第十八回  大臣になる方法

 

 ちょっと前に「総理大臣の娘のところに家庭教師に来た大学生が官房長官に抜擢される」というストーリーのテレビドラマがありました。
 歴史はドラマよりも奇なり。

 王莽(おうもう)という男がいました。
 彼は今、権力の絶頂にいます。幼い皇帝を補佐する摂政、事実上、国の統治者なのです。
 彼の野望はそれだけでは満足しません。やがて「仮皇帝」と自称するようになりました。副皇帝、という意味です。副皇帝──なんともおかしな言葉です。副委員長とか副会長、副砲とかいうならわかりますが、絶対の統治者たる皇帝に、副だなんて。
 なんで仮皇帝になったかというと、
「いかなり皇帝になるのは時期尚早というものか」
と、思ったのでしょう。現在の皇帝(しかも幼帝)を廃して、自分が皇帝になるとすれば、人々の反感を買うことになるでしょうから、ゆっくりと事を進めるほうが得策というものです。
 王莽は、皇帝になることを望んでいます。
 それを見抜いた(誰もが知っていたでしょうが)男がいました。哀章(あいしょう)といいます。口が達者なだけが取り柄のウソつき野郎です。
 こいつが符命をねつ造しました。符命というのは、詳しくは知りませんが「天からの命令書」のようなものだと思います。現代語で無理に造語すれば「超公文書」のようなものでしょうか。それを偽造したわけです。
 この符命に「王莽よ、真の天子となれ」なんて書いてあるのです。

 現代の私たちからすればウソに決まっている、と考えます。当時の官僚たちの多くもそう考えました。王莽ですらそうだったでしょう。
 王莽としては口実があればよかったのです。別に口先男の符命を利用するなんて茶番劇を演じなくても、第一実力者ですから皇帝になれたのです。ただ、この王莽という男、自分を「聖人」と思いこんでいる人でしたから、皇帝の位を簒奪する(武力を背景に脅し取る)という行為は「良心の呵責」が許さなかったのです。

 哀章が偽造した符命には続きがあります。
 王莽の腹心の臣下8人の名前を書き、王興(おうこう)王盛(おうせい)という王莽にとっておめでたい名前(「王」莽が「興」る、「盛」る。また、この王には、帝王という意味もあったかもしれません)を加え、最後にひょこっと自分の名前すなわち哀章と、記したのです。
 8人+王興、王盛+哀章の11人で天より任命された皇帝たる王莽を補佐せよ、ということにしたのです。

 この符命を大義名分に、王莽が皇帝になった後、8人の腹心と哀章はすんなりと大臣に任命されました。ところが、王興、王盛はそうはいきません。適当にでっち上げた名前ですから該当者がいないのです。ですが、この二人を大臣に任命しないと符命の偽りの「真実味」が消失してしまいます。そこで、王興、王盛という名前をもつ男の捜索がはじまりました。
 やがて、王興、王盛の二人は王宮に召されました。
 今や大臣となった王興の元の職業は王宮の門番、王盛はまんじゅう売りでした。
 労せず大臣になれた理由、それは名前だったのです。

 時代は、前漢からへの移行期です。王莽は、前漢(ぜんかん)を滅ぼし、新(しん)を建国した人です。

 大出世をはたした王興、王盛の2人は幸せ者でしょうか。
 新王朝はパッとせず15年で滅びました。その後、彼らはどうしたのでしょう。王朝交替の混乱の最中、「重臣」であったがために戦死したり処刑されたりしたかもしれません。
 政治のことなど何も知らない彼らには、王宮でやることはなかったでしょう。ただいればいい、それが仕事だったのです。それなりの高い給料をもらうことはできたでしょうが、それが本当の幸せでしょうか。
 何もしなくても食べていける、確かに幸せの一つの形ではあるでしょう。ですが・・・。

 王莽は外戚です。皇帝を生んだ女性(皇帝の母)の一族なんですね。
 日本史で一番有名な外戚といったら、平清盛でしょうか。同じ外戚でも、日本人と中国人で決定的に違うのは、王莽は皇帝を廃して自らその位につきましたが、清盛には天皇を殺そうなんて考えは全くなかった(と思います)ことです。まぁ、後白河法王を幽閉はしましたけど。
 天皇と皇帝、ひいては日本人と中国人は違うんだなぁ、という当然のことに驚きを感じまして、こんな蛇足を書いてしまいました。