がんばれ! チェアスキーヤー・福嶋さん

 「がんばれ篤史」のページを見た福嶋さんとおっしゃる方から,メールをいただきました。

クリックすると記事の全文を見ることができますヨコさん、初めまして。
HPを見ましてお便り致しました。私は帯広市在住の26歳の脊髄損傷の福嶋 孝宏と申します。

私は1年10ヶ月前にモーグルの練習中エアー(ジャンプ)を失敗して脊髄損傷となり、現在車椅子での生活を送っております。
現在はヨコさんの教え子の本間さんと交流させていただいております。
私はケガする前にモーグルの雑誌で本間さんの闘病日誌を読んで脊髄損傷っていうのを自分ごととして理解しておりました。
彼のケガ直後の冷静な判断というのはかなり私にとってインパクトのあるものだったので、自分がジャンプ台から落ちて事の重大さを理解したときに本間さんの冷静な行動が頭をよぎり、自分もまずは冷静で…というのが先でした。
ジャンプ台から落ちて20分位失神していたらしく、失神から目が覚めたときには腰から下が全く動かなく両手を動かしたら普通に動いたので本間さんの置かれていた状況よりははるかに軽症でした。

そのまま帯広市内の総合病院へ搬送されその日のうちに手術(診断は胸椎11〜12番脱臼骨折ということです)。
麻痺の部位と元々スポーツをやっていたこともあって回復は早くて104日で退院しました。
私と本間さんの間に「佐々木 徳教」という選手が居り、彼に「本間さんに会わせて欲しい」ということを告げてもらい私が退院後彼の入院している慶仁会病院へ向かいました。
私はモーグル選手としては3流だったので全日本ナショナルチームの「本間 篤史」という存在は神に近いものでした。見た目は少し怖そうですが、とても優しい人です。
メールや電話、直接会っていても、目の前に居る人が本間さんなので今でも信じられない気持ちでいっぱいです。
彼とパラリンピックに出るのが今の私の夢でもあります。

私は高校卒業と同時に「椛ム広松下電工」で勤務しています。
ケガした直後は会社内は施設的に車椅子での勤務が出来ませんでしたので辞める主旨を申したのですがありがたいことに会社側の配慮で2年間の休職ということにしていただきました。

今年の冬から私もチェアスキーでゲレンデ復帰したことがこちらの地元新聞の記事に大きく取り上げたことがきっかけで会社も私の受け入れ態勢を整えてくれるというようになり、現在施設のバリアフリー工事をしていただいております。
今年の12月からの復職予定となりました。

本間 篤史に勇気と生きる力をもらった側として、今度は私が何かする番だと思っております。

突然のメールと乱文をお許しください。
                                                          福嶋 孝宏

これに,私は次のような返事を書きました。

福嶋さん,こんにちは。はじめまして。ヨコさんこと横藤です。

篤史と同じく,モーグルをやっていたんですね。そして,篤史と同じく脊髄損傷。
激しいスポーツだけに,怪我をする人も多いと聞いていましたが,福嶋さんもそのお一人だったんですね。
怪我をなさったときは,福嶋さんもご家族も,そして友人の方々もきっと大変な思いをしたことでしょう。でも,それを乗り越えて今に至っているのでしょう。私には,それだけで奇跡のように思えます。
そして,チェアスキー,パラリンピックを目指して努力していることに心からの敬意を表します。篤史同様,福嶋さんのスポーツや社会生活でのご活躍を応援します。月並みですが,がんばってください。

私は篤史の小学校時代の担任ですが,今は篤史のがんばりや心の持ち方から多くのことを教わっていると思っています。
(会えば,つい説教口調であれこれしゃべってしまうのですが。)

篤史もそうですが,福嶋さんの勤務先もよく継続勤務の英断を下してくれましたね。日本の企業のすばらしさを改めて感じます。(つい1週間ほど前,PanasonicのMDプレイヤーを買いました。福嶋さんのメールを読んで,思わず「Panasonicにして良かった。」などと思ってしまいました。)

福嶋さんや篤史の,一人の人間としてのがんばりと,それを支える人や会社のすばらしさを,いろいろな人に広めていきたいと思っています。これから,どうぞよろしくお願いします。

このたびの福嶋さんのメールを,ホームページに紹介してもよろしいでしょうか?篤史も見ることと思いますので。

さらにお返事が返ってきました。2回目のメールには,新聞の切り抜きの画像が添付されていました。(別ページにて切り抜きを見ることができます。) 切り抜きのページへ

ヨコさん、こんばんは。
メールありがとうございました。
こちらからも私のでよろしければ、HPの方へ掲示をよろしくお願い致します。

私も本間さんも会社には恵まれている方…というよりすごいことだと思います。
ネット上で沢山の脊損や他の障害を途中で持った人達と知り合いましたが、受傷後も同じ会社に勤務できる人というのは自営業の方を除いて殆んど聞いたことはありません。ましてこの不景気の中で…。

私は地元新聞社「十勝毎日新聞社」のスポーツのデスクの「横田 光俊」さんという記者に昨年の11月に出会いそれからいろいろと活動しております。
その横田さん自ら十勝で「バリアフリーアウトドアクラブ自由旅団」という主に障害を持った子供(知的障害、筋ジストロフィー、ダウン症etc…)やその家族が中心となって乗馬をしたりカヌーに乗ったりという活動をしています。
十勝ではまだチェアスキーをやっている人が居なくて私が第一号だったのです。
十勝の車椅子使用者は夏にロードレースをやっている人が5〜6名居る程度で冬に何かをしている人っていうのは居りませんでした。
しかも皆さんマスコミ嫌いでひっそりと地味にやっている人ばかりなので、その存在自体も知りえない程です。

私は目立ちたがり屋という性格で自ら取材に応じて新聞紙上に取り上げていただいております。
私の狙いは単なる目立ちたがり屋ということだけではなくて、本当は「情報提供」だと思っております。
「車椅子」というとどうしても避けたくなるような、自分事としてはあまり考えたくないような、病人、ケガ人というイメージで悲観的な想像をしがちです。
今車椅子を利用している人でも、今は身体の何処にも障害の無い人でも「車椅子に乗っていても、歩けなくてもこんなことできるんだ」とか「帯広にもこんな奴が居るんだ」っていうのを知ってもらいたいということです。

もちろん、車椅子に乗っている人が全て元気いっぱいでトライすればなんでもできるという訳ではありません。

帯広には病院で「一生車椅子の生活です」と宣告されても周りに車椅子を利用している人を殆んど見ることはないので実際生活している人の情報を入手するのも困難です。「どういうような車椅子があるのか?」とか「どんな生活をしているのか?」とか「仕事はどんなことをしているのか?」とか「性生活はどうなるのか?」とか不安に満ちた孤立感っていうのが先に立ってしまいます。

私は運が良かったので友人の友人が脊損で車椅子の生活をしているという人に巡り合えたり、本間さんとも直ぐにつながることも出来ました。
これから車椅子の生活になろう人達が情報に困らないような街作りをしていきたいと考えております。
「そういえば、新聞に出ていた奴が居るから聞いてみよう…」というようになれれば良いのではないかと思います。
本当なら直ぐに情報が手に入れられる社会が望ましいですが。

長くなりましたが、私はこういうことも考えております。
それでは、またよろしくお願い致します。

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