野口論文「伝え合う力」を語るvol.11ー2001年2月  

電話による伝え合いのコツ
北海道教育大学函館校教授    
         野口 芳宏

1.今,よろしいですか
 電話を戴く,という言い方がある。電話してきた,という言い方もある。電話をよこした,とも言う。これらはすべて受け手の心のありようを表すものであって,電話自体に何の違いや科があるわけではない。
 突然ベルが鳴った,とも言うし,電話のベルがけたたましく鳴ったなどとも言うが,電話のベルの鳴り方は,かける人や内容に関係なくいつだって同じである。これも受け手の心の問題だ。
 電話は機械だからそこには善意も悪意もないのだが,電話をめぐるトラブルは結構あるようだ。相手が見えない伝い合いであるから,それだけ念を入れた伝え合いを心がけるべきである。だが,便利さに甘えてつい心配りを欠きがちである。
 電話の度に必ず「今,よろしいですか」と確かめてから話し始めるのは,明治図書の江部編集長である。これはとても大切な心配りだといつも感心する。電話はいつでも一方的にかかってくるものだから,こっちの都合をまず確かめてから話してくれるのは大変有り難い。学びたい態度である。

2.少しお待ち下さい
 自分の確かめや,電話の取り継ぎの為に,電話を待たされることがままある。文字どおり「少し」ならよいが,2分を過ぎ,3分,4分となるといらいらしてくる。「少し」ではないからだ。この時間,私はずっと受話器を持ち続け,耳を澄ましていなければならない。時間の無駄という外はない。
 ところが,先方は私の気持ちなど関係ないように平気で時間をとっている。私にはこれが耐えられない。
 そこで「すぐ近くにおいでですか」と問うてから取り継ぎを頼むことにしている。あるいは「5分後におかけしますので一旦切らせて下さい」と言うこともある。その間に小さな仕事ができるから,時間を無駄にしなくてすむ。 私が取り継ぐ場合には,一分と待たせることはない。それを越えるようならば「こちらから」と言って一旦電話を切る。その方がずっとすっきりしている。

3.相談ではなく連絡を
 長電話が私は嫌いである。用件を手短に伝える術を私は身につけていると自認している。長電話の張本,は多く「相談」に使うことによる。相談というのは互いに向き合いじっくりと時間をかけてするものであって電話では不向きである。電話に適した用件もあるし,不適な用件もある。連絡には電話が便利だが,相談には不向きと心得るべきだ。
 また,電話は必ず相手を呼び出すという行為を要求する。その点ファックスは一方的に送るだけなので,都合のいい時に見て貰うことができて便利である。私はこのごろファックスを多用している。これが手紙同様,公式性を持ってくるといいのだが今のところはやや略式な感じで正式とは認められていないようで残念だ。

近況とご案内

 たくさんの方々に,私の小さな文章を読んで戴けて大変光栄です。有難うございます。心より御礼申し上げます。
 いよいよ,私の函館ぐらしもあと2か月足らずとなりました。退官を記念した出版をしたいと考え,秒読みの迫った日々を忙しく過ごしています。『国語人』の発刊をせねばと思いながら,目の先のことに追いまくられています。
 しかし,4月からは千葉県に戻り,かなり自由の身になれそうです。それからの時間は,主として執筆と出版,全国の若い先生方との勉強会への応援と出席,家庭人としての充実などに充てるつもりです。
 本画面をご愛読くださっている方の中で勉強会やイベントをやってみたいとお考えの方がいらっしゃいましたならば,どうぞ気軽にご一報ください。喜んで仲間入りをさせて戴こうと考えております。なお,今年度内はすでに余裕がありません。次年度からのことです。
 ご愛読に感謝しつつ近況ご報知まで。合掌。


感想・ご意見のコーナー

■ 塚田 直樹

野口先生の原稿拝読いたしました。
いつもありがとうございます。

電話の件に限らず,やはり,基本は,相手に対する気遣いであると改めて思いました。
「一流」と言われる方ほど,この気遣いを徹底されているのですね。

私は,待たせる側に回ってしまいがちです。
電話だけでも迷惑をかけない気遣いの対応をとらねばと自戒しております。


■ 神藤晃  URL http://homepage2.nifty.com/a-kando/

かける場合も受ける場合も、電話の受け答えについて教員の評判はよくないようです(民間企業に勤める友人と飲むとよく言われます。特に、学校出入り業者の場合)。
 「校長先生は今、出張のためいらっしゃいません。」と、「身内」に敬語を使うミスはいまだに無くなっていません。
 「今、よろしいですか」の一言が無い人もいますし、「少々お待ち下さい」と言って校内放送で呼び出しをまま、ほったらかしというケースもあります(あまり、間があくので、電話の方でピーッピーッと、電子音で知らせてくれる始末です)。
 最近、校長から受けた指導は「電話を受けたら、学校名だけでなく自分の名前も伝えなさい」というものでした。企業なら当たり前のマナーです。
 実は、先のマナー違反の例は全て神藤自身の体験です。
 今は次の点は心がけるようにしています。
 「お待たせしました。韮川小学校、神藤と申します。」
 「今、時間はよろしいですか。」
 「(職員室に姿が見えなければ、)こちらからかけ直させます。」
 また、「相談」ではなく「連絡」については、諸手を挙げて賛成です。
 相手の話が長くなりそうな場合、後で直接会う、メールを送る等の約束をして切るようにしています(以前はFAXを利用することが多かったのですが、今はメールがほとんどです)。
 電話一つとっても、やはり言語技術が必要であり、その背景には相手を思いやる心があるのだなと、改めて実感しました。

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■ 横藤 雅人 (札幌市立北野平小学校) 

 伝え合うには,「相手への思いやり」が大切であることを,「道順の伝え方にも小さなコツ」をはじめとして,これまでの連載でも具体的に教えていただきました。何気ない電話の応対にも,その人の人としての生き方,力量が表れるものなのですね。
 一般に,学校の電話の応対はよくないと感じています。「今,呼び出します。」と言われ,5分以上も待たされることもあります。こちらから「○○先生はいらっしゃいますか?」と言いますと,つられるように「○○先生は,いません。」と,自校の職員に平気で敬称をつける学校も多いです。何度コールをしても出ないので,「今日は代休かなにかで休みなのかな?」と思ったころ,「お待たせしました」の一言もなく「はい。」だけで受け取られたことがあります。「しまった!かけ違えて一般のお宅にかけてしまったのか。」と思いましたら,ちゃんと学校にかかっていたことが分かり,ホッとするのと同時に情けなく思ったことも何度もあります。「今,よろしいですか」との雲泥の差に,深く感じるものがありました。
 ありがとうございました。

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