がんばれ篤史

■ここに1巻のビデオテープがある。『モーグル入門』。
 登場するのは、本間篤史という青年。
 ビデオの中の彼は、コブ斜面を果敢に滑る。華麗に飛ぶ。
 彼、篤史は私のかつての教え子である。
 初めての転勤で、初めて受け持った6年生だった。 

■モーグラーとしての篤史は、なかなかのものだったらしい。
 主な戦績としては、
 ・1992年ワールドカップ6位入賞(日本人初)
 ・1993年全日本フリースタイルスキー選手権長野大会優勝
 ・オリンピック強化選手に指定
などがある。
 私は、競技スキーには疎いのだが、それでも遠征でカナダに行った、オーストラリアやフランスに行った。そこここで入賞した、という知らせを聞くたびに、「ああ、がんばっているんだなあ。」と思っていた。
 その頃は、まだ「モーグル」そのものがあまり有名でなく、私も篤史が始めたということで初めて知ったのだった。何でも、コブ斜面をできるだけ速く滑り降りて、途中かっこよくジャンプすることを競うのだ、くらいの認識しかなかった。
 このビデオ(モーグルという競技を日本ではじめて映像で紹介したビデオである)を見て、篤史がやっているモーグルとは、こういうものなのか、とわかったくらいなのだ。

■篤史たちの学級の子は、卒業してからもよく訪ねてきてくれる。私たちの結婚式にも駆けつけてくれたし、高校に入学したといっては、就職したといっては知らせてくれる子が多かった。
 20才になったときは、正月に酒を抱えて集まり、朝早くから夜まで、話が途切れることがなかった。その後も、ある時は一人で、ある時は人数を募って私の家にやってきてはいろいろな話を聞かせてくれた。
 篤史も、何度かやってきては就職したこと、そしてモーグルでがんばっていることなどを聞かせてくれていた。
 篤史は、アサヒビールに勤めた。工場のライン設計などに意欲的に取り組んでいることなどを聞かせてくれたりもした。

■その知らせが届いたのは、平成10年3月のことだった。同じ学級だった美穂子からの電話だった。
「先生、あっちゃんが大怪我したんだって…。」
「何? どこを? 何で?」
「モーグルの練習していて、首の骨を折ったんだって。救急車で運ばれて、入院しているって。」
 すぐに、病院に電話してみた。看護婦さんが、病室につないでくれた。お母さんが出た。そして、何と篤史本人が出た。
「いやあ、心配かけてすみません。」
 声を聞いて、力が抜けた。
 次の日、美穂子の他に2人の子が都合がついて、4人で手稲の病院に向かった。

■「頚椎損傷、第7頚骨粉砕骨折、第5、6頚骨ヒビ」これが、診断名である。モーグルの練習をしていて、急に金具が外れた。高速でコブ斜面を滑っていた篤史の体は、かなりはじき飛ばされ、首から斜面に激突。しかし、意識ははっきりしており、レスキューが駆けつけてくれたときに、自分で病院名を指定して運んでもらったという。
 粉砕部(7)の再生と圧迫部(5、6)の除圧という治療が始まった。私たちが最初に行ったときは、首を動かすことはもちろん、首から下もまったく動かせなかった。食事などのためにベッドを少し起こしただけで、血圧が変わって具合が悪くなる。体が動かないので、体向変換をしなくてはならないが、首を動かせないので、かなり大変だということだった。
「いっそ、死んでしまえばよかった。」
と吐き捨てた篤史に、
「バカ! 何てことを言うんだ。お父さんやお母さんの気持ちを考えろ!」
と怒ったこともあった。
 私は、この手稲の病院に何度か通った。その度に、篤史の手足をマッサージしてやった。しかし、神経が敏感になっているところにうっかりさわって「痛い!」と言わせてしまったりもした。首の骨の快復に伴って、手足の感覚が少しでも戻るように手伝ってやりたかった。篤史自身も、見舞いに行くたびに
「もう一度、ゲレンデに立つんだ。」
と、闘志を燃やしていた。しばらく間を置いて行くと、
「先生、ほらこの間より動くようになったでしょ。腕でいろいろするから、筋肉もついたんですよ。」
と、腕を持ち上げて見せてくれたりした。数か月後には、感覚が胸の上部まで戻り、腕を持ち上げたり、わずかに指を握るような動きができるようになっていた。
 しばらくたって、篤史は美唄市にある病院に転院した。美唄は、かつて炭坑の町だったため、頸椎損傷のリハビリのノウハウに長けているのだという。私が美唄に見舞いに行ったときには、すでに車椅子の扱いにも慣れ、食事も特殊なスプーンを使って食べられるようになっていた。
 さらに数か月が過ぎ、また手稲の病院へ。そして、自立して生活できるように自宅を新築したところで退院したのだった。

■篤史は、アサヒビールに勤務していた。アサヒビールは、入院した彼を見捨てなかった。長い入院生活を終えた彼を、アサヒビールは、再び受け入れたのだ。平成12年春、篤史は職場に復帰した。
 今、彼はパソコンを駆使し、車椅子で移動しながら総務部の仕事をしている。私には、メールでがんばっている様子が届けられる。工場のお祭りに招待され、行ってきたときの様子を私は当時の学級通信(平成12年度6年生)に載せた。

かつての教え子と

■今日,子供たちにも話して聞かせたお話です。
 昨日,Aビール園でイベントがありました。その案内を2週間ほど前にeメールで受け取りました。かつて6年生で受け持ったHという現在30才になる教え子からの案内でした。午前中から,午後3時まで,ビールの試飲などができるので,ぜひ来てほしいという内容でした。
 実は,私は昨日は太極拳の講習会で苫小牧に行っていました。2時ちょっと前に講習会会場を抜けて,Aビール園に向かったのですが,高速は順調だったものの,下りてから時間がかかり,3時ぎりぎりで会場に入りました。会場を本部席まで進んでいる途中に,「蛍の光」が鳴り始めました。

■本部席で,自分の素性を知らせ,Hに会いたい旨を申し出ましたら,年輩の方が「Hさんは,今総務部の方におりますのでご案内します。」と言ってくださいました。一緒に歩きながら,お話を伺うと「自分は今Hさんと一緒の仕事をさせていただいていますが,Hさんは近頃の若者に珍しく,根性があるなあといつも感心しているんですよ。」とおっしゃいます。そして,本部に着き,私はHと久しぶりに会うことができました。Hにその方を紹介されて,ちょっとびっくりしました。その方は,総務部長だったのです。腰の低い態度と謙虚な物言いから,年輩ではあるけれど同僚なのかと思ってしまいましたが,直属の上司だったのです。(Aビール,恐るべし!)
 
■Hと会うのは,半年ぶりくらいでした。実は,彼はかつてスキーのモーグルの選手で,ワールドカップにも出場したことがあります。「モーグル入門」という彼主演のビデオは,今も店頭に並んでいます。しかし,一昨年モーグルの練習中に転倒事故を起こし,首の骨を7カ所も折って入院。1年半も闘病生活をしていたのです。入院直後から,何度か見舞いに行っていましたが,肩までは動くようになったものの,胸から下と指先まではついに動かず,現在は車椅子での生活をしています。
 職場復帰は,この5月から。彼に一言「おめでとう」を言いたくて,時間が過ぎてから駆けつけたというわけです。

■話は弾み,あっという間に1時間半近く話し込んでしまいました。その中で,今受け持っている子供たちにも伝えたい言葉があったので,この話を紹介したのです。
「今,ホームページを作りたいと思っています。スキーの大会スケジュール表を載せて,そこから申し込みができるような仕組みにしたいんです。そうやって,前にお世話になった人の役に立てればと思うんです。」
「障害をもっていても,また採用してくれる今の会社にはとても感謝しています。でも,それに甘えてはいけないといつも自分に言い聞かせています。今日も,外に1時間くらいいると体温があっという間に8度4分まで上がってしまい,そうなると中に入らないといけません。その分,何ができるかといつも考えています。」

■彼の意識は,常に「発信者」意識です。「人の役に」「自分に何ができるか」「甘えない」。そういう意識と行動を,総務部長さんも認めてくださっているのでしょう。
私が受け持っていた6年生当時はもちろん,「20才になったよ。一緒に飲もう!」と一升瓶を抱えて我が家に来たときも,まだまだ「受信者」意識の方が強かった彼が,今はこんなステキな考え方をしてくれるようになったことに,思わず手を合わせたくなるような気持ちで帰宅しました。

この通信を載せたことを,篤史に伝えたところ,次のような返信が来た。

先日はお忙しいところありがとうございました。
HPの方は拝見させて頂きました。
私の方は全く問題ないので実名でもかまわないくらいです。
どんな形であれ今の世界に入ったのも何かのお導きがあったのでしょう。
これから私が色々と情報を発信できればいいと思っています。(疲れない程度にですけど)
またメールします。

   本間篤史(ATSUSHI HONMA)

■篤史に,今,しようとしていることを聞いた。ホームページづくりは,まだ先のことになりそうだが,次のような夢があるという。夢があり,感謝する気持ちがあれば強く生きていけるはず。篤史,ここまでよくがんばった。これからの篤史に期待している。

○まずはチェアスキーで滑れるようになること。
○夏のスポーツは検討中ですが、マウンテンバイクの車椅子バージョンでダウンヒルをやってみる予定。(競技として確立されています)
○SOHOができるようにVisualBasicなどの勉強をする。

■この私のサイトは,福祉関係の方も多く訪問してくださるので,篤史の夢をさらに拡げるため,あるいは篤史のがんばりが誰かのお役に立てればと思い,このページを特設させていただきました。
 感想や篤史へのメッセージをお寄せいただければありがたいです。

ここを見てくださった福島さんとおっしゃる方からメールをいただきました。福島さんも,元モーグラー。今は,篤史と同じように車椅子で生活していらっしゃいますが,チェアスキーもなさる方です。この方についてのページも作りましたので,どうぞご覧ください。こちらです!

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