9/5 Tue. 水銀鉱山とレースの町、イドリヤ part 4
食後、ふたたびスーパーまで歩いて、車の無事を確認しておきます。
     申し訳ないけど、もうしばらくココに置かせてね、スーパーさん(^^ゞ。

そのまま裏手にある銀行へ。2つ目で希望のATM (PLUS対応機) が見つかり、現金 30,000 SIT を引き出しました。明日、ファームを発つとき払う宿泊代を考慮して、少々多めです。
通りと川をはさんで、鉱山の坑道入口側から見た広場 (Trg sv. Ahacija)
さらに旧・中央広場まで戻ります。スーパーや銀行から500m といったところかな。
2時15分、ちょうど鉱山の坑道入口 (Anthony's Mine Shaft) の前で、ツアー時刻を再確認していたときでした。犬に餌をやろうと建物から出てきたオジサンが、
「見学かい? 3時からだからまだ間があるよ」
と声を掛けてくれます。
「では、そのころ戻ってきます」
「英語のガイドでいい? よし、英語、一名だね。時間通り始まるから、5分前にはここに来るんだよ」

これは予約したってことなのかしら (笑)
鉱坑入口の建物
とにかくまずは一安心。遅れるとまずいので、隣のカフェでヒマをつぶすことにしましょう。
鉱坑の横にあったカフェ
メニュー        .
カフェのテーブルにて
メニューのなかで最安だった白ワイン、Tokaj の 0.1L を注文。
  なんと 150 SIT、ユーロなら 0.63€。円換算すると \95ですよ!
店はなかなか盛況でしたが、ツアーの自由行動時間なのか、ほとんど一団体だったみたいです。


さあ、ようやく鉱坑の見学ツアー開始時刻となりました。

イドリアの水銀鉱山は1500年に開かれ、かつては世界第2の産出量を誇ったものの、1977年に閉鎖。現在は観光客に公開されています。前頁でも言ったように、ガイド・ツアーは10時と15時(※)、所要時間は約1時間半。
     ※土日は16時の回もあり
  ※参考サイト→http://www.rzs-idrija.si/stran4.htm
          http://www.showcaves.com/english/si/mines/Antonijev.html

扉が開いて招き入れられ、受付で 1,100 SIT (約\690)を払います。そのあと案内された部屋には、たくさんのジャケットが掛かっていました。
鉱坑入口
見学者用ジャケット  .
「これを着て。中は15℃だから」
オジサンが適当なサイズを選んで
渡してくれます。見回すと各種サ
イズが用意されていて、子供用も
豊富のよう。
続いてヘルメット。これまた大きさを見繕って頭に載せられました。
「これは事故があったときの安全のためね」
私の驚いた顔を見て、したり顔のオジサン。うっ、客をビビらせるお約束に、まんまとハマった?・・・苦笑を返すしかない私でした。
「彼が君のガイドだよ」
オジサンは部屋を出たところで、ツアー用とは色が違うジャケットを着た若い男性を紹介して、事務所に戻っていきました。
ヘルメット
今度はそのガイド君に従って廊下の突き当たりへ。重々しいアイアンのゲートがあり、その向こうはもう坑道です。
「これからシャフト内を約1時間かけて歩くツアーが始まります。そのあとフィルムを見て、全部で1時間半ほどかかります」
その直後、イタリア人観光客がぞろぞろ出てきました。30人?50人?とにかく大勢の団体。団体で予約をすればツアーのない時間帯に見学できるのでしょう。全員が出終わるのを待って、ガイド君と私がゲートの中へ。そう、なぜか今回、英語のツアー参加者は私だけだったんです。ってことは、マンツーマン・・・。

今や水銀なんて見たことがない人も多いかもしれませんね。常温で液体として存在する唯一の金属です。私にとっては身近にあった水銀というと体温計ですが・・・。また、水銀公害病である"水俣病"も思い浮かびます。
かつては重宝された水銀もその有害性から需要・産出ともに減りつつあり、世界最大だったスペイン・アルマデン鉱山が2004年に閉鎖。現在は中国やキルギスタン、アルジェリアなどで産出されているそうです。
そんな話を聞きながら、まずは水銀が自然界ではどんなふうに存在するのかを見ます。岩盤 (cinnabarと呼ばれる水銀の原鉱) にぽつぽつと丸い粒状の水銀が付いていました。ちゃんとガラスでカバーしてあるので危険はありません。

そこから先は人形を使って作業の様子が再現されていました。まずは防具類もなくハンマーだけを使うという原始的な時代。初期の坑夫は12時間/dayも働いたのだそうです。坑道を進むにつれ時も流れます。労働条件は少しずつ改善され、ドリルやダイナマイトを使用、マスクも着用するようになります。ガイド君曰く、
「落盤事故より水銀中毒の被害の方が大きかったんです」 とのこと。
終盤ともなると英国製のライト付きヘルメットが使われるようになりました。 これはフィルター入りマスクも一体になっていて、大きなバッテリーを自分で背負うという、かなり大掛かりなものです。

右は博物館にあった写真。こういう所を歩いたわけですが、ずっーと写真を撮りそびれてしまいました。どうも一対一だと遠慮がちになって・・・(^^ゞ。
ちなみに、坑道の壁も時代によって変化していきます。初期は固い岩盤でしたが、だんだん柔らかい場所を掘らなければならなくなり、丸太で補強するようになったのです。
坑道内の写真.
ミキサー@坑道内
左は坑道内で撮った唯一の写真で、中央にミキサーがあります。掘り出した不要な石をこのミキサーにかけ、ダクトで外に送ります。そのクズ石は坑道を補強するセメントとして再利用したという話でした。

中には電話もあります。古式ゆかしい代物ですが、現役だとか。
「今も何かあったら連絡できるようにね」
ここ、笑うとこですよ。一部の危険箇所はちゃんとツーリスト用に木材を補強していて、その奥にオリジナルの木が見えたりします。

だんだん下っていき、最後は一気に階段を上ります。これがけっこうキツイんです。ガイド君は、日ごろの運動不足がたたっている私にはお構いなし。その先にあるチャペルの前で待っていました。
坑夫たちはこのチャペルで一日の無事を神に感謝してから家路についた、との説明は息を整えながら聞くことに・・・。
そろそろ徒歩ツアーも終わりです。その証拠にガイド君からお決まりの一言。
「何か質問はありますか?」
来たーーーーーっ! だからマンツーマンは嫌いなのよ。説明のヒアリングだけなら不明部分をすっ飛ばして、なんとなく解った気にもなるというものですけどね。鉱山関連の単語なんて、自分の口から発するにはあやふやすぎ。
そんなようなことを言うと
「他に誰もいないし、ちょうどいいじゃない! 間違ってもいいから何でも言ってみて」
「うーん、いいわ、だいたい理解できたと思うし」
バレバレの嘘をついて逆に私が笑いをとったところで、終了としていただきました (^^ゞ。
フィルムを見る部屋
そこから見覚えのある通路に出て、入口に戻ります。 お礼を言ってガイド君と別れると、さきほどのオジサンがやって来てジャケットを返却。20分間のトイレ休憩を申し渡されました。

そしてジャケット部屋の向かい側にある広めの部屋に通されます。監督官の人形の前には椅子が並んでいました。
暗幕で窓が覆われ、スクリーンが出現します。観客は先に席に着いていた中年カップルと3人だけでした。
番号札
オープニングは、かつて
この部屋で坑夫たちの
点呼をとり、仕事を割り
当てる様子を撮影したモ
ノクロ映像。モノクロということは1960年代くらいなのかしら。働く男たちの出陣はとても凛々しく見えました。その後は写真や図を織り交ぜ、鉱山やイドリヤについて説明します。
←写真は、坑夫の出勤状態を示す番号札。
          このホールの壁に掛けられているものです。

徒歩ツアーもフィルムもとても興味深いものでした。この地に生きた人々を知る貴重な機会を得たという気がします。オススメ度・高!


メインストリートを少々ぶらついていると、レース屋さんがあったので覗いてみました。でも結局ここでは何も買わず、車に戻ります。
レース屋
レースのアップ
八百屋の店内
町には他に、見学できる坑夫の家や、他のシャフトを利用した技術博物館などもあるようです。
 ※どちらも詳細は↓イドリヤ市営博物館のサイトでどうぞ
    http://www.muzej-idrija-cerkno.si/
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Slovenia
美しく碧きスロヴェニア(出発、リュブリャーナ、ブレッド湖ほか)
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その地に生きた人々(イドリア、Cerkno)
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自然の造形、カルストの奇勝(鍾乳洞、洞窟城ほか)
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Croatia
魅力いっぱいイストラ半島(内陸部、ロヴィニ、ポレチュほか)
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Italia
イタリアの端っこトリエステ(市街、ミラマーレ城ほか)
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リベンジと再会(ヴェネツィア~帰国)
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