2011年5月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集

詩「原発がうずくまる」

万能書き出し(続々)

文庫本「賢治先生がやってきた」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2011.5.1
詩「原発がうずくまる」

原発がうずくまる

原発が一つまちがえるとうずくまるものだとは知らなかった。

1979年、スリーマイル島に 一匹の原発が きげんをそこね、
 あやうくうずくまるところだった。

1986年 チェルノブイリに一匹 原発が うずくまった。
 石棺に閉じこめられても、うずくまったままぶきみないのちを燃やし続けている。
 ウクライナの人たちは、四半世紀、そのぶきみさと神経戦を戦っている。
「人はいつまでも非常事態下では生きられない。
 非常を日常として受け入れるしかない」と。(※1)

2011年 フクシマに四匹の 原発が うずくまった。
 フクシマはうずくまられても困るのだが、(※2)
 一月たっても まったく先行きが見えない。
 狭い日本に四匹もうずくまられては、
 もう汚染水を未来の渚に放出するしかなかったのか。
 なんとかきげんの悪さをほどほどに手なずけ、
 非常を非常で治めるために、
 桜の花の満開の下、
 バッジ型の線量計と
 紙の防護服を身に纏ったグスコーブドリたちのはてしない苦役が続く。
 うずくまられる、というのは迷惑の受身だが、
 近隣住民の迷惑は、避難の大移動にはじまり、
 数秒から数万年に及ぶ半減期で壊れてゆくものが、
 神話のイメージでしか語れないできごとを引き起こしつつあるのか。
 立入禁止区域の静けさ、
 海側に津波の瓦礫が放置された国道を、
 くびきをとかれた黒い牛が群れをなしてさまよってゆく。
 鳥の声でも聞こえないか?……空耳でもいいから……。

※1、2011.4.20朝日新聞夕刊、「東日本大震災の衝撃 専門家に聞く」シリーズの今中哲二さんの記事(聞き手・ 小林哲)に引用されているウクライナ人研究者の言葉。
※2、うずくまられる、という言い方は迷惑の受身と称される表現ですが、 近隣住民にとっての事態は、 迷惑どころではなく、迷惑を超えて悲惨の極みです。


東日本大震災をどんなふうにとらえればいいのか考えあぐねて、この一月半はテレビ漬けの毎日でした。
とりあえずは、宮沢賢治さんに聞くしかないと、 先月号にインタビュー「東日本大震災について(宮沢賢治に聞く)」を掲載しました。
新聞や雑誌にもいろんな意見が載っていますが、励まし一辺倒で内容空疎なものが大半でした。 唯一心を揺さぶられたのが、NHKこころの時代「瓦礫(がれき)の中から言葉を」で、 辺見庸さんが東日本大震災について 語ることばや語り口、朗読された詩でした。
辺見庸さんは石巻の出身で、今も母親がそこに住んでおられるようです。だからでしょうか、 故郷を襲った今回の大震災を何とかして書くことで受けとめたい、 その一端を自分のことばで書きとどめたいという執念のようなものが伝わってくるの です。東北からは遠い関西で傍観しているだけの私などと真剣さがおのずから違っていました。 私も、自分としては、身内を亡くされた方たちなど、決して他人事としては見ていないつもりなのですが、 辺見庸さんの真摯なまなざしと、事態を深く抉るために引用されていた作家や思想家の多彩さにも圧倒されました。 さすがはプロと感心しました。
まあ、私としては、東北から遠く離れた大阪在住で、定年退職した元教師という ありのままの自分の立ち位置から考えるしかないか、と…… その割り切りによって出来たのが、上の「原発がうずくまる」です。
現実の悲惨さに引き比べてあまりに観念的と非難を浴びそうですが、現在起こりつつあることを自分なりに 捉えるための一つのイメージ作りだと寛恕願うしかありません。
原発のトラブルを「うずくまる」というイメージで捉えています。 そんなふうなイメージ化ではなく、巨大なものであるとはいえ所詮人間が造りあげたプラントなのだから、もっと 科学的な認識をもつべきだという意見もあるかもしれません。 しかし、3.11以後連続した原発事故をイメージ化すれば、どうしても実体のはっきりしないぶきみさが「うずくまる」と 表現するしかなかったのです。その「うずくまったもの」と、 これから十年、二十年といった長きにわたる神経戦を戦うわれわれの心構えのためにも。
これらのことをどう考えられますか。ご意見をお聞かせください。


2011.5.1
万能書き出し(続々)

先々月号、先月号の続きです。 以下、ちょっと戯作調で書いてみます。そのつもりでお読みください。 万能書き出しを発見したのです。万能細胞のように何にでもなりうる書き出しです。 それは、つぎのような一節です。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ある日曜日の朝のことです。
トオルくんが起きてきました。もうかなり前に食事を終えたお父さんは、居間で新聞を読んでいます。
トオルくんは、お父さんが座っているソファの肘掛けにちょっと腰掛けて、いつになくまじめな顔でたずねました。
「お父さん、夢でかけられたナゾナゾはとけるのかな」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
私は、さっそくこの書き出しが万能書き出しであることを証明するために、 詩「夢のなぞなぞ」短篇小説「夢の入口」(あるいは落語原案)を書いて先々月号に掲載しました。
続いて、先月号には、童話「おじいちゃんのなぞなぞ」を載せています。
今月号には絵本を掲載する予定でしたが、できませんでした。
そのかわりといっては何ですが、俳句ができました。

 春暁や夢のなぞなぞ解けぬまま

来月号には絵本を掲載する予定です。 脚本も予定しています。
ほんとうにそんなことが可能なのかどうかは、私にもわかりません。

今月号で、おなじ書き出しの三つの作品と一句が揃いました。短いものですので、 興味のあるかたはお読みいただけたらありがたいです。

詩「夢のなぞなぞ」(先々月号に掲載)
短篇小説「夢の入口」(あるいは落語原案)(先々月号に掲載)
童話「おじいちゃんのなぞなぞ」(先月号に掲載)
絵本「???」(来月号掲載予定?)
脚本(掲載未定)
その他
俳句 new(上掲の一句)


2011.5.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、 アメリカの日本人学校等で 上演されてきました。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、 一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。 手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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