9/4 Tue. コトルを歩き倒す [4] |
10:45 奥の階段、城壁出口"B"から広場に出た。 ここは大聖堂から宿に向かう途上だ。 |
コトル旧市街はドブロヴニクのそれより遥かに小さい。だから日帰りする人も多いのだろう。そんな町に3泊もしようなんぞと決めたのは、一日は古都への日帰りに充て、町歩きに飽きたらもう一日は車で近郊へ出かけるつもりだったからだ。このコトルスカ湾岸にある古代ローマ遺跡や、来るとき遠くから眺めた
"岩礁の聖母島" に行こう、と。
ただこの先、いつにない長時間ドライブを強いられるのよねぇ~。今日一日くらい運転したくないなあ。第一、まだ町なかはさらっと見ただけ。飽きるどころか、ちっとも満足したという域に達しちゃいない。歩き尽くしたと豪語できるほど歩き回れるのはこういう狭い町だからこそ、だしね!
その広場、Pjaca od Salate の一角にある ミニ・マーケット |
店内には所狭しと様々な商品が並ぶ |
というわけで、帰りがけに近くの小さなスーパーで飲み物などを調達、テラスで一時間ほど休憩してからふたたび町に出た。
まずは大聖堂前の広場へ。
時刻は12:00をまわったところだった。日陰の石畳がひんやり気持ちいいのか、黒犬が警戒心皆無という様子で足を投げ出し、ユの字になって寝ている。ここいらを縄張りにしているらしく、この広場で何度か遭遇した子だ。
背後は歴史文書館。ドアと窓が一体になった一階エクステリアは、ドブロヴニク旧市街でお馴染みのものだね。そういえば、先ほどのミニ・マーケットも!
歴史文書館前 |
旧・オーストリア・ハンガリー帝国参謀局 |
広場の、残る一辺には現在の市庁舎がある。ここはかつてオーストリア=ハンガリー帝国参謀局 (Austohungarian General Staff, 19th C.) だった建物だ。
ところで、かつて港湾都市として栄えたコトルには、教会に負けず劣らず中世貴族の邸宅がひしめきあっている。市庁舎と向かい合うドラゴ家の館 (昨日のコトルそぞろ歩き[1] でご紹介済み) も、そんなパラッツォのひとつ。今度はそれらに注目しながら一軒一軒見て歩こう。
ホテル・ヴァルダル前 |
こちらは武器広場の一角になる。時計塔を中心とした逆L字形の、奥の部分だ。正面に見えるホテル・ヴァルダル(http://www.hotelvardar.com/) はこの年リニューアルしたばかりで、昨日の夕食で利用したカッターロと同じ4ツ星になった。長らく続いたヴェネツィア時代からオーストリア領へと移行した後の建物なのか、ここでは異色ともいえる建築様式になっている。
ビザンティ家の館 |
その右はビザンティ家の館 (Palata Bizanti, 14th~17th C.)で、現在は一階にブティックや郵便局が入居する。主要建築物には上の写真のように英語とセルビア語で "○○宮殿、××世紀" というような表示があるので判りやすい。
ベスクチャ家の館、 レリーフ |
ベスクチャ家の館 |
←こちらはビザンティ家と通りを隔てて向かい合う、ベスクチャ家の館 (Palata Beskuća, 15th~18th C.)。往時はさぞ威風堂々としたお屋敷だったことだろう。扉上の見事なレリーフとうらぶれた扉の対比が諸行無常を物語る。
ピマ家前の広場 |
そこから大聖堂方向へ戻る途中にあるのが、ピマ家の館 (Palata Pima, 17th C.)。
ピマ家の館 |
旧・グラマースクール |
Makinの家 |
ロンバルディッチ家の館 |
グルボニヤの館 |
そして城壁入口ゲートの右隣が、グルボニヤの館 (Palata Grubonja, 17th C.)だ。
もうひとつ重要な館があるのだが、それはまた後ほど。
あとはドコをどう歩いたのか・・・いつのまにか見覚えのない広場に出た。
続きは次ページで。
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