9/6 Wed. いずれは世界遺産? フラニャ・パルチザン病院 part 3
No.7 厨房棟
X線室裏の建物は厨房でした。
奥の小部屋は貯蔵室だったようです。
ドアの向こうが食品貯蔵室
傷病兵はもちろん医師やスタッフなど、ずいぶん大所帯だったことでしょう。その食事一切をここで賄っていたわけですね。
鍋はさすがに大きい
流し(?) と調理台
そのわりにシンクが普通の洗面台なのには驚きました。
厨房棟を隠すように配置されたL字型の建物 (No.8) には、食堂と負傷兵の病室があります。

No.9の建物も一部病室になっていますが、
中央は倉庫、奥は木工用の作業場です。
No9 倉庫・作業場・病室がある
左=No.8 食堂・病室、奥=No.10 スタッフ棟
倉庫の内部

スタッフ棟の外階段は
修復中でした。
スタッフ棟内の壁
スタッフ棟内部
No.10 スタッフ棟
電話もある
ここも2段ベッドが並んでいる点では一般病棟と大差がありません。ただし、壁面にはヘルメット、爆弾、電話などと、病室にはないものが置かれ、野戦病院スタッフの労苦が想見できます。


No11 浴室棟内
風呂釜
その先の浴室棟。2部屋それぞれにバスタブが置かれていました。
マップのNo.12はスタッフ棟の向かい側。建物ではなく、崖下に置かれたドラム缶でした。これは消毒釜として使われていたものです。
No12 消毒釜


No13 病棟外観
No.13も病棟です。他は負傷者用ですが、ここだけは病人を収容していたようです。


No15 発電小屋へ至る通路
最奥は発電機小屋です。本来はさらに上にも施設があるようですが、見学できたのはここまで。

見かけた見学者は他におひとりだけというマイナーな場所でした。でも本当に行って良かった。
各国の戦争博物館・歴史博物館などで遺品を目にするだけでも、兵士や戦火に巻き込まれた市民が、我々と何ら変わらぬ血の通った人間であったことを痛感させられるものです。でもこの病院跡はそれ以上に衝撃的と言えるでしょう。人里離れた山奥の硬くて狭いベッドで傷病に苦しみ、常に敵の脅威を感じながら生きた人々の姿が目に浮かぶよう。
さほど昔のことではないんですよね。電話もレントゲンもある時代、私にとってはほんの一・二世代前の話です。ぜひ後世にも伝えていってほしい遺産だと思いました。
今となっては一日も早い水害からの復旧を祈るばかりです。
入口で解説本(英語版) 700 SIT (\440弱) を購入し、来た道を戻りました。修復に従事しているのか、木材を担いだ男性数人が上ってきました。すれ違うとき「ハロー」と挨拶してくれた彼ら、この日の作業が水泡に帰すとは思いもよらなかったことでしょう。
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