待乳山と山谷堀

2013年11月






 
東京メトロ浅草駅
 東京メトロ浅草駅

 ここは東京メトロ銀座線浅草駅のG-19番出入口。切妻屋根で朱塗りの和風建築は、まさに浅草のイメージです。





吾妻橋
 吾妻橋

 振り返ると、隅田川に架かる吾妻橋の向こう側には浅草のランドマーク東京スカイツリーと、泡の乗ったビアジョッキをイメージしたアサヒビールの本社社屋が控えています。





水上バス発着所
 水上バス発着所

 吾妻橋の袂に建つこの写真の建物は、隅田川や東京湾を航行する水上バスの発着所。





隅田公園
 隅田公園へ

 今日は先ずこの発着所前から、隣接する隅田公園へ入って行くことにしましょう。





隅田川テラス
 隅田公園と隅田川テラス

 間もなく、隅田公園を左手に分けて川の畔へと下りて行く石段があるのでこれを下ると、隅田川の両岸を整備して造られたプロムナード、隅田川テラスがあります。





水上バス
 水上バス

 川岸の乗船所に停泊した水上バスは、ここ浅草から、お台場や葛西臨海公園へも航行しています。





言問橋
 言問橋

 隅田川テラスを川上の方向へ歩いて行くと、前方に言問橋が見えて来ました。この辺りでまた隅田公園へ戻りましょう。左方向へ分かれるスロープを上って行きます。





隅田公園を進む
 隅田公園を進む

 再び隅田公園。言問橋を過ぎて、隅田川沿いに造られたこの公園を更に先へと歩いて行くと・・・





指導標に従って
 指導標に従って

 「待乳山聖天方面」と記された指導標がありました。





隅田公園を外れて
 隅田公園を外れて

 指導標に従い、隅田公園を外れて左方向へ。





待乳山聖天
 待乳山聖天

 隅田公園沿いを走る通りを隔てた向こう側に見えている寺が、待乳山聖天(まつちやましょうでん)。飛鳥時代の創建と伝えられる、東京都内に残る古刹です。





待乳山
 待乳山

 待乳山って言うけどホントに山なの?

 ・・・ってことで寺の裏手に廻ってみると、その全貌が明らかに! 寺の境内は本当にこんもりとした山になってました。





モノレールもあります
 モノレールもあります

 山頂へはモノレールでも登れるのだ!

 言伝えによると飛鳥時代、6世紀後半の推古天皇の頃、突然土地が盛り上がり金龍が舞い降りて待乳山が出来たのだとか。

 まぁともかくこの待乳山、平地にポッコリと盛り上がった地形のため見晴らしが良く、江戸時代には人気の景勝地として多くの浮世絵や詩歌にもうたわれたのでした。





モノレールに乗ってみました
 モノレールに乗ってみました

 モノレールに乗って待乳山登山をしてみました。運転は押しボタン式で殆どエレベータです。車内から下を見下ろすと、なんとけっこう傾斜が急だゾ。





待乳山聖天参道
 待乳山聖天参道

 モノレールで山頂と麓を往復したら、改めて正面に廻って参道から境内へ入る事にしましょう。





大根と巾着
 大根と巾着

 石壁に掘られた大根と巾着。どちらも寺のシンボルで、大根は健康を、巾着は商売繁盛を意味するんだって。





築地塀
 築地塀

 この築地塀は江戸時代に建てられたもの。長さは45.5mにもなります。





出世観音像
 出世観音像

 これは出世観音像。17世紀初め頃の作とみられ、立身出世のほか、学門、芸能、商売繁盛にも霊験あらたか。





日本庭園
 日本庭園

 それほど広くはないですが、日本庭園もありました。





本堂
 本堂

 歩きでも、あっという間に山頂に到着。本堂がドーンと構えています。





宝篋印塔
 宝篋印塔

 この仏塔は1781年に建立されたもの。案内板によると、銅製の宝篋印塔はかなり珍しく貴重なのだとか。





待乳山を後にして
 待乳山を後にして

 名刹の静かな境内をゆっくりひと回りして表に出てきました。これから暫し、待乳山聖天と隅田公園に挟まれた通りを歩いて行きます。





今戸橋
 今戸橋

 間もなく今戸橋が見えて来ました。橋と言っても下に川は流れていません。以前は江戸初期に造られた運河山谷堀がありましたが、現在は全て埋め立てられていて、ご覧のように石造りの橋台だけが残っています。





山谷堀公園へ
 山谷堀公園へ

 通りの左側に公園の入り口がありました。運河を埋め立てた後に整備され造られた、全長およそ700mの細長い山谷堀公園です。





運河を埋め立てた山谷堀公園
 山谷堀公園を歩く

 江戸時代の山谷堀は現在の東京都北区にある音無川(石神井川)を水源にして、隅田川へと注いでいました。





幾つかの通りを横切って続く山谷堀公園
 通りを横切って続く山谷堀公園

 堀は隅田川から遡り当時の吉原遊郭あたりまで続いていたため、船に乗って吉原通いをする者もあって、これが最も贅沢で粋な吉原での遊び方とされていました。





山谷堀橋
 山谷堀橋

 堀には九つの橋が架けられていましたが、既述の今戸橋の様に今となっては古い橋台が残されているのみです。因みにご覧の山谷堀橋の橋台は、昭和4年に竣工されたもの。





まだまだ続く山谷堀公園
 まだまだ続く山谷堀公園

 全長700mの長いながい公園はまだまだ続きます。船こそ浮かべていませんがこのまま吉原へ向けてお大尽さま気分で、山谷堀公園をそぞろ歩いて行くとしましょう。





地方橋
 地方橋(ぢかたばし)

 地方橋が見えて来ました。山谷堀公園もここまで。一旦左へ折れて、公園の西側すぐ傍を並行して走る土手通りに出たら、先へと進みます。





吉原大門交差点
 吉原大門交差点

 嘗てこの辺りに山谷堀の土手が続いていた事から名付けられた、この土手通り。間もなく吉原大門交差点に差し掛かりました。通りの向こう側、交差点の角に見えている柳の木は見返り柳と呼ばれます。





見返り柳
 見返り柳

 吉原遊郭で遊んできた客が今さっき枕を共にした遊女を想いながら、この柳の辺りから遊郭の方向を振り返ったんだそうです。だから、見返り柳。ちょっとばかりセンチメンタルなシーンであります。





吉原大門跡
 吉原大門跡

 見返り柳から少し視線を右へ向けたこの辺りが吉原大門跡。大門を抜けた向こう側に、吉原遊郭は控えていたのでした。幕府の公認を受けて江戸時代初期から続いた吉原遊郭。昭和32年の売防法施行で消滅後は風俗営業の店舗が取って代わり、現在に至ります。





伊勢屋
 伊勢屋

 土手通りを挟んだ見返り柳の向かい側、通り沿いにあるクラシックな店構えの老舗天麩羅屋は、その名も土手の伊勢屋。お薦めの天丼は1,400円からイ・ロ・ハと続き、2,300円の天丼ハは食べきれない程の具だくさんです。





あしたのジョー
 あしたのジョー

 吉原大門交差点を過ぎて土手通りをそのまま歩いていたら、あしたのジョーに遭遇。この辺りは嘗て山谷と呼ばれた街で、彼の故郷なのでした。





いろは会
 いろは会

 吉原大門交差点を越えておよそ100m程、右手にいろは会というアーケード商店街があります。





商店街を進む
 商店街を進む

 土手通りを右に折れて、この下町の商店街を歩いてみる事にしましょう。辺りは街おこしで「あしたのジョーワールド」。ジョーや丹下段平、力石徹、マンモス西・・・  懐かしい顔がいっぱいです。





都道を左折
 都道を左折

 それほど大きくない商店街を抜け出てきました。正面突き当りを左右に走る通りは東京都道464号吉野通りです。これを左折して吉野通りを進んで行くと間もなく、明治通りと交わる泪橋交差点が現れます。





泪橋交差点
 泪橋交差点

 嘗てこの辺りに流れていた川は思川(おもいがわ)。江戸時代、死罪が決まった罪人は泪橋でこの川を渡り、川向うにあった小塚原刑場へと涙を流しながら向かったのでした。当時江戸には、ここと品川の2か所に同じ由来の泪橋がありました。





丹下のおっつぁん
 丹下のおっつぁん

 泪橋交差点の近くで丹下のおっつぁんを発見。そう言えば丹下ジムは泪橋の下にあったんだっけ。

 それにつけても丹下段平の左側に見えている宿屋の看板、1泊2,200円は安い!





外国人向け英字看板も
 外国人向け英字看板も

 ここ山谷は以前、土木作業を生業とする労働者が集まる街だったことから激安の宿屋が軒を連ねていて、彼らの姿が見られなくなった現在では料金の安さから、代わって外国人旅行者たちの人気宿泊エリアになっています。





歩道橋を渡って
 歩道橋を渡って

 泪橋交差点を抜けて吉野通りをそのまま歩いてゆくと、JRの線路に突き当たります。正面に見えている水色の陸橋で線路を越えましょう。





小塚原刑場跡
 小塚原刑場跡

 陸橋を渡ってすぐ左側にあるのが、小塚原刑場の跡地に開山された寺、延命寺です。





地下鉄南千住駅
 地下鉄南千住駅

 そして延命寺の向かい側には、東京メトロ日比谷線の南千住駅がありました。





JR南千住駅
 JR南千住駅

 地下鉄駅からほんの少しだけ先に歩いてゆくと、JR常磐線の南千住駅。今日のゴールに到着です。









★交通 東京メトロ銀座線 浅草駅下車
★歩行距離 約 3.5 km



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