随を許さない、つーか道に迷いました
NEC、富士通、SHARPのオールドPCアイコンとページを分けました。人によっては、もはや何がなんだかかもしれません。80年代リアルタイマーにとっては結構知名度があるものも多いです。PC98以降の人は置いてけぼりっす(^^;

●新規追加●(19/12/12)
FX−マイコン R−165電子ブロック
・NEC、富士通、SHARP(別ページ)
・MSX(別ページ)
・ポケコン、ハンドヘルド(別ページ)

アイコンのダウンロードは一番下にあります。

IBM
PC−AT
はたして日本でこれを見た事がある人はどれだけいるんでしょ?現在のWindowsパソコンの元になったDOS/Vの元になったPCAT。いわゆる「PCAT互換」と言われるもの。これは初期のPCAT機。それまでマシンの設計は公開されていなかったが、IBMがこのPCATをオープンアーキテクチャーとしたため、一気に世界に広まったという事らしい。EPSONに98互換機を作られてEPSONチェックとか姑息な事していたNECとは大違い。

IBM−JX
「誕生プライベート16ビット」こんばんわ森進一です(似てる!Σ(゜Д゜;))の森進一がイメージキャラクターだったIBMのマシン。Windowsが国産マシンを駆逐する以前に登場。当時は98にあらずばパソコンにあらず、PC98とその互換機を称して「国民機」と言われる時代、いかに世界最大のシェアがあり、対応ソフトの数が多いと言われても、ほとんど見向きもされずに消え去りました。270000円。
調べ直してみると、PC98全盛の時代より少し前らしい。「PC98」の箇所を「PC88」に置き換えてお読み下さい。

AIWA
DR−20
データレコーダー。パソコンメーカーの専用データレコーダーが割高な為に、こういったサードパーティ(?)製レコーダーを使っていた人は多かった。中でも音響メーカーのAIWA製のこのデータレコーダーはFDDが普及するまで多くのマシンで活躍した。12800円。(資料提供DJNZ様)
ATARI
ATARI400
ATARIといえば、ゲーム産業のパイオニアである。アタリショック(海外ではビデオゲームクラッシュとも言われる)で有名なアタリ社は家庭用ゲーム機のみならずパソコンも作っていた事を知る人は意外に少ない。
資料によると、CPUはスタンダードな6502A、320X192ドットで5色/128色中表示。4KBのRAMにサウンドは4音。メモリが8KBのATARI800も。
ATARI800XL
上記の400、800などが再編。CPUが6502C、解像度はそのままながら16色/256色中表示になったり少しだけパワーアップ。ただちょっとの違いでいくつもバージョンを出すところにATARIの迷走を感じる。
迷走と言えば、有名な話で、ATARIのゲーム機VCS(Video Casette Computer System。ATARI2600の事)で当時爆発的人気の「パックマン」を出す事になって、こいつは絶対売れるから、本体よりも多くソフトを作ったれ!というなんというポジティブ思考。さらに売れ残った「E.T.」のカートリッジをネバダニューメキシコの砂漠に埋めたという話も。この話、さらに調べると、マニアが掘り返しにくるのでコンクリートで埋めてしまったらしい。なんというダイナミック環境破壊。未来の人間が大量のE.T.のカセットを発見した時、なんだと思うだろうか。

*ぽちゃけ様より指摘を頂きましたので修正。VCSをVideo Casette Systemにしちゃうと、VHSとDECOカセを足したみたいになってまうな。「E.T.」が埋められたのはニューメキシコ州のアラモゴード砂漠という情報を頂きましたしかも裁断されていてカセットそのまま埋めたわけでは無いそうな。自分が情報ソースとしてしまったのは、ゾルゲ市蔵著「謎のゲーム魔境2」だったりして、よく読んでみると情報ソースにして良いのかどうなのか怪しくも楽しい妄言夢オチコラム?みたいな文章だったので、それはそれで良いかという気もしないでは無いのですが、あらためてちゃんと調べてみると(ちゃんと調べて無かったのかよ)ニューメキシコ説が有力なようです。やはりネバダと言えばエリア51。宇宙人隠蔽の噂もある土地です。E.T.だけに情報の重力レンズ現象が起こったのかもしれません。実際に核実験や第二次大戦のB29やステルス戦闘機など軍事機密満載の地です。地球製UFOを製作しているという噂もあったりなかったり。一方、UFO事件の発端となったロズウェル事件のあったロズウェルはニューメキシコ州です。両方ともE.T.(地球外知的生命体)に関係していると噂されるという意味で、おお繋がった。
ATARI520ST
ATARIの16ビットパソコンシリーズ。CPUにMC68000を搭載。メモリが512KBなので、少し下駄を履かせて520STという名称に。実は設計は日本で行われたらしい。
APPLE COMPUTER
APPLE2(FDD搭載)
追いつき追い越せでお馴染み(?)のアップル2。FDDは別売りで、アイコンはそれを搭載したもの。ツインバズーカみたい。でもそれ程当時のFDDは破壊力、じゃなくて、インパクトがあった。モニターとセットで約40万円、FDDが約20万円。

APPLE2C
LOGIN誌が三宅裕次のラジオ番組ヤングパラダイスと連携して、「ヤンパラアドベンチャー ヒランヤの謎」というアドベンチャーゲームを発売し、ゲームをクリアした人に抽選でこのAPPLE2Cをプレゼントという企画をやっていた。

Macintosh
「アップルから、パソコンアレルギーの人々に捧げます」。初代マック。GUI搭載のOSで革命的なマシン。当時の広告で記憶に残るのは、自転車に乗ったにーちゃんが、背中にMacを背負ってるというもの。モバイルマシン?って言うか電源どうすんの?

Mac LC630
個人的に初めて購入したMac。時代がPowerPCに移行していた中で急速に値段が落ちた68030マシン。中古でモニターセットで7万円強で購入。取り説も何にも無かったけど、すぐに使い方が理解できた。ドット絵以外で仕事に使えると思った初めてのマシン。でもすぐにMacOS8.Xであっさり68Mac切り捨てに…33Mhz/RAM32MB(最大)なので、実際フルカラーだとハガキサイズが限界ラバーズ。

EPSON(含む服部セイコー)
MAP先生(MAP−1010)
「音声もGOTO、GOSUBするパソコン」。服部セイコー製。オールドPC界のUMA。なんとなく知っている人は結構いるのに実物を見たという人は圧倒的に少ない。カタログに表記は無いが、PC−6001と互換があるという噂もある。なのでスペックもほぼ同等。メモリが24KBなので若干上か。価格は98000円。ネットで画像を捜したが結局みつけられなかったが、ソフトを開発していたという人はみつけた(これの方が驚き?)。今回は別の方(匿名希望(笑)のKさん)から画像を頂いたので作成できました。感謝(^^)。カラーで見ると意外にカッコ良かった。当時他にも「勉卓」というマシンもあり、パソコンで勉強というコンセプトを打ち出そうとして失敗したケースは少なからずあった。パソコンが勉強に使えるなんてのは、親に大金を出させる殺し文句でしかない。専用学習ソフトもあり、小1〜中3まで9年間一貫学習ができるそうな。同じマシンを9年…。

PC−286VF
80286搭載のPC98互換機。H4(40MHDD搭載)が513000円、H2(20MHDD搭載)が423000円、STD(FDDのみ)が298000円。某ゲーム会社時代に購入。まだHDD使用のゲームが少なかった時代でもあったので、FDDのみのSTDを中古で購入。同時購入ソフトは「Xak3」。「ソードダンサー」や「人形使い」など10数本のゲームを購入したが、シミュレーション全盛の98ゲームは楽しめるものが少なかった。すぐに386時代に突入するし。PC98よりはFDDのアクセス音が静かなのが良かった。

エポック社
カセットビジョン/カセットビジョンJr./スーパーカセットビジョン
安価な家庭用ゲーム機でパソコン気分が味わえる!って事に当時のナイコンユーザーは胸ときめかせたもの。ファミコンも、セガSG-1000もカートリッジでBASICを供給した。ま、所詮雰囲気が味わえる程度。雑誌の付録DVDに収録されているAVみたいなもの。
スーパーカセットビジョンもご多分に漏れずBASICカートリッジが発売された。

「エポック社の洗練された技術が新時代を拓く!」13500円
ファミコン登場(83年)の2年前の81年に登場。与作。テレビのチャンネル表示に使われるチップを使ってのグラフィック表現のためとてもドットが荒い。友達が持っていたのでよく遊んだ。

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  ←こんなのがキャラ

83年には廉価版としてJrが5000円で登場。カセットの値段とほぼ同じで本体が買えるというのは衝撃的だった。

「ニューメディア対応のテレビゲーム新登場!!」。CMに若大将原辰徳を起用。15000円。84年、頭角を現してきたファミコンに対抗する形で登場。普及していないRGB端子や128スプライトを搭載するなど、性能はファミコンを凌駕する部分を持つ。スパカセ専用のカセットの価格も3000円〜4000円とファミコンに対抗したが、一般にはほとんど認知されず消えていった。とは言え、ドラえもんやドラゴンボール、ナムコのマッピーやスカイキッドなども発売された。
女性向けに赤い本体のバージョンも発売されたが売れなかった。実はキティちゃんバージョンだった、とか言えば、血眼になって探すマニアがいるだろうな。キティちゃんならなんでも良いのかよ。

CASIO
FP−1100+FP−1020FD(FDD)
「パソコンは性能が第一だ」。ソフトが第一だと思う。それはともかくなかなかの高性能。カシオ計算機だけあって演算処理には自信があったようだ。本体128000円、FDD298000円。

PV−2000(楽がき)
29800円。Z80AコンパチのD780C-1、VDPにTMS9918採用でスプライト32個/画面という当時のホビーマシンのスタンダードな構成。SC3000やMSXなどと同じような感じ。PV-1000(14800円)というゲーム専用機の弟分も存在するが、互換性がほとんど無い。

学研
FX−マイコン R−165 電子ブロック
緑色のブロックを並び替える事でラジオになったりトランシーバーになったりインターホンになったり数十〜百を越える回路を実現でき、電子回路の基礎を理解できたりするなんかスゲー未来のおもちゃ&学習キット。電子ブロックって2002年に復刻されたものと昔のと2種類しか知らなかったけど、このFX以外にもDRとかSRとかEXとか古くは1965年から発売開始後、改良されて続いてきた息の長いシリーズものだったのね。
 
コモドール
MAXMACHINE
オモチャ屋で見た。34800円。CPUに6502カスタムのMPS6510を採用。RAM1KB。

COMMODORE64
NINTENDO64ではない、COMMODORE64。64BITではない、64キロバイト。輸入販売されていたこの当時の為替レートはだいたい1$=240円前後。日本での売値は99800円。性能的にも当時のマシンの中で別段高くもない。が、日本では遊べるゲームがまったく無く、普及には至らなかった。

AMIGA600
アミガです。いや、アミーガです。海外のX68K(逆)。ともかくAMIGAといえば「ウゴウゴルーガ」。でも関西じゃまともに放送して無かったので、スペシャルを1回見ただけ。やたらと、なんとかさんに怒られちゃうぞ、ってギャグを見かけたけど、知らねーよそんな人。

SANYO
PHC−25
BASICレベルでPC6001と互換があったとか無かったとか…。69800円
BASICは当時標準とも言えるマイクロソフトBASICに非常に近いものが使われている。実際はBASIC命令にも互換性の無いものがあったり、PC6001で書き込んだテープが読めなかったりと互換性があるとは言えない。が、フォントやグラフィック関係を見てみると一見互換性がありそうに思える。なんとPHC-25エミュが実在する!!

sinclair
シンクレアZX81
「これから始める人は、これから始めるといい」。なんだかガンダムのモビルスーツの型番のような名称ですな。イギリス生まれで三井物産が輸入し、本屋で販売というなんだか不思議なマシン。価格も29800円というポケコンよりも安い。まぁ安いなりに標準で1KBしかRAMが無いので、プログラムは大変。一応メモリを16KBに拡張するRAMパックもオプションであるけど、19800円‥。

SEGA
SG-1000+SK-1100/SG-1000II+SK-1100
「ゲームセンターから人気のゲームが続々登場」(キャラが単色だけど)15000円。
「ビデオゲーム−つなげればパソコン」(ちょっとおこがましい)15000円。
キーボード(SK-1100)が13800円。
SG-1000と1000IIの違いはデザイン以外にはメモリが倍の2KBになった事とコントローラーが標準で2つ装備されスティックタイプからパッドタイプに変わった事くらい。ツクダオリジナルのオセロマルチビジョンというSG1000にオセロを内臓したマシンも発売されていた。当時ファミコンが一歩抜きん出ていたけど、自分の周りにはセガとかカセットビジョンとかぴゅう太とか持ってるやつが結構いた。多少は朱に交わったところも無きにしもあらず。後にmk3買っちゃったし。メガアダプタ買っちゃうし。

SC−3000
セガの家庭用ゲーム機SG−1000にキーボードを付け足したもの。内容的にはMSXと同性能。29800円という値段はさすがゲーム屋という感じ。後にハードキーボードになった、SC−3000Hが登場。

SJ−200
SG−1000用コントローラー。2000円。一応MSXなどのアタリ仕様のジョイスティックポートを持つ機種にも接続できたが、ボタンが逆になったりする。

TERADRIVE
セガが発売したDOS/V機AT互換機。メガドライブ内蔵の40ビットマシン(笑)。PC用80286(16ビット)+メガドライブ用68000(16ビット)+メガドラ用サウンドZ80(8ビット)=40ビット。しかしDOSとメガドラを一緒に使う事はできない。まぁこういうのはちょくちょくあって、NECはモニタに、シャープはX1にPCエンジンを内蔵したりした。ともかくまだ使いものになっていなかったWin3.1が使えた。(だから使えないんだって)
*突っ込みがありましたので修正しました(^^;

BASIC FOR SEGASATURN
BASICでポリゴンが動かせる。

SORD
M5
ソードとタカラから発売され、子供達を混乱させたマシン。ハードウェア構成や性能は後に発売されるMSXとほぼ同等。スプライト機能やカートリッジでのソフト供給など、正にゲームパソコン。価格も当時としては格安の49800円。ゲームソフトは何故かENIXが販売代理をしていた。デザインも格好良く、ゲームが作りやすいマシンだったのに他のメーカーからはほとんどソフトが出なかった。埋もれた名機。

M5PRO
M5の後継機種。基本的に性能は変わらない。価格もタカラとソードで何故か違いがあるが、基本的に同じ物。見た目がシンプルになったというか、色を塗るのをケチったというか。PROというネーミングもあって何故か高級感を感じる。見た目に騙されそう。

M5Jr.
M5の廉価版。29800円という価格で、ゲームスロットを正面に配置して、さぁゲームで遊べ!的なところが潔い。しかし、この価格帯と機能は強力なライバルがあった。そう!SC−3000!違う。MSXである。
MSXとほぼ同じ設計で、グラフィック関連(特にスプライト用のチップ)がややM5の方が良かった気もするが結局ソフトの無いハードは消える運命にあった。とあるサイトを見ると、カートリッジ、テープ合わせて50本程ソフトが発売されていた事を確認。

SONY
SMC−70
すごい形。ガンダムにブースターをドッキングさせたみたいだ。おそらく3.5インチFDDを採用した最初のマシン(オプション)。

SMC−777
「私よりちょっとかしこい」(松田聖子)。3.5インチFDDはこのシリーズで初めて標準搭載された。アナログRGBで16色。オプションのパレットボードで4096色から選べる。人々のHITBIT。148000円。

九十九電機
JOY−700
メタリックなボディーが無骨ながら印象に残る漢のスティック。4方向1ボタンで5800円。当時結構見かけた記憶があるので意外に普及してたかもしれない。

電波新聞社/マイコンソフト
XE−1
X1用ゼビウスに同梱されていた。FD版とセットで7500円。FD版単体で5900円なので、差額1600円がジョイスティック代だと考えるとめちゃめちゃお得。見た目は安っぽいけど作りはしっかりしていた(らしい)。スイッチでスティックの上下左右切り替え(左効き用)にできたような気がする。

XE−1 ST2
「マニュアル派待望のジョイスティック」。5900円。8方向3ボタン。連射はもちろん、このシリーズの特徴はボタンの向きを調節できるというところ。そういえば、このスティックを固定して取り付ける事ができるイス、その名も「メンクリ」なんつーのも発売してたなぁ。

東芝
PASOPIA7
「見たことあるか、27色。聞いた事あるか、6重和音」。東芝の徒花。パソコン自体はたいして思い出は無いけど、この謳い文句とCMキャラが印象的。PASOPIA7のイメージキャラは横山やすし&木村一八。さらに東芝製MSXのPASOPIA IQは岡田有希子という、まるで「筋肉番付」、「ウルトラマンコスモス」の不祥事に、筆頭株主になったベイスターズの最下位が追い打ちをかけるTBSのように呪われたシリーズとして語り継がれる。ちなみにキーボードパネルが赤以外にも2色付属していて交換できる。119800円。

PASOPIA5
間違い探し第2弾。99800円。「頭の体操にはパソコンが最適だ!」

TOMY
ぴゅう太/ぴゅう太mk2/ぴゅう太Jr.
「パソコンて、過激なオモチャじゃ。だからハチャメチャ進化中」。16ビットグラフィックコンピュータ、日本語BASIC、MR.Do!(もしくはスクランブル)と話題の尽きないマシン。初代(上)は消しゴムキーボード、2代目mk2(中)はハードキーボードになり、Jr.(下)ではキーボードすらないただのゲームマシンに。
この当時、「16ビット」「日本語BASIC」というとかなりのインパクトがあったが、ほとんど使えないというか逆に使いにくさ爆発の機能になっていた。グラフィックはプログラム中のデータで持つのではなく、直接付属のエディタで描き、スプライトは使えるものの、メモリが少ない上に激遅。日本語BASICも漢字は使えず、ただコマンドが「ニ イケ」(GOTO〜)、「マワレ〜トジル」(FOR〜NEXT)などのただただややこしいだけのものだった。中学時代友達から借りてきてプログラムを組んでいたが、あまりの使いにくさに、ついつい「Mr.Do!」ばかり遊んでいた。が、付属のゲームパッド(ジョイコントローラー)の方向キーが、いわゆる十字キーではなく、アナログでもないのに丸いパッドなもんだから、やたらと入力ミスをして難易度が高かった。なんか使えないとばかり書いている気がするが、当時「Mr.Do!」が遊べた家庭用機は「ぴゅう太」だけだったので、結構楽しんでたりしたなぁ。

任天堂
FAMILY BASIC
仮面ライダーV3−−−−−−−‥でお馴染み(嘘)のファミリーベーシック。本体と同じ14800円。メディアはテープ。メモリ2KB弱しかないが、はじめからマリオなどのスプライトデータを持っているので、結構それなりのものが作れた。V3ではメモリが4KBに拡張された。

PAX
P−FPG(PAX POWER GLOVE)
ファミコンやん。そのとーりでございます。ただなんとなく作りたかっただけ。「バイ パックスの仕業」でお馴染みの奇コントローラー。これとサウンドアクションサンダーアーム(タカラ)を同時に装着すれば(無理)気分はペガサス流星拳。19800円。

BANDAI
RX−78 GUNDAM
「使えなければ意味がない」。分かってんならよぉ‥。バンダイでは無かった事になってるマシン。この失敗がプレイディアで生かされ‥てなくて、ワンダースワンで生かされた(かもしれない)。まぁこのV作戦は見事失敗に終わりジオン軍の勝利に終わるのは周知の事実。今ならシャア少佐も「若さ故の過ち」と許してくれるだろう。ちなみにガンダム(本体)にブースター(カートリッジ)をドッキングさせる事でモビルアーマーとしてBASICが使える。アイコンの絵はモビルアーマー状態。59800円。これを買った人はきっとフラミンゴの群が飛んでゆく夕焼けに向かって「マチルダさぁ〜ん!」と叫んだ事でしょう。まさに哀戦士。

ROBOPAL
「パソコン・シミュレーション・ロボット ロボパル登場!」「ちょっぴり未来がほほえんだ」「”パソコンの立体ソフト”とも言えるこのロボパルです」。PC88、PC60/66、FM7、X1、MSXと多くの機種に対応していて、当然自社のパソコン”RX-78”にも対応している。ファミコンのロボットよりも高度な事ができるが16800円という価格は当時としては高価だった。決してBANDAIの社長は社員に「君たちアトムを作ってみないか?」とは言っていないと思う。パラパラを踊ったりはしない。

LSI GAME PT−6000 PASOCOM TYPE
正式名称「LSI GAME PT−6000 PASOCOM TYPE ガンダムフォーメーション」
カーソルとリターン、スペース以外は飾りもの。単なるLSIゲームでパソコンではない。ナイコン少年(死語)の心をグッととらえた(かどうかは知らない)。友達が持ってた。

PIPIN@(ピピンアットマーク)
byバンダイの仕業。POWERPC搭載で、Macのソフトが動くゲーム機。なんか富士通が同じ様な事をやっていた気がするが、結果も富士通と同じような事に(さらに酷いかも。これを買った人は周囲に一人もいなかった)。でも当時Mac購入を考えていたので、HDや周辺機器が繋がれば買ってしまったかもしれない。危なかった。
突っ込みがありました:Macソフトとして開発をしてPIPINプロテクトをかけるので、PIPINはPIPIN、MacはMac。中身は同じでもソフトは動かないそうな。XBOXみたい。

プレイディア
byバンダイの仕業。このカテゴリとは関係ないけどついでに紹介(^^;CDROM搭載のマルチメディアマシン(懐かしい響き‥)。ガンダムとドラゴンボールとセーラームーン。テレ東系のぬるいゲーム番組のゲーム勝ち抜きコーナーの賞品で長期にわたって活躍。市場から消えてからも大活躍。勝つとこれが貰えた。これを貰った子供の何とも言えない表情が印象的。負けた子供にはゲームボーイやワンダースワンのゲームソフト。負けるが勝ち。最近までドンキホーテで見かけた。

日立家電販売
MB-6880(BASIC MASTER LEVEL2)
228000円。79年発売。CPUにモトローラの6800(0.8Mhz)
RAM8KB。32x24(8x8ドットのキャラグラ)モノクロ。なんかデザインがコモドールっぽい。

MB−6892(BASIC MASTER LEVEL3 MARK5)
「未知の映像は、君の手の中にある」。当時のマシンの中でも高性能の部類に入る。しかし御三家(NEC、富士通、SHARP)が1歩抜き出ていたためソフトはあまり発売されなかった。富士音響RAMはがんばって対応ソフトを出してた。

MB−6885(BASIC MASTER Jr.)
「親子でパソコン −日立が提案します」。モトローラ系を積極的に採用していたのは、富士通と日立だった。このマシンもMPUに6800を採用している。98000円という価格は当時としてはかなり安価。前後して登場する同価格帯のマシンは、FM7、PC6001、MZ700などの人気機種がある。営業戦略の失敗かどうかは知らないけど、知名度もイマイチでゲームもほとんど発売されず埋もれてしまった。2003年の春頃に秋葉原の某ショップで12800円の値がついて売られていた。危うく買いそうになってしまった(^^;

MB−S1/45
「ディスプレイがポストになった」。ワイヤーフレームの馬の絵が印象に残る日立製パソコン。インターネットはおろかパソコン通信自体まだ知名度の低かった時代に登場した実力派(地味だけど)。88SRが急激にシェアを拡大し、MSX2が登場したこの時期、何ができるか?では無く、ユーザーは何が遊べるか?の方に興味が強かった気がする。過去の資産を持たないマシンは辛かった。日立はすでにMSXのHシリーズで健闘してたのに何故?

MB−S1/10/20
MB−S1/10が基本モデル。20は第1水準漢字ROMカード搭載モデル。

Limelight Interfield Systems 来夢来人
喫茶店とスナックにありがちな名前No.1。では無くてOEMのS1互換品。本体前面左にFDD、右にカセットデッキ搭載。

松下電器(ナショナル/パナソニック)
JR−100
「手軽なBASIC学習機」。店頭で実物を見た時おもちゃだと思った程チャチ…シンプルだった。

JR−200
「さあ、来い。ホームコンピュータ時代」。明る〜いナショナ〜ルから発売。ベーマガで高橋はるみさんがプログラムを組んでいた事以外記憶にない。ただ、前身のJR−100は、PC6001、ぴゅう太と並んで消しゴムキーボードトリオと呼ばれた(かもしれない)。79800円。

三菱電機
MULTI8
「発想自由度無限大」。萌えないマルチ。123000円。

MULTI16
マルチたんハァハァ (;´д`)<もういいって。
国産初の16Bit業務用パソコン。本体とモニター、FDDが一体型になっている。モデルによってFDDの数や、モニターの種類(グリーンモニター、カラーモニター)に違いがあるがいずれにせよとても高価。730000円。

ETC
CASETTE TAPE
初期ハドソン製のカセットテープ。ピンクのラベルに見覚えのある人も多いかと。80年代初期のソフト供給メディアはカセットテープだった。ゲームの内容的にも遊ぶ時間よりロード時間の方が長いというようなものも多かった。価格は2000〜3000円というのが多かった。ツクモなどのショップも自社ブランドでゲームを発売していた。内容はほとんど粗悪なパクリが多かった。それでもみんな必死になって遊んだもの。自分の家でパックマン(もどき)やインベーダー(らしきもの)が遊べるなんて夢みたい…ってまぁ今思えば悪夢なんですが。個人的にはP6mk2のオシャベリソフトシリーズが思い出深い。
こちらは初期電波新聞社マイコンソフト製のもの。電波新聞社はナムコのライセンス物を多く移植していた。他のパクリモノに比べて各ハードの特性を考慮した良質の移植を行っていたといえる。パックマンの世界が90度傾いていても、マッピーの屋敷が改築されていても、ゼビウスにパックマンやモンスターが登場しても、DEMPAは最高さっ!90年中期まではDEMPAブランドはコンシューマでも脅威の移植技術で頑張っていたが、家庭用ハードの進化によって移植という事自体がそれほど技術を必要としなくなりDEMPAはその役割を終えてしまう。ベーマガも休刊し、マイコンソフトは現在画像のアップスキャンコンバーターなどの周辺機器を製造販売するだけになってしまった。
初期エニックス製のカセットテープ。エニックスは当初から自社開発を行わず、外部製作のものを販売していた。ソフトウェアコンテストなども積極的に行い、そこから堀井雄二、中村光一、森田和郎などのヒットメーカーを輩出している。また少年ジャンプとのライセンスで「北斗の拳」「ウイングマン」「Dr.スランプ」などのキャラゲーを出したりとチャレンジ精神旺盛な面も見せていた。今はその面影も無いけど。
初期T&Eソフト製のカセットテープ。T&Eでカセットと言えば、スターアーサー伝説が思い出される。カセットテープ3本組という当時の常識を打ち破る内容に驚かされた。全3部作のアドベンチャーでFM7とPC6001では最後まで発売されたが、PC88では2部の「暗黒星雲」までしか発売されなかった。テープユーザーのための作品だからFDが主流になっていたPC88には出せないというのが理由の一つだったようだが、FM版はちゃんとFD版も出ていた…
初期クリスタルソフト製カセットテープ。クリスタルソフトと言えば、メッセージに関西弁が使われていたりと独特のセンスのアドベンチャーなどを発売していたが、「夢幻の心臓」シリーズや「リザード」、「ファンタジアン」シリーズ、そしてドラクエのパクリと言われ続けた「クリムゾン」シリーズなどのRPGも根強いファンが多い。今は会社が吸収されまくって跡形も無い。合唱。

3inchFD
日立、マクセルなどから発売されていた。表裏それぞれをひっくりかえしてA面B面として使う事ができる。正式採用はX1Dのみと思われるが、日立製のマイコンなどは、増設FDDで使う事ができた。

3.5inchFD
PC−6601付属のシステムディスク。3.5”1D。個人的FD初体験は友達の家にあったPC6601の「コロニーオデッセイ」だった。この時の衝撃は計り知れない。今やFDDを搭載してないマシンも多くなってるなぁ…

5inchFD
エニックス製5”2D(元ネタはパックランド)。エニックスは割りとラベルのデザインはシックでシンプルなものが多いようだ。ディスクラベルと言えば、同社の名作アドベンチャー「ジーザス2」のディスクラベルの色がゲーム中に登場するアイテムのディスクカラーとリンクしているというある種プロテクトのようなアイデア。自分はX68K版をプレイしたが、ディスク入れ替えシーンでは自動的にディスクが排出されて驚いた。ディスクをプログラムで排出するのはX68Kの機能ではあるが、緊迫したシーンでの演出と、ゲーム本編とリンクしたディスクの入れ替えというのに関心した。
日本ファルコム製5”2D。元ネタは個人的に好きなゲームベスト5の一つ「ソーサリアン」。特に追加シナリオの「戦国ソーサリアン」が一番好きだった。同じように和風のゲームが好きでウルフチームの「YAKSA」も購入したが、あまりのクソな出来に号泣した。キーボードに文鎮を固定してレベルアップに一晩かけたのに、65535を超えると0に戻るなんて…
まぁ使いたい人は使ってください(^^;
デキはイマイチですが。

QUICK DISK
当時まだまだ高価だったフロッピーディスクの利点と安価なカセットテープの良いトコ取りを目指したようなメディアとして注目された。FDの特性であるランダムアクセスはできないが、1アクセス約7秒と、カセットテープに比べれば高速で、FDよりもかなり価格が安かった。MZ1500で正式採用され、SHARP系のX1,MZシリーズ、さらにはMSXなどにも増設ドライブを使う事で使用できた。しかし、本家FDDの急速な普及による価格の低下であっさり敗北。ちなみにファミコンディスクシステムに採用されたディスクカードと基本的に同じ仕様なので、雑誌ハッカーなどでおなじみコピーツールに使われた。ファミコン雑誌などで悪者にされた「黒ディスク」は、このクイックディスクの事である。

FAMICOM DISK CARD
ROMカートリッジの容量の限界に達していたファミコンが、大容量化(1Mビット)とデータ書き換えを売りにディスクシステムとして登場。ディスクライターによる書き換えが500円、ソフトの価格も3000円前後とユーザーには嬉しかったが、その分メーカーの利益が上がらず、クイックディスクとの互換性もありコピーツールが開発されたり、ロムカセットの容量を拡張する規格”メガロム”の登場やバッテリーバックアップ機能を採用するメーカーが増えるなど、その利点を失い急激に失速する。「ゼルダの伝説」や「メトロイド」といった現在にも続く名作を排出した功績は大きく、任天堂による書き換えサービスが2003年9月まで続いていた事も評価できる。逆に「レリクス暗黒要塞」や、任天堂の流通を通さない美少女(クソ)ゲーを生み出した黒歴史も忘れてはならない。

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