久しぶりに見覚えのある姿を視界の端に映して、ゼルは足を止めた。
「セルフィ?」
階段を半ばまで上っていた少女が、呼びかけに応じて振り返る。
めずらしいことに、綺麗な銅色の髪はゆるやかに巻かれ、ふわふわ優雅に揺れていた。
「あれ、ひさしぶり〜」
身にまとうのはその瞳と同色の、裾がひらひらとしたケージドレス風ワンピース。
袖はパフスリーブになっていて、ガーデンではあまり見かけないような、何とも可憐な印象を与えるデザインだ。
最近少しはこの手のものも見慣れてきたゼルだ。とりあえず、セルフィの格好がやたらとお洒落に気合いが入ったものであることは判断できる。
が、にも関わらずその細い両腕に抱えられているのは、無骨な放送機材――でかい録画用カメラや三脚やマイクやら――である。薄い素材を重ねた短い裾が、機材に引っかかってほつれたりしないかと、こう見えて少々細かいところのあるゼルは気になってしまう。
「それ、どっか運ぶのか?」
「え? あ〜うん、えとね、エレバトール先生が授業で使いたいから、機材とマニュアル持ってきて〜って」
「そっか」
頷いて、手を伸ばして彼女の抱えていた機材類を引き受ける。
「へ?」
きょとん、とセルフィは眼をまるくし、それから我に返ったように慌てて空になった手を伸ばしてきた。
「あ、いいっていいって〜! こんなの自分で持てるよ〜」
「いいって。……ほら、そこ、リボンほどけてんぞ」
「う?」
機材で隠れていて見えなかったが、持って歩いているうちにこすれたのだろう、ワンピースの胸元に結ばれていたはずの細く黒いリボンはすっかりほどけ、いつも外さない銀鎖のペンダントの下でひらひらと揺れていた。
歩き出すゼルを慌てて追いかけながら、セルフィはほどけてしまったリボンを結び直している。
「なんでガーデンでんなカッコしてんだよ。汚れたり穴開いたりしても知らねーぞ」
呆れた声を出したゼルに、ようやくきちんと綺麗にリボンを結び直したセルフィが早足で追いつき、横に並んでえへへと笑った。
「うん、あのね、今日の夜ごはんは、スコールと、スコールのお友達カップルさんとでダブルデートして食べるのです〜!」
「ダブルデート?」
「そ。スコールのお友達の彼女さんがね、あたしとスコールをいっぺん見てみたいんだって」
スコールとのデート、だけならともかく、その友人カップルと一緒ともなれば、一応セルフィも見た目に気を遣おうと思ったりもするわけだ。
意外といえば意外だが、それにしても、とゼルは肩をすくめる。
「んじゃ晩飯食いに行く直前に着替えろよ。汚れたり皺になったりしたら、着飾る意味ねーだろうが」
「あ〜……なるほど」
「……なるほど、じゃねーよ」
呆れてゼルは嘆息する。まったく、このくらいの年代の女の子なら真っ先に気にしそうなことなのに、友人の男に指摘されて初めて気づくとは何事だろう。リノアやキスティス、図書室の少女達だったら絶対ありえないことだ。
「スコール、大人しくしてろって言わなかったのか?」
「う〜ん、どうだろ? そういえば前ポシャった時に似たよ〜なことを言ってた気が……あきらめたのかも」
「ああ……すっげーわかる」
ゼルは苦笑して、な〜にそれ〜と不本意そうに頬を膨らませ、横をぴょこぴょこ歩いている少女を改めて見た。
まだどこか線の細い感じは残っているが、1ヶ月前――正確にはまだ半月程度か――にガーデンで見た時よりはずいぶん元気になったようだ。
「いつ帰ってきたんだよ、こっちに」
昨日の慰霊祭では、スコールが指揮官として出席しているのは目撃したし話もしたが、セルフィの姿は最後まで見られなかったのでそう聞くと、セルフィは小首を傾げてゼルを見た。
「う? スコールと一緒に、昨日だよ。ん〜っと、正確には一昨日から昨日になる間ぐらいの夜おそく〜」
夜じゃないとマスコミうるさいからねえ、とセルフィは付け加えて、鈴を転がすようにくすくす笑う。
「昨日? 慰霊祭にいたか、お前?」
驚いてゼルが眼をまるくすると、セルフィはゼルの言わんとしていることが伝わったのか、ああ、と笑って教えてくれた。
「慰霊祭は、ちょ〜っと離れたとこから見てたから、墓地には直接入ってなかったんだ〜」
「へえ……」
昨日の慰霊祭からバラムガーデンへ戻っていたとは実に意外だった。
元々、セルフィはトラビアガーデンで十数年を暮らしてきた少女だ。バラムガーデンの集団墓地で眠る生徒のほとんどとは面識すらなかったし、そんな少女がわざわざバラムガーデンの慰霊祭になんて、出席する意味もないだろう。
「てっきりオレ、お前はトラビアガーデンの方の慰霊祭出てるかと思ってたぜ。日程は全ガーデン共通だろ?」
「……ん、多分ね」
よく知らないけど、とセルフィは軽く肩をすくめる。
「だろ? だからさ、あっちの方がお前の友達多いわけだし、絶対セルフィはあっちなんだろうなーって思ってたんだけどなぁ……スコールも気が利かないな」
また例の如く独占欲を発揮して、セルフィを一緒に連れ帰りたがったのだろうか。呆れるゼルに、セルフィはくすくすと苦笑しながら首を横に振った。
「そんなことないよ、スコール優しいよ。今回こっちに帰ってきたのは、卒業式帰ってこられなかったから、出戻りの先輩と会う約束してたからだよ〜」
ガーデンは毎月末に卒業式が行われるが、進路先の関係で年度末である3月末に卒業する生徒が一番多い。
そうなると4月頭の慰霊祭に出席する者は、3月末に見送られたにもかかわらず、速攻でガーデンに来ることになってしまうので、それを『出戻り』と呼んでからかうのが慣例だ。
どうやらセルフィの知人に、その出戻り組に該当する人物がいたということらしい。
「何そいつ、別の国に行っちまったとか?」
卒業後にバラムへ留まるのなら、トラビアガーデンの慰霊祭を蹴ってまでガーデンで会う理由など見つからない。会おうと思えばいつでも会えるだろう。
となると他国就職組かと問いかけたゼルに、セルフィは曖昧に笑って首を振った。
「一応バラムだよ。でもお医者さんになるとかで、なんか忙しくなるみたいだから、簡単には会えなくなっちゃうんだ〜」
「ふうん……」
そんなものなのか、とゼルは首を傾げながらも、一応納得する。
「じゃあ、昨日会ったのってその先輩だけ?」
セルフィは記憶を探るように、少しだけ首を傾げた。
「ん〜……その先輩と、スコールと、ちょっとだけシュウ先輩と……あ、あとはおじいちゃんともちょっと話したよ。偶然だったけど」
「おじいちゃん?」
「うん。エバンズのおじいちゃん」
こっくり頷いたセルフィに、該当する人物を脳裏に思い浮かべ、ゼルは呆れて苦笑してしまった。
「何お前、まだじいちゃん呼ばわりしてんのか、あの人のこと」
「だって、そう呼んでいいって言ってたもん〜」
セルフィが『おじいちゃん』呼ばわりしているのは、バラム公エレイドイ・エバンズ3世――要するに、この国の元首である。
バラム公国とバラムガーデンは密接な関係を持っており、毎年の慰霊祭にはバラム公からの使者も出席していたのだが、先の第3次魔女戦争においては、バラム領土に侵略してきたガルバディア軍をSeeDが応戦、撤退させたという実績をあげていたこと、またあの戦争でガーデン生からも多く犠牲者が出たこともあり、昨年の慰霊祭からはバラム公自らが、わざわざガーデンまで来て出席するようになっていた。
その昨年の慰霊祭で、バラム公から世界を救ったSeeD達に直接礼が言いたいとガーデンに申し入れがあり、シドがそれを了承したため、応接室でスコール達はバラム公に初めて対面し、挨拶をさせられたわけだが、当時トラビア長期出張中だったセルフィはただ慰霊祭に帰って来るよう命じられ、詳細を告げられずに応接室まで呼び出されて来ただけだったので、室内でスコールと並んでいるバラム公を見るなり、小首を傾げて言った台詞が、
「誰その人、スコールのおじいちゃん?」
だったものだから、その場は爆笑する公と中途半端な笑顔のままかちーんと凍りつく政府高官と学園長、偏頭痛に見舞われるスコール達SeeDの面々、呆れ果てるその他の人々と、混乱の坩堝と化してしまったのだった。
「あれは笑ったぜ〜。あんなシ――ンって緊張した部屋でさ、ごっつい護衛やら何やら従えた偉そうな爺さんに向かって、いきなりスコールの爺さんかだもんなぁ……いっくら天然だからって、普通は思わねーよ。ホントお前の発想おかしいって」
「む〜、だって、テレビで見るよりカッコ良かったし、なんかちょっとスコールっぽかったんだもん〜」
むくれて唇をとがらせながら、セルフィはあの時と同じ言い訳を口にする。
同性のゼルから見ても、非の打ち所のない美形男のスコールだ。それに似ている、テレビより実物の方がカッコいいと評されたバラム公は当然悪い気などしなかったのだろう、大笑いをしてセルフィの無礼を不問にし、なんならおじいちゃんと呼んでくれても構わないなどと冗談めかして言ったら、セルフィがこれまた大真面目に受け取ってそう呼んだので、これは剛毅だとますます大笑いし、すっかり機嫌を良くして帰って行った。
……ちなみに、ゼルの眼にバラム公は、容貌はまあ良い方だとは思うものの、特にスコールに似ているようには思えなかったのだが。
「昨日はホントにたまたま〜……あたしがちょっとスコールに会いに行ったら、ちょうどおじいちゃんが一緒にいて」
「ま、あいつ指揮官だからなぁ……なんか話したのか?」
「う? あ〜……婚約おめでとう、だって」
居心地悪そうに声を少し小さくしたセルフィに、ゼルは思わず顔を向けてしまっていた。
「うわ。……もう相手お前だって知ってんのか」
確か、スコールとリノアとの恋人関係解消の情報公開が実質上解禁となったのが、ほんの半月前。しかもその時あの学園長室に居合わせた者にバラム政府関係者なんて当然いなかったし、何だかんだ言いながらもスコールやセルフィの味方であるバラムガーデン生が、彼らの関係を吹聴して回る可能性は高くない。
それにラグナがテレビ番組で、実子の存在を明らかにし、その子が婚約者連れで来年エスタへ来るという話をしたのは、たった2日か3日ほど前のことだ。――ちなみにスコールはガーデンの指揮官、セルフィはエスタパニック解決の貢献者という表現をされていて、個人名を公表されたのはエルオーネただひとりだった。
「すっごいよねぇ〜」
しみじみとセルフィが頷いている。
「恐るべしバラム公……」
さすがは国家元首、情報早すぎとゼルも感心しきりである。
それにしても、だ。
「けどよ、その婚約者っつーのはオレらもびびったぜ。いつそんなことになったんだよ、お前ら」
あの番組はもちろんガーデンの皆も見ていたが、あの婚約者の下りには全員一斉に眼をむいて、仰天したものだった。
おまけに問い合わせようとスコールとセルフィの携帯をいくら鳴らしても、電源が入っていないので繋がらなかったため、ガーデンの混乱はいや増しに高まってしまったのだった。
「いつって、会見した日の朝だよ〜。恋人じゃちょっと弱いから、とりあえず婚約者ってことにして発表していいかって言われたから、別にいいですよ〜って」
対して、セルフィは肩をすくめ、あれはあくまで名目上だとつまらなさそうに返答する。
言われて見てみれば、なるほど婚約指輪らしきものもつけている様子はない。珍しく小指に小さな指輪が嵌っているが、婚約指輪の類は左手薬指につけるものだということぐらいは、ゼルだって知っている。
「なのに、今日はもうみんなして婚約婚約って〜。別に今までとなんにも変わってないのに、やんなっちゃうな〜」
「そりゃお前……」
当たり前だろそんなこと、とゼルは思わず溜息をついた。
「婚約っつったら結婚だろ? ただでさえお前、ガーデン出る前に学園長室で、スコールがいざとなったらセルフィと結婚してやるみたいなこと言ってたし、そこへもってタイミング良くあの発表じゃ、卒業前に学生結婚しちまうんじゃないかって、みんな思うに決まってんだろーが」
噂好きのガーデン生達に、ガーデンで最も有名なカップルが卒業前結婚なんてネタを渡したら、そりゃあ骨の髄までしゃぶりつくそうとするに決まっている。
「結婚〜?」
にもかかわらず、その辺の自覚がとことん薄いらしいセルフィは、翠の瞳をきょとんとまるくしてゼルを見返し、それからはじけるように笑い出して首を横に振った。
「ないない、それはないって〜! 結婚なんてしないしない、ありえないよ〜」
とん、とステップを踏むようにゼルの前へと歩を進める。
「大体結婚とか奥さんとか、そんなのあたし向いてないも〜ん。ぜ〜ったい無理なんだから」
言いながらくるりと振り返り、セルフィは心底おかしそうにきゃらきゃら笑いながら、ゼルに同意を求めるように小首を傾げた。
「ねえ? ゼルだって、そう思うでしょ?」
ゼルは、ちょっと困った顔をした。
確かにこの少女が自分の母親のように主婦をやっている姿なんてものは、まったく想像することができない。
まだまだ子供っぽいところが多分にあるし、家の中にいるよりは戦場を駆け回っている方が似合っている。
とはいえ、ここであっさり肯定してしまうと、後でスコールあたりがとっても怖そうなので、ゼルは保身に走ることにした。
「そりゃお前が主婦ってのは、絶対向いてねーとは思うけど。別に、専業主婦になる必要はないんじゃねーの?」
「だったら今のままと変わらないんだから、このまんまでいいってことになるでしょ〜?」
一緒に暮らして、それぞれ仕事をして。なるほど確かに現状そのままだ。
「あ〜もう、こ〜ゆ〜話はワケわかんないからパスパス! ちゃっちゃとそれ、先生んとこ運ぼ!」
「……って、こら、先行くなって!」
大荷物のゼルを置いて、軽い足取りでぱたぱた先へと進んでしまうセルフィを慌てて追いかける。
呆れながらも少しだけ、元気そうで良かったとゼルは安堵した。
スコールとセルフィの長期休暇は1ヶ月ほどだったが、その休暇を取得する条件として、4月頭の慰霊祭と入学式には出席することがガーデン側から課されていた。
無論、出席が義務になるのはガーデン指揮官たるスコールだけだ。
セルフィに言ったとおり、彼女が出席するならトラビアガーデンの方だろうと思っていたこともあり、昨日の慰霊祭でセルフィの姿が見えなかったこと自体は、ゼルも特別気にしていなかったし、わざわざセルフィがいるかどうかも聞いたりはしなかった。
本当は少し、ラグナの発表にあった『婚約』についての真偽は問いただしてみたかったが、帰って来るなり慰霊祭の準備で走り回っているスコールを見れば、さすがに今は聞かないでおこうと配慮してしまうのが人情だ。
だからゼルの方からセルフィの話題は一切振っていなかったのだが、意外なことに、スコールはそんな忙しい合間を縫って、わざわざゼルに話しかけてきて、自分からセルフィの話題を持ち出したのだった。
「ひとつ、頼まれてくれないか」
大したことじゃないんだが、と付け加えて、スコールはいつもの通り淡々と、抑揚のない声で告げた。
ごく単純な、けれどとても奇妙な依頼。
「一言、声をかけてやって欲しいんだ」
そんな風に、その頼みを大真面目にスコールは口にした。
もしセルフィと同じ場所に同席していて、席を外す時は、セルフィに一言「席を外す」と声をかけてからにして欲しい、と。
「どこに行くかとか、そんなことは言わなくていい。ちょっと出てくるとか、そんな程度の声かけでいいんだ。
とにかく、セルフィにとって、気がついたらそこにいたはずのあんたが消えていた、という状況にしないでもらえればそれでいい」
たとえセルフィが誰かとのお喋りに夢中になっていたら、肩を叩いて中断させてでも声だけはかけてやって欲しい、とスコールは付け加えた。
「別に……いいけど」
意味は良くわからないが、何やらスコールは真剣なようだったので、ゼルはとりあえず頷いた。
「助かる」
スコールはそう言って、それから最後に、「俺がこんなこと頼んだなんて、セルフィには言うなよ」と口止めをして、忙しく仕事に戻っていった。
(……何の意味があるんだかなぁ……)
教官室まで機材を運び、にぎやかにマニュアルの中身を教官に説明しているセルフィを眺めながら、ゼルはこっそり首を傾げた。
何気なく確認してみた限りでは、スコールは少なくとも、石の孤児院の幼なじみ達全員に同じことを頼んでいたらしい。
そういうわけで昨日から執務室では、「部屋を出る時には一声かけようキャンペーン」が展開されていた。
セルフィがいる時だけ、だとうっかり忘れそうなので、最初から習慣づけてしまおうというわけだ。
誰もスコールの変な頼みには異議を唱えず、あのサイファーですら仏頂面ながらそれに応じている事態に、ゼルの中ではますます謎が深まったが、口止めをされている以上セルフィ本人に聞くわけにもいかない。
まあ、別に、一声かける程度のこと、大した労力ではないからいいのだが。
「悪かったね、わざわざ」
セルフィに放送機材の貸し出しと説明を求めたエレバトール教官はそうねぎらって、セルフィの分とゼルの分、それぞれに教官室の自販機でジュースを買って渡してくれた。
「ティルミット、この後時間はある? もし可能なら、さっきの件で手伝って欲しいことがあるんだけど」
ジュースを受け取りながら、セルフィはうーんと首を傾げている。
まだ少しセルフィと話をしたかったゼルは、教官のそんな依頼をどうセルフィに断らせようかと考えを巡らせたが、何かを思いつくより早く、意外な人物が口を出してきた。
「ティルミットはまだ休暇中の身ですよ、エレバトール先生」
低く響くその声は、ガーデンの指導教官にしてSeeDの派遣業務に関する責任者であるマックス・ガレイブールのものだ。
噂によると、今回のスコールとセルフィ長期休暇取得に尽力してくれた協力者でもあるらしい。
学園長派とマスター派に分かれて起きた内部抗争の果てにマスター派の教官が一斉に更迭され、結果的に教官達の平均年齢が下がった現在のガーデン内においては珍しく壮年の彼は、長い年月を戦場で過ごしたという経歴そのままに、背は高くないが筋肉質のがっちりとした身体は岩のように雄々しく、巌のような印象と裏腹に行動は敏捷で、肌は陽に焼けて浅黒く、その顔には過酷な環境と戦闘による多大なストレスによって深い皺がいくつも刻まれている。
「ガーデン側が休暇取得の条件に出したのは、慰霊祭と入学式の出席です。それも、出席義務があるのはレオンハートの方だけともなれば、ティルミットはただの付き添いにすぎない」
話していると意外と融通が利いたりお茶目な面もあったりするが、基本的にマックス教官は厳格な人物として知られている。
公私の区別はきっちりつけるマックスからすれば、セルフィが現在休暇中の身である以上、あれこれ仕事を依頼するのは許されないことなのだ。
立場も年齢も何もかもが上であるマックスにそう諭されれば、エレバトールは引き下がらざるを得ない。
それもそうですね、とマックスに向けて微笑んで、エレバトールはセルフィの方へと視線を戻した。
「とにかく、機材は感謝する。返却する際は、直接放送室へ持っていった方がいい?」
「んと、どっちでも。言ってくれたら、取りに来ますけど〜」
「いいよ、勝手に放り込んどく。……じゃ、さっきの件は、こっちで対処するから」
言って、エレバトールは一度マックスに会釈をすると、セルフィ達が運んできた機材を抱えて教官室を出て行った。
残されたゼルとセルフィは何となくその背を見送って、それから何となく2人同時にマックスの方へと眼を向けてしまう。
「え〜と……ありがとございます」
一応助けてくれたことに対してセルフィが礼を述べると、マックスは気にするな、と抑揚のない声で低く言い、それから身体の向きを変えて教官室を出て行こうとし、ふと何かを思いついたように肩越しに振り返った。
「シュウからは聞いたか?」
え? とセルフィは一瞬眼をまたたいたが、マックスが補足説明をするより早く問われたことを察したか、こくりと頷いた。
「はい。え〜と、昨日会った時に」
「そうか」
マックスは淡泊に頷いて、顔を前へと戻しながら言葉を続けた。
「まあ、気を落とさないことだ。……お前とレオンハートにとっては、案外この方が好都合かも知れんしな」
「……う?」
セルフィは小首を傾げたが、マックスはそれ以上何も言わず、泰然とした足取りで教官室を後にした。
きょとんとしている彼女の様子に、ゼルは何のことかと聞こうとしたが、そこでようやく教官室にまだ数名残っている教官達が、こちらを注目していることに気がついた。
お目付役のマックスも退室してしまったし、ここでのんびりしていると、また新たな仕事を頼まれかねない。何でもホイホイ笑顔で引き受けてしまうセルフィの性格を、このガーデンで知らない者はいない――もっとも、貸しはきっちり回収するところまで認知されているかはまた別問題だが。
「オレらも行くぞ、セルフィ」
言いながらセルフィの腕を掴み、教官達にじゃあ失礼しますと言い置いて、ゼルはとっとと教官室から廊下に出た。
特に抵抗もなくついてきたセルフィに、肩越しに振り返って小さく笑う。
「せっかく飲み物もらったんだから、どっかでゆっくり飲もうぜ」
セルフィは翠の瞳をちょっとまるくしただけで、すぐににっこりと笑顔になって、いいよ、と頷いた。
***
適当に空いていた教室に入り、椅子ではなく机にそれぞれ行儀悪く腰掛けて、報酬のジュースを飲みながらエスタでの話を聞くと、セルフィはぷらぷらと子供のように足を揺らしながら、軽く小首を傾げた。
「う〜ん、基本的には官邸の中お散歩してただけだからなぁ〜……面白いことは特には……あっそうだ、ゼル知ってる? エスタの官邸ってね〜、なんかすごいお部屋がい〜っぱいあるんだよ〜!」
初めはさして乗り気ではない口調だったが、途中でぱっと何かを思い出したように顔を輝かせ、少しだけ身を乗り出すと、あれこれにぎやかにエスタ官邸見聞録を話しはじめる。
特別な部屋に入るときは、手を機械に押しつけるだけでロックが解除されるセキュリティになっていること。
精密機器を緻密に組み立てたコントロールルーム、VIP専用の豪奢な応接室、官邸付きの楽団が使う、透明な可愛いピアノの置かれた楽器室。
様々な災難に見舞われたエスタだが、それでも経済的にはまだまだ豊かであることが窺い知れる話である。
物知りゼルを自称する身としては、この手の雑学は大歓迎なので、ほうほうと興味深く話を聞く。
「じゃあ、ひたすら官邸ん中見てただけか?」
彼女の話題が官邸から外へと出ないことに疑問を投げかけると、セルフィはん〜っと人差し指を唇に押し当てて、記憶を探るように中空を見上げた。
「えっと、お外に出たのはマホ研に検査行ったのと、あと一回だけ市街をデートしたくらいかな?」
「お前がそんな外出しないのって、ちょっと記録的だな」
「ホントだよ〜! 禁断症状が出そうだったよ〜」
両手を拳に握りしめて、力一杯セルフィが頷いた。
これはさぞかし退屈しきった彼女のお守りをしていたスコールは大変だったろうと、ゼルは内心少しだけ同情した。
「市街ってショッピングモールか?」
「うん、あんまりあちこち出歩けないからね〜。冷蔵庫買いたかったし」
この2人がエスタからミニ冷蔵庫を送りつけてきた話なら、ゼルも良く知っている。
「2人で買い物なんかして、バレなかったのか? 有名人だろ」
セルフィは首を横に振った。
「別に、テレビで毎日顔が流れてるってわけでもないし、髪型変えたり、制服で歩ったりしなければ案外平気だよ〜? エスタではよくお仕事もするけど、その時もバレたことなかったし。……スコールは違う意味で目立ってたけど」
言いながら、当時のことを思い出したのだろう、くふふと笑うセルフィに、ゼルも苦笑して頷いた。
「あーわかるわかる。監視任務とかぜってーできねータイプだよな、あいつ」
「だよねぇ〜!」
ターゲットを数日間に渡り朝から晩まで監視する任務。この任務に必要なのはとにかく目立たないスキルである。
たとえ毎日同じバス停から同じバスに乗って同じ駅で降りたとしても、決して対象者の記憶に残らない人間でなければ監視任務は遂行できない。
畢竟、外見が綺麗すぎて人目を引きまくるスコールには、絶対向いていないというわけだ。
「けどそれってすっごくカッコいい〜ってことだもんね! 友達にも自慢しちゃった〜。ホントにカッコいい〜って驚いてたんだよ〜!」
えへへへぇとご機嫌にセルフィは笑み崩れ、ここまで臆面もなくのろけるセルフィは滅多に見ないなとゼルは内心意外に思う。
リノアとの件やら何やら、ゼルには窺い知れないがそれなりに複雑な事情もあるらしく、こうしてセルフィがスコールの話題を積極的に持ち出すこと自体が実に珍しい。
何かあったかな、と思うゼルに、セルフィはふと何かを思い出したように、ぽんと手のひらを合わせた。
「そうだ、友達と言えば……ねえゼル、せーたい兵器って知ってる?」
「……は?」
おいこら何でいきなり話が兵器に飛ぶよ?
と、一瞬ゼルの頭は空白化したが、こっちを見ている翠の瞳は大真面目だ。からかったり冗談を言ったりしているわけではないらしい。
(そ、そういやこういう奴だったな……)
くるくるころころと話がアクロバットのようにあちこち飛んで、真面目に聞こうとしていると肩すかしを食らったり、頭が混乱して疲れたり……。
こういう場合、前後の繋がりなどを真剣に考えようとすれば確実にドツボに嵌る。深くは考えず、適当に話を合わせておくくらいで、セルフィ相手の場合ちょうどいいのだ。
「……ああ、ガルバディア軍が力入れまくってた奴だろ? 今もうだうだやってるっぽいけど」
気のない返答をしたゼルに、セルフィはきょとん、と翠の眼をまんまるに見開いた。
「うわ。さすが物知りゼル……何で知ってるの」
「何でって……いただろ普通に。ミサイル基地で……って、そっかお前、基礎モン駄目だったんだな……」
モンスター類の姿と特徴は完璧に記憶しているくせに、名前とそれらが一切結びつかないという、実に特殊な記憶の偏り方をしているセルフィの特質を思い出し、ゼルはええと、と記憶を探りながら両肩に手を当てた。
「だからほら……なんかこの辺に銃みたいなの積んでて、口ん中にもなんか銃入ってる、変なのがいたろうがよ……」
むむ〜とセルフィも記憶を探るように人差し指をこめかみに押しつけて難しい顔をして唸り、ややしてはたと何やら閃いたように、その人差し指をぴっとゼルへと突きつけた。
「あ〜あ〜あ〜……なんかあの、緑っぽい!?」
「そうそうそう、緑っぽくてわけわかんねー奴!」
つられて人差し指を突きつけ返してしまいながら大きく頷くと、セルフィはなるほど〜と深く納得したように呟いた。
「他には生物兵器ってのがアルティミシアの城にいたけど……あれはまあ、魔女の力で作ったモンだろうから、ガルバディアにいたのとは別物かな。……けど、それが何なんだよ?」
「ん〜、ちょっと興味があって」
言ってセルフィはぷらぷらっと両足を軽く揺すり、その爪先に視線を向けながら言葉を続けた。
「前にね、任務で行ったとこが、そういうの研究してるとこで〜、データこっそり見たら、そういう生体兵器とかがメインっぽくて、結構大規模に実験とかもしてるっぽいんだよ。
一時期セントラでモンスターが大量増殖したのとかも、そゆのの実験をした弊害で起きたんじゃないか〜って言われてるみたい」
セントラ大陸でモンスターが異常発生したという話は、そのおかげでSeeDの出動回数が増加したため、バラムガーデンにいる者なら誰でも知っていた。
「けどね、ガルバディアも生体兵器に力入れてたけど、それとは違うの。あたしが行ったのはエスタの会社だったし、そこで見た生体兵器ってのも、ガルバディアにいたのとはちょっと違ってて……なんていうか、ガルバディア軍は生体を機械で制御するタイプの兵器開発に力入れてるでしょ? こう、見た目からして機械と生体が融合してま〜すみたいな。
けどエスタのは機械とかを埋め込んだり融合させたりってことはしないで、弄ってるのは中身だけっていうか……」
言いながらセルフィはちょっと小首を傾げて、的確な言葉を探すような間をおいて、ぽつりと言った。
「なんていうかね、全然フツーのモンスターと見かけは変わらなかったの。見たこともないモンスターだったけど、でも機械とかそんなのはくっついてない、生物〜って感じの。
あたしが見たのはまだ試用段階のものだったから、戦闘能力に関してはそんなに高くなかったけど、とにかく基本コンセプトがガルバディアにいたのとはまったく逆で、見た目はまったく普通のモンスターとかなのに、中身は機械で制御されてますよ〜っていうタイプの兵器シリーズみたい」
ガルバディア軍の生体兵器は、モンスターに機械を融合させ、搭載したシステムで思考制御を奪うタイプのものだ。
それに対し、セルフィがエスタで見たそれは、恐らく遺伝子を弄って姿形を変体させたモンスターで、思考制御は脳内部を弄っていると考えられる。
機械的な生体兵器のガルバディアと、有機的な生体兵器を作ったエスタ、という図式だ。
「ゼルは知ってた?」
問いかけられて、ゼルは難しい顔をしてちょっと唸った。
「ん……そこそこには。モンスター増殖もなんかの軍事利用だろうとは言われてたし、そこら辺かなとは思ってたけど」
「……フツーに考えれば、まあそこに行き着くよねえ」
あれが自然発生的なものではなく人為的な異常増殖であるのなら、そんなことをする目的としては軍事利用くらいのものだろう。
「ただあたしが興味あるのは、どうも有機的な生体兵器の方は、対象がモンスターだけじゃないみたいなんだよね〜」
「というと?」
「つまり〜、人間も、ってこと」
さらりと告げられ、ゼルは眉根を寄せ、セルフィは肩をすくめた。
「あたしも専門じゃないから詳しくはわかんない。けど、データ見てわかった限りでは、精神制御だけじゃなくて、痛覚潰したりとかそういうこともかなりやってるっぽいし、モンスターで実験しただけじゃなくて、どうも人体実験もいくつかしてるっぽいんだよね〜」
うえ、とゼルは顔をしかめた。
痛覚を潰して、というあたりがもう、どこぞの三流映画並みにエグい。
「ラグナ様は元々あんまり戦争とか好きじゃない人だから、機械兵推進派だったけど、こないだの魔女戦争でやっぱ機械だけじゃダメだ〜って意見の方がエスタでは主流派になっちゃったでしょ?
それもあって、生体をもっともっとも〜っと強化して、でも命令主には絶対服従な兵隊を作って、それを実用化にまで持っていきたいみたい」
「……けどそれ、特別エスタだけの傾向ってわけでもねーだろ」
セルフィの話を聞きながら、ゼルは脚を高く組み、そこに肘を突いて顎を乗せた。
「ガルバディア軍が機動兵器だの機械と組み合わせた生体兵器だのの開発に力入れてたのは事実だけどさ、デリングの時代から新たな生体兵器の方向性ってんで、有機的生体兵器の研究はしてたみたいだぞ。
そこへもって、エスタが開国したら、あっちはガルバディアなんか眼じゃないくらい科学が発展してたわけだろ?」
そもそも、ガルバディアが多額の軍事費を計上して兵器開発に血道を上げたのは、ひとえに鎖国していたエスタにいるであろう、魔女アデルを恐れたからだ。
ガルバディアには当時魔女がいなかった。だから、魔女に対抗できる手段としては、どうしても科学の力に頼らざるを得なかった。
ところが蓋を開けてみれば、懸命に科学の発展に力を尽くしていたはずなのに、オダインという天才を擁していたエスタに大きく水をあけられてしまっていたわけだ。――才能の差とは残酷である。
「魔女はもういないし、科学じゃエスタに敵わないしってんで、理由こそ違うけど、エスタと同じに生体強化の兵器開発によりシフトしてるみたいだぜ。
けど、あっちは軍縮傾向だからなぁ……右よりの連中はみんな揃って水面下潜って、こっそり動いてるって話だけどな」
セルフィは翠の瞳をちかりと輝かせ、それからふう、と息をつくと天井を見上げ、のんびりと言った。
「障害はリノアのお父さん、かな〜?」
「……らしいな。けどまあ、旧デリング派の連中もまだまだしぶといらしいぜ」
元々ガルバディア軍の兵器開発プロジェクトに多額の予算を割いていたのは、徹底した大国主義を貫いたビンザー・デリングの命令があってこそだ。
右傾化しつつあるエスタとは打って変わって、ガルバディアは先の戦争の反省もあり、やや左傾化の傾向を示している。
新大統領であるフューリー・カーウェイは軍事費の大幅な削減に踏み切って、軍組織も抜本的な改革に着手している状態だ。
エスタや周辺諸国を警戒し、軍力増強を主張する旧デリング派の不満は、日一日と高まっているというわけである。
「けど、活動自体は活発みたいだぞ。どこがパトロンについてんのかは知らねーが……エスタで完成してるっていう有機的生体兵器だって、もうガルバディアでもかなりの成果をあげてるはずだぜ。
さすがに人間弄ったって話は聞かねーけど、デミヒューマン(亜人種)あたりはかなり人体実験の被害にあったなんて噂は良く聞くし……。
とはいえ怪談の域を出てないものも多いから、どこまでがマジでどっからが嘘なのか、その辺の実体はオレも知らねーけどな」
「……うん、あたしも、似たようなのはガルバディアで見たことある。まだデリングさんが生きてた頃だし、あれが生体兵器の一種だったのかどうかはわかんないけど……そっか、デミヒューマンか……」
この世界にはごく少数ながら、デミヒューマンと呼ばれる亜人種が存在している。
たとえばあのシュミ族なども、成長過程で変態してしまうのでやや特殊ではあるが、デミヒューマンに該当する。
彼らの歴史は差別と迫害に彩られており、人間と同等の権利が与えられている種族はとても少なく、ほとんどの場合、シュミ族同様に、同族同士で固まって暮らしている。
小さな島国であるバラムにデミヒューマンの種族が生息しているという話はまったく聞かないが、ガルバディア大陸はさすが広いだけあっていくつかの種族が存在するらしく、ガルバディアガーデンにもデミヒューマンの団体が在籍しているのは有名だ。
身体能力が人間より劣っているため、SeeDになったデミヒューマンは未だかつて存在せず、それ故このバラムガーデンにおいてその姿を見ることはまずないのだが。
「……うん、だからね、この生体兵器絡みの話は、けっこう複雑な絡まり方してるみたいなんだよね〜。
こないだ友達に教えてもらった情報でも、あたしが行ったエスタの開発組織は、ガルバディアと関係があるみたいだし、もしかしたら、そもそもガルバディアからのノウハウをもらって、エスタで完成した兵器って可能性もあるわけだし」
「けど、旧デリング派はエスタを警戒して軍事強化叫んでんだろ。それがエスタの連中と繋がってるって……どっちが国を売ってんだ?」
「それは知らないけど……エスタの人って、魔女嫌いなんだよね」
淡々とした口調で言われ、ゼルはちょっと言葉をのんだ。
魔女に散々国を蹂躙された記憶も生々しいエスタ国民の間では、未だ魔女に対する不信感、嫌悪感は根強く残っている。
スコールがエスタで歓迎されるのは、魔女リノアの騎士でありながらその実、歴代の魔女を次々倒した実績を持ち、この先リノアが発狂した際も確実に倒せる実力があるからに他ならない。
騎士というのは建前で、実際は魔女を監視しているのだろうと本気で思っている人間の方が、主流派なくらいだ。
その魔女リノアを擁しているのは、旧デリング派とは真っ向から対立する形となっている、現ガルバディア大統領のフューリー・カーウェイ、だ。
「……なんだよ、リノアをぶっ殺すためになら、敵国とでも手を組むっていうのかよ?」
「ん〜、それだけならいいんだけど」
セルフィはまたぷらぷらっと足先を上下に揺らし、ふう、と一息ついた。
「魔女っていうのはあたしと違って、力を誰かに継承しない限り死ねないわけで〜、要するにリノアを殺したって、この世界から『魔女』って存在が消えるわけじゃないでしょ?
文献とか見る限り、力が拡散しちゃって、何人に継承しちゃったかもわかんない例とかもあるわけで〜、リノアを殺しちゃったら次は誰が魔女なのかわかんなくって、かえってめんどくさいことになっちゃう可能性もあるんだもん〜。
昔エスタがアデルを封印して宇宙に飛ばしちゃったのだって、アデルを殺す力がなかったってのももちろんあるけど、それだけじゃなくて、殺しちゃったら誰に力が継承されるかわからないっていうのも、おっきな理由だったみたいだし。
それだったら、魔女がリノアだってわかってる状態で、魔女の被害を未然に防ぎましょ〜って方向性になるのは、割とわかりやすいよね。
で、さっきも言ったけど、この生体兵器開発プロジェクトは、ガルバディアのもエスタのも、人間の思考制御ってのが研究の一環になってるんだけど」
「――……っ」
ゼルは思わず顔色を変えた。
はっきり言って、セルフィの口調は淡々としているものの、語られている内容はあまりにもエグすぎる。
「ゼル?」
「……い、いや、いい。わかった。もうそれ以上言わなくていいから」
このほのぼのとした鈴の声ではっきり言われたら、何だか頭で考えるより深いダメージを食らいそうな気がして、慌てて手を振り続く言葉を遮った。
そう? とセルフィはゼルの様子にはさほど斟酌する気もないように向けた視線を外し、ぷらりぷらりと足を揺らしながら、うん、とひとつ頷いた。
「要するに〜、まあ、そゆこと。……あたしが想像してるだけだけど、多分どっちも国売ってるつもりはないと思うんだ〜。
とにかくどっちも技術を完成させたい〜っていうのが先にあって、でもオダイン博士はラグナ様お抱えになっちゃったから、協力要請するのも難しいわけでしょ?
そしたら凡人同士、協力し合って才能の差をど〜にかするしかないってことだよね。ほら、どっかの国のことわざで、どんな人でもいっぱい集まったらちょっとはマシになるみたいな言葉があったでしょ? ……ラグナ様が言ってた気がしたけど、なんてことわざだったかなあ〜……」
「……さ、さあ……」
この、おっとりほのぼのとした口調で辛辣に毒を吐くのは相変わらずだ。
ついでにラグナが使ったことわざなら、覚えない方が身のためなのではと内心ひそかに思ったりもしたが、一応それはゼルの心の中だけに留めておくことにした。
「とは言っても、研究段階までの協力関係で、終わったらリノア争奪せ〜んってなるのか、それぞれ目標は別々でした〜ってなるのかは知らないけど」
言ってセルフィはぷらぷらと揺らしていた足を止め、軽く肩をすくめてちょっと笑った。
「ま、そゆわけで他人事でもないし、いちお情報は色々集めとこうかな〜と思ってさ〜」
「……え、他人事って……?」
いや確かにリノアは友達だしスコールは彼女の騎士だし、そういう意味で他人事とは言えないのかも知れないが。
それにしてもセルフィがこんな風に肩入れするのも何か不思議で、ゼルがちょっと眉を寄せると、セルフィはまた曖昧に微笑んだまま、ぷらり、と足を揺らし始めた。
「でも、やっぱゼルは物知りゼルだね〜。情報交換出来てよかった〜」
「……お、おう」
物知り王ぶりを褒められるのは悪い気分ではないので、ゼルはちょっと頭を掻いた。
良くわからないが、セルフィがこの話を気にして情報を集めたいと思っているのなら、こちらも機会があれば色々と情報収集してやるのもいいかも知れない。
リノアのことはゼルにとっても大事な仲間なわけだし。
そんなことを思っていると、特に他の話題もなかったのか、「じゃあ」と言ってセルフィが座っていたテーブルからすとんと下りた。
「おう」
こちらも特に引き留める話題も思いつかず、ゼルも頷いて、何気なく言った。
「とりあえず……お前、元気そうで安心した」
「う?」
立ち上がったことでゼルより少し目線が高い位置になったセルフィが、不思議そうに小首を傾げた。
「ん、まだちょっと痩せすぎっぽい気もするけど……ここ出てく時より元気になったみたいだから」
「そう?」
くるん、と翠の瞳をまるくして少しだけセルフィは驚いたようだったが、すぐに笑顔になってにっこりと頷いた。
「うん、体調はかな〜り良くなったよ〜。やっぱ、SeeDは健康管理が重要だよね〜」
朗らかにそう言って、くるん、とその場で軽くターンなどしてみせる。
そうやって元気をアピールすると、それからセルフィはちょっと肩をすくめ、困ったような笑顔になった。
「けどやっぱ、SeeDのお仕事ず〜っとお休みしちゃってたからね〜、ランク下がるのは覚悟しとけ〜って、シュウ先輩にも言われちゃった」
「……マジで?」
ん、と頷くセルフィに、ゼルはそれもそうかもな、と思いながらちょっと溜息をついた。
長期休養が今回だけならまだしも、ほんの数ヶ月前、エスタパニックで入院などする羽目になった時の分までカウントすれば、SeeDランク降格は当然のことだろう。
「じゃ、さっきマックス先生がシュウ先輩からどうのっつってたのも……」
「たぶんSeeD降格のことだと思う〜。ほら、マックス先生もSeeD統括だし」
あっさりとした調子で言うセルフィは、さほど落ち込んでいるようには見えず、ある程度は予測していたのかも知れないとゼルに思わせた。
ゼルは今回セルフィがどうして体調を悪くしたのかをまるで知らず、任務の詰め込みすぎの過労で身体を壊した程度にしか聞いていないが、それにしても最近の彼女はあんまり健康面には恵まれていないような気がする――
「――あ」
数ヶ月前のエスタパニック、あの時彼女が入院する羽目になったその理由を改めて思い出し、ゼルは思わず間の抜けた声を上げてしまった。
「ん?」
驚くセルフィの左手首に視線を向ける。
リノアがしているのと同じ、透明のオダインバングル。
それをセルフィがしている理由は、それは――
(……って、バカかオレ……!)
なんでこんな単純な構図に気づかなかったのか。
いやそもそも、普段のセルフィがあまりに普通にしているから、その認識自体がゼルの中で薄れてしまっていたというべきか。
どういう経緯かは知らないが、セルフィがここまで身体を壊したからには、そこにこの『遺産』が絡んでいないはずがない。
いくら無茶な少女だって、最低限の健康管理ぐらいわきまえている。ただの任務を詰め込んだぐらいで、こんな長期休養するような事態になんてなるはずがなかったのだ。
(ああそうだ、そーだよ、だからさっきの『他人事じゃない』つってたのも……)
なんて自分は鈍くさいのか。ゼルは思わず頭を抱えてしまう。
脈々と受け継がれてきた魔女であるリノアと正反対にして同質の存在が、この少女だったのに。
魔女ではないのに、魔女に匹敵する強大な力を有した存在なんて、魔女アレルギーが強く、魔女リノアに対抗したいエスタの人間が欲しがらないはずなどない――。
「えーと……ゼル? どっかした?」
いきなり頭を抱えだしたゼルに、セルフィがさすがにちょっと心配そうな顔で覗き込んでくる。
「あ……ええと……」
ようやくセルフィの言葉の意味に気がついたとは言え、もはや話題は変わってしまっている。今更蒸し返すこともできず、ゼルはいや、とかなんとか適当なことを言いながら首を振り、とりあえず今の話題に対応した言葉を、と焦りながら頭の中から引っ張り出した。
「その……なんつーかさ、SeeDのランク落ちたとか、そんなん気にすることねーよ」
意味もなく、励ますようなことを口にしてしまうゼルに、全然まったく落ち込んでいるわけでも何でもないセルフィが、不思議そうな顔をした。
「そりゃ、給料下がっちまうとか、色々あるかも知れないけどよ……」
頭の中で忙しく言葉を探していると、ふと先ほど、教官室でマックスが告げた言葉を思い出した。
――――お前とレオンハートにとっては、案外この方が好都合かも知れんしな
先ほど聞いた時は事情を知らなかったから意味がわからなかったが、こうして改めて考えてみれば、マックスが言わんとしていたことはひとつしかないように思えた。
「……あのさ、さっきマックス先生が言ってたけど。考えようによってはお前、スコールと一緒に任務行けるチャンスかも知れねーじゃん」
「スコールと?」
きょとん、としていたセルフィが、ゼルの言葉を聞いた途端、その瞳を輝かせた。
顔と顔の距離が一気に近づいて、思わずゼルはうお、と引いてしまう。
……普段の言動があまりにあまりなのでろくに認識したことなどなかったが、一応この少女の顔は可愛い部類に入る方だったりするわけで。
リノアほど色気を振り撒いてはいないので照れるほどまでにはいかないが、こうもいきなり間近に来られるのはやっぱり困る。
「だ、だからよ……つまり、今までオレらが任務かぶらないのって、全員揃ってAランクだからだったりするわけだろ?」
AランクSeeDをひとり雇うだけでも超高額と言われているのだ、それを2人も3人も雇うなんて大盤振る舞いをするクライアントなど、そうそう現れるはずもない。それこそ一国の大統領クラスの経済力が必要になる。
昨年末に発生した大使館占拠事件のような、大きな事件もそうそう発生しないだろう。
ましてAランクSeeDの中でも、件の第3次魔女戦争で名を上げてしまったゼル達は指名率も高いため、一緒の任務に就く可能性は限りなく低くなってしまうわけだ。
「けどさ、お前のランクが下がれば、予算的にもちょうどいい任務ってのが増える可能性高いわけだろ? どんぐらいお前のランクが下がるかはわかんねーけど、ほら、お前が良く組んでたSeeDとかぐらいのランクになったとしたら……」
「あ、なるほど……ランクだけ見たらあたしと先輩の関係が、そのまんまスコールとあたしの関係に置き換わるわけだ」
ぽむ、と左の手のひらに右手の拳を打って、セルフィが納得したように頷き身を起こした。
顔の距離が離れたので、ゼルも仰け反りかけていた姿勢を元に戻す。
「そういうこと。……お前、前にスコールと任務一緒にならないってグチってたことあったじゃん。上手く行けば希望が叶うかも知れないぜ」
「そっかあ……うん、そっか〜そっか〜! すごい! ゼルえらい! 早速マックス先生とシュウ先輩に相談しなくっちゃ〜!」
ぱああああ、なんて効果音が聞こえてきそうな勢いで顔を輝かせ、うきうき幸せオーラを放ちまくりながら、セルフィはぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいる。
「おう、上手く説得しろよ。お前とスコールだったら、コンビでの任務達成率歴代一位とか目指すのもアリなんじゃねーの?」
喜んでいただけているようなので、ゼルも無責任に応援する。
いや、攻守共にバランス良い能力値を誇るオールマイティなスコールと、補助魔法と回復魔法のエキスパートであるこの少女が組んだら、冗談ではなく本気で達成してしまいそうな気もして怖いのだが。
「うわあ〜いいなあそれ、もし達成したらすっごいカッコいい〜!」
すっかりセルフィはその気らしい。
この少女のノリの良さを改めて思い出し、ゼルは苦笑してしまいながら肩をすくめた。
「ああ、エスタに行ってもその調子で、エスタ軍の歴史にも名前を刻んでくれよ」
ゼルは確実にバラム軍に就職するだろうから、両国で名を馳せる軍人を目指すなんてのも悪くはないだろう。
冗談めかしたゼルの言葉に、セルフィはちょっと眼を丸くすると、きゃらきゃらとおかしそうに笑った。
「ど〜かなあ〜? スコールはそりゃあもう、絶対絶対歴史に残っちゃうすご〜い人になっちゃうだろうけど〜、あたしはG.F.ないと、ちょっと強いだけの女の子だよ?」
「女の子って、お前――」
思わず笑い飛ばそうとしたゼルに、セルフィは笑顔のまま首を振った。
「あたしは女だもん、ゼル達みたいにはいかないよ」
「――――」
笑顔だけれど、翠の瞳は静かで大真面目で、ゼルはちょっと言葉をのんだ。
G.F.のないSeeDは、ただのヒトだ。
SeeDを最強たらしめているのは、G.F.ジャンクションの恩恵に他ならない。
それでもスコールのように才能溢れる男なら、G.F.がなくとも人の上に立つだろう。
ゼルだって、G.F.の恩恵を受けられなくなればパワーダウンは否めないが、それでもバラム軍の中で決して埋もれないだけの才能と実力を持っていると自負している。
けれどセルフィは――ああそうだ、こんなにパワフルで、血の気が多くて、エキセントリックで、男のゼル以上に無茶苦茶な奴だけれど、それでもゼルより小さくて、身体もこんなに細くて華奢な――女の子、なのだ。
単純な力だけで比べられないが、それでも軍人たる男達と対等を張るには、あまりに大きすぎるハンデを持っている。
「あたしのキャラ的にいけば、情報部とかそっち方面なんだけどねえ〜……ラグナ様サイドの人達からしたら、イメージ的にもあんまそっち方向には行って欲しくないだろうな〜ってのはあるよね〜。
せっかくエスタの軍人さん達とも仲良しなんだし、その辺利用して欲しい〜ってのは当然あるだろうから、やっぱその方向性で考えないとダメだろうな〜」
そう言うセルフィの笑顔に曇りはない。
「魔法だけなら誰にも負けないけど、それだけってのもね〜。せっかく仲良くなったエスタの軍人さん達にも、G.F.ないとこんなもんかよ〜なんてガッカリされちゃうのも悔しいしさ〜、今から色々対策考え中なんだ〜」
言いながらセルフィは左手を持ち上げてそこに嵌められたバングルに視線を落とし、軽く手首を捻るようにして振った。
「なるほどなぁ……」
いついかなる時も前向きポジティブな彼女らしい台詞に安心しつつ、こいつもこいつなりに大変なんだなあと、妙にゼルは感心する。
「まあ、アドバンテージは結構あるみたいなんだけどな」
「え?」
「だから、G.F.つけてるとさ」
腕組みをして、ゼルはちょっと首を傾げ、記憶を探りながら言葉を続けた。
「オレも詳しいことは良くわかんねーんだけど、成長期にG.F.つけて訓練してた奴と、なんもつけないで訓練してた奴とでは、筋力とか魔力とかその他諸々の成長率が、つけてない奴よりつけてた奴のほうが断然高いって調査結果が出たとかなんとか」
「へえ〜」
セルフィが眼をまるくして、本気で感心した声を上げる。
「G.F.って、単にパワーアップしてくれるだけじゃなくて、成長速度も高めてくれたりするってこと?」
「わかんねー」
ゼルは首を横に振った。
「単にデータの統計とったらこういう傾向にありましたってことしかわかってないらしいぜ。
成長速度が高まったからそういう結果になったのか、G.F.つけとくとそいつの能力の限界が底上げされるからそういう結果になったのか、どっちにも効果を及ぼしてるのか、そういうのもこれから研究してくみたいだし」
単に成長速度が上がっただけなら、能力限界にぶち当たればそこで頭打ちになるが、能力のキャパシティをアップしてくれているのなら、鍛えれば鍛えるだけ伸びることになる。
「その研究チームにオダインは参加してないし、まだG.F.使うようになって10年そこらしか経ってないし、調査サンプルも現元合わせたSeeDしかいないから、色々わかってくるのはもっとずっと先だろうし、その頃までガーデンやSeeDがあんのかも謎だけどな」
「――――」
セルフィがふと沈黙する。
その顔を見て、スコールに一番近い場所にいる彼女もやっぱり、ガーデン解体の噂は聞いているのだろうとゼルは察して苦笑した。
「ま、色々と無理のあるシステムだったんだろうな、ガーデンもSeeDも。問題起こしてる元SeeDも少なくねーみたいだしさ」
セルフィは感情の読みにくい微妙な表情になって、両手を後ろに回しながら首を傾げた。
「……変な宗教にハマったり、犯罪おかしたり?」
「そ。今も確か一件、依頼が来てたと思うぜ」
ゼルは肯定する。
能力成長に大きなアドバンテージを誇るとはいえ、それでもG.F.を失ってしまったことに耐えられない元SeeDは多い。
せっかく各国の軍に入隊しても問題行動を起こしたり、中にはそのまま軍を辞して犯罪に関わったりする者もいる。
「ま、今の状況じゃ、G.F.使った犯罪者をどうにかできんのは、実質的にはガーデンぐらいっきゃないしな」
G.F.の継続利用を宣言したSeeD卒業生で構成される傭兵組織というのも存在するが、ガーデンのサポートがないからリスクは非常に高いし、現役SeeDの商売敵とも見なされてガーデン側からの妨害なども少なくないから、この組織での仕事だけで食べていくというのは厳しいのが現状らしい。
「卒業時にG.F.は全部返還するって言っても、その後拾ってジャンクションするのまでは禁止できねーしなあ……だから矛盾してるみたいだけど、そういう奴に対応できるようなシステムは残す方向性らしい。今いる元SeeDの組織なんかも吸収したりとか、色んな方向性で検討してるっぽいぜ」
何しろG.F.さえ見つけることができれば、それを使役する実力が既にある奴らなのだ、簡単にジャンクションできてしまう。それを規制するなんてことはほぼ不可能だ。
かといって、自然発生的に存在するG.F.のすべてをガーデンが管理するなんてことは、もっと非現実的である。
未然に防ぐ手だてが見つからない以上、対処できる者がどうにかしていくしかない。
「けどバカだよなぁ……そりゃG.F.持ってた頃とは比べもんにならないだろうし、そういう落差が悔しいって気持ちはオレにもわかるけどよ、それでもG.F.つけて訓練してたオレらは、そうでない奴等よりスタートラインでずっと得してることは確実なんだからさ、いくら『G.F.取ったらただの人』って言われてても、そう悲観することはないと思うんだけどな」
悲観したあまり変な宗教にハマり、挙句セルフィを神聖視して神になれなどと世迷い言をほざいた狂信者とつい最近会ったばかりのセルフィとしては、バカだなぁで済む問題でもあまりないのだが、ここでそんなことを言っても仕方がないので黙っておくことにした。
それに、ゼルの言葉は馬鹿な元SeeDに呆れるだけではなく、セルフィに対する励ましも含まれていることもちゃんとわかっている。
「うん、そ〜だね」
だからにこりと笑顔になって、まっすぐゼルを見た。
「ありがと。がんばる」
「おう」
セルフィらしい笑顔に、ゼルも何となくつられて笑顔になる。
会話が途切れて空気がのほほんとしたその直後、突然携帯が鳴り始めた。
「うお」
鳴っているのはゼルの携帯だ。
完全に油断していたため、唐突なコール音に思わずのけぞって驚きつつ、わたわたと携帯を取り出して耳に当てる。
「もしもし?」
『ゼルか?』
噂をすれば何とやら、スコールの声が響いてきた。
『今どこだ? 図書室か?』
「あ?」
セルフィにスコールからだと教えてやる間もなく問いかけられ、ゼルはちょっと顔をしかめた。
「あのな、何でオレがいるっつーと図書室……」
『違うのか?』
「違うって! ……ったく、オレがいつも図書室に入り浸ってるみたいな言い方しやがって……」
そりゃ最近図書室にいる率が高いのは自覚しているが、いきなり断定されるとムキになって否定したくなるお年頃という奴である。
「図書室じゃねーよ。今いんのは……って、どこだここ?」
そういえば適当に空き教室を見つけて入ったから、何の教室かなど考えていなかった。
ゼルの言葉に、セルフィがたたたと小走りに入口まで行って確認してくれる。
「8ブリ〜」
どうやら彼女も、ここがどこかを認識してはいなかったらしい。
教えてくれたその声は携帯の向こうまでは届いていないようだったので、ゼルは改めてスコールへ教えてやった。
「8ブリにいるらしい」
ちなみに8ブリとは第8ブリーフィングルームの略で、要は任務や作戦などの説明を行う部屋のことだ。
SeeDはここよりもっと広く設備も充実した第1とか第2の方を使うことが多く、ここはガーデン生の野外実習などの説明などで使われるような小さな部屋だ。第3以降のブリーフィングルームは似たような造りの部屋なので、違いがあまりわからない。
「……って、それがどうしたよ?」
携帯の向こうで、スコールが少し溜息をついた。
『図書室にいるのなら、セルフィがいないか確認してもらいたかっただけだ』
「セルフィ?」
ゼルはぱちくりと眼を丸くして、入口ドアに背を預けて立っているセルフィの方へ視線を向けてしまった。
「……図書室じゃねーけど、セルフィならそこにいるぜ」
「う?」
あたし? と突然名を呼ばれたセルフィが視線を向けてくる。
『8ブリに?』
図書室にいると思っていたらしいスコールも驚いたらしい。
何でそんなところに、と小さくごちた後、嘆息混じりの声がした。
『……すまないが、執務室に戻ってくるよう言ってもらえるか?』
どうやらセルフィは、例の如く神出鬼没にガーデン内をうろうろしていたらしい。
蝶々姫とは良く言ったもので、一旦見失えば捕まえるのが非常に困難な少女だ。この調子ではいつ帰ってくるのかと相当苛々していたに違いないと、ゼルは思わず苦笑してしまった。
「わかった。そっちに戻せばいいんだな?」
『ああ』
「了解。伝えとく」
携帯を切って、座っていた机から下りる。
自分のと、置き去りにされていたセルフィのジュースの空き缶をひょいと持ち上げて、少女の方へと視線を向けた。
「スコールがとっとと執務室帰って来いってよ。お前また携帯忘れてきたろ」
「ええ〜? 携帯ならちゃ〜んとお部屋出るときに忘れず持ったよ〜?」
む〜と頬をふくらませながらセルフィは服をぱたぱたと叩き、それからあれ? というように小首を傾げた。
「おっかしいな〜? ちゃんと持ってたはずなんだけど……あ、執務室でちょっと使ったから、そのまま机の上に置いて来ちゃったのかな〜?」
「……いっそもう紐くっつけて首から下げとけって、お前」
ぽい、と教室に備え付けられていたゴミ箱に空き缶を二つ放り込む。
「大体、図書室って何だよ。お前、図書室にいたの?」
スコールはセルフィが図書室にいることを、ほぼ確定事項として捉えていたようだった。
……だったら図書室に内線でもかければいいと思うのだが、そこでゼルあたりに電話をしてしまうあたりが、相変わらず見栄っ張りというか何というか。
「えと、うん、スコールが図書室に借りっぱなしの本返してきてくれって言うから、それを返しに」
ドアに背を預けたままの姿勢で、セルフィはあっさりと返答した。
「で〜、そしたら三つ編みちゃん達が、雷神が借りっぱなしの本を風紀委員室まで取り立てに行ってくれないか〜って頼んできて」
(……何を頼んでるんだ、何を……)
呆れるゼルなど意に介さず、セルフィは記憶を探るように、う〜んと人差し指を顎に当ててさらに言葉を続けた。
「そしたらせっかく風紀委員のお部屋に行くんなら、屁理屈つけて没収された物を取り返してきてくれないか〜って、そこにいた子達に何人か頼まれて」
あのサイファーを筆頭にした風紀委員と、積極的に関わりたいなどと思う物好きはこのガーデンに存在しない。
堂々と対等にサイファー達と話ができる数少ない人間で、親切で頼みやすいセルフィが図書室に現れたなら、それはもうネギを山ほど背負い込んだカモだったろう。
「……んで風紀委員室行ったら風神しかいなくって、雷神の本なんて知らないって言うし、一応それは伝言してもらうことにして、没収した物はどこ? って聞いたら、いくつかは先生達に売っちゃったとか言いだして」
(う、売るなよ……! そして買うなよ!)
なにやらだんだん頭痛がしてきて、ゼルはスコールよろしく額に片手を押し当ててしまった。
「やっぱそれはど〜かなぁって思って、教官室行って話をしてたら、エレバトール先生がちょーどよかった放送機材借りたかったんだけどって言ってきて、とりあえず没収物の件は先生に任せていいって言うから、んじゃその代わりに〜ってことで機材持ってくる約束をして、放送室行って戻ってくる途中でゼルに会ったの」
「………………ああ、なるほど…………」
実にわかりやすい説明だった。
これでゼルがこの教室に引っ張り込まなかったら、さらにあれこれ用事を抱え込んでガーデン中を練り歩いていたに違いない。
何しろセルフィの信条は『自分から手を出すことはしないが、頼まれたことは断らない』だ。『断れない』、ではなく、あくまで『断らない』。そして売った恩は後々利子付きで回収するのだ、それはもう朗らかな、邪気のない笑顔で。
「……ったく、しょうがねえなあ……」
ゼルはしみじみと溜息をつきながら、セルフィの前まで足を動かした。
きょとん、と見返してくる少女が背を預けていたドアを開く。
「ほら」
廊下に出ながら小さな手を取り、そのまま歩き出す。
口で執務室へ行けと言うのは簡単だが、まず間違いなく、ひとりで行かせれば途中で誰かしらにつかまって、何だかんだと用事を引き受けまくってしまうだろう。
ゼルが問答無用でセルフィを連行してしまうのが、一番手っ取り早くて確実だ。
「恩売り歩くのもいいけど、あんまスコールの血管切らすような真似すんなよ? 周りが迷惑なんだから」
相変わらず手のかかる奴だと思いながらそう言うと、セルフィはころころと無邪気な笑い声を響かせた。
「別にわざと怒らせてるつもりはないんだけどねぇ〜」
「あったり前だ。わざとでやってたらタチ悪いぞお前」
言いながらふと、知らず口元が緩んでいる自身をゼルは認識する。
あのエスタパニックからこっち、リノアを絡めてセルフィ達がどんな人間関係になっているのかもわからなかったし、知らないところで知らないうちにガーデンと揉めているし、いきなりエスタへ行ってしまったと思ったら婚約したなんて発表されてしまうしで、ゼルから見たら少しだけ、セルフィやスコール達との間に距離を感じてしまっていたのだけれど。
(変わんねえなあ、こいつは)
セルフィは相変わらず笑ってしまうぐらいセルフィのままで、それが何だか、とても嬉しい。
「おら、んじゃ執務室までスピードアップ!」
「っうきゃ〜!」
ぐん、とセルフィの手を引いたまま走り出す。
お互いもうすぐ成人するような年齢なのに、異性の感情をかけらほども介在させずに手を繋ぐことのできる相手なんて、きっとこの世界でこの少女以外に存在しないだろう。
邪気なくはしゃぐセルフィの笑い声を聞きながら、そんな関係性をとても気に入っている自分に気がついて、ゼルは少しだけ笑ってしまった。