編集後記



ひさびさに店のホームページを全面リニューアルをしました。
初めてホームページを立ち上げたのが1999年12月。必要があり急ごしらえで作成してから何だかんだあり、ホームページに失望していました。当時はホームページを持つ「街の電気屋さん」はあまりなく、電気メーカーのHPも大したコンテンツのないページだけでした。
開設当初はスタイルシートというものもなく知識もないので「ホームページビルダー」というIBMのHP作成ソフトを使い作りましたが、いやはや時代が進むのは早く、「WordPress」なるものでかっこよくプロ並みのページが出来る時代になりました。

しかし、偏屈ものの私は時代に逆行してあえて手作りにこだわり「ホームページXX」なる陳腐な(ソフトメーカーに申し訳ない)HP作成ソフトで作っています。時代のギャップは大きく、私が作るとセンスのないものになってしまいました。技量の限界と言うべきか。

当店のバックヤードにはウクレレが2本置かれています。私が時折時間外に弾くために置いてあります。ウクレレとの付き合いは2010年からになる。鷺山さんというお客様がウクレレで弾いていた「A列車で行こう」がやけにかっこよく、牧伸二のウクレレしか知らなかった私を虜にしました。鷺山さんは2011年に亡くなられましたが、若い頃はJAZZのベーシストをやっていたそうです。
ウクレレの催しを国内・海外で積極的に主催している関口和之(サザンオールスターズ)もベーシスト。同じ4弦なので通ずるところが多いのかは分かりませんが、ウクレレでJAZZやボサノバができたらいいなとハマリ始めました。
その鷺山さんの愛用していたウクレレを形見としていただき、バックヤードに置いてあります。私の心の師匠です。

下のウクレレが鷺山さんからいただいたもので、国産のFamaous(フェイマス)のソプラノウクレレでした。かなり古いもののようです。
本人は「安物だよ」といっていました。「FU-120」というモデルです。戦後ハワイアンの第一次ブームがあり、その時の国産ウクレレのようで12フレットの仕様です。(現在のウクレレはほぼ14フレットでボディに接合されていて、さらに4フレットほどサウンドホール近くまであるので18フレットあります。)

現在のFamaousのウクレレも所有していますが、それに比べるとかなり素朴な造りで多少フレット音痴ではあります。
Famousはハワイアンブームが廃れて、ウクレレメーカーが廃業するなか唯一ウクレレを作り続けてきたメーカーで現在の第二次ウクレレブームにオータサンからの指摘でウクレレの完成度をあげてきました。ジェイク・シマブクロの登場で現在の第二次ブームが訪れ、ソロ楽器としても楽器としての完成度を上げ、現在は国内のビルダー達の高品質なものから、安価な中国製まで豊富に販売されるようになりました。

そんなFamousの原型とも思われるモデルです。

     




 本人が自分で作った「千社札」が
張ってある。鷺山さんは「千社札」
の手書き原稿を作成する仕事をし
ていました。




店にはウクレレ2本しか置いていませんが、実は家に置いているものを含めると7本になります。
ウクレレがうまいわけでもないのに、最近の中国製のウクレレは値段の割にフレット音痴もなく、音の良いものが増えてきています。
以前は最低でも30,000円以下のものはおもちゃと言われていましたが、最近はコンピューターで製作しているのか、KAMAKAのボディカーブや胴のふくらみなどをかなり忠実に再できているように思えます。仕上げはイマイチであるものの、6,000円位のものでも結構使い物になります。恐るべし中国であります。
そんなのをネットで見ていると、その安さと評価からつい「プチッ」としてしまい、増えてしまったという訳です。
しかし、ウクレレはたのしいものです。ハワイアンは全くやリませんが、興味があったら店に来たときに合い言葉「ウクレレありますか?」と聞いてみて下さい。

ウクレレファンとの出会いを待っています。