(2003年1月〜4月)
Sorry,Japanese Only.



4月

4月30日(水)
「織り句 かつお」
かがり火と
鼓や笛が
治める心

 薪能(たきぎのう)をイメージして作った句です。
 かがり火のもと、鼓や笛、能にひきこまれ、波立った心が静かになっていく様子を表現してみました。


4月29日(火)
「織り句 かつお」
影つくる
月明かりなく
追われる二人

 この句は、筋肉少女帯の「恋人よ逃げよう世界はこわれたおもちゃだから!」という唄をイメージして作りました。んで、これは、大槻ケンヂ氏が、江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」という小説をイメージして作った(と思われる)詩です。私も、この小説を読みました。

叶えましょう
ツバメが運ぶ
王子の幸福
(童話「幸福の王子」より)

 最初は「帰らない ツバメが運ぶ 王子の宝石」と作ったのですが、上記のように作り直しました。
 金と宝石で作られた銅像の王子が、自分の身体の金を剥がさせて、貧しい人々に、ツバメに運んでもらう、おはなしです。最後は、宝石の目まで取って、運ばせます。目の見えなくなった王子は、街の様子を、ツバメから聞くのを楽しみになりました。ある日、ツバメが王子に、お別れを言いました。ツバメの声が聞こえなくなったので、王子は、ツバメは南の国に行ってしまったのだ(ツバメは渡り鳥だから)と判断します。しかし、王子のそばには、寒さに耐え切れず、遠いところへ行ってしまったツバメが…。
 にゃーすさんから送っていただいた講談のテープ「大阪弁の王子/神田陽司」が、この句を作らせてくれました。感謝。


4月25日(金)
 不愉快なことがあってので記する。
 23日、あまりにも右ひじが痛いので、鍼灸で治療をしてもらう。
 治療中、先生に「腕を曲げ初めは痛くなくて、途中が痛くて、曲げ終わると痛くないんですよね?」と聞かれたのですが、私が、やっぱり痛いなぁ等、ぼぉーっと考え事をしていて、「は?」と聞き返したら、「これ以上簡単に説明できないんだけど、わからないかなぁ」と強い口調で言われた。
「もう一回、言ってみぃ?」または「よぉ聞こえんかったのぉ」って言おうか、治療を中断して帰ろうかと思いましたよ。
 今度、オレさまに、そんな口、きいてみぃ。二度と…(以下省略)。
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 今日は、ベースを弾かないで(3日間)様子をみた結果を治療院に電話報告する。少し痛みがなくなったような気がするけど、やはり痛い旨を伝える。
「なるべく間をあけないで治療したほうが良い」って言われたけど、金銭的な理由もあって、そんな頻繁に治療をうけられないから、「すぐには行けない」と伝えたら、「私は、どうでも良いんですけどね」だとよ!
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 某友人に、(意図的に)グチったら、「先生のお母上が入院中」との情報をいただきました。
「カルシウム不足かも。食事とかその他いろいろの事でストレスがたまっているかも。それはそれとして本当に許してやってくださいませ」とのことです。
 確かに、先日は、なんかイライラしてるなぁとは感じました。それでなくても、私の治療は「難しい」って言ってたこともあるしね。どうやっても肘が痛い私に対してと自分の(治療方向?)に対して困惑していたのかもしれません。また、こんなことがあっても、本当に治療を中断して帰ったりしませんよ。そう思った…ってことです。
 常に完璧な人間は、いないけど(キャプテン・フューチャーは別です)、弱っている患者に対して、やつあたりは、いけませんなぁ。


4月24日(木)
 ここ一週間、近所の猫(私は勝手に「がっちゃん」と呼んでいる)に餌付けしている。今日は、友達の三毛猫ちゃんも連れて来てくれました。たはぁ。
 窓の隙間(10cmくらい。他の猫を見ると、網戸に突進してしまうから大きく開けられないのだ)から外を見ている我が家の猫が、興奮して部屋の中をグルグル歩き始めると、家のそばに猫がいるサインである。雄猫の時は、身体(尾も含む)をふくらませる。
 玄関を開けて、外を見ると、やはり、がっちゃんが来ていた。最近は、私の顔を見ると、甘えたように鳴くようになった。近所に、まるわかりだい。少しでも近づくと、威嚇される。うれしいのか?うれしくないのか?先日は、そぉっと手を近づけたら、パシっと叩かれてしまった。ひどいやぁ。
 煮干をあげても、私が見ている間は食べないのだ。一度、1m程逃げてからエサに近づいてくる。
 がっちゃんに餌付けして部屋に入ると、我が家の猫(PON)が、ものすごく寂しそうな顔をして、私を見上げた。
 PON、ごめん!がっちゃんに餌付けして、つい、うれしそうな顔をしてたよ、私。
 PONからは見えなくても、自分以外の猫をかわいがっているのが、わかったんだよね。不安になったんだね。
 決してPONを嫌いになったとか、そういうんじゃないんだ。がっちゃんを見ると、こうやってPONにも、ごはんあげたりしてたなぁ。PONは、最初から愛想良かったよなぁ。昔のPONとの関係を思い出してしまって、うれしくなるんだよ。
 こんなことがあるからか、最近、とっても甘えっ子になったPONなのである。
 がっちゃんも、玄関前で、大きな声で鳴かないようにね。老猫のPONを刺激しないよう、よろしく頼むよ。


4月17日(木)
 突然、右ひじに激痛が。
 ガスコンロにかけた やかん を持ち上げたら、いってぇ〜。
 原因不明。医者嫌いなので、病院に行きたくない。医者を信用してないから、私。特に整形外科。レントゲン撮って、痛み止めの薬と湿布を渡されるだけだもんねぇ。信用できないできない。


4月9日(水)
「織り句 ぬくい」
脱ぎ捨てよう
くだらないままじゃ
イヤだから

 お題の「ぬくい」は、難しかった。結局、1句しかできなかった。
 今回は、あえて、全て否定的(?)な言葉を使って、前向きな句を作ってみた。
「脱ぐ」「捨てる」「くだらない」「イヤ」。できれば、句に使いたくない言葉だけで、逆転の句ができて、ちょっと満足している。


4月1日(火)
 今朝のTVニュースによると、政府は、来年から、国民の祝日を増やす目的で、ゴールデンウィークを、飛び石連休にならないように、完全に一週間と定める方針だそうです。

 今日は、エイプリルフール。
 だまされてくれた人、ありがとう!



3月

3月某日(?)
「私は、タマネギが嫌い」と言ったら、
「犬みたぁい。ははははは!」と笑われた。
 犬を飼っている人から言われ、絶句してしまった。
 犬は、タマネギを食べると貧血になるから、食べさせてはいけないのであって、「嫌い」と違うでは?
 私はタマネギを食べるし、タマネギの甘さも知ってるし、美味しいと思う。味噌汁やカレーや肉じゃがのタマネギは、美味しいと思う。でも、苦手なのだ。
 特に、生の、水にさらしてないタマネギがダメ。噛んだ瞬間、ジョリっとして、臭みが口いっぱいの広がるのがダメなのだ。
 難しいのは、ポテトサラダ。タマネギの香りがあったほうが美味いと思う。自分で作るときは、おろしタマネギを、ひとつまみだけ入れる。


3月16日(日)
 鎌倉に行ってきました。
 朝4時起床。どんなに早く起きようとも、いつもとかわらず朝ごはん(ご飯と味噌汁。果物付)は食べる。
 仙台6時4分発の新幹線に乗って、江ノ電に乗って、鎌倉に梅を見に行ってきました。
 江ノ電サブレって、藤沢で買わないと、鎌倉駅では売ってなかったんだよね。前回、鎌倉に行ったとき学習したハズなのに。購入は次回ということになりました。
←本覚寺(ほんがくじ)の「しだれ梅」です。門の脇に、ひっそりと咲いていて、奥ゆかしくて良かったです。私たちの他に、この梅を見に来ている人もいなくて、それが、またよかったりします。満開を過ぎていましたが、それは、それで良かったです。梅は、桜のような派手さや妖艶さはないのですが、そこが私は好きです。

 この寺のそばの「おにぎり屋」さんで、はやめの昼食。店内で食べることができます。
 味噌汁と漬物とおにぎり3個で700円。
 店内で、おにぎりを一口食べた瞬間、「これ、電気炊飯器だね。お釜で炊いたごはんじゃないね」って、鎌倉旅行の同行者に言ったら、「黙って食べなさい」と叱られてしまいました。相手も、あ、炊飯器のごはんだ…って思ったんだろうね。
鎌倉のマンホール発見。→
 この写真からは、見えにくいと思いますが、「消火栓」と書いてあります。イチョウの葉とユリと、もうひとつは、なんだろう?源平沼かな?

←宝戒寺(ほうかいじ)の梅「想いのまま」です。信頼ある情報筋によると、鎌倉で3本しかないそうです。この梅が見たくて、今回、鎌倉に行ったようなものです。

どうして、この梅が見たかったのかと言うと、私の好きな漫画家の市川ジュンさんの「風の杜夜話」(鎌倉が舞台)に、この梅が出てきたんです。
「風の杜」というレストラン(喫茶店?)を、鶴岡八幡宮のそばで見つけたりして。

「枝ごとに色違いの花をつける。紅と白と絞り。そして、その色違いの花は、毎年、違う枝に咲く」…想いのままに。
見とれてしまって、いつまでもいつまでも見ていたい梅でした。
桜吹雪は体験あるけど、梅吹雪は、初めてで、桜より情緒があって好きだなぁ。

 ここまで来たのだから、と、鶴岡八幡宮へ。
 鶴岡八幡宮に近づくにつれ、人と車が多くなり、ちょっと、うんざりする。前回、行った時も混雑していたから、予想していたけど、次は、ここを避けて見て歩こうと誓う。


 鶴岡八幡宮の本宮は、(屋根の)葺き替え工事中で、階段を上って上まで行けませんでした。
 ぼたん庭園は、閉まっていて見ることができませんでした。花期が4月上旬からなのですが、ワラ囲いの中で咲く寒牡丹が見たかったなぁ。
 混雑する(お決まりのコース)小町通りを歩く。酒屋で日本酒を購入。
 昼食は…、毎度、同行者と意見が合わず。私は、目的地に着いたら、まず腹ごしらえをする。ちゃんと座って、こういう時は3000円位出しても良いから(うーむ、5000円までなら出そう。ただし、事前調査は、する)、ゆったりと食べたい。だけど、同行者は、こういうのをイヤがるのだ。3000円も出すのは、もったいないとか。歩きながら、こまこまと買い食いするのが好きなのだ。まんじゅうだ、だんごだ、コロッケだ。んで、結局14時頃に腹が減って、どこか店に入って食べようって思い、店を物色しているうちに時間だけが経ってしまい、お店は昼休み(休憩)で閉まってしまうことが多い。ここで、毎度、険悪なムードに。今回も、そんな雰囲気になりかけました。観光地だから、美味い店はないだろうと覚悟していたけど(鎌倉に失礼な発言で、すみません)、適当に入った店は、予想とおり、がっかりの味でした。2000円の定食を頼んだら「てんぷら、刺身、焼き魚、どれにしますか?」って聞かれたから、即答「焼き魚」を注文しました。鎌倉だから、干物とか出てくるのかなぁと同行者と楽しみにしていたら、銀むつ(切り身)の照り焼きだった。煮物(かぼちゃ、里芋)と味噌汁と漬物と饅頭。この店もまた、メシ(白米)がまずい!鎌倉の人は、みな、こんなマズイご飯を食べてるの?と心配してます。これで2000円は、高い!観光地だから、あきらめるしかないのかねぇ?

 鎌倉から新宿へ。ちょいと買い物(日本酒、他)をして、17時前には東京駅に到着。
 東京17時36分発の新幹線に乗るためにホームに行ったら、すごい混雑。どこが列の最後尾なのか見当もつかない状態。駅の係員は、いないし。列車を待つ間、列が分裂し始める。我先に乗ろうと、乗り込みやすい場所に移動し始める人々。それを見ていた(身動きがとれない)人々からは「ずるいぞ!」「ちゃんと並べ!」「みんな同じように待ってるんだぞ」と罵声がとぶ。ふと、まわりと見渡せば、われ先に乗ろうとギラギラした目つきばかり。列車の車内清掃後、ドアが開いたら、4方向以上から乗客が殺到。「あれぇ〜、助けてぇ」と、Maxやまびこの下の車両へと、人の波に押し流される。しかし座席に座れず。このままの状態だったら、仙台に着く前に死ぬ、もしくは、吐く。この車両から降りよう。出たくても、次々と人が乗ってくるし。車内は、出る人と乗る人で、一時、パニック状態になり、出るに出られず。1分程、この状態が落ち着くまで待ってから、車両から抜け出す。
ここは、本当に日本なのか?中国ではないのか?
 持っていた切符で、2回まで無料で指定席がとれるので、指定席をとるために、一度、改札を出て、みどりの窓口へ。指定席は最終便しか残っていなかった。グリーンはあったが、追加で4000円程支払わないといけないそうで。なんのために格安チケットで来たのか?グリーン席もパス。とぼとぼと、駅ホームへ戻る。
 もう「18時16分のMaxやまびこ」まで待つ!
 おかげで、仙台まで座って帰れました。
 東京から来た けめるいさん と仙台駅で待ち合わせをしていたのに、そんなこんなで、予告していた新幹線に乗れず。けめるいさんを(寒い中)待たせてしまいました。
 ようやく、けめるいさんに会えました。今度は、ゆっくり会えるといいね。

 鎌倉は、曇っていて、予想していたより寒かった。でも、仙台よりは、暖かい。
 梅もきれいだった。
 けめるいさんにも会えた。
 今日は、良い日だった。


3月11日(火)
 非常識だぞ。>佐川急便
 布団に入って、本を読んでいたら、 23時10分に電話が鳴った。
 だれだ?こんな夜に。

「もしもし、佐川急便です」

なに考えとんじゃい!今、何時だと思っとんじゃ!>佐川急便

電話に出たんだけど、二階にある電話は、故障中だったことを忘れてました。相手に私の声が聞こえないのだ。相手の声は私に聞こえるけど。

 以前、22時頃、佐川急便の同じ配達人から電話があって、「今から荷物を届けたい」と言われ、ま、起きてるから良いか…と荷物を受け取ったことがある。だけど、今回は、23時過ぎである。前回、受け取ってくれたから…と甘えた考えで電話したのかもしれないけど、訪問する時間帯では、ないだろう?この人、配達の要領が悪いみたいです。配達しきれずに、こんな時間になったのかもしれないけどね。慣れてくれば要領がつかめるだろうと思っていたけど、あいかわらず要領が悪いみたいです。
 この故障中の電話機のおかげで(?)、電話に出なかったことにしよう…と、電話を切ってしまった私だ。トラックで、近くまで来ていたのかもしれない。電話が通じなかったと判断したのか、玄関のドアのベルは押さずに帰ったみたいだ。


3月9日(日)
「織り句 おりく」
追い風が
林道ぬけて
くすぐる岬

 昨日、雄勝町の葬儀に参加しました。電車で石巻(石巻からは、タクシーで雄勝町に行くのだ)に行くまでに作った句です。雄勝の岬には、林道を通って行きます。林道を抜け、岬に出ると、目の前に大海原(太平洋ですね)が広がります。その感動を句にしてみました。下の句の「くすぐる岬」ができずに、ちと苦労しました。どうやったら、目の前にぱぁっと広がる海を表現できるだろう、と。私は、息をきらして岬に駆け上がると、途中で私を追い抜いていった風が、岬を撫でて、すでに海の上を走り去って行ってしまった。私は、汗をぬぐうのも忘れ、風と海を見つめていた。
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 昨日の葬式は、大変に疲れました。ぐったりです。
 亡くなった夜から、毎日(連日連夜)、親戚や近所の人たちで、宴会だそうです。
 葬儀のあとには、「精進落とし」という、料理ふるまいがあります。それが終わらないと、葬儀全て終了しないんです。葬儀は11時〜でしたが、9時前には集合です。開放されるのは夜です。12時間後位かな?もう、ダラダラと延々と宴会です。うんざりです。
 しかも、ふるまい料理は、食べるためのものではなく、見るための料理なんです。これだけ、豪華に、お金をかけました…ってみんなに見せるためです。
 一口くらいは、口にできるのですが、あとは、海に捨てるのだそうです。捨てるための料理です。その捨てるための料理を親戚や近所の女性たちは、5日間くらい延々と作り続けるのです。いまでも、そういう風習がある地域があることじたい、驚きでした。
 私は、そんな非常識なこと(失礼)、知らなかったし、前回の葬儀の時、朝から何も食べていなかったので(親戚の葬儀なので、かけつけたら、私の分の葬儀後のお膳の用意がされていなかった。はっきり言って、いじわるされたってことですね)、ハラがへってハラがへって、精進落とし(すでに夜)をバクバク食べてしまったら(まわりの人たちは、箸をつけないので、変だなぁ?と思ったけど、空腹には勝てなかった)、あとから、食べてはいけない料理と聞かされて、びっくりしました。
 故人のため…というより、義理や見栄だけの葬儀の意味って、なんなのか?お金が動く行事が、冠婚葬祭しかない貧しい村だとして、だ、大昔なら、そういうことでも通用したかもしれないけど、今もそういうやりかたが必要なのかな?と疑問だらけです。
 ま、私の父も、どちらかというと、金をかけて、兄弟や他人から「立派な葬式だった」と言われて優越感を感じるみたいですから。そうでもしないと、他人から尊敬してもらえない、というか、そういうことを自慢する感覚が、理解できません。
 田舎だから、都会だから…は、あまり関係がないと思います。比較的、田舎が無駄な金をまく葬儀が多いようですが。私の母の実家は、辺ぴな(失礼)村ですが、「葬儀は質素に、位牌は小さく、墓は建て替えない」と決められているそうです。死んだ人にお金を使っても無意味。生きている人のほうが大事。先祖を大切に思う気持ち、拝む気持ちが大切なのだそうです。こんな両親なので、なにかにつけて対立するのは、しかたがないことですよね。
 私が死んだら、密葬。義理や見栄だけで来てもらいたくない。戒名もいらない。りっぱな墓も不要。遺灰は、どこか旅先にでも、各地に少しずつ撒いてもらえればいいです。できたら、「七つの海」にお願いします。てへへへ。旅費は、えーと。
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 後日、四九日の法要がありました。行った人の話によると、11時〜の法要なのですが、やはり今回も9時まで集合。法要後、ダラダラと宴会。夜20時30分に、やっと開放してもらえたそうです。
 法要だから、そんなに遅くまでやらないだろうと言って出掛けたようですが、なんのなんの。雄勝町は、雄勝式というものがあって、常識が通用しないのです。お金と時間の使い方が、間違っとりゃせんか?
 一周忌、三周忌、…、いつまで続けられるか、楽しみじゃのぉ。わしゃ、行かんけどな。


3月6日(木)
 掲示板(ぱぶりっくはうす)に、うれしい情報が書き込まれました。
 愛用している、ナショナル温水式衛生洗浄器(シャワクリーン:VI-210S)の水漏れの原因であろうパッキンの情報です。ありがたやありがたや。近日中に、そのパッキンを入手したいと思います。
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石やんさんからの情報です。
品名:容器用Uリング
品番:PVI120210
希望小売価格:300円(税別)
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 さっそく、ナショナルの相談センターに電話してみました。在庫があるかどうか確認したかったのですが、「近くの電気店に注文すれば、在庫があれば取り寄せられるし、なければ、取り寄せできない」という(マヌケな)答えが返ってきました。
「在庫があると確認できれば、(電気店にて)注文するし、在庫がなければ、注文しない。だから在庫確認がしたいのだ。在庫がないのであれば注文するイミがないのでは?」と、つっこんでみましたが、ダメでした。
 あなたは、電気店の人か?一般の人(一消費者)か?と聞かれました。それが、どうだっつーんだ?
 在庫確認は、時間が遅いので、できないとのこと。明日の朝9時すぎであれば、在庫の確認できるそうなので、明日、電話してくれ、とのこと。
 送料がかかっても良いから送ってほしい、とも言ってみましたが、これもダメでした。結局、そういうことって面倒くさいんだよなぁ、って、口調で、わかったよ。
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 今は、使う直前に、タンクに湯を入れて、入れた湯を使い切る…という方法で、しのいでいます。インド製のバケツが大活躍です。そのパッキンが入手できれば、こんなうれしいことはありません!
 もし、パッキンの在庫がなかったとしても、情報提供をいただけただけでも、本当にうれしいです。ありがとうございます!
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 その後、某大型電気店にて取り寄せをお願いしました。その場で、在庫があるかどうか確認がとれて、後日、入手いたしました。どうも、ありがとうございました!


3月5日(水)
 洗濯物を干そうと、外に出たら、ゴミが落ちていたので拾った。
 よく見ると、郵便局のKHさん宛ての「不在連絡票」だった。
 KHさんって、ダレ?知らんなぁ。最近は、引越ししてきても挨拶に来ないから。右隣も左隣も表札を出さないから、苗字も知らん。
 そして、これは、ゴミなのか?ゴミじゃないのか?どこかの郵便受けから落ちて風で舞ってきたのか?
 とりあえず、郵便局に電話をして知らせておこう。拾ったものとして説明したのに、私の住所を聞かれ、「お調べしますので、お待ちください」と、電話を保留(オルゴール)にされてしまった。
 おい!私は、そのKH宛ての郵便物の行方や、無事に届いるかどうか知りたいんじゃないわい!おたくらが届けたのかどうか、自分とこで調べて処理してほしかっただけじゃい!私に教えて、どうするってぇんだい?融通のきかないやっちゃなぁ。
 このままオルゴールを聴かせられるのは腹立たしいので、こっちからブチッと電話を切ってしまった。いつまで保留にさせられるかわからなかったし、その電話料金は、こっちで払うんだかんね。
 んで、もう1本記載されていた電話番号に電話をしたら、さっき電話に出た人と同じ人がでた。
「その郵便物がKHさんに届こうが届くまいが、私には全く関係のないこと。私は、知りたいとも思わない。私に教える必要あるのか?そっちで勝手に調べて処理しろ。届けてなかったら、届ければ良いし。不在連絡票が落ちてから電話したまで」
 と、記載されていた問い合わせ番号と不在だった日付を言って、電話を切った。
 なんか、私は、親切だったのか、いじわるなのか、わからない行動であった。
 知人に言わせると、今回の件は、私の二面性が良く表れているそうで…。親切心と攻撃性。


3月1日(土)
 午前中、玄関のベルが鳴った。ドア越しからの「どちらさまですか?」の問いに無言だったので、玄関を開けなかった。
 郵便配達人だって、バイクの音等でわかってたけど、返事がなかったので、開けなかった。
 以前も、同じことがあって、「どちらさまですか?」って位、大きな声を出さないと、聞こえないみたいです。バイクのエンジンも止めずに、しかもヘルメットでは、こちらの声が聞こえるワケねぇだろが!
 ピンポン押すんだったら、バイクのエンジンくらい止めろっつーの!
 改善しろ!配達人の教育しなおせ!郵政局!
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 あ、ついでに言うけど、ピンポン押して、すぐにドアノブをガチャガチャとひねって開けようとするのやめろ。>日通のペリカン便&読売新聞勧誘員&灯油配達人



2月

2月23日(日)
「織り句 へいわ」
平板に
幾重の感謝
「わだばゴッホになる」
(棟方志功の言葉より)

 どうしても、棟方志功の言葉「わだばゴッホになる」を使って一句作りたくて、ちと苦労しました。
「平面」「経てもなお」「幾多の天女・菩薩・情熱・生命(いのち)吹き込む」「今なお鮮烈」「線」「みぞ」…。散々ひねくりわましました。棟方志功は版画だけではなく、絵(肉筆)も描いた人でした。天女や菩薩だけ描いていたのではないし。彼は、平板を「ありがで、ありがで(ありがたい、ありがたい)」と感謝しながら彫っていました。映像を思い出しました。「幾多の感謝」ではなく、あえて「幾重の感謝」としました。やっと句が完成して、締め切りに間に合って、うれしいです。


2月22日(土)
「織り句 へいわ」
平安の
いにしえの春
ワープする

ページから
痛みあふれる
勿忘草(ワスレナグサ)

 この句ができる前の晩に夢を見ました。知人がピアノを弾いてました。なんて素敵な曲だろう(もう思い出せないメロディ)。曲名を尋ねると、「いにしえ」という曲だよ。「いにしえ」という曲かぁ。ここで目が覚めました。すぐに「いにしえ」で一句できました。ありがたい夢でした。
 次の句は、青春のほろ苦い思い出をイメージして作りました。学生時代に読んだ本を開いた時、ちょっとだけ苦しくなる。そんな句です。本に挟んでおいた思い出のワスレナグサが落ちてきた。一瞬にして、自分が過去へと引き戻される。しまっておいたはずの痛みが、溢れ出て、自分では止められない。そんな句です。「色あせて出てきた」→「痛みあふれる」と変わっていきました。


2月21日(金)
「織り句 へいわ」
ペガサスが
憩う湖
ワンダーランド

平凡な
生きかた譲れず
別れ路(みち)

 最初の句は、「ペガサス」「平原」と「ワンダーランド」ができたけど、中の句ができなくて、ちと苦労しました。SFちっくだけど、とっぴでない風景にしたかった。馬は「駆ける」イメージだよな。でも、ペガサスは、翼があるんだから、飛べよ。えーと、飛ばせないでおくには、「憩う」にして、さて、どこで憩わせよう…、4文字で…。動物は、水を飲んでいる時、のんびりと憩うよなぁ。川だとファンタジックじゃないし。花が咲いていて、憩える場所。「湖」となりました。
 次の句は、「平凡」「別々」、「渡し舟」「渡り鳥」「別れ路」が先にできて、「いつしか」「生き方」を「求める」→「認める」→「選ぶ」→「譲れない」と言葉が変化していきました。どんな恋でも、いつか終わりがくるのだ。でも、その終わることだけを意識しながら生きるのではなく、別れる路の先は、お互いに、明るいものにしていこう。そうでなければ、この恋の意味がないじゃないか。


2月19日(水)
「織り句 へいわ」
ベーシスト
いつも へなちょこ
ワンパターン

 この、へなちょこベーシストとは、私のことです。とほほほ。この句は、すぐに、できました。


2月13日(木)
 蛍光灯のヒモが切れた。
 さぁ、バイトにでかけよう!と、蛍光灯を消すためにとヒモを引いたら、根元(?)からブチッとヒモが切れた。帰宅する頃は真っ暗なので、今、ヒモをつけておかないと、困ることになるぞ。バイト先に、遅刻する旨を連絡してから、ヒモつけ作業にとりかかった。
 天井から蛍光灯をはずして…。あれ?ドライバーで開けないとダメ?
 開けてびっくり、そこは、昆虫の墓場でした。ぎゃぁ〜!みな、ミイラになっとる!新聞紙敷いといてよかったぁ。
 ここの穴にヒモを通せばOKだな。ふふふ。楽勝。ドライバーで蓋(?)を閉じて、天井につけて、ヒモを引っ張ってみても、電気つかず。ヒモを引いても、カチカチと音がしないのです。
 むむ?
 もう1度、蛍光灯を天井からはずして、ドライバーで開けて(墓場再確認)。ひょっとして、ここの穴にもヒモを通せばよかったのかも。ドライバーで蓋(?)を閉じて、天井につけて、ヒモを引っ張ってみても、またもや電気つかず。
 むう!
 もう1度…(同上)。やはり、電気つかず。
 約1時間蛍光灯と格闘。
 こういうトラブルは、絶対に経験済みであろう妹に電話で聞いてみる。期待とおり、経験済みであった。その妹が言うのは、
「寿命」
 とのこと。
 妹の貴重なアドバイスのおかげで、ふっきれました。新しい蛍光灯を買う!
 バイトの帰り、ラオックスにで、蛍光灯を買う。2400円。んで、タクシーで帰ってきた。
 他の蛍光灯を見ると、なにか金具のようなものにヒモがついているんですね。外からでも見えるこの金具が、どこかに、ぶっ飛んでしまったようです。こんな小さな金具のために、新しい蛍光灯を買うハメになろうとは。予想外の出費である。
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 冷静になって考えてみたら、二階の蛍光灯を一階につけてもよかったんだ。5年以上も、二階の蛍光灯なしで生活してたんだし。二階は寝るだけの部屋なので、蛍光灯を使うことは滅多にないしなぁ。しばらくは、枕元にある蛍光灯だけで充分だったかも?
 二階の蛍光灯は、なんと、ヒモを引いたら、本体ごと天井から落ちて破壊したのだのだ。まるでコントのようだけど、本当だよ。怖かったっす。あ、天井は落ちてこなかったので、安心してください。え?天井も落ちたと思った?そんなぁ、まさかぁ。


2月7日(金)
「織り句 へいわ」
平静さ
いくつになっても
忘れずに

 バイト先での昼休みに、ふと思いついた句。標語みたいですよね。「平静さ」にしようか「平常心」にしようかと考えましたが、平常心って、相撲の勝利者インタビューで関取が使う言葉だよなぁと思い出し、「平静さ」にしました。



1月

1月30日(木)
 とんでもないヘマを!
 私のバイト先には、


簡単に説明すると、2種類の通帳がある。

←AとBである。
 売上金は、一度「B」に入れる。それから、(売上金の一部を)BからAに振り込むのだが、なんと、今日、なにを勘違いしたのか、売上金を全額、直接「A」に入れてしまったのだ。ものすごく、あせりました。
 伝票を書くときに気づけよ!私。
 窓口で入金したので、すぐに行員に頼み込んで、訂正してもらいました。今後、このような間違いをしないよう気をつけようと思います。
 銀行の方、ご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。


1月24日(金)
 家族とストレス。
 家族って、あったかいものなんだろうなぁ。みんな、良いなぁ、普通の家族で…。と思っていたら、そうでもない家族(ごめん)もあったことに、少々ほっとした。うちみたいな家族以外でも、悩んでいる人は、いるんだよね。世界中で、私だけが悩んでいるとは思っていなかったけど、あんまり、こういう家族っていないだろうと思っていたから、うれしい(ごめん)ような、勇気づけられたような。
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 昨日の続き。
 このさいだから、ぶちまける。
 そんな母は、家に遊びに来た私の友達のウケが良かった。私の友達が帰ったあと、私の友達をボロクソに言う。反論しようものなら、「あんたの友達に出したお茶は、誰の金で買ったと思ってる?沸かしたお湯のガス代は、誰が払うと思ってる?誰が建てた家に遊びに連れてきたと思ってる?」「へぇ、あんた、私に意見するの?意見できる資格あると思うの?」「あ、具合悪い。私が病気になったのは、あんたのせいだからね」と、散々…。この事実を知らない友達は、今でも「峰ちゃんの楽しいお母さん元気?」って聞いてきますよ。はぁ。
 子供を無視したり(廊下ですれ違うとき、「ふんっ」と言って顔をそむけられる)、バカ呼ばわりしたり(小学生の時、父には「お前はバカだ。学校なんか行くな。お前のようなバカは高校行かずに働け」と言われ続けた)、人間扱いしないのは、虐待なんじゃないのかな?って感じることがあります。
 夫婦の不協和音のストレスを子供にぶつけるくらいなら、さっさと離婚すりゃ良いのに!
 中学生の時、この家にいたら、私はダメになる。私は私でなくなる。どうすればいいんだろう?私の人生、このままで終わらせたくない。グレたり死んだりしない。自分で自分の明るい未来をつかむ。そのためにも、自分自身をしっかり持ち続けようと誓ったね。それに、グレたり死んだりしたら、「私の育て方が悪かったのだ」と泣くであろう母を想像すれば、悲劇のヒロイン気取りの母に同情が集中。私の葛藤など気づきもしないだろう。母に世間の同情を集めさせたりしない。グレたとしても更生すればしたで、母が世間に自慢するだろう。そんなこと、させん。グレたり死んだりできないんだから、生きるしかなかろう。あ、すげぇ、ひねくれてるよね、私。
 20歳過ぎてから、冷め切ってるくせに、仲良い家族を演じるのに疲れ、父になにげなく洩らしたら、いきなり殴られたこともあります。怒鳴ったり、殴ったりすれば、相手が萎縮して、自分の思うように動かせると思うなよ!軽蔑するぜ!
 私は、母から「妹は、良い子だ。だれかさんと違って良い子だ」と聞かされ続けた。でも、「二人を比べて育てなかった。大事に育てた」って言われて。大人は、自分の都合の悪いことは、全て忘れてしまうんだなぁって、あきれたよ。最近では、「自分たちの育て方に間違いなかった」という始末。いまだに、私を人間扱いしてないくせに!
 両親に私の気持を理解してもらおうと思っていません。とっくに、あきらめました。
 そんな両親でも、自分の両親。まぎれもない事実なんです。尊敬はしていないが、育ててもらったことには感謝している。その葛藤というかストレスというか。つらいです。


1月23日(木)
 妹が会社をやめたらしい。
 妹が、勤めていた会社をやめたらしい。3年以上勤務していたかな?
 職場でいじめられたというか、後から入社してきた1人の女性からいやがらせを受け続けていたらしい。精神的にまいったようで、病院から薬を処方されていたそうだ。ま、(娘贔屓の)母親からの情報だから、どこまでが真実なのか不明だが。
 いじめ貫いたその女性は、鼻高々であろう。目障りなやつを消し去ったんだから。おーほっほっほ!と高笑いしてるであろうのぉ。
 でも、その女性だけが、悪者なんだろうか?
 なぜ、妹は、そこまでがんばり続けたんだろうか?追い詰めたんだろうか?
 休みも取らずに(取れずに?)、常にイライラして。親の誕生日や記念日等に電話やメールもする余裕すらなくなる程。結果的には、親に心配かけ続けてまで、がんばる理由は、なんなのか?
 一人で全て背負ってしまうのは、どうしてなのか?
 病院の先生には「(原因となる)仕事をやめれば、良くなる」と言われたそうだけど、また仕事(就職)をすれば、同じことの繰り返しなんじゃないの?またがんばり続けるの?なんでも引き受けるの?また薬に頼るの?そして、また仕事をやめるの?
 私は、5年以上も脱毛症に苦しめられて、考えたね。どうして私が脱毛症になったのか。脱毛症になったのは、すべて相手が悪いんだろうか?原因は、相手にもあったかもしれない。でも、問題は、自分の中にあったんだよ。妹に、そこに気がついてほしいな。
 母に、「妹がそこまでがんばる理由を、自分自身で見つけないかぎり、同じことの繰り返し」と言ったら、怒られたよ。
「あんた、本人に、そんなこと言ったの?言わないでしょうね?!悪いのは、あの女だ。あの女が来るまでは、楽しく働いていたんだ」
 そうだろうか?みんながみんな、その女性のせいなのかな?
 どこの職場でも、自分よりちょっとできる人に対して、妬んだりひがんだりする人はいるんじゃないの?私は、ラッキーにも、そういう職場で働いたことないけど。ただし、変な派閥や面倒なライバル意識は体験したよ。
 母の「娘がかわいくて、娘の味方になりたい気持」は、なんとなくわかるけど、はっきり言って、間違った「かわいがり方」だと思うよ。娘がまだ小学生なら、そういうかわいがり方でも良いのかもしれないけど、もう大人の人間に対する接しかたじゃないと思う。もう、母は、妹のことで頭がいっぱいみたい。私がなんとかしなきゃ、私が助けてやらなきゃ、ってね。燃えてましたよ。それって、実は、迷惑な勘違いなんだよね。
 親は、いつまでたっても親、子供がかわいいのだ、と言うけど、「かわいがる」のと「子供であっても、一人の人格ある人間として対等に接すること」は、全く違うこと。母は、娘を、自分の所有物として愛でているだけ!娘を、人間として見ていないのだ。私がこの歳になっても、どれほど苦しめられていることか。今でも、母は、私を一人の人格ある人間として接してくれないのだから。
 実家にいたとき、私は、一人の人格ある人間として見てもらったことがなかった。人格を否定され続けた。生きている存在さえ無視されていたような気がした。父からはバカ呼ばわりされ続けた(からかい半分で言われていたのではなく、本気で、憎しみがこもっていた)。母中心の生活。母のご機嫌次第。私には、母に意見する資格と身分なし。自分の意見を言うことは許されないのだ。ささいなことで怒鳴る父。両親の不協和音。そのとばっちりで、生意気な私に対する叱り方が厳しかったと思う。両親からのやつあたりもあった。母から無視されたり。子供の頃から、両親が険悪な雰囲気になりかけると、私がおちゃらけて、その場をなごませたり。親(&他人)の顔色を伺いながら生きていくのが染み付いちゃって。本当につらかった。
 そんな両親でも、親は親。私なりに、両親に、なんとか自分を認めてもらいたい。でも、いくらがんばってもがんばって、両親は、私を誉めてくれない。そのまま大人になった私は、誰かに認めてもらえるよう、必要以上に限界以上に、がんばってしまうようになった。もうダメだ〜、限界だよ〜、もうがんばれないよ〜って、身体(髪の毛)が、訴えたんです。それが、5年以上も苦しめられた激しい脱毛症。そんな自分に気がついてからは、ありのままの自分で良いんだ。私は私らしく私として生きて良いんだ。認めてもらおうと作為があっては、良くないんだと考えられるようになった。
 だけど、偽りの(仲の良い)家族を演じるのがイヤで、実家に帰るのが憂鬱。だから滅多に帰らないし帰りたくない。
 両親が、車で、時々、野菜等を持って来てくれるんだけど。来る時間が近づくと、動悸がしてくるのだ。胸の辺りが苦しくなって、「お前は人間じゃない」って認めさせられそうで。両親は両親なりに、私のことを心配して、来てくれるのは、ありがたいこと。でも、正直に言うと、気が乱れ、体調が悪くなるのだ。一度、母が帰ったあと、巨大なストレスで、吐いたこともある。この事実を両親は知らないだけに、うーむ。
 うまく言えないけど、私を生んで育ててくれたことには感謝している。が、尊敬はしていない。今でも、苦しめられていることに対して、両親を許さない。でも、感謝の気持は、持ち続けているし、言葉や態度や行動で示しているよ、もちろん。
 笑ったのは、ちょっと母の機嫌を損ねることを言ったら(私が自分の意見を言っただけなのに)、「あ、そう!なら、あんたから一切手を引くからね!」って言われた時。手を引くってなんだ?手を引くって?
 あと、「次の見合いで結婚しろ。とにかく結婚しろ。結婚しなかったら、お前を殺して、自分も死ぬ!」って言われた時は、本当に困ったよ。結局、結婚しなかったけど、殺されなかったよ。
 母は、一生、気づいてはくれないだろう。
 他人に弱みを見せるな!他人に自分の悩みを相談するな!そう言い続けて私たちを育てた母。
 そんな母から娘に、「人は弱い生き物。弱みを見せないように生きるのは、難しい。一人でがんばろうとするな。一人で抱え込むな。苦しい時は苦しいと認め、他人に助けを求めよ」と言ってもらえたら。これからの妹は、もっともっとラクに生きられるだろう。
 たぶん、プライドの高い母からそんな台詞は出てこないだろうけど。
 だから、妹よ、自分自身で、その答えを見つけるしかなんだよ。
 私は、見つけたよ。
 がんばらなくなった。ラクになった。生きているのが楽しくなった。感動できるようになった。幸せに生きていけそうな気がした。
 そう、こんな私でも、一人の人格ある人間として生きていて良いんだって感じられるようになったよ。


1月22日(水)
 鍼治療日。
 鍼灸院の先生に、東京のお土産を買ってきたんだけど、先生の見当違いの治療が判明したので、渡すのやめた私。
 ちょっといぢわる?
 先生は、私の手首の脈を診て一言。「これかぁ」
 蔡先生に指摘された脈があったんだろ?風邪の脈があったんだろ?今まで風邪だと思ってなかったんだろ?おいおい。


1月20日(月)
 山形の友達から手紙が届く。
 先日、山形の友達からメールがきた。
「今月26日(日)に、仙台に行く用事ができた」
 さっそく、会おう!と返事メールを出す。
 今日、友達から葉書が届いた。「用事は午後からなので、午前中に美術館か博物館を見たい。どちらも、今、何を催しているのか調べてほしい」
 なんだと?ワシ、カチンときたね。
 そんなの自分で調べろ!
 自分が、美術館や博物館の展示を見たいんだから、自分で調べろよ、それくらい!
 冷たい友達で、ごめんね。
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 それから、何度もその友達に注意しても直さないのは、メールに自分の名前を入れることと、ケータイでしか表示されないマークや文字を使用しないこと。
 ケータイメールをパソコンで受信すると、送信者の名前が表示されないのです。メールアドレスのみ表示。メールアドレスを見れは誰かは、一応わかるけど、メールの件名かメール本文中に名前を入れようよ。最低限の礼儀としてさ。
 ケイタイでしか使えない文字やマークは、パソコンでは「=」としか表示されません。1個くらいの使用なら許せるけど、多様されると、メール本文の意味が読み取れない。
 だれでも気軽に簡単にメール送受信できるのは、うれしいことだと思う。でも、最近は、いちいち、こういう説明をするのも面倒になってきた。メール送受信のマナーぐらい、本などを読んで知っといてほしいぞ。
 同じ人に対して、何度も何度も同じ説明させないでほしい。
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 ま、その後、友達は、急用で仙台に来れなくなったそうです。


1月14日(火)
「織り句 はつひ」
二十歳(はたち)前
つらぬく激しさ
微熱かな

 いやぁ、歳とっちゃうと、平熱が下がっちゃうのかねぇ。若い時みたいな熱っぽさがなくなってしまうんだよねぇ。行動する前に、先に頭で考えちゃうんだよねぇ。それが良いのか悪いのかは、わかんないけどさ。若さゆえの暴走というか、無謀というか、浮かれてたというか。それって、微熱のせいだったのかもね。


1月13日(月)
 鍼の先生よりTELあり。
 東京の病院の蔡先生に電話をして、私の治療方針(方法?「私にどのような鍼灸治療を施したら良いのか」っつーことです)を相談したとのこと。
 蔡先生曰く、「風邪」だとさ。
 なんだと?
 鍼の先生は、去年、「この咳は風邪ではない」って、断言したじゃないか!
 風邪なのか?風邪なんだな?
 風邪(だけ)のために東京まで行ったんだな?ワシは?がーん。
 いや、やはり、東京へ行ってよかったよ。東京へ行かず、このままダラダラと同じ治療をされ続けていたとしたら、無駄にお金を使うところだったよ。はっきり言って、サギみたいなもんだよ。
 ワシね、お金有り余っていて鍼治療してもらってるんじゃないんだよ。少ないバイト料から鍼治療代を捻出してるわけさ。見当違いの治療されたんじゃ、たまったもんじゃないよ。
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 鍼の先生がインターネットをやっていないことをいいことに、言いたい放題の私です。もし、なんかのきっかけで、ここを読んでしまったとしたら、ごめんなさい。でも、これは、確かに、私の正直な気持なんです。よろしく頼むよ、ほんとに、もう。


1月11日(土)
 東京へ行ってきました。
 去年12月中旬頃から咳が止まらず、鍼治療を4回程受けたのですが、いまいちスキッと良くならない。鍼の先生は、「この治療を続けるしかない」って言うし。鍼の先生なりに、一生懸命に治療してくれていると思っている。でも、正直言って、4回も治療してもらっても、ほとんど効果ないのであれば、このまま同じ治療を受ける意味がないのでは?
 ならば、思い切って、久し振りに、東京の病院へ行こうと決めたのさ。
 咳が出ると言っても、食事している時と寝ている時と入浴中は、咳が出ない。動くと咳が出て、吐くような激しい咳(私は「おえぇー咳」と呼んでいる)が辛くて、咳でヘトヘトに疲れる毎日でした。
 4時30分 起床。
 6時35分 仙台発の新幹線で東京へ。
 9時45分 病院へ到着。まだ病院の玄関の鍵が開いていないようだ。玄関前で待っている人が2人。去年、私をイヤな目に合わせたババァはいないようだ。よかった〜。心の底から安堵したぜ。もし、あのババァが先にいても、後から来て順番を越されたとしても、今回はイライラせずに待つつもりで、文庫本3冊用意したもんね。
 病院の玄関が開いた。
 私の前に並んでいた女性が玄関でもたついていたけど、彼女が診察券を出すまで私は待った。当然でしょう。彼女のほうが、私より先に来て待っていたんだから。もし、私が先に診察券を出すことになったとしても、受付に「彼女のほうがが先です」ときちんと伝えるつもりだったし。
 なんと、その彼女は、私と同じく、蔡先生の患者さんでした。私が、先に診察券を出していたら、彼女に、去年の私と同じ気持にさせていたんでしょうね。そんなこと、しないけどね。
 彼女の診察時間は、思っていたより早かった。すぐに私が診察してもらえることになった。
 蔡先生に、今の症状を伝えた。先生から2〜3質問された。そして、先生一言。
「わかりました」
 えー?わかったの?これだけで、わかったの?咳の原因がわかったの?
 驚く私の両腕の脈を診て、舌を診て、漢方薬を3種類処方されました。蔡先生に診てもらったから、絶対に治るぞー!
 半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)
 麻杏甘石湯(まきょうかんせきとう)
 竹茹温胆湯(ちくじょうんたんとう)
 いつもは会計で、しばらく待たされるんだけど、今回は早かった。10時半には病院を出ることができました。
 さぁ、予定していたより早く終わった。どこへ行こう?
 そうだ!四谷わかばのたいやきを食べに行こう!
 本:「東京名物」によると、「東京には誰が呼んだか<たいやき御三家>なるものがある。人形町の「柳屋」、四谷の「わかば」、そして麻布十番の「浪花総本店」がそれだ」
 柳屋も食べた。浪花総本店も食べた。でも、当時、デジカメを持っていなかったので、写真がない。
 残るは「わかば」のみ!
 11時 わかばに到着。行列であろう。並ぶであろう。待つであろう。と、覚悟して行ったら、待っているのは2人だけ。あれれ?すぐに買えました。10匹入りのファミリーパックと1匹。1匹は、その場で、むしゃむしゃ食べました。
 たいやきは、頭から食べる?しっぽから?頭から食べる人はねぇ〜、と、言われるのがうるさいので、私は「腹から」食うことにしてます。ばくっと腹に、かぶりつくと、ぎっしりつまったあんこ。口角をあんこだらけにしながら、いい歳した大人が、道端で、たいやきをむさぼる…。
 ただ、残念だったことは、たいやきを作り置きしてあったこと。保温箱に入れてあったから温かかったけど。行列ができる人気店、客を待たせないような心づかいなのかもしれない。でも、私は、がっかりした。待ってでも、焼きたてを食べたかった。私が11匹も買ったら、残りが少なくなったからか、奥から数人の職人さんが呼ばれて、焼く準備を始めた。
 麻布十番の浪花総本店でも焼きたてを食べることができなかった。
 人形町の柳屋だけは、職人さん1人で黙々と焼いていた。行列に並んだ。リズミカルに焼いている姿、職人技に見惚れた。アツアツを食べた。うまかった。火傷した。でも、うれしかった(田口トモロヲ調で…)。
 焼きたてを食わしてくれよ!
 たいやき御三家を制覇したぞ。
 次は、文京区根津の「柳屋高級鯛焼本舗」のたいやきを食べたいです。
 新宿に戻る途中、信濃町にある「三島食品工業」に寄ろうと思い、四谷から何度か電話するが、誰も出ません。定休日だったのかも。事前に問い合わせておけば良かった。ま、しかたがない。新宿に戻ろう。
 なぜ、三島食品工業なのか?なんと、新宿区産のはちみつを買うためです。ここに養蜂場があるのです。「江戸っ子はちみつ」。都心で作られたはちみつ。ほしいぞ。
 新宿で、毎度の昼食。クリームチーズバーガーとエスプレッソ。高いもん食って、がっかりするなら、これで充分と思う。
 京王のクリアランスセールで、パウダーの服を買う。仙台にもパウダーが出店したけど、品揃えが、しょぼくて、ものすごくがっかりした。やっぱ、東京だねぇ、などと言いながら、オール半額で、にこにこ。
 有楽町の東京交通会館の「むらからまちから館」にも行きたかったけど、そろそろ帰宅の時間となりました。
 大丸東京店で「なだ万・幕の内弁当(葵)」と「いけす割烹平家・アラ(←魚偏に荒と書く字です)棒すし」を買う。
 東京駅キオスクで「グリコ・江戸むらさき味プリッツ」を買う。
 京王と大丸で日本酒各2本買う(宅配便)。
 東京駅八重洲地下街の「常盤堂雷おこしチュララ」を発見。前回、東京へ行ったときには、置いてなかったのに。パッケージが、また変わっていた。店員に「おしゃれな感じになりました」って言われたけど、前の前のパッケージのほうが良かったのにぃ。アフロのねぇちゃんのイラストが良かったのにぃ。店員さんに訴えた(?)んだけど、「?」って顔されたから、知らない年代なのかも。さみしいぞ。あとで買おうと思っていたのに、買うのを忘れた。うむむ。
 15時36分 東京発の新幹線で仙台へ。仙台駅からタクシーで、実家に。なだ万の弁当とアラ棒すしを届けただけで、そのまま待たせておいたタクシーで自宅へ。
 19時 自宅着。お疲れ様でした。
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私の「たいやき」に対する主張(?)は、2000年11月4日付みねたいむずをお読みください。
四谷わかばのたいやきの写真←見たい人はクリックしてください。
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東京名物 四谷たいやき わかばのホームページ→http://www.246.ne.jp/~i-ozawa/
三島食品工業株式会社のホームページ→http://www.mishima-s.co.jp/index.html


1月10日(金)
 本が1冊足りない。
 バイト先の近所の米竹書店で本を買った。時刻表と文庫本3冊。レジで、おやぢが袋に入れる時に本を落とした。「すみません」と謝られたのから、「あ、いいですよ」とにこやかに答えた。
 買った本をバイト先に持って行って、袋から出してみると、1冊足りないのだ。
 あのおやぢだ。本を落とした時、1冊入れ忘れのだ。
 本屋に電話したら、バイトらしき女の子が出た。その子だろうか。女の子が、すぐに、バイト先まで届けてくれた。
 やっぱり、こういう時は、「ふざんけんなよ!さっさと届けんかい、われぇ!」と怒ってみたいもんです。1度くらいは…。
 怒ったもん勝ちだよなぁ。世の中は。


1月9日(木)
「織り句 はつひ」
ハーモニカ
つむぐ音泉(おんせん)
ひびく心に

「音泉(おんせん)」なんて言葉、辞書に載ってないよ。遠藤ミチロウ氏が作った言葉です。
 ミチロウ氏は「音泉」と書いて「ライヴスポット」という意味で使っています。氏の本によると「地方に行くと、東京には絶対ありえないような、おもしろい店が、ライヴスポットがいっぱいある。まるで温泉のように。ボクはそれを<音泉>と呼びたい」。
 私は、湧き出る「温泉」から「音泉(おんせん・ライヴスポット)」をイメージして、音が温泉のように湧き出るいう意味で使ってみました。リトル・ウォルター先生のハーモニカを聴いているうちに、次々と音が溢れ出てくることに感動し、この句を作りました。次々と音が生まれ、集まっていくうちに、いつの間にか大きな布ができあがり、聴衆を包み込んでしまう。そんなイメージです。


1月7日(火)
「織り句 はつひ」
春風が
告げる明日(あした)に
光 おどる

 やわらかな陽射しが、新緑と共に、春の訪れを喜びあっている。そんなイメージで作った句です。


1月6日(月)
「織り句 はつひ」
花吹雪
つかのまの宴(えん)
ひたろうか

 数年前、宮城県美術館に向かう途中で、花吹雪に遭遇したことがあります。一瞬のできごとでした。花吹雪の中を歩くのは初めてで、間近で春の舞を見せてもらったような、得したような。しばらく、幸せな気持にひたれました。その時の気持を句にしてみました。
-----
 時々、書類を届けに行く事務所が、去年、引越しをした。なんと、某マンションの13階!エレベーター嫌いの私は、必死です。外階段を13階まで上るのです。そして、書類を届け、外階段を下りるのです。ぜいぜい。
 以前、この事務所は、ビルの2階だった。でも、そこのビルは、建物内に階段がなく、しかも、外階段は、使用禁止(なぜに?)。しかたなしに、エレベーターを使ってました。2階までだったので、なんとかがまんできたんだけど。
 なにも、13階に引っ越さなくても…。私の勝手な都合ですけどね。
 5回に1回は、13階までエレベーターに乗ります。絶対に同乗者(?)が、いない場合だけです。


1月2日(木)
 近所のスーパー「SEIYU K町店」に行く。新年早々不愉快になる。
 10時開店だったのですが、初売り商品が目的じゃなく、普通の買い物(ティッシュペーパー)に行ってきました。だから10時5分頃着くように出かけたのですが、ドア前に行列が!なんだなんだ?まだ開店してないのか?でも、福袋をかかえた人が店から出てくるのは、なぜ?開店してるハズなのに、店に入れない?
 私の後ろに並んだ人からも、次々と苦情が。「牛乳を買いにきただけのに」、「寒い」、「なぜ入れない?」
 10分も寒空の下、皆で立って待っていました。
 すると、だれかが、店員から「福袋を買わない人は、並ばずに入って良い」と教えてもらい、列はバラけました。が、そうなら、そうと店員が指示するなり、表示するなり、方法があるだろうが!風は強いし、雪も降ってるし、風邪ひいたら、どうすんだ?あー?
 店の中に入ったら、レジ店員以外の店員(10人位かな)は、必死な形相で、福袋につきっきり。
 福袋カウンターはひとつしかなく、客一人一人から、何の福袋がほしいか聞いて、一つ一つ福袋を手渡し、その後に支払い。
 こんなことやってっから、行列ができて、他の客への対応が悪くなったんだな。
 新年早々、全くダメだな!この店の今年の運勢を占うような初日かな?


1月1日(水)
 新年だ!正月だ!
 初詣で引いたおみくじは「吉」でした。よしよし。
-----
 毎年、このページで、何度も、
ガキの写真の年賀状送ってよこすな!不愉快だ!
*ただし、家族集合写真は許します。
 って書き続けてきた成果なのか、今年の元旦に届いた年賀状では、1枚しかありませんでした良い傾向ですね(O野寺Y憲クン。君だけだよ。しかも(ガキ)娘の写真2枚も入れやがってましたね。私は、親戚だから、まだ許される範囲だけど、友達とかもに送っているのかね?恥ずかしいことなんだから、やめなさい!それから、全てパソコンで作るのは良いんだけど、一筆くらい直筆でコメント入れなさい。なんにもなかったから、私もキミに対しての年賀状は、はんことシールだけにして、コメントなしにしてみました。なんか乱暴だろ?素っ気ないだろ?そういうことだ!)。
 このページを読んで、私宛にはガキの写真の年賀状にしなかったのかどうか、わかりませんが。このまま、永遠に、ガキの写真の年賀状を送ってよこすなよ!
 それから、
年賀状に子供の名前を入れるのはやめろ!
私は、キミの子供とも配偶者ともつきあいは、ない!
 あなたと私・個人対個人のおつきあいは、していますが、あなたの配偶者や子供とのおつきあいは、しておりません。
 それなのに、年賀状に配偶者や子供の名前まで入れるのは、どうかと思いますけど。
 どうせ、パソコンで作ってるんでしょ?
 自分の名前以外は消して作ったら?作れないの?
 ひょっとして、年賀状、1パターンしか作ってないの?
 親戚にも職場の上司にも友達にも、みな同じ年賀状を出してるの?
 へぇ、職場の上司にも、子供の名前入りの年賀状にしてるの?「今年もよろしく」とか書いて?
 子供が、親の職場の上司に「よろしく」って言ってんだ?すごいね!
 ごめんね。私、あんたの子供なんかに、興味ないんだわ。全く。
-----
 その後、何通か子供の写真入りの年賀状が届きました。
「あたし、もう3歳になったよ」とか書かれてあったり。うるせー!って怒鳴りたくなりましたよ。おめぇが何歳になろうと、オレには、知ったこっちゃねぇ!



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