津野山古式神楽は延喜13年(913)藤原経高が京より津野山郷(東津野・梼原)に来国し、開拓を始め三嶋神社を祭り始めた当時より、神話を劇化した神楽を伝えたものと言い伝えられています。
五穀豊穣、無病息災その他を祈願して秋祭りに氏子が神社に奉納します。舞は11の素面の舞と、6つの面をつけての舞があり、舞い納めるには約8時間を要します。
平成25年11月18日「通し神楽奉納」
毎年7月18日に夏神祭、11月18日に秋神祭が執り行われます。
秋神祭には、五穀豊穣、無病息災などを祈願し宮谷に面のいわれのある津野山古式神楽「山探し」といくつかの神楽が奉納されます。
宮谷の奥山に穴神山と呼ばれる場所があります。そこにはその名の通り穴(洞窟)があります。
昔、藤原時景という者が紀州から落ちてきてその洞窟に住み、天御中主命(アメノミナカヌシノミコト)を祭りました。そのうちに、奈路地が開けると東谷(現在の上谷)に遷し祭りました。
その後、この穴神山に火入れをしたところ宮谷は煙に包まれそれ以来晴れることがありませんでした。地区民は氏神の祟りであろうと恐れ、穴神山に集まり七日七夜お伊勢踊りを奉納し、津野山古式神楽「山探し」を土一期(つちいちご・この世の終わりまで)に奉納することとなりました。
この時、明王院の僧・寿元は神楽の面を買うために紀州に旅立ちましたが、その帰りの船中海が大荒れし難破しそうになりました。
船頭は「お客様の中に何か怪しい物を持っている人があるようですので荷物を調べさせていただきます。」と荷物の検査を始めました。
寿元は買った2つの面のうち1つを海に投げ込み1つは腰掛にして検査をのがれ、不思議なことに海も静まり無事面を持ち帰ることが出来ました。
現在、門外不出の地区の宝として大切に保管されている「山探し」の面はそのときの面である。(上の画像 右側)
宮谷の山探しの面は約200年の歴史を刻み、破損の恐れが出てきました。
そのため舞いに使われる面は、元の面を参考に津野町郷地区・西岡正氏によって新しく彫られ、平成15年11月18日の秋神祭よりこの面で山探しが奉納されています。
他の地区では「大蛮」が抱いて舞いますが、宮谷では「山探し」抱かれて
舞い氏子入りをします。
平成24年11月18日
今年は3名の初参りがありました。
平成24年11月18日
〒785-0502
高知県高岡郡津野町北川(宮谷)
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