市電(No.12/28)通りをそれて細い坂道を上り、Castelo de São Jorge(サン・ジョルジェ城)入口に到着。ここはローマ時代に築かれた要塞で、その後の統治者たちにも使われ続けたのだそうだ。現在の姿はムーア人が改築したもの。確かに門構えにイスラムの風を感じる。
内部は公園になっていて市民の憩いの場といった趣。レストランのテラス席に落ち着いて、冷えた白ワインを(またもやまっ昼間から!)グラスで戴く。
映画の撮影中。左の木の向こうに座っているオジサンたちが役者さんだ。
合間に助監督(?)が帽子を手に見物人の間をまわって集金のマネを始めた。ひとり吹き出してしまった私を見て、彼はホッとしたというふうに苦笑い。他の人たちは冗談と受け止めていいのかどうか戸惑っているんだもの‥‥。
[写真左] サン・ジョルジェ城とアルファマの住宅街の間に位置するLargo das Portas do Sol(ポルタス・ド・ソル広場)。左手奥に先程訪問したサン・ヴィンセンテ・デ・フォーラ教会の鐘楼が見える。
[写真右] すぐ脇のMiradouro de Santa Luzia(サンタ・ルジア展望台)から眺める甍の波。そのAlfama(アルファマ)へ下りてみよう。
子供がサッカーボールで遊んでいる。階段の手すりを滑り降りては駆け上がる一団もいる。しかしそんな元気な子供たちを除けば昼下がりの町はひっそり静まり返っていた。
小さな八百屋、洗濯物のはためく窓、もう何十年もここにこうしてあったに違いない、慎ましい生活がある‥‥。
サン・ミゲル広場〜サント・エステヴァン教会〜クルーゼス小路‥‥とアルファマを歩き回ってポルタス・ド・ソル広場脇に戻ってきた。
[写真左] サンタ・ルジア展望台に建つ小さなサンタ・ルジア教会。
市電通りの坂を下っていくと、初代国王アルフォンソ・エンリケスの命により1147年建造されたSé de Lisboa(セ大聖堂)がある。
大聖堂には、祭壇、ステンドグラス、回廊‥‥と美しいものが数々ある。でも私は宝物館が一番印象深かった。
特に目を引いたのは、カトリック教会でよく目にする「聖体顕示台(Monstrance)」なるもの。1748年に時の王、Joao
V世が金細工師に依頼、José I.世が寄進したという。
大量の宝石がちりばめられているので、部屋の係のおばさまに「アレにはいくつの宝石がついているんですか?」と尋ねてみた。彼女は嬉しそうに「4170個もの宝石で飾られています‥‥」と話し始めた。「‥‥ルビー、サファイア、エメラルド、ダイヤなどといった貴石で、土台は金なんですよ。高さは94cmですけど金が17kg以上も使われているんです‥‥」
同じ部屋には他に欧州人(国は不明)の女性が2人。彼女たちもそばに寄ってきて3人でおばさまの解説を聞いた(とはいえ私が全部理解できるわけはないが)。
セ大聖堂のすぐ左手前に建つIgreja de Santo António da Sé(サント・アントニオ教会)。サント・アントニオはリスボンの守護聖人だ。
この辺りから市電通りをそれて川のほうに降りていくことにした。
見たかったのはこのCasa dos Bicos(くちばしの家)。1522年建造の邸宅だが、ダイヤモンドを象徴しているという凸凹の外壁で有名な建物だ。中は現在、イベントスペースになっているがこの日は準備中だった。並びにあったタイル工房でお土産のタイルを買う。
続いて近くのIgreja de Conceição Velha(コンセイサオン・デ・ヴェーリャ教会)へ。
でもガイドブックで見たファサードが見当たらない‥‥場所は確かにココのはずだけど、なぜ? ちょっと時間が遅かったので内部を見ることもできなかった。
この辺りはオジサンたちが軽く1杯やりながら食事が出来るような店もあり、庶民的な雰囲気が漂っていた。
それから川に面したコメルシオ広場に戻り、バイシャの各通りをウロウロしながらフィゲイラ広場へ出て、買い物などして、夕食に向かった。