9/5 Tue. 水銀鉱山とレースの町、イドリヤ part 1
イドリヤは水銀採掘で繁栄した町。1970年代に閉鎖されましたが、かつてはスペインのアルマデン鉱山に次ぐ世界第2の規模を誇っていたんですって! (午後の坑道見学で聞いた話)
 ※イドリヤ参考サイト↓ (英語/スロヴェニア語)
     http://www.idrija-turizem.si/english/
     http://www.rzs-idrija.si/
     http://www.burger.si/Idrija/Idrija.htm
9:35 川沿いに 102号線を南下中
9:43 Sp.イドリヤ通過
ファームからはイドリツァ川沿いに102号線をまっすぐ南下するだけ。
大きな変化と言えば、12kmほどで Spodnja Idrija という町を通過することと、その辺りから川が左側に移るくらいでしょうか。

出発から約20分で、イドリヤに到着。ドライブというほどの距離じゃないですね。
中心の広場 Mestni trg.
広場に建つ像
ざっと見たところ、中心部はさほど広くもなさそうです。メイン広場、Mestni trg.の奥にイドリヤ城が顔を覗かせています。裏手に見つけた公共駐車場に車を停め、歩くことにしました。
なんだかんだで10:10、パーキング
標識には2時間までって書いてあるみたい・・・ (推測です)
でもメーターや発券機が見当たりません。通りすがりの男性を呼び止めて尋ねたところ、どうやら訪問先の店などに一筆書いてもらう方式のようです。でもそんなアテがないですもんねぇ。
ま、2時間以内に一旦戻ればいいか・・・。
歩いて広場に戻り、まっずぐメイン・ストリートを城へと向かいます。なんと1901年、初のスロヴェニア語による教育を行う中学校ができたのがこの町なんだそうですよ。現在は先端企業などの工場もあるという話です。イドリヤってかなり重要な町なんですね。そのせいか公共施設もなかなか立派!
   メインストリート
     (右が市庁舎、その奥はレース学校)
市庁舎入り口
右の写真は市庁舎 (1898)、その先はレース学校 (1876) です。ここは古くからレースで有名な町でもあり、女子は今なお小学校の放課後にレースの授業を受けなければならないのだとか。
 ※イドリヤ・レース・スクール
      ↓  (英語/伊語/スロヴェニア語)

 http://www2.arnes.si/~gngjvege2s/cipka/
イドリヤ城、坂下より
さらに進んで、細い坂道を上っていくと城に到着します。
     城脇の坂道
正式名称はGewerkenegg城。ただし"城"といっても王侯貴族の居城だったわけではなく、1533年に鉱山の管理センターとして建造されたものです。現在は市営博物館になっています。登り切ったところに入口、その前にはパーキングがありました。
10:25 イドリヤ城、入口
中に入ると、右手に受付カウンターがあります。
入場料700 SIT (\440弱)を払い、教えられた入口へ。
城の中庭より
中庭を取りかこむ建物の、かなりの部分を展示に割いているようです。各部屋を順に回っていくと、様々な鉱石、水銀採掘の道具類、昔の写真、戦争の遺品、レース等を見ることができます。

         展示物の一部は、次ページでご紹介しましょう。
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美しく碧きスロヴェニア(出発、リュブリャーナ、ブレッド湖ほか)
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その地に生きた人々(イドリア、Cerkno)
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自然の造形、カルストの奇勝(鍾乳洞、洞窟城ほか)
>> chapter 3
Croatia
魅力いっぱいイストラ半島(内陸部、ロヴィニ、ポレチュほか)
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Italia
イタリアの端っこトリエステ(市街、ミラマーレ城ほか)
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リベンジと再会(ヴェネツィア~帰国)
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