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9/5 Wed. 古都ツェティニェ [3] |
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13:24 王宮入口ロビー
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ニコラ王の博物館(王宮)入口ロビーでは、1時半スタートの回だろうか、次の団体客がすし詰め状態で待っている。こりゃまたまた入り込む余地はなさそうだ。そこで向かいの民族学博物館を見ることにした。
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民族学博物館 (旧セルビア大使館)
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この民族学博物館、1979年の大地震まではニェゴシュの博物館とともにビリャルダ内にあったそうだ。現在は旧・セルビア大使館の建物を利用している。
かつての庶民の暮らしぶりがわかるので、個人的にはどこでも民族博物館を見るのが好きだ。ここはとりわけ各地の民族衣装コレクションが面白い。目を引いたのは、長い毛で全身を覆い尽くすコート。決してオシャレ用毛皮でないことは一目瞭然、クマと間違って撃たれそうな代物だった。他にも織物やレース、生活の道具、器具類、チェストなどの家具類・・・といったものが並ぶ。
団体客が来ないため落ち着いて見られるのもいい。空いているせいか、入場券売り場の女性が親切丁寧に "5ミュージアムのセット入場券※"を薦めてくれたから、特に心証が良いのかもw。
「国立美術館は観ちゃった」 と言うと、彼女は 「ニコラ王の博物館(5ユーロ)と、ここ(2ユーロ)だけで元は取れますよ」 と、さらにアピール。そうなると問題はニコラ王のほうなんだが、「1時の約束に遅れてしまったから入れないかも」 と危惧する私に、「2時に行けば大丈夫」 と太鼓判を押してくれたのだ!
※ 国立博物館・歴史部門、 同・美術部門、
ニェゴシュの博物館(ビリャルダ)、ニコラ王の博物館(王宮)、民族学博物館
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広場中央のイヴァン・
ツルノイェヴィッチ像 |
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13:39 民族学博物館となりの広場
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民族学博物館は、さらりと見るなら15分もあればOK。これはビリャルダを見る時間もありそうだ、と隣の広場を横切った。広場中央にはツェティニェに遷都したイヴァン・ツルノイェヴィッチ
(Ivan Crnojević) の像がある。
ビリャルダ (Biljarda, 1838年) は、ロヴチェン山に霊廟がある主教公、ペータル2世・ペトロヴィチ=ニェゴシュ(Petar II Petrović Njegoš、在位1830-1851)の邸宅として建てられた。主教は妻帯が許されないため子供がいないが、1696年即位のダニーロ1世からはペトロヴィチ=ニェゴシュ家が親族で世襲するようになっていた。ペータル2世はその4代目。屋敷の名は、彼の趣味でビリヤード室が設けられたことに由来するそうだ。
今もその部屋にはビリヤード台が置かれている。とはいえ、そこは聖職者の邸宅、総じてインテリアはシンプルだった。こちらも展示品を一点一点細かく見なければ、所要時間15分ほどで済む。
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ニェゴシュの博物館 (ビリャルダ) 入口
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13:59 ニコラ王博物館(王宮)前から見たビリャルダ
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ニコラ王の博物館に戻ると、今度は2時スタートの仏人団体がいた。彼らがガイドに先導され扉の向こうに進み始めたので、その流れに便乗して係員の元へ。
係員 「君は1時に来るって言ってたじゃない。もうダメだよ」
私 「遅れたので先に民族学博物館に行ったの。そこで2時に行けば入れるって言われて、セット券を買っちゃったし」
またしても食い下がってみるw。
係員 「じゃあこの人たちの後ろについて行って。英語ガイドはないけど、彼らと離れないように」
こうしてようやく入場を許され、大人しく最後尾について見学したのだった。
さて、ビリヤード好きぺータル2世の後を受けたのはダニーロ2世。彼は主教の座をすてて結婚したものの、モンテネグロ公を名乗って君主であり続けた。その後継者、ニコラ1世
(Nikola I Petrović Njegoš、在位1860-1918) が建てたのが、この王宮(現・ニコラ王の博物館)。1863年着工-1867年落成というから、日本では幕末にあたる時代だ。
騎士団のお宝イコン~修道院~ビリャルダ~王宮と、期せずして時を追って訪問したことになるね。
このニコラ1世の時代にモンテネグロ公国は王国に昇格する。しかし、第一次世界大戦中にニコラ王は亡命。戦後、王制は廃止され、後のユーゴスラビア王国に加わることとなった。つまり彼は、最初にして最後の王だったわけだ。
解説は仏語だからチンプンカンプンだったけど、外観のこざっぱりした印象とは違い、またビリャルダの質実剛健な雰囲気とも趣を異にして、内部は家具や調度品も含めてなかなかゴージャスだった。各国の王家に嫁いでいったプリンセスたちの部屋も可愛い。
最後に2階のサンルームに出てツアーは解散となる。そこから裏庭に続く外階段を下った。
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各国の美術館までの距離を記した道標
うしろは王宮の2階部分
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広場に戻って、そこにあった高~い道標を見上げてみた。
一番下には [ヴァチカン 586km] とある。さらに目を上に移すと、[ルーブル 1477km] [プラド 1907km] [メトロポリタン 7317km] [ウフィッツィ 672km] [エルミタージュ 2078km] ・・・。ああ、世界の有名美術館の距離と方向が示されているんだ。ま、まさか対抗意識? いや、ミュージアム好きへのサービスでしょうw。
このあと再び国立博物館に行き、歴史部門のほうを見た。古代の矢じりなどに始まり、地中海沿岸ではお決まりのアレキサンダー大王の横顔コインやら、オスマントルコ軍からの戦利品やら、第一次・第二次世界大戦当時の武器や写真やら・・・、様々な品が時代順に展示されている。
衝撃的だったのは、数本並んだ太い木の杭のようなものだ。そばに添えられた戦時中の写真で用途がわかった。目の前にある丸太が写真では土に突き刺さっていた。そしてそれにくくりつけられている人々・・・そう、銃殺刑のシーンだったのだ。思わず数歩あとずさり・・・。
バルカン半島は常に列強に大きく翻弄されたところなんだよね。第一次・第二次大戦ももちろんまっただ中にあった。そのことを視覚的に知ることが出来る、意味深い展示の数々だと思う。
各国の旧大使館や皇太子の宮殿などは、内部が見られるわけではない。だからそのままパーキングに戻ることにした。途中、車のメインストリートと平行するツェティニェ随一の繁華街と思われる通りがある。
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15:16 ツェティニェの繁華街? |
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車を停めたパーキングの突き当たりが繁華街 |
そういえばランチを食べていないんだなぁ。でもシエスタだからか、あるいはいつものことなのか、あたりは閑散としていた。営業している店がないわけじゃなかったけど、食欲もあまりないし、時刻は3時半近いし、帰って早めに夕食を食べるとするか。
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ここを左折 |
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15;23 緑地帯のある大通り |
たしかここ↑を曲がったはずと、来たときの記憶を辿りながら左折。そしてすぐ右折。そうすると到着時にも写真を撮った中央に緑地帯がある大通りだ。そこからすぐロヴチェン山方向に続く道も見つかった。あとは徐々に山を上がっていけばいい。