第十回  女が鬼になるとき

 

 もし可能なら、先に第五回から読んでいただきたいです。
 WARNING!(スペルは無視) この話には、過激な内容が含まれています。

 母と息子が、謎かけをしています。
 場所がトイレというのがちょっと変わってます。大昔のトイレは、どのようなものだったのでしょうか。
「これは何でしょうか?」
 母は、用を足すところの下に置かれた物体を指さして、楽しげに言いました。母につられて、息子も楽しそうに、
「うーん、なんでありましょうか」
と、考えます。しかし、パッと見ではわかりません。トイレは薄暗かったので、息子はその物体をじっと見つめました。
「なんであろうか・・・」
 何かの動物のように見えました。
「わかりましたか?」
 母が言いました。息子は答えます。
「いえ、わかりません。ですが、まだ降参ではありませんよ」
「おやおや」
 母と息子は、にっこりと笑いあいました。息子は、再びその物体に目をこらします。
「何か動物であることは間違いあるまい・・・。豚であろうか? いや、牛か? それとも羊であろうか? 馬ではなかろうし。これは・・・」
 息子の顔が、一瞬にして真っ青になりました。
「もしや、人間・・・?」
「その通り!」
 母は叫びました。不気味な笑顔が薄暗いトイレに浮かび上がり、異様に怖いです。
「あの、にっくき戚(せき)のヤツですよ」

 その物体は、戚夫人と呼ばれる女性だったのです。状態がはんぱではありません。
 戚夫人は、手足は斬られており、両目もえぐり出されていました。しかも、耳は熱い煙にくすべて聞こえなくなっています。さらに、喉は薬によってつぶされ声を出すこともかないません。何も言えず、何も聞こえず、何も見えない、胴体と頭だけの人間・・・いや、母は、この戚夫人を「人間豚」と名づけていました。昔の中国では、豚はトイレで飼っていました(エサが必要ありませんから)。
 母は、戚夫人を憎んでいました。それは、戚夫人が、亡夫の愛人だったからです。即ち、息子の父の愛人でした。
 しかも、具合が悪いことに母の亡夫は皇帝だったのです。劉邦(りゅうほう)という人です。
 劉邦は、妻より戚夫人を愛しました。その愛情が強くて、戚夫人との間にできた息子を次の皇帝にしようとしたほどです(これは、家臣によって阻まれました)。
 劉邦の妻であり、息子の母である呂后(りょこう)は、夫の死後、憎い憎い戚夫人を殺すことにしました。それも、すこぶる残虐なやり方で、戚夫人を苦しめながら・・・。

「母上! あなたという人は!」
 息子は絶叫をあげると、気絶してしまいました。息子は母、呂后に似ず、とても心の優しい青年だったのです。あまりのショックに、息子はこの後1年近く寝込んでしまいました。夢には、たびたび、無惨な戚夫人の姿が現れ恐怖がよみがえります。
 息子は、病床から出ると、酒と女だけの生活に入りました。皇帝(父が死んで、息子は皇帝になっています)として、なすべき政治にはいっさい関知しませんでした。
「あのような人を母に持った私は、生きていてはいけない・・・」
 こんな気持ちがあったかもしれません。
 その後、5年して息子は死にました。酒に酔っていても、女を抱いていても、常にどこか憂いげな顔色がありました。

 夫を奪われたという嫉妬だけなら、呂后もこれほどまで惨いことはしなかったかもしれません。嫉妬と、権力欲がからんだ憎悪とが結びついて、呂后は鬼になったのです。
 戚夫人の息子が皇帝になるということは、彼女が皇帝の母になるということです。皇帝の母は相当な権力があります。つまり、呂后は戚夫人の下につくことになります。
 呂后は、劉邦がまだ農民だったころ妻になりました。ともに苦労をしてきました。劉邦のライバル、項羽(こうう)に捕虜にされたこともありました。
「私は、苦労したのよ。権力を持つ資格があるわ」
 なんて思っていたことでしょう。
 呂后は、戚夫人のみならず、もう少しで皇帝になりかけた彼女の息子も殺しました。
 それを、阻止しようとした人がいました。二代目の皇帝、恵帝(けいてい)即ち、呂后の息子です。本当に心の優しい人だったのです。しかし、母呂后の憎悪と嫉妬の入り交じった執念にはかないませんでした。
 恵帝は、父劉邦からは肉体的虐待を受け、母呂后からは精神的虐待を受けたのです。両親の非道を訴えたいです。こんな両親から、恵帝のような子が育ったのです。親がなくとも子は育つ、というのは本当のようです。
 政治を放棄した恵帝は、君主としては暗君の部類に入ってしまうかもしれません。しかし、私は、心優しき恵帝が、少なくとも劉邦よりは好きです。
 時は、漢(かん)王朝の時代です。正確に言えば、前漢の時代です。

 呂后とは、「呂」という姓の皇「后」ということです。この話の時期、劉邦の正妻である呂后は皇帝の母になっていますから、正確に記せば呂太后です。
 時期によって名称が変わるなんて、とても面倒くさいので呂后で統一しました。これからも呂后でいくと思います。ご了承ください。