雑 記 帳

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開設〜2002年前半の雑記帳

「ハリー・ポッターと秘密の部屋」を観てきた。故・リチャード・ハリス扮するダンブルドア校長ともこの作品でお別れかと思うと少し悲しかった。 子供達は大きく逞しくなり、スネイプ先生は相変わらずの美声で楽しませてもらった。
映画内容はさておき、映画が終わってエンドタイトルが流れ出すと、まだ場内は暗いのにさっさと席を立つ人が後を絶たないのは何故だろう。 英語だから何が書いてあるかよくわからないというのはあるだろうが、曲も流れているし、一本の映画にこれほど大勢の人が参加しているのねーと感心しながらぼけ〜っとスクリーンを 眺めるのが好きなわたしには邪魔でしょうがない。『そない忙しいんやったら家でビデオでも観とりぃや』と心の中で呟いてしまう。
”いらち”(せっかち)な人々が去り、そろそろエンドタイトルも終わって電気が点くな、と思っていたら、急にスクリーンが映像を映し出した。 おまけのようなちょっとした”オチ”だったが、得した気分になった。やっぱり映画は最後の最後まで観なくっちゃな。これからハリポタを観に行かれる方、最後まで席を立ってはいけませんよ〜。

2002.12.23

討ち入りからこっち、何かと忙しい日々を送っております。
13日は「ゼルダの伝説・風のタクト」(GC)の発売日だったので、14日から始めてしまったし、 ファイアーエムブレムはリセットの嵐だし、15日は子供会の焼き芋&豚汁会で、小枝と枯れ葉を集めて みんなでワイワイ、もくもく、ゲホゲホ、モグモグ、ぽかぽかで楽しかったけど、役員はやっぱタイヘンな トコロがあるし、図書館で「最遊記」を借りて来ちゃったんで読まなきゃいけなし、今日はコーラスグループの老人ホーム訪問があって、楽しく歌わせてもらったし、 何やかんやで時間はあっという間に過ぎ去っていくもんですね〜。

・・・一生懸命働いてらっしゃる方から見たら張り倒したくなるような優雅な生活。何ともすみませんです。 (これだから専業主婦は、何てひとくくりに言わないで〜。わたしが怠け者なだけで、真面目に一生懸命家事と子育てに邁進してらっしゃる方がほとんどなんですよ)

2002.12.18

本日で、ぱいんつりーほーむも丸一年を迎えました。
「隠れ家」の方も、何もない更地から、基礎ができて、土台がのって、壁を積んで、屋根を葺くところまで来ました。
 ♪夢はいつかほんとになるって誰かが歌っていたけど
 ♪蕾がいつか花開くように夢は叶うもの
 (ポケットモンスター「めざせポケモンマスター」より)
人の力って凄いです。実際に手伝ってくださっている皆さん、応援してくださっている皆さん、皆さんのお陰です。 ありがとうございます。

2002.12.14

やっとの思いで(笑)スーパーメトロイドをクリアした。記録、18時間55分。リセットの時間は入ってないので、きっと丸一日以上やってたんだろうな。 3時間以内にクリアしないと本当のエンディングは見られないとか。ま、今は止めておこう。
13日には「ゼルダの伝説 風のタクト」が発売だ。トイザラス・オンラインに予約したので、特典ディスクも一緒に送られて来るはずだ。 特典ディスクは幻の(?)64DD用に開発中だった「時のオカリナ」の裏版。ファミコンやディスクシステムの、クリア後のご褒美のようなものだろう。 ダンジョンが少しずつ変わっていて、エンディングまで遊べるらしい。本編の「風のタクト」もリンクが昔の東映漫画映画みたいで、 このキャラを動かせるのを楽しみにしているが、特典の裏ゼルダも楽しみだ。「ゼルダの伝説」だけは夫が買ってくれるので、妻子は手ぐすね引いて待っている。
・・・と言うわけで、13日以降、PCの前に座る時間がぐっと減るかもしれません。返事が遅かった場合、ああ、遊び呆けているんだな、とあきれててください。

2002.12.2

23日は児童館のお祭りだった。心配していた雨も降らず、それほど寒くもなく、まずまずのお天気だった。
出店したのはガラポンゲーム、松ぼっくりのクリスマスツリー、それに「たこせん」だ。 たこせんと言っても通じないかも、と言われて、ソースせんべいとして売り出した。一枚30円。最初はあまり売れなかった。 勇気ある子(?)が一枚買い、知り合いを見かけると声をかけて、ポツポツと売れ出した。売れる時はどっと売れ、売れない時はひとりの客もない。
10時半から始まって、2時終了予定。1時前には片付けを始めるお店も出てきた。これではいけないと、値段を下げて、一枚20円で販売。 これで何とか売り切れた。
えびせんべい160枚、とんかつソース750mlくらい、マヨネーズ700mlくらい、青のり40gくらい使用。
美味しいと言って何度も買いに来てくれた子供がいた。「えらい関西風なん出してるねー」と声をかけてくれた人がいた。嬉しかった。 役員は面倒だが、楽しい事もある。さぁ、今度は打ち上げだ。気分だけは豪華にイタリアンでも食べましょう。

2002.11.26

米映画俳優のジェームズ・コバーン氏が昨日亡くなられた。どの映画に、どの役でというはっきりとした記憶は無いのだが、とにかく画面に映ると目が離せない役者さんだった。 声がまたいい。低く、でも明瞭で、この人の英語なら聞き取れそうな気がした(気だけだが…)。日本語吹き替えの声優さんは小林清志さん(この人もいい声だなぁ)。 「電撃フリント」('66、'67 コバーン氏の初主演作)をビデオ屋さんで借りてこよっかな。 ご冥福をお祈りいたします。

2002.11.20

ねこぢるの「ぢるぢる日記」をめくっていて(この人の漫画は読めない…まともに読むと胸と頭が痛い…。合掌)夭折の漫画家さんだったなぁと思った。
花郁悠紀子も夭折の少女漫画家さんだった。呆れるくらい細い線で、透明感のある絵だった。(実家にプリンセスコミックスの花郁作品が全部あるハズなのだが、最近見てないなぁ) 「フェネラ」('77)が好きだった。萩尾望都の住み込みアシスタントをしていたことがあって、波津彬子が妹さんだったとは知らなかった。
三原順も若くして亡くなった漫画家さんだった。彼女の描く世界は当時のわたしには難しすぎて、でも惹かれていた。その独特の描画とセリフ回しに。
「赤い風船のささやき」('74)が最初に読んだ三原作品だった。”みんなが右に行くから右に行くの。みんなの行く方が正しいの?”確かこんなセリフがあったような気がする。 そして「はみだしっ子シリーズ」('75〜'82)。小心で変わり者の学生だったわたしの気持ちを代弁してくれているような漫画だった。
何故か家にあった「サイボーグ009」から始めて、初めて自分で買った週刊少女コミック。そして別冊マーガレット、リボン、花とゆめ、LaLa、ASAKA、少年ジャンプ、チャンピオンと、 今まで数々の漫画を読んできたが、結局わたしという人間の根っこの部分には、萩尾作品と共に、花郁作品や三原作品が埋まっているようだ。これはもう取り外せない。 良くも悪くも一生モンのわたしの一部。全部ひっくるめてわたし。実は、結構気に入っている。生まれてきて良かったなぁ。(おとーさん、おかーさん、ありがと-☆)

2002.11.18

昨日、今日と、音楽会付いていた。昨日は小学校の音楽会。今日は市の音楽会。
小学校の音楽会はホールを借りただけのことはあり、小学生もやるなぁ、の素晴らしい出来映えだ。 リコーダー、ピアニカ、鉄琴や木琴、小太鼓やタンバリンといったお馴染みの楽器で演奏される「イン・ザ・ムード」 (グレンミラー物語(1954年 アメリカ映画)の挿入曲)は秀逸だった。子供達は年々リズム感が良くなっているのかもしれない。(ちょっと羨ましい)
今日の音楽会はつくば市の29団体(個人含む)が参加した。わたしが所属するコーラスグループも例年通りの参加だ。 こちらはリズム感のいい子供達とは違って、いい加減頭の固い大人達。それでも、今までの人生経験を生かして(笑) 恋の歌を情緒たっぷりに、歌えたかどうかは聴衆に判断を仰ぐことにして、何にせよ、楽しかったのは確か。 少々の音外しは勘弁してもらおう。(でも、本当はごめんなさい。次回こそもっと練習します・汗)

2002.11.10

勤労感謝の日に児童会まつりというのがある(らしい。参加したことはない)。そこにチビが入っている親子体操のクラブも出店するということで、
「何がいい?」という話になった。”くじびき””まつぼっくりクリスマスツリー”は決定した。
「あとひとつ何がいい?」というので、
「”たこせん”は?」と聞くと、一瞬場が静まった。
「何それ?」というワケである。
「ええぇ、わからへん?たこせんべい」。知らない、の顔である。
「だからぁ、大人の顔くらいのある”おせんべ”にたこの型押しとかしてあって、ソースとマヨネーズと青のりがかかってるだけのやつ」
「ああ、ソースせんべい?」。・・・ここいらではそう言うのか・・・。
さすがにたこの型押し付き大判せんべいは無いだろうから、おおきなせんべいならOKと言うことで出品決定。 そして、当然の様に”たこせん係り”が回ってきた。う〜ん、食べたことはあっても作ったことはないねんけどなぁ・・・。
ま、難しいことではなし(綿菓子に比べたら)、何とかなるだろう。100枚くらい売れるかな。

2002.11.1

PTAの大きな行事が終わった。焼きおにぎり300個。豚汁200人分。レンコンとこんにゃくのきんぴら100人前・・・・。20人一班で 大人も子供もワイワイ作った。食べ物行事だと参加者が多いというのは本当だった。
出来れば、もう役員はやりたくない・・・。(でも、またやっちゃうんだろうな。イヤと言えない気弱な奴。 でも、役員もそれなりに楽しいしなぁ。ま、いっかぁ)
何のかんのと言いつつ、やってしまう自分がケッコウ好き♪

2002.10.9

つくば祭りの本部はまだ完全に片づいていなかった。
 「ふつうになってきたね」
 「?」
 「まだあしばあるけど」
息子よ、5歳の子は普通”足場”なんぞという言葉は知らないんだよ。ましてや ジャングルジムを足場になぞらえるのはよそうよ。来年、幼稚園に行って他の子と話が合うのだろうか・・・。

2002.9.27

運動会は結局15日に順延となり、天気も何とか持ってお陰様で無事終わった。
九月の雨は暑気までも流し去ってしまったようで、金木犀が香り、秋刀魚が美味しくなり、昼間でも半袖ではいられなくなってきて、 季節はすっかり秋だ。
食欲の秋、芸術の秋、大工仕事の秋・・・。岐阜の隠れ家は22日に無事棟を上げることができ、一安心。 あとは垂木を打ち付けて、面戸板、波風板を取り付け、捨張板を張って、桟木、スタイロフォーム、野地板、アスファルトルーフィングの上に屋根材を打ち付け、 軒先ひも材の施工を済ませて、妻壁を張って、コーキングして、塗装すれば外部は一応終わり。。。。。書いただけで目眩ものだが、何とかなるさっ!
あと、電気配線とか、コンポストトイレ設置壁の製作とか、風呂場の壁、天井張りとか、いろいろあるけど、今は考えない。あ、いや電気配線だけは 素人で出来ない(屋内配線は素人でもいいらしいが)から、頼んでおかないといけないなぁ。家一軒、いろいろあらぁな。

2002.9.27

天気ばかりは如何ともし難く、やはり運動会は順延となった。
中止(順延)の場合、6時過ぎから連絡網を回すとのことだったので、今か今かと待ち構えていたのに、電話は一向に鳴らない。 仕方がないので弁当を作り、子供を学校へ送り出した。PTA役員なのでわたしも8時半には学校へ行き、 グランドに降る雨を恨めしげに眺めながら最終決定を待った。最終決定は9時過ぎ。結局順延。
ピクニックテーブルを用意していたお父さん、場所取りシートを広げていたお母さん、孫の活躍を期待してやって来た お祖父さん、お祖母さん。みなさんお疲れ様でした。
明日は出来るかなぁ。はぁぁぁ・・・・。

2002.9.14

明日(といってもあと30分もないが)は小学校の運動会だ。
5、6年の子供達の表演はコンストラクション。つまりは組立体操だ。そういえばわたしもやった覚えがある。 チビだったので下の支える役をやったことがなく、いつも上の方へ恐る恐るのぼっていた。 背中でみんなの体重を支えていた人は楽しかったのかな。子供達の練習風景を見て、何となく思った。
明日は晴れるかな。晴れなくても降らなければいいな。

2002.9.13

少年野球チームの応援に行ったことがある。(当番だというので仕方なしにだが)
味方チームの守備の回、ベンチに残ったメンバーはピッチャーに「ピッチャー入るよー!」と声をかける。 もちろんストライクがズバッと決まれば「ナイスピッチング!」(ナイッピーと聞こえる)だ。
岐阜で慣れない大工仕事をしていて、桁や梁を壁の上に収める時、なかなかすっとは収まってくれないので、 カケヤ(大きな木槌)であて木をしてガンガン叩く。ほぞ穴や継ぎ手に少しずつ収まってくる。 そうすると周りの人間は「入ってるよー!」とカケヤ係りに声をかける。「一回に5ミリ位ずつ入ってる」 「あと一回!」汗を流し、声をかけ、仕事が進む。
少年野球でピッチャーに声をかけるのも、素人大工がカケヤ係りに声をかけるのも根っこは一緒だと思った。 大仕事をしている人に声をかけ、緊張をほぐし、適度のプレッシャーをかけ、自分も集中できるってワケだ。
声を掛け合うことで困難な仕事もスムーズに進めることが出来る。きっと大昔、マンモスを狩っていた時も声を掛け合っていたんだろうな。

2002.9.2

しん「ほんま、人間ってゆーのはたいしたもんやな」
ふく「何をしみじみ言うてんの?」
しん「10センチと30センチの角材が4.4メートルやで」
ふく「だから何やの?」
しん「これを2メートルちょい上に上げるわけや」
ふく「ちょっと、何言うてんのかちゃんと説明してぇや」
しん「そやから、梁や。4メートル以上ある梁を人力でのせたんやで」
ふく「それがどうしたん?」
しん「あんた見とったんとちゃうん? それってすごない?」
ふく「よーわからへんわ」
しん「もぉ、これやから・・・ぶつぶつ。ま、ええわ。何にせよ上手いこといったんやから」
ふく「そやね。確かにみんながんばってはったわ。怪我ものおて良かったし」
しん「うん、うん」
ふく「ウチの出来ること言うたら変な奴が入って来んよう見張ってるくらいやけど、これからも頑張らさせてもらうわ」
しん「うん。頑張ってな。水槽から出られへんワシの分まで」

しん(まゆん家のカメ)と、ふく(まゆの姉ん家のイヌ)の会話より抜粋(笑)。

というわけで(?)「隠れ家」は、重たい梁ものって、次回より屋根に取りかかれそうです。

2002.8.27

21日は地域のお祭りだった。子供会代表としては張り切らざるを得ない。模擬店で、綿菓子、ビール、枝豆、ジュースを売った。
小さい頃、綿菓子の自動販売機(?)というのがあって、20円か30円を入れると綿(あめ)が出始め、それを割り箸で巻き取っていった。 なかなか難しいもので、ちゃんと均一に巻くのは至難の業。それでも自分で作る綿菓子は楽しく、美味しかった。
しかし、売るほどの綿菓子、である。味は問題ない。材料はざらめ糖だけなのだから、誰が作っても同じ味である。問題は量と質。もしくは見栄えだ。

割り箸を割って右手で構え、回転ガマを回してざらめをおちょこ一杯分くらい入れる。 出てきた綿(あめ)を割り箸で大きく巻き取り、形が出来てきたら一箇所で割り箸を回して巻き取っていく。割り箸は立てずに寝かして巻き取るといい。 周囲と、特に回転ガマの周りに綿(あめ)をくっつけないように気をつける。
これが、横浜のテキ屋のにぃちゃんに習ったというおじさんが、実演しながら教えてくれた技である(この通りだったかあまり自信はないが)。が、教えて貰った通りに出来るはずもなく、綿(あめ)はくっつきまくり、 機械を止めてあめを取り、また回しての繰り返し。
綿菓子を求めるお客さんの行列ははるか後方まで伸び、夜7時閉店の予定が8時過ぎまでもつれ込んでしまった。行列の最後尾は1時間半待ちだったそうだ。申し訳ない。
後半は綿菓子製造エキスパートになったひとりの方にお任せして、声を嗄らして残った枝豆とビールを売りさばく。お祭り終了時までには何とか完売に持ち込めた。
お祭りは楽しい。見ているだけでも楽しいが、参加するともっと楽しい。綿菓子製造器のフードに張り付いて、綿菓子が出来る様子を見つめている子供を見ると嬉しくなった。 ただ、来年もするかと聞かれれば、もっと簡単なのにしましょう、と答えたい。ふぅ。

・・・・・関西では「わたがし」だが、関東では「わたあめ」らしい。飴には違いないんだろうが、何か違うなぁ、と関西人の独り言・・・・・

2002.7.23

ニンテンドーパワーが終了してしまう。ローソンのロッピーでゲームの書き換えが出来るあれだ。8月31日で終了するそうだ。
カートリッジに最初に入れた「伝説のオウガバトル」がまだ終わってない。終わったら「ファイアーエンブレム・聖戦の系譜」を入れようと思っていたのに、これはタイヘン。
というわけで「伝説のオウガバトル」(SFC版)の続きをやっている。う〜ん、難しい。64版の方が簡単だったぞ。でも、8月末までになんとか終わらそう。マップはあと5つくらいだ。
GB版の方も書き換えしておかないといけない。「カエルのために鐘が鳴る」を入れとかなくっちゃ。他にも楽しそうなのがあるのになぁ。
9月1日からは任天堂の支店営業所で書き換えするってことだけど、行けるものでなし。折角丈夫なハードを作ったんなら、ソフトの供給ももうちょっと続けて欲しいな。
SFC、64、64DD、GC、GBポケット、GBカラー、GBA、実家にあるFCも含めてみんな現役なのに、ソフトが消えていくのは悲しいな。
任天堂さん、もうちょっと何とかなりませんかねぇ。

任天堂さんのHPに書き換えのお知らせがあります。最寄りの「任天堂お客様ご相談窓口 ニンテンドウパワー係」に送ればいいらしい。 ファイアーエムブレム紋章の謎も、聖戦の系譜(結局オークションで購入した)も両方終わったらトラキア776に書き換えよっかな。取り敢えず良かった。

2002.7.9 / 12.23追記

自転車大好き人間である。片道1時間程度の距離なら平気で自転車で行く。子供用自転車というのは買ってもらえなかったから、小学5年生の頃から大人用の自転車に乗っている。
自分で初めて買った自転車はウェルビーというメーカーの26インチ軽快車。電気関係が弱く、しょっちゅうライトが切れて困った。
この自転車は3年ほど乗って人にあげ、ミヤタの27インチシティサイクルというのを買った。大事な通勤車である。週に一度梅田へ出るにも使うのだから ちょっと奮発して(当時で5万円以上したはずだ)ライトとカゴのオプションも付けた。「シロコちゃん」という。
以後17年間、実に良く働いてくれた。転けてもぶつけても壊れることなく走り続けてくれた。
結婚して子供が生まれてからは少し様子が変わった。子供用の椅子をシロコちゃんには付けられなかったのだ。仕方なしに夫のママチャリ「みどレンジャー」を借りて 子供用の椅子を取り付けた。そして、シロコちゃんは夫の通勤車となった。シロコちゃんは乗り手が変わっても真面目に仕事をこなし、雨が降らない限り往復7kmの道を 黙々と走り続けた。
都合4回の引っ越しに耐え、20年は乗れるかと思えたシロコちゃんだったが、最近はさすがにガタが来ていた。先月末、パンク修理をしようとして誤って チューブに修復不可能な穴を空けてしまい、チューブ交換の手間と費用を惜しんでとうとう廃車する事にした。今はひっそりと駐輪所の隅で 粗大ゴミの日を待っている。お疲れ様。本当に良く頑張ってくれた。君は本当に役に立つ良い自転車だったよ。ありがとう。

2002.7.4


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