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【荒川区域町村名変遷】 【東京区部行政区画変遷】
 
B現在の東京都荒川区になるまで(昭和7年〜現在)


 昭和7年に荒川区が誕生した時点では、荒川区などの区は東京府東京市荒川区という立場でした。しかし、昭和18年7月1日、戦時中における首都防衛上の理由等から東京府及び東京市を廃止し、東京府域を東京都とするに至りました。東京都は府県的な立場と市町的な立場を有する存在となったのです。
 しかし、戦争の後遺症により、人口激減となってしまった35区は、再編を余儀なくされました。それは、戦後の区が戦前の自治権の弱い行政区から独立性の強い地方公共団体とすることが求められるようになったからで、財政基盤などの不平等を抑えるために、ある程度の人口バランスが必要だったのです。特に、下町と呼ばれる地域や都心部(旧15区域)は、その必要性が高いエリアでした。荒川区も本来ならば他区との統合が考えられてもよいような被害を受けていましたが、結局、単独で運営していくことになりました。
 昭和22年3月15日、35区のうち、24区を廃止し、11区を継続、11区を新設するといった統廃合により、22区制がスタートしました。(同年8月、板橋区から練馬区が独立し、現在の23区制が確立しました。)
 
【行政区画の変更】
 戦後の混乱が収束しつつある中、不明確になっていた区境界が判明するにおいて、北区との間で、「特別区の境界変更」が昭和30年に施行されています。

北区堀船町二丁目の一部 荒川区尾久町七丁目に編入
荒川区日暮里九丁目の一部 北区田端町に編入


【町名地番整理と住居表示の整備】
 ようやく世の中が安定してきた昭和30年代を迎えると、地租のためにつくられた明治以来の地番制が、復興する市街地の実態とかみ合わなくなり、町名地番整理と住居表示の整備が実施されました。

三河島・・・昭和36年10月31日(町名地番整理)⇒荒川成立
       ⇒
昭和43年3月1日(街区方式の住居表示の施行)
町屋・・・・・昭和38年6月1日(街区方式の住居表示の施行)
尾久・・・・・昭和39年7月1日(街区方式の住居表示の施行)
日暮里・・・昭和41年3月1日(街区方式の住居表示の施行)
南千住・・・昭和42年5月1日(街区方式の住居表示の施行)

 


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