野口論文「伝え合う力」を語るvol.12ー2001年3月  

非言語コミュニケーション
北海道教育大学函館校教授    
         野口 芳宏

1 目は口ほどに物を言い

 
人と出合ったそのとたんに、私達はある種の判断行為を瞬時に行うものである。それは、好感、猜疑、警戒、受容、親和等々の感情的な反応であり、きちんとした言葉などにはならない言葉以前のいわばカオス的なものであるが、これは存外相手に対するかなり明確な印象形成をするものであって、それも長く消えずに残ることが多い。
 相手が一言も発しないうちにこっちはかなりの相手に関する情報を入手し、自分なりにそれを結論づけてしまう。我々には一般に「伝える」ということはすぐに「言葉による」と思いがちだが、実際の生活の中では言葉以外のその人のしぐさや表情、行動、服装、まなざしなどによっても大いに「伝え合う」ことをしている。「目は口ほどに物を言い」という古諺は実に的を射た言だ。

2 言葉にふさわしいしぐさ
 国語の教育ということになるとどうしてもすべての関心を「言葉」そのものへの関心を向けることに集中してしまいがちだが、それだけでは浅薄の謗りを免れないだろう。
 例えば「申し訳ありません」とか、「すみません」と言う時には、それにふさわしい「身のこなし」が伴わなければならない。語調も沈んで低くなる。これを傲然と胸を張って言い放ったら、それは詫びではなく「反抗」になってしまう。陳謝の心は伝わる筈がない。また、陳謝の心を持っていれば決してそうはならない。

3 言語人格の教育
 心理学の用語にセルフ・デフィニションというものがあるそうだ。「自己定義」と訳すらしい。すべての行動は、自分を定義するのだという意味だろう。二人で向き合って話している時に、ちらっと時計を見るのは、「そろそろ話を切り上げて別れたいなあ」というメッセージをそれとなく語っていることになる。話をしながら、ちらちらと外を見るのは「どうもこの話には身が入らないなあ」という心の内をサインとして提示していることである。
 どんな小さなしぐさであっても、それらの一つ一つはみんな自分を定義するメッセージだという考え方は、言語ばかりがコミュニケーションの具ではないのだということを的確に説明してくれることになる。
 言葉に重みや厚みや責任が伴ってこそ、その言葉は力を持ってくる。そして、実は言葉というものも、人間の具有する文化の一つに過ぎないのである。だから、言葉だけを教えればそれで言葉の教育ができるのだと考えるのは至って浅薄なことである。
 言葉の教育の本来のあり方は、心の教育や人間教育と決して切り離されてはならないのであって、それは「伝え合う力」についても全く同様である。私は、これからは「言語人格」という概念を国語教育の中に位置づけていきたいと考えている。非言語コミュニケーションをも視野に入れた学力論である。いずれきちんとした発言をしたい。

近況とご案内

 たくさんの方々に,私の小さな文章を読んで戴けて大変光栄です。有難うございます。心より御礼申し上げます。
 いよいよ,私の函館ぐらしもあと1か月足らずとなりました。退官を記念した出版をしたいと考え,秒読みの迫った日々を忙しく過ごしています。『国語人』の発刊をせねばと思いながら,目の先のことに追いまくられています。
 しかし,4月からは千葉県に戻り,かなり自由の身になれそうです。それからの時間は,主として執筆と出版,全国の若い先生方との勉強会への応援と出席,家庭人としての充実などに充てるつもりです。
 本画面をご愛読くださっている方の中で勉強会やイベントをやってみたいとお考えの方がいらっしゃいましたならば,どうぞ気軽にご一報ください。喜んで仲間入りをさせて戴こうと考えております。なお,今年度内はすでに余裕がありません。次年度からのことです。
 ご愛読に感謝しつつ近況ご報知まで。合掌。


感想・ご意見のコーナー

■ 横藤 雅人 (札幌市立北野平小学校) 

 私は生活科を中心に研究しておりますので,今回の「非言語コミュニケーション」については以前から関心がありました。「聞いたことは忘れる。見たことは記憶する。したことは理解する。」という言葉がありますが,非言語コミュニケーションでは,この「見たこと」「したこと」の大きさにスポットが当てられているのだと考えております。
 また,前の感想(http://www3.plala.or.jp/yokosan/nogutironbun-01-01.htm)でも書かせていただきましたが,「言語教育は言語人格の教育」という先生の主張には,全面的に賛成ですし,今後のご論文に大きな期待を寄せております。言葉は「ことのは」「言霊」が語源だそうです。その意味から,技術のみに走ったり,作品主義に陥ったりすることを避けて実践していきたいものだと常々考えておりました。

 この1年,野口論文を担当させていただいたことは,私の教師人生で最大の光栄でした。尊敬申し上げる先生から,直接いろいろご指導いただいたことは生涯の財産になることでした。心から感謝いたします。

   野口論文のトップページへ    

   「共に育つ」のトップページに戻ります