名は体を表す、という言葉があります。今回の題名はそれにかけてみました。
最初は、「?」がないものや「顔は未来を示す」という題名を考えたのですが、自分の顔を鏡で見て、それではあまりに人生悲しすぎるので、「?」がつくことになりました。
三国志ファンなら知らぬ者はいない、中国史に興味のない人にもそこそこ名の知られている(教科書に載ってます)曹操(そうそう)は、若いときに許劭(きょしょう)に会いに行きました。許劭は、人相見の名人として名高い人物でした。曹操は、彼に自分の人物鑑定を頼みました。
許劭は、曹操を見て言いました。
「治世の能臣、乱世の奸雄」
あなたは、平和な時代ならば有能な家臣(能臣)だが、乱世では悪知恵に長けた英雄(奸雄)になるだろう、と言うのです。今の世をひっくり返すようなことをするだろう、という予言だったのです。
国王や皇帝といった専制君主にとって、英雄というのは脅威の存在です。その類い希な才能と圧倒的な人気で自分に取って代わられるかもしれないのですから。
こんなことを言われて当の曹操はどう思ったのでしょうか。
ちなみに許劭の方は、今の王朝や皇帝が倒れるかもしれないという予言を口にしたら、後々不都合があるかもしれないと思い、なかなか曹操に告げなかったといいます。
横山光輝さんの漫画『三国志』では、この場面で曹操は一言、
「ふふふ、乱世の奸雄か・・・・・・それもよい」
と、大胆不敵にも言い放ちます。
稀代の英雄、戦争の天才項羽(こうう)は、この時より400年ほど前、皇帝を見て「いつかあいつに取って代わってやる」と言いましたが、心にあった野心は二人とも同じだったかもしれません。
曹操の時代から120年ほど前のことです。
班超(はんちょう)は42歳で軍人になりました。その歳までは、学者の兄と妹を持つやる気のない学者でしたから、ものすごい決断です。軍隊では、いきなり仮司馬(将校代理)のポストが与えられました。軍歴がまったくない班超にしては、かなりの優遇処置です。将校というのは、少尉以上の士官ですから。
現代風にたとえれば、国立大学の大学院生から助教授になった男が42歳で陸軍に入隊(今じゃこんなことできないと思いますが)して准尉に任命される。そんなところでしょうか。
その班超が軍人になる前、やりたくもない学者の仕事をしていたときのことです。ある人相見が、彼の顔を見て言いました。
「生は燕頷虎頭、飛びて肉を食らふ」
あなたはツバメのような下顎で虎のような頭をしており、ツバメのように遠くへとび、虎のように肉を食べる相です、と言うのです。
これで終わりだったら、人をバカにしているだけですが、続きがあります。
「万里侯の相なり」
これは、遠く異国に出て諸侯に封ぜられる人物の相なのです、と。
この人相見は、班超からげんこつをくらうのを避けられました。
曹操、班超とも後漢(ごかん)時代の人です。前者は後漢の後期、後者は後漢の前期の人です。意図的にややこしくしてみました。
曹操というと『三国志』で有名ですが、この人、三国時代は生きてないんです。曹操は皇帝にはなりませんでしたから。曹操が死んで、彼の息子が帝位について後漢が滅びるのです。
英雄の才能や器を有していても時代や境遇によって、全く世に出なかった人がいるはずです。歴史に名が残ってないのですからわからないのですが、間違いなくいたはずです。『三国志』で言えば、諸葛亮(しょかつりょう)なんて平和な時代だったら全く世に出なかったのではないでしょうか。そうだったら、晴耕雨読でのんびり生きられ長生きできたでしょう。ただ、三顧の礼とか泣いて馬謖を斬るという言葉が存在しないですけど。
ですが、曹操は違う、と私は思います。この「奸雄」は平和な時代に生を受けていても、その奸智で乱世を引き起こし、英雄になったのではないでしょうか。言うなれば、曹操は、彼が生を受けた時代、その時代の奸雄だった、と思うのです。
班超については、こちらで少し触れました。
中国史の本を読んでいると、占いがけっこう出てきます。それが、ズバリと的中します。「中国の占い、当たりすぎ」という気がします。でも、当たった占いの裏には無数の外れた占いがあるはずです。当たった占いだけが記録に残るのですから。
後世に、創作された占いもたくさんあるでしょう。
班超の話はちょっとあやしいです。「遠く異国に出て諸侯になる」とドンピシャリですから。曹操のように「乱世の奸雄」と抽象的ではなく、具体的にどうなるということまで触れてますからね。・・・あまり面白味のない話は、ここらで切り上げるとしましょう。
人の占い好きは昔も今もあまり変わらないようです。現代日本でも占いは流行ってますよね。人は、占いの何に惹かれるのでしょうか。まだ見ぬ未来への不安? やがて来る未来への好奇心? どっちもでしょうか。