ベートーベン物語
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○意図と使い方
○台本「ベートーベン物語」 第1日目〜第8日目+おまけ
○別ページにこの実践による子供たちの感想があります。
○この実践を見てくださったある方が,midiを挿入してご自分のサイトに取り上げてくださいました。感激です!(2002年11月)
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意図と使い方
これは,高学年用の音楽鑑賞のための台本です。ベートーベンの生涯と代表的な曲をからめて構成しました。クラシック曲の鑑賞は,ただ曲を聴かせても,子供たちの心にはあまり残らないように思います。そこで,エピソードを織り交ぜ,その作曲家の生き様と音楽を結びつけて聴かせることを試みようと考えました。(平成12年度の実践です。)
台本をご覧いただければお分かりと思いますが,例えば「月光」などは第2楽章から始めて,最後に第1楽章を聴かせるようになっています。これは,ストーリーのBGMとして曲を選んだためです。また,モーツァルトに聴かせたのが「悲愴」では,年代的に合わないのも分かっているのですが,「代表的な曲を」「話に合わせて」と選んだ結果,こうなってしまったのです。もっと適切な構成,あるいは曲の選定があると思われますので,ご指摘いただければ幸いです。
使い方ですが,あまり日常的にクラシックを聴いていない子供たちでも,無理なく楽しめるように,昔の紙芝居のように「毎日少しずつ連続して」というポリシーで構成してみました。朝の時間などに「連続音楽番組」といった雰囲気で2週間くらいに渡って聴かせるとよいのではないでしょうか。1回,10分から20分程度の内容です。
準備ですが,教室でCDを再生できることと,次のものが必要です。あとは,教師の語りですね。
日 | 用意する曲・もの |
第1日目 | 「エリーゼのために」,モーツァルトの曲,ベートーベンの肖像画(教科書など) |
第2日目 | 「ピアノソナタ第8番・悲愴」 |
第3日目 | ハイドンの音楽,「ピアノソナタ第14番・月光」 |
第4日目 | 「ピアノソナタ第14番・月光」 |
第5日目 | 「ピアノソナタ第14番・月光」「交響曲第5番・運命」 |
第6日目 | 「交響曲第5番・運命」 |
第7日目 | 「交響曲第6番・田園」 |
第8日目 | 「交響曲第9番・合唱」 |
おまけ | ブラームス「交響曲第1番」 |
台本「ベートーベン物語」
第1日目
■(『エリーゼのために』をかける。少し聴かせてから音を小さくして…)
皆さんは,この曲を聴いたことがありますか?この曲を作った人はどんな人でしょう。実は,この曲を作った人は(肖像画を提示),この人。名前をベートーベンと言います。今日から,このベートーベンの生涯と作った曲を紹介します。
(『エリーゼのために』フェイドアウト)
■「ベートーベンは,1770年12月16日,ドイツのボンに生まれました。お父さんは,宮廷で歌を歌うお仕事をしていました。そして,小さい頃からお父さんにピアノを教えられました。このお父さんは,大変厳しい人でした。宮廷から夜遅く酔っぱらって帰ってきては,寝ているベートーベンを起こしてピアノの練習をさせました。ベートーベンは,殴られて,涙を流しながらピアノを弾いたということです。ベートーベンがまだ4,5才の頃のことです。でも,お母さんが優しく励ましてくれたので,ベートーベンはがんばって練習しました。お父さんは,ベートーベンをその頃活躍していたモーツァルトのようにしたかったのです。モーツァルトとベートーベンは14才違いで,6才の頃にはすでに天才少年として大人気でした。ちょっと,モーツァルトの曲も聴いてみましょうね。」
(『トルコ行進曲』または,華やかな『ホルン協奏曲第1番第1楽章』などをかける。少し聴かせてから音を小さくして…)
■厳しい練習で,ピアノが上達したベートーベンは7才の時にはじめてのコンサートを開きました。でも,その時お父さんはベートーベンの年を6才だとウソをついて発表し,みんなの評判を上げようとしたりしました。何としても「第2のモーツァルト」にしたかったのですね。(モーツァルトをフェイドアウト)では,この続きはまた明日。
第2日目
■6才の時のコンサートの評判がよく,ベートーベンは専門の先生についてピアノを習うようになりました。9才の時,ネーフェという先生に習いましたが,その先生はベートーベンの才能を認め,ピアノだけでなく作曲も教えるようになりました。ベートーベンは,めきめきとピアノ演奏の腕と作曲の腕を上げていきました。
■そして16才の時,ウィーンという町に行って,音楽家として活動することになったのです。ここで,あこがれのモーツァルトと出会います。そして,ピアノを聴いてもらえたのです。(『ピアノソナタ第8番「悲愴」V・ロンド:アレグロ』を聴く。第1テーマが終わったあたりで音を小さくして…)
■これを聴いたモーツァルトはベートーベンを天才と認め,大いにほめたということです。ところが,ウィーンに行ってわずか2週間後,ベートーベンの元に1通の手紙が届きます。大好きだったお母さんが病気になったというのです。ベートーベンは,ウィーンでの活動をあきらめて,ボンに戻りました。そして,一生懸命にお母さんの看病をしました。でも,その年の7月に,とうとうお母さんは亡くなってしまいました。ベートーベンは,弟たちの面倒を見ながら,働かなくてはならなくなりました。でも,寝る間を惜しんで,ベートーベンはピアノの練習や作曲を続けていたのです。(『「悲愴」U・アンダージョ・カンタービレ』を聴く。)そして,いつの日かまたウィーンに行って活動できる日を夢見ていました。(音楽フェイドアウト) 今日は,ここまで。
第3日目
■チャンスが来ました。ボンを訪れたハイドンが,ベートーベンの曲を聴いて「ウィーンに来たら弟子にしてやる。」と言ったのです。ハイドンは,当時売れっ子の大作曲家でした。これは,ハイドンの曲です。(『水上の音楽』などをかける)
22才のベートーベンは,大喜びでウィーンに向かいました。ところが,当時売れっ子だったハイドンは,あまり熱心にベートーベンに教えてはくれませんでした。そこで,ベートーベンはサリエリなど,他の先生を自分でさがし,猛烈に勉強を始めました。そして,自分の作った曲を発表しました。たちまちベートベンは売れっ子になりました。そんなベートベンは,一人の素敵な女性に出会います。ジュリエッタという女性です。2人はたちまち恋に落ちました。ベートーベンは,ジュリエッタに次の曲を捧げました。「月光」という曲です。(『「月光」Uアレグロット』をかける) 今日は,ここまで。
第4日目
■しかし,ベートーベンにまたしても不幸が訪れます。ベートーベンが30才頃のことです。(『月光』Vプレスト・アジタート)
1つ目は,愛するジュリエッタが,違う人と結婚してしまったことです。ジュリエッタのお父さんが,貴族ではないベートーベンとの結婚を許さなかったのです。
そして,もう一つ。音楽家にとって命とも言える耳が,だんだん聞こえなくなってきたのです。この2つの出来事はベートーベンを絶望の淵にたたき落としました。ベートーベンは自殺しようと決心します。遺書まで書いたのです。そして,死ぬ前に今一度,とピアノに向かいました。そして,ジュリエッタのためにかいた「月光」を静かに弾き始めました。(『月光』T・アダージョ・ソステヌート)ジュリエッタの思い出になきっと涙を流しながら弾いたことでしょう。
ところが,弾いているうちにベートーベンは不思議な感覚を覚えました。音はよく聞こえないのに,心でははっきりとメロディーが流れているのです。「あきらめるものか。次々に押し寄せる運命に負けてなんかいられない。」ベートーベンは再び立ち上がりました。そして,ある曲をかいたのです。この続きは,また明日。
第5日目
■ある曲,それが交響曲第5番「運命」です。「運命」といえば,「ジャジャジャジャーン」で有名です。この始めの「ジャジャジャジャーン」のことを,ベートーベンは「運命が私の部屋のドアをノックした。母の死,かなわぬ恋,そして耳の病気。臨んでなどいないことが次々にやってくる。」と表現しました。では,聴いてみましょう。まず第1楽章は,いろいろな運命がベートーベンに襲いかかる様子を表現しています。(『運命』第1楽章をかける。)この続きはまた明日。
第6日目
■第1楽章は,なかなか激しいメロディーでしたね。ところで,前に「運命が私の部屋のドアをノックした。母の死,かなわぬ恋,そして耳の病気。臨んでなどいないことが次々にやってくる。」というベートベンの言葉を紹介しました。実はこの言葉には続きがあります。「でも私は運命に負けはしない。まっすぐに立ち向かっていくのだ。」というものです。「運命」の第3楽章は,そのベートベンの気持ちが込められた力強いメロディーになっています。これを聞こえない耳で作曲したのですから,すごいですね。(第3楽章をかける)どうでしたか? 今日は,ここまで。
第7日目
■ベートーベンは,生きる希望を見いだしました。ある時,森の中を歩いていて,ベートーベンは「あ,かっこうが鳴いている。つぐみもだ。」と言いました。一緒にいた人は,誰も鳥の声など聞こえませんでした。でも,ベートーベンの心の耳には,確かに豊かな田園の風景と一緒に美しい鳥の声が聞こえていたのでしょう。ベートーベンの心の中には,美しい音楽があふれていたのです。(「田園」第1楽章をかける)今日は,ここまで。
第8日目
■このあと,ベートーベンは次々にたくさんの曲を発表します。しかし,やはり耳が聞こえないために,大変な苦労の連続でした。例えば今聴いた「運命」や「田園」をはじめて演奏した時には,指揮をしたのですが,耳が聞こえないため,オーケストラの人達とうまく行かなくなりました。「そうじゃない!」と怒鳴ってしまい,オーケストラの人もやる気をなくしてしまい,ついに練習をほとんどしないで本番の日を迎えてしまいました。当然,うまくいくはずはなく,お客さんが騒ぎ出す始末だったといいます。
また,弟が死んでしまい,その子供を引き取りました。その子(カールといいます)の母親と裁判を起こしたり,カールが反抗したりして,ベートーベンは心の安まる時がなかったということです。また,演奏会の失敗や裁判,それにカールを育てるために,お金もたくさん使い,生活も大変になりました。
ある時,ベートーベンがカールにピアノの練習をするようにと叱ったところ,カールは家を飛び出し,自殺未遂をしようとしました。ベートーベンは,どんなにか悲しんだことでしょう。そんな中から,ベートーベンは希望と喜びにあふれた曲を創り出します。
■それが,「交響曲第9番・合唱つき」です。この曲が,はじめて演奏されたとき,ベートーベンは指揮をしませんでした。指揮者の隣に腰かけて,オーケストラの方を向いて座っていたといいます。このときのオーケストラは,80人を越え,その後ろには100人を越える合唱団がついていました。交響曲に,人の声(合唱)を入れたのは,これが初めてです。幕が開いたとき,きっと観客はびっくりしたことでしょうね。では,第4楽章の合奏付きの部分を聴いてみましょう。(第4楽章をかける)この演奏が終わったとき,ベートーベンは,まだオーケストラの方を向いたままでした。そこで,指揮者がベートーベンの腕をそっと取って,観客の方を向かせました。ベートーベンの目に,総立ちになって拍手する観客の姿が飛び込んできました。熱狂的な拍手でした。涙を浮かべている人もいました。
■それから,わずか2年後。ベートーベンは腸と肝臓の病気で亡くなりました。ベートーベンは,何としても第10番目の交響曲を完成させたかったのですが,それもかなわず,「喜劇は終わりだ。」という言葉を残して,逝ってしまったのです。でも,今毎年暮れになると世界中でこの第9が演奏されます。この合唱の歌詞は,シラーという人が書いたのですが,世界の平和を願う内容です。ベートーベンが生きた時代は,戦争がたくさんあった時代でした。ベートーベンの,苦労に負けないで希望を持って,平和や愛を目指した心は,今も世界中に引き継がれているのです。
おまけ
■ベートーベンは,9曲の交響曲を作りました。第10交響曲を何としても完成させたかったのですが,それは遂げられなかったのです。ところが,「ベートーベンの第10交響曲」と呼ばれる曲があります。それは,ブラームスという人が作った「交響曲第1番」です。ブラームスは,ベートーベンが亡くなってからやはりドイツに生まれたのですが,ベートーベンを尊敬し,40歳を過ぎてから「交響曲第1番」を作曲しました。それを聴いていた人が「これは,ベートーベンの第10だ!」とほめたのです。では,聴いてみましょう。(ブラームスの1番をかける)
ベートーベンの曲に感じが似ていますね。
■それと,今世界中の人が音楽を聴くときに使っているCDは,実はベートーベンの第9の演奏時間が74分間だったところから,その大きさが決められました。ベートーベンの心は,ブラームスからさらに引き継がれて,世界中に,そしてクラシックを越えて広がっていると言えるのではないでしょうか。