そもそもついうっかり、本を図書室へ返してきて欲しいなぞと頼んでしまったのが間違いだった。
携帯はいつも持っておけと命じておいたし、いざとなったらすぐ呼び出せると思っていたら、例によって例の如くあっさりデスクの上に置きっぱなしにされているのを発見した時は、思わず頭痛を覚えて額に手を押し当ててしまった。
シュウ達には当然「バッカねー今の状況であの子ひとりで外に出したら帰ってこないに決まってるじゃないのー」と大笑いされるし、ゼルと連絡を取ってみたら何故か第8ブリーフィング室なんてところにいたりするし、とにかく戻ってこいと伝えてもらったら親切なゼル自身がセルフィを連行してきてくれたのはいいのだが、当の本人はけろりとしてまるで悪びれる様子もなく、あまつ「たっだいま〜!」と笑顔全開で飛びついてきて、受け止めたスコールを椅子ごと仰向けにひっくり返すという暴挙までかましてくださった。
「…………」
いきなり視界がぐるりと回転し、背中にすごい衝撃が伝わり、思考が空白化すること数十秒。
「……あや?」
椅子に座ったままダイブしてきたセルフィを受け止めたはいいが、2人分の体重プラス突撃の衝撃をモロに食らった椅子はバランスを保ちきれず、結果そのまま仰向けに転んだのだということをようやく認識する。
「………………。……痛い」
「すご〜いすご〜い! 真っ逆さま〜」
スコールの憮然とした訴えなんて聞いちゃいないセルフィが、きゃっきゃと面白そうに喜んでいる。
いくらスコールだって、セルフィが上にいる状態で椅子に座ったまま仰向けにひっくり返ったこの体勢では、自力で起きあがることなんてできない。
いや、のしかかっているこの少女を蹴り飛ばすなり何なりして排除すればいいわけだが、悲しいかな相手がこの少女である時点でそんな選択肢はないわけで。
「こーら、スカートめくれてるってのよこのお姫様。とっとと起きなさい」
助け船を出してくれたのはシュウだ。何しろスコールに飛びついたまま仰向けに倒れる彼にのしかかった状態なので、現在彼女は完全に真っ逆さまの姿勢になっている。ちらりと視線を向けてみると、キスティスは自分の席についたまま死ぬ死ぬ笑いこけていて、ゼルは一応の礼儀としてちゃんと視線をそらして見ないようにしてくれていた。――ああ見えて、彼は幼なじみの中で一番の常識人だ。
「ったく、この私が朝からせっせと巻いてあげた髪ぶっ飛ばして!」
セルフィの巻き髪は、スコールがダブルデートなんて聞いた時点で物凄く面白がり、朝から気合いを入れてドレスアップさせたシュウの会心の作である。
それが崩れかけていることに怒るシュウなど気にも留めず、スコールから引っぺがされて床にぺたんと座り込んだセルフィは、いつにない醜態を晒しているスコールの格好がおかしいときゃらきゃら笑い転げていた。
……久々に友人達と再会して、ご機嫌は最高潮によろしいようだが、全然嬉しくないのは何故だろう……。
「まったく……」
げんなりしながらようやく起きあがり、立ち上がって椅子を引き起こしながら、楽しそうなセルフィをじろりと睨み下ろした。
行動に突拍子がなく、信じがたいことを平然とやってしまうのは今に始まったことではないが、もうすぐ成人するというのに、何だってこうも落ち着きがないのやら。
「あーもーこらそこ、床に座らない!」
乱暴にシュウがセルフィを引っ張り上げて立たせ、セルフィは胸元のリボンがほどけていることにそこで気づいて熱心に結び直し始め、そんな喧噪を眺めていたゼルがスコールの背後に来て、ぽつりと言った。
「……なんつーか、まあ……元気そーで何よりだぜ」
「…………。そうだな……」
そりゃあもう、ここ数日のセルフィは大変に元気だ。
元気すぎてスコールの頭が痛くなるくらいの絶好調ぶりだ。
セルフィは元気な方がいいし、全開で笑ってくれるのもいいのだが、どうもドツボに嵌って一気に浮上した反動もあってか、テンションが少々いつもより高くなりすぎている。
「お前さ、今度からセルフィが行方不明になったら、放送かけて大々的に呼んじまった方がいいぞ。今日だってあっちで頼まれごと、こっちで頼まれごとって、恩を売り歩いてたみたいだし。
とりあえずお前が放送で呼んどけば、他の奴らだってセルフィがお前に呼び出され中ってことはわかるわけだし、それをとっつかまえて頼みごとしてくる奴ってのは随分減るんじゃねーの?」
「…………」
それは何だか職権濫用のような気がして躊躇いを覚えるが、一番の解決策のような気もしないではない。
げんなりしている男性陣を顧みることもなく、女性陣はセルフィを椅子に座らせて、髪型を直しながら何やらにぎやかに騒いでいる。
「にしても、相変わらずテンションたっけーなーあいつ。お前、アレと毎日一緒にいて疲れないの?」
腰に両手などを当てて呆れたように問いかけてくるゼルに、スコールはちょっと眉を寄せた。
そんな物好きを見るような眼差しをされると、それはそれで何やらムカつくのだが。
「……要は慣れの問題だ。猫を一匹飼ったようなものだと思えば、案外どうにかなる」
腕組みをして大真面目に言ったスコールに、ゼルは視線をセルフィへと向けて、妙に納得したような表情になった。
「あー……なるほど。いるわな、あーいうの……」
蝶だの猫だの、まったくあの少女を形容する動物には事欠かないが、スコールと一緒にいる時のセルフィは大抵の場合、甘え上手でいたずら大好きの仔猫そのものだ。
今もおもちゃに夢中の猫よろしく、銅色の髪をくるくると優雅に巻いていくシュウの手を、キスティスから借りた鏡に映して興味津々に眺めている。
たまに我慢が出来ずに手を伸ばして髪に触れてしまい、シュウにぺしん、などとはたかれているのが微笑ましい。
「少しぐらいメイクとか、してみたらいいのに」
基本的に仕事の手は休めず、楽しく傍観しているのみのキスティスが、そんな親友と幼なじみの様子を見ながら声をかけた。
「や〜だ、顔かゆくなるからキラーイ」
「あら、あんたでもメイクとかしたことあるんだ?」
「む〜……任務とかで必要になった時とか。でもあんまり好きじゃないな〜」
キスティスは少し首を傾げて、セルフィの顔を覗き込んだ。
「かゆくなるって、ファンデが重すぎちゃったのかしらね? 軽めのファンデ選んだら、少しはマシかもよ」
「単なる敏感肌って可能性も……ないか。あんた、肌とか丈夫そうだし」
「丈夫も丈夫よ。だってこの子ときたら、支給品の日焼け止め顔に塗っても肌荒れひとつ起こさなかったっていうのよ?」
「うっわ、そりゃすごいわ。私でさえあれは顔に塗る気になんないっていうのに」
何やら男には縁のなさそうな会話が進んでいる。
ちなみに彼女達が言っている支給品の日焼け止めというのは、ガーデンで任務時などに支給されるもので、たとえ砂漠を行進したって日焼けしないという脅威の紫外線防止効果を誇っている特別製だが、効果が高い分刺激が強く、比較的肌の強い男がつけても絶対に荒れるという保証付きのものだ。
当然、女生徒達にはものすごく評判が悪い。
G.F.を使って簡単な皮膚防御などが出来るから、それを併用して日焼け止めは刺激の弱いものをわざわざ使っている生徒は数多いし、スコールもそのひとりだったりするわけなのだが。
「もったいないわねー。何塗っても大丈夫だってんなら、それこそメイクしがいもあるってもんなのに。……ねえ、あんたもメイクして可愛くなったこの子見てみたいって思うわよね?」
唐突に、シュウが顔をこちらへ向けて話を振ってきた。
「……は?」
思わず面食らうスコールに、セルフィがころころと鈴を転がすように笑う。
「あ、スコールは一回見たことあるよね〜? 風神にばっちりフルメイクしてもらった時〜」
「…………」
思い出した。
サイファーに連れられて、サナギが蝶になったほどの恐ろしい変貌ぶりを見せつけていた時のことだ。
「あら、そうなの? どうだった? 私が思うに、セルフィはけっこうメイク映えするんじゃないかって睨んでるんだけど」
それはもう、こちらが固まるぐらいには。
とは、悔しいからもちろん口にはしない。
「……別に」
ふい、と腕組みをしたまま顔を背ける。
「あらあら、なになに? なんかトラウマ?」
「えぇ〜? そんなトラウマになるほどヒドくはなかったはずだけどなぁ〜……サイファーもその方がマシだってゆってたし」
だからムカつくんだろ、だから。
とは、腹が立つからもちろん口にはしない。
「スコール研究家の私の意見としては……似合ってなかったんじゃなくて、似合っていたのが面白くなかった、の方が正解なんじゃないかしら?」
キスティスが余計なことを言い、シュウがその言葉に、にんまりと意地の悪い笑顔になってスコールを見た。
「……はっはぁ〜ん……まだまだ彼女には本格的に開花して欲しくなかったと!」
「それもスタイリストが風神とサイファーでしょ。面白いわけないわよね」
「やーだもう、かっわいいわねーあんた! 自分の彼女は自分の手で開花させるんだーとか思ってんじゃないのー?」
……この執務室にはどうも、猫が他にもいたらしい。
獲物を見つけていたぶる気満々、さあおもちゃになって楽しませなさいと爪を研ぎ眼を爛々と輝かせている危険な女傑に、スコールは片手を額に押し当てて溜息をついた。
「……まあ、なんだ。とりあえず頑張れ」
ぽん、と、そんなスコールの肩に手を置いて、既に撤退準備に入っているらしいゼルが無責任に励ましてくる。
「じゃ、オレもう行くから」
「あ、ありがとね〜。あと、図書室行ったら雷神の件伝えておいてね〜」
以前の約束通りに退室を告げたゼルに、セルフィが邪気なく声をかけた。
「……ったく、何でオレが図書室行くって決めつけるかな……」
ゼルはぶつくさと文句を言うが、図書室には結局行くらしい。腰に手を当てて、仕方なさそうに言った。
「要は、雷神がいなくて風神に伝言したって言やいいんだろ?」
「そそ。よろしくね〜」
「おう。んじゃな」
ひらりと手を上げて、ゼルはさっさとスコールを置き去りにして出て行ってしまう。
「…………」
女3人の中に、男の自分がたったひとり取り残されてしまった。
このメンツで勝ち目なんてあるわけがない。
(……もう、好きにしてくれ……)
ぷいと顔を背けたままどっかと椅子に座ると、まるでそれがスイッチにでもなったかのように、一気に執務室はにぎやかになった。
***
スコールがSeeDの任務でよく一緒の班を組まされるリージュ・ノルフィンという青年と、お互い彼女付きで食事でもと約束をしたのはもう、かれこれ2ヶ月も前の話である。
元は飲みに行こうと言われたのだが、聞いてみればどちらの彼女も酒は飲めないことが判明したため、ごく普通の食事となった。
サシュリナが来襲したり、その後なし崩しにエスタへ行ってしまったりと、こちらの都合で延期を繰り返してしまっていたので、セルフィはリージュとの約束を最優先でスケジュール調整したらしいが、慰霊祭の翌日に予定を入れてくるとは少々意外だった。
「なんか、あっちの彼女さんの方が忙しいみたいだよ〜」
リージュと日にち決めの交渉をしたセルフィは、そんな風に言って肩をすくめた。
「忙しい?」
「とは言ってなかったけど、彼女さんが出かけられるとしたら4月頭がギリギリって言ってたから。歳上って言ってたし、お仕事かなんかで忙しいのかなあ〜って」
リージュの彼女はどうやら歳上らしい。
何しろプライベートでは一切関わったことのない相手である。当然彼女がどんな人間なのかも知らなったし、知る気もなかった。
今日だって、互いの彼女付きで、という条件でなかったら恐らく誘いを断っていただろうし、自分はつくづく人付き合いが苦手だと改めて認識する。
そもそもスコールを誘ってくる物好きは非常に少ないので、こんな機会はもう当分訪れないだろうが、ともかく自分はそんな調子でここまで来てしまったし、この先もプライベートで付き合う人間は必要最小限であり続けるのだろう。
というより、あの幼なじみ達やら執行部員やらと付き合いが継続していること自体が、非常に希有な現象と言わざるを得ない。
――まあ、シュウに限っては友人関係と言うより、単なるおもちゃにされているという現実については置いておこう。
そんなことをとりとめもなく考えながら歩いて、ようやく待ち合わせ場所に到着する。
バラム駅の駅前広場には、まだ待ち合わせ時間まで間があるにも関わらず、既に見覚えのある銀髪の青年が立っていた。
「班長! ……じゃなかった、スコールさん」
いつもの癖で彼はスコールを班長と呼んでから、はにかんだ笑顔で訂正する。
どう呼ばれようとあまり頓着しない――セルフィあたりにとんでもない渾名をつけられた時は別だが――スコールは、表情を変えずに小さく頷いて、その呼びかけに応えた。
「こんにちは」
少し下の位置から、穏やかな声が響いた。
「――――」
下方に眼を向けて、少しだけ驚きながら、常に表情の変わらない鉄面皮に内心感謝しつつ、声の主に軽く会釈する。
初めて見たリージュの彼女は、想像と少しだけ違っていた。
彼女を紹介しようとしていたリージュが、ふとスコールの背後を見て問いかける。
「あれ、スコールさん。セルフィさんは一緒じゃないんですか?」
「は?」
ばっ、と音でもしそうな勢いで振り返る。
「――――っ!」
瞬間、ぐらりと頭痛と眩暈に襲われて、片手を額に押し当ててしまった。
(なんだってこんな時まで……!)
蝶々姫で風船娘で奔放な仔猫のセルフィである。ちょっと眼を離すとどこかへ飛んでいってしまうのなんて日常茶飯事。
だからこんな人混みでは手でも持って強制連行していなければ迷子になる確率が高いことくらいわかっていたが、場所がバラムだからと手を繋いでいなかった結果が、見事に表われてしまうとは。
「……すまない、捜してくる……」
長々、深々と溜息をついてしまってから来た道を戻り始めたスコールを、リージュとその彼女はきょとんとした顔で見送った。
***
ペットショップの前を通ったら、ショーウィンドウ越しに可愛い仔猫と眼が合って、ついつい足が止まってしまった。
数段に渡って積まれているケースをガラス越しに上から眺め、一番下段にいる仔猫に視線を移しながらしゃがみ込む。
とんとん、とガラスを指でつつくと、その指めがけて仔猫は届かない猫パンチを繰り出してきた。
よたよたと細い四肢を不器用に動かし、じゃれてくる仕種は何とも可愛らしい。
セルフィはリノアのような博愛精神にはさっぱり縁がないタイプだが、愛玩動物の類は嫌いではない。
可愛すぎてちょっといじめてみたくなってしまうのが困りものだが、見ていて和むし、楽しい。
仔猫特有の青い瞳を眺めながら、色的にちょっとスコールの瞳っぽいかも、などと考えていたら、ふいに響きのいい声が上から降って来た。
「……何やってんだ、お前は……!」
スコールだ。
声だけでそう判断し、顔は上げないままセルフィはにこにことショーウィンドウを指さした。
「あのねあのね、この猫可愛いんだよ〜」
「…………」
スコールが数秒間沈黙し、それからわざとらしい溜息をついた。
「……セルフィ。俺達は待ち合わせ場所に向かっているはずだったんだが」
「え〜? まだ時間あるよ〜?」
仔猫の向こう、ペットショップ内を覗けば時計が見える。時間にはまだまだ余裕がある。
セルフィが言うと、スコールはまた溜息をついた。
あんまり溜息を連発するのは、幸せが逃げると言うし、あまり良くないとセルフィは思うのだが、今言うと大変なことになりそうなので黙っておくことにした。
「時間前でも、相手が来てることだってあるだろ。……大体、何も言わずに勝手にフラフラするなと言ったはずだ」
「それはちが〜う! フラフラしたんじゃなくて、あたしが足止めたらスコールが行っちゃったの〜」
ねー、とガラス越しの仔猫に同意を求めてみる。
頭上でまたしても、長い長い溜息が聞こえた。
「だから、一声かけろ、と言ってるんだろ」
カシカシカシ、とガラス越しに連続猫パンチを繰り出す仔猫を、かわええなあと楽しく鑑賞しながら、セルフィは顔を上げずに言い返した。
「声かけようと思った時にはいなかったんだも〜ん。……そんなに言うなら、エスタみたいに手引っ張っとけばよかったのに〜」
「…………」
セルフィのその言葉に、スコールは思わず沈黙する。
(ひょっとして……)
確かにここはバラムでいつ誰に会うかわからないし、待ち合わせ相手は自分の部下を務めていた青年だから、エスタの官邸でよくそうしていたように手を繋いだりはしなかったが……
(こいつ、拗ねてるのか……?)
セルフィはガラスに当てた指を素早く左右に振り、飛びつこうとする仔猫を翻弄して遊んでいる。
仔猫と遊びたい気分が半分だろうが、もう半分はどうやら、手を繋いでくれないスコールに拗ねて構って欲しかっただけ、のような気がすごくしてきた。
「……セルフィ」
「な〜に?」
そう言えばさっきから、仔猫に夢中とはいえ一度も顔を上げていないし。
「…………」
困った。
このまま行くぞと言えば、一応ちゃんとついては来るのだろうが、もし本当にセルフィが機嫌を損ねていたら、リージュ達と合流した後に困るのはスコールなのだ。
何しろスコールは初対面の他人と会話するなんて苦手だし、リージュだってプライベートでは一切関わったことがないんだから何を話していいかわからない。こんな状況で、対人関係は丸投げするはずだったセルフィが、拗ねたままで会話してくれなくなったらとんでもなく困る。
機嫌を損ねた時には食べ物で釣るのが定石だが、これから食事に行くのだから効果は薄いだろう。
「何を拗ねてる?」
溜息混じりに膝を折り、視線の高さを合わせながら問いかける。
セルフィはきょとん、としたような顔になって、そこで初めてスコールを見た。
まさかこんな正攻法で訊ねられるとは思っていなかったような表情だ。
「……べつに、拗ねてなんてないけど〜?」
セルフィがむ〜とわざとらしく唇をむくれさせて猫へと視線を戻す。
その様子に、どうやら本気で拗ねているわけではなさそうだとスコールは安心し、わずかに微苦笑を浮かべながら手を伸ばした。
「嘘つけ」
大して空気は入っていなかったが、それでもむにゅんと頬をつついてやると、拗ねてなんかないも〜んとお約束のように返ってきた。
と、
「?」
ふいにスコールの背後から吹き出すような声がして、彼とセルフィは同時に振り返った。
くすくすくすと、口元に手を当てておかしそうに笑う女性が視線の先にいる。
「…………」
さらに視線をずずいと上へ向けると、彼女の背後に立って微妙な笑顔で困っているリージュの顔があって、こちらを見下ろしていた。
どうやらスコールを追いかけてきたらしい。
で、ペットショップの猫の前で2人揃って仲良くしゃがみこみ、バカップルよろしくほっぺたをむにむにつついているという、実に間の抜けた姿を鑑賞されていた、ということで――
「……………………っ」
すっくと立ち上がる。
(何でいるんだよ……!)
顔から火を噴きそうだ。
「す、すいません」
大して変化のない顔だが、それでもスコールの内心の衝撃は充分に悟ったのだろう、リージュが困った笑顔のままで頭なんかを掻いて謝ってきたりする。
……謝られるとますます身の置き所がないのでやめて欲しい。
「ふふ、かっわいい〜」
一方彼女の方はというと、こちらを眺めてくすくす笑いながらとんでもない感想を述べている。
そういう感想はセルフィの方だけに言ってくれと内心で思っていると、セルフィは不思議そうに彼女からリージュ、リージュからスコールへと視線を移し、最後にまた彼女へと眼を向けると、小首を傾げて口を開いた。
「えと……こんにちは?」
彼女が待ち合わせの相手かと確認するかのような響きをもって、しゃがんだまま挨拶するセルフィに、彼女は笑顔のまま頷いた。
「ええ、こんにちは。セルフィちゃん、だよね?」
音もなく、二対の車輪が動く。
滑るようななめらかさで彼女はスコール達のすぐ前まで到着すると、薄茶色の瞳で代わる代わる2人を見た。
「初めまして。クレアって言います」
全体的に、色素の薄い感じのする女性だった。
あまり陽に当たることがなさそうな白さの肌と、底まで覗けそうな薄い薄い茶色の瞳。
同じく色素の薄いセピア色の髪はスコールより短いショートカットで、細く柔らかな毛質のためふわふわしていた。
「はじめまして〜」
待ち合わせの相手と確証を得、セルフィはぴょこんと立ち上がると、身をかがめて視線の高さを近づけながら、いつも通りの人懐っこい笑顔で手を差し出した。
「えと、あたしがセルフィで、こっちがスコールです〜。ちょっと愛想悪いけど気にしないでね〜」
握手に応じる彼女の伸ばされた腕は、華奢なセルフィといい勝負どころかそれ以上に細く肉を欠いている。
身長はセルフィよりは高そうだが、車椅子に座っているため、実際のところは推測するしかない。
「大丈夫、聞いてるから」
「え〜、変なこと伝わってたらやだなあ〜」
きゃらきゃらと、鈴を転がすようにセルフィが笑う。
笑顔ながらもスコールとセルフィの反応を心配していたらしいリージュが、少し表情に安堵を浮かべてそれに応じた。
「そんな変なことは話してませんよ。第一、セルフィさんのことは俺も知りませんから」
「そっか。じゃ〜どんな話もぜ〜んぶスコールのことだけか〜! よかったよかった〜」
相手が車椅子に乗っていようが何だろうが、セルフィは相変わらずマイペースでにこにこしている。
先ほどまで拗ねていたようだったが、もう機嫌はすっかり良くなっているようだ。
「……何がよかっただ」
一応ぼそりと突っ込みだけは入れておく。
またきゃらきゃら笑うセルフィに、腕を組みながらふいと顔を横向けた。
後は適当にセルフィが盛り上げてくれるだろう。
「クレアさんは……え〜と、確かあたし達よりちょっとお姉さんだったっけ?」
「ええ、あなたたちより2つ上」
それにしても、と思う。
リージュの相手が車椅子に乗ってきたというのは意外だった。
足が悪いのか、それとも別の要因なのかは、見ただけではわからないが、顔色や細い腕から指先に至るまで、色白というにはあまりに白すぎて、血の気がないように見えるのが気になった。
話し方がはきはきとしているから印象が相殺されてしまっているが、あまり健康的とは言い難い感じだ。
いつかエスタで無茶な回復魔法を使って極度に衰弱しきった時のセルフィを彷彿とさせる、何とも危うく儚げな空気をまとっている。
「ところで何を見てたの?」
「あ、えとえと、仔猫なのです〜! ほらほら、可愛いの〜」
またしゃがみこんで、ガラスを指で軽くつついて仔猫を窓際まで呼び寄せるセルフィに、クレアと名乗った女性がまた少し車椅子を寄せ、身をかがめて覗き込む。
「あっ、かっわいい!」
「でっしょ〜! 可愛いよね〜!」
儚げで繊細そうな見かけと裏腹に、中身は結構ノリがよさそうだ。
早速セルフィと意気投合してくれているようで何よりだと、視界の端に女性陣を映しつつリージュの様子を窺うと、同じことを考えているらしい彼の微笑ましそうな顔があって、自分も似たような顔をしてるんじゃないかとスコールはひそかに表情を改めた。
「眼の色がスコールにちょっと似てるの〜」
セルフィが何だかものすごく余計なことを言っている気がする。
その言葉にクレアがちらりとスコールに視線を向けてから、くすくすと楽しそうに笑った。
「キトンブルーだね」
「え?」
「仔猫の間にだけ見られる青い瞳のことをね、キトンブルーっていうの。一部例外もあるけど、仔猫の多くが最初はキトンブルーで、成長するに従って金色になったり緑になったりって変わっていくんだよ」
セルフィは眼をまんまるにして、上段の仔猫の顔も覗き込んだ。
「仔猫の間だけ?」
「そう、仔猫の間だけ。ほら、この子も青いでしょ」
他の仔猫たちの顔を順々にセルフィは眺めていって、それから口元を笑みでふよふよさせながらスコールを振り返り、それはそれはもう楽しそうで嬉しそうな声で言った。
「ふふふふ〜スコール、仔猫だけだって〜! 仔猫だけなんだって〜! スコールこねこねこねこ〜!」
「…………」
どう突っ込み返せというのだ、その台詞に。
スコールは思わず無言のまま、額に手を当てて嘆息し、そんな2人の様子にクレアがくすくすとまた、心底楽しそうに笑った。
「うふふ、ホントに可愛い〜」
……セルフィに余計な入れ知恵をした責任とかその辺のことには、全然まったくさっぱり斟酌してくれていないコメントだった。
「ああ、すみません」
女子2名の注意がまた猫の方に向けられた後になって、これまた全然まったくさっぱりフォローしてくれなかったリージュが、恨めしげなスコールの視線に気がついてニコニコしながら口先だけで謝った。
「クレアは可愛い動物とか可愛い物とか、可愛い女の子が大好きなんです」
「…………」
「班長の彼女がとても可愛いって話をしたら、そりゃあもう会いたがってまして。……うん、ホントにすごく喜んでるなあ……」
スコールの心中なんて、自分の彼女が喜んで楽しめることに比べたら、全然重要ではないということらしい。
ニコニコと満面の笑顔で幸せそうに彼女達を眺める平和そうなその顔に、そうか、平生のこいつはこういう奴なのかと、スコールは心の中のメモ帳に書き留めて、それから額に手を当て溜息をついた。
***
基本的に、セルフィは人懐っこいので、どんな相手ともそれなりに親しくなることができてしまう。
とはいえ、彼女にも口にはしないものの好みのタイプというものは存在していて、キスティスやシュウのような姉御肌で面倒見の良いタイプとは、気兼ねしないで楽に付き合えるらしい。
そんな彼女にとっては、歳上でノリのいいクレアは付き合いやすいタイプに該当する。
さらにしょっぱなのキトンブルー話で、どうやら好感度はかなり高くなったらしく、リージュが予約をしてあるという店へと向かう道すがら、男共そっちのけで楽しそうにあれこれお喋りに花を咲かせていた。
「じゃあ、クレアさんは歩けないってわけじゃないんだ」
今から行く店の名前を聞くなり、セルフィはあっけらかんとそう言った。
「だってあそこ、バリアフリーじゃないよね?」
普通の人間なら話題に出しづらいことも、セルフィは子供のような無邪気さであっさりと口にしてしまう。
「うん、悪いのは足じゃなくってこっち。生まれつきポンコツでね」
対するクレアの方も、あれこれ聞かれることに気分を害するタイプではなかったらしく、あっさりとした表情で右手を左胸に当てて説明した。位置からして心臓に先天性の病気を持っているということだろうか。
「じゃ、運動は全然ダメ?」
「うーん、レストランの中をちょっと歩くぐらいなら問題ないけど、基本的には大人しく寝てなさいって感じ」
「お医者さんが? それともリージュが?」
「どっちもだけど、うるさいのはこっちの方」
くすりとクレアが笑って車椅子を押しているリージュの方を肩越しに見ると、セルフィがきゃらきゃらっと鈴を振るような笑い声を上げた。
「わかるわかる〜! あたしも入院してた時、ぜ〜ったい車椅子乗って大人しくしてろ〜って、スコールってばお医者さんよりうるさかったよ〜」
「あーやっぱり!?」
「…………」
はじける女性陣の笑い声に、ものすごーく微妙な気分になってリージュを見たら、鏡写しのように同じ顔で彼がこちらを見たので、スコールは肩をすくめて咳払いをしながら即座に顔を背けてあさっての方を見た。――なんだかとっても執務室内の空気と同じものを感じるのは、気のせいなのだろうか……。
そんな調子で何とか店に着き、普段は案内されない個室へと連れられて大はしゃぎするセルフィと、そんな彼女の姿に「あーん、可愛い!」と眼をハート型にしているクレアと、そんなクレアを微笑ましく鑑賞しているリージュという、実にカオスな集団と共に、スコールは早くもげんなりとした気分でセルフィの隣の椅子に腰を下ろした。
「あ、結婚指輪〜」
テーブルに置かれたナプキンを取り上げるクレアの指を、ちょうど真正面に座ったセルフィがまっすぐ見つめて声を上げた。
言われて何となく眼を向けると、左手の薬指に銀色の指輪が光っている。
クレアはああ、と笑いながら自分の左手に視線を一度落とし、セルフィの方を見た。
「そんなんじゃないよ、結婚もしてないし。普通の誕生日プレゼント。けど、彼氏からもらった指輪だから、こっちかなーって思っただけ」
セルフィはきょとん、と眼を丸くして、自分の左手の薬指を右手の親指と人差し指でつまみながら問いかけた。
「結婚とかしてなくても、彼氏からもらった指輪はここにするの?」
小さな子供みたいな口調で問われ、クレアはちょっと首を傾げた。
「んー、私や周りの子はそうしてるかな。けど、彼氏からのプレゼントは右手の薬指にして、こっちは婚約指輪とか結婚指輪専用っていう子もいるみたいだから、人によりけりかも。……まあ、どっちにしても薬指ってのは共通か。
セルフィちゃんは、スコール君からもらった指輪はどっちにつける派?」
「へ?」
質問を返されて、セルフィはますます眼を丸くして、自分がつまんでいた左手薬指の隣、華奢な小指に嵌ったピンキーリングに視線を落とした。
「え〜と……小指だし、あんまり考えたことないかも……」
とりあえず今は左手の小指に嵌っているが、その日の気分で右になったりすることもある。何しろ小指なので、左右のサイズ差はほとんどない。
「それ、プレゼント?」
小指にきらきら輝く青い石のついたピンキーリングに、クレアがちょっと身を乗り出すようにして手を伸ばしてくる。
セルフィは大人しくクレアの手に自身の左手を預けながら、こくんと素直に頷いた。
「可愛いねぇ」
華奢な小指に嵌ったピンキーリングは、クレアが言うまでもなく可愛らしい。
「そっかぁ、ピンキーリングしかもらったことないんだ。……うふふふ、かっわいいなぁ。ちゃんとした指輪買うのは、ちょっとまだ恥ずかしい?」
にんまりと、どこかの誰かさんみたいな笑みを浮かべたクレアがスコールに視線を向けてくる。
(……な、なんだ?)
突然矛先がこちらに向かい、スコールは思わずたじろいでわずかに身を引いてしまう。
何か重大な勘違いをされている予感がするのだが、どう反応していいのかもわからないうちに、セルフィが先に口を開いてクレアの注目を引き取ってしまっていた。
「ん〜ん、そゆんじゃなくて、あたしが元々指輪キライなの〜」
「へえ……なんで? お仕事に差し障るとか?」
リージュの恋人だけあって、SeeD稼業がどんなものかはクレアも充分承知しているのだろう。
セルフィはちょっと肩をすくめた。
「う〜ん、おっきな石とかついてなければ、あんま関係ないかなぁ〜」
「じゃあなんで? 指輪、似合いそうなのにもったいない」
セルフィの左手を持ったまま、まじまじ眺めてこんな指輪が似合いそうだの、石の色はこんなでも可愛いだのと言っているクレアはかなり真顔だった。……可愛い女の子や物が好き、というリージュの言葉はかなり的確だったのだろう。これでセルフィの隣にリノアやらエルオーネやらが座っていたりしたら、さぞかし狂喜乱舞して喜んだに違いない。
「ど〜かなぁ……多分あんま似合わないよ。この辺太いし」
スコールには大慌てで隠そうとしたり拗ねたりと大騒ぎだったくせに、クレア相手にはあっさりとセルフィは指輪嫌いの理由を口にする。
「ああ、関節かぁ〜……そうだよね、ここに合わせるとこっちがゆるゆるになっちゃうもんね。石とかついてるのはつけられないよね」
クレアはあっさりと納得し、セルフィも大真面目に頷いた。
「石とかなくても、付け根でくるくる回ると、な〜んか気になっちゃうんだよね〜」
「そっかそっかー、なるほどねー」
うんうんと大きく頷いて、それからクレアは思いついたように言葉を続けた。
「じゃ、フリーサイズの指輪にしちゃえば? こういうの」
親指と人差し指で輪を作ってから、指の腹を離してCの形にしてみせる。
「これなら関節通った後でぎゅーって、ある程度締められるし。デザインによっては、フリーサイズのでも可愛いのいっぱいあるよ。
さすがに婚約指輪とかをフリーサイズにするのはまずいだろうけど、そういう時はオーダーメイドで作ってもらうって手もあるし。なんかねー、内側の角度ちょっと削ったりして、関節通りやすくして、付け根で回りにくくするんだって」
(……なるほど)
スコールも興味ない振りをしつつもしっかり会話を聞きながら、ほほう〜と感心しているセルフィを横目で見る。
「そっかぁ〜、フリーサイズの指輪ってのはいいかもねぇ〜」
「でしょでしょ? きっと可愛いよ」
さほど美容関係には興味を持たないが、ちょっとしたアクセサリーで身を飾るのは意外と好きなセルフィだ。指輪嫌いなどと言ってはいたが、本当に指輪そのものが嫌いなわけではないらしい。可愛い指輪をつけられるならやはり嬉しいのか、クレアの案に眼をきらきらさせている。
スコールとしても自分の与えたもので自分の女が身を飾るのは、独占欲を満たせて非常に好ましいということを最近自覚しているので、なかなか有益な案だった。
変わっているが悪い奴ではなさそうだ、などと現金なことを考えるスコールの横で、黙ってニコニコと会話を聞いていたリージュが「すっかり仲良しだなぁ…」と、至極幸せそうな声で呟いていた。
***
結局リージュがスコールを食事に誘ったのは、本当にクレアがセルフィに会いたがっていたから以外のなにものでもなかったらしく、食事の間中きゃっきゃと楽しげに話している彼女達を横目に、男共の方はいつもの任務中と会話量はほとんど変わらなかった。
長い銀髪と柔らかな美貌のせいで、かつて戦場で『遺産継承者の女』と勘違いされたこともあるリージュだが、一見した印象とは裏腹に、SeeDらしい強靱な肉体と、決めたことはどれほど困難でも最後までやり遂げる精神力、いかなるトラブルに遭遇しても成すべきことを最後までやり抜く強い責任感を持っており、常に理性的で余計な話はしないし、こちらの事情に首を突っ込んでくることもない。スコールにとっては非常に『仕事のしやすい』男だった。
それだけわかっていれば、SeeDとしてやっていくのには何の支障もない。
故に、互いに厳しいSeeD試験をくぐり抜けて来た者同士という親しみや気安さ、相手の実力に対する揺るぎない信頼はあっても、基本的にスコールが人見知りをすることもあって、この青年との間でプライベートはほとんど明かしていないし明かされてもいない。彼女がいたことだって、つい最近知ったぐらいだ。
「時間だよ、クレア」
不意に時計に眼を落としてリージュがそう言ったのは、食事もあらかた片付いて、ある程度の時間が経ってからだった。
「もう?」
クレアは少し不満げに肩をすくめたが、それ以上文句は言わず、セルフィの方を見て優しく笑った。
「ごめんね、家族が迎えに来る時間になっちゃったみたい」
「家族?」
そう、とクレアは頷いた。
「家がガーデンとは真逆にあるからね、リージュに送ってもらうのも悪いでしょ」
この男ならニコニコして送りそうな気もするが、クレアはそう言って立ち上がった。
それを契機に全員が席を立ち、スコールはリージュの方に視線を向けた。
「とりあえず俺が払っときます。ガーデン戻ったら折半ってことで」
ひらっと見せたのはガーデンから渡されているSeeD専用IDカード。SeeDの給与が振り込まれる口座とデータ連動していて、オンライン決済できるようになっている。ここでごちゃごちゃと計算するよりは、一括で払っておいて後で精算した方がすっきりしそうだ。
「今日はありがとね。一度延期になっちゃったから、もう無理かなって思ってたんだけど、会えて良かった」
リージュが会計に向かっている間、クレアがセルフィに話している内容が耳に入ってきた。
「無理って? ……そいえばリージュ、もう少ししたら忙しくなるって言ってたけど」
「うん、ちょっと忙しくなるんだ。だから今日会えて良かった。……あ、メアド教えてくれる?」
「もちろんいいよ〜! えーと、ちょっと待ってね」
話している相手がガーデン関係者ではないせいか、こうしてセルフィを見ているとつくづく普通の女の子にしか見えないから面白い。
会話も終始『普通の女の子』な内容ばかりで、一度としてSeeDの任務絡みの話に流れなかったのも、普段のセルフィを見慣れている分、何だか新鮮だった。
セルフィはガーデン外にも友人が多くいるようだが、そういうガーデンとは関係ない女子達と話すときは、ひょっとしていつもこんな感じで、普通の女の子をしているのかも知れない。
「じゃあね、セルフィちゃん、スコール君も。今日は楽しかった」
店の外へ出ると、時刻通りに迎えに来たらしいクレアの両親が駐車場に停めた車に乗って待っていて、クレアは車に乗り込むと、笑顔で手を振って走り去っていった。
「じゃあ、帰ろっか」
にこにこと手を振って車を見送っていたセルフィが、ぴょこん、と跳ねるような足取りで歩き出しながらスコールとリージュを促した。
クレアがセルフィの嫌いなタイプの人間ではなかったので、かなりご機嫌のようだ。――その方がスコールとしてもありがたい。
ここからガーデンへは、少し距離はあるが歩けないほどでもない。アルクラド平原を越える際にモンスターに遭遇する可能性がゼロではないのが少々面倒くさい程度のものだ。
繁華街からは少し外れた道は、自分達以外には人も少なく、しんとしている。
「リージュって、バラム出身だったんだね〜」
ぴょこぴょこ歩きながら、セルフィがリージュに話しかけている。
「クレアさんが、ちっちゃい頃から一緒だったって」
「ああ……ええ」
リージュは柔らかく笑んで頷き、クレアの乗った車が去っていった方を一度だけ振り返った。
夜道にひとつに束ねた銀色の髪が翻り、淡く光る。
「一緒っていうか……俺は戦災孤児で、クレアの両親に拾われたんですよ。それからずっと育ててもらって。
だからまあ、最初の頃は姉弟みたいな感じでしたけど」
「へえ……バラムでそういうのって、めずらしいね〜」
確か第二次魔女戦争時、バラムは海軍がエスタ軍の上陸を最後まで防いでいたから、地上で戦闘はほとんど行われていないはずだ。
「ドール難民だったみたいですよ。一時あっちの戦火が拡大して、民間人が大量に船に乗ってバラムへ保護を求めて押し寄せたことがあって、その中に俺と死んだ親が一緒に乗っていたらしくて。
まあ、ティンバーからドール、ドールからバラムって流れた人も多いらしいから、俺がどっちかはわかんないんですけどね。船上で親が亡くなっちゃって、IDもなくて、名前もクレアの両親がつけ直してくれたものなので」
「あ〜、IDないとさすがにもう、出身地なんてわかんないよねぇ〜」
年齢的にリージュは赤ん坊だったろうし、どの国も多民族国家である関係上、肌の色や顔つきなどで出身国を調べることはほぼ不可能だ。
あの石の孤児院にいた子供達のほとんどがそうであったように、スコール達の世代では、戦災孤児なんてものは珍しくも何ともない存在だ。孤児院にたどり着くまでの経緯を聞いたことがなく、恐らく本人達もろくに知らないだろうから断言はできないが、恐らくサイファーやキスティス、ゼルあたりの背景を調べてみても、リージュと大差ないような経験をしてきているに違いない。
「そっか〜、じゃあ、もしクレアさんのご両親がリージュを引き取ってくれなかったら、リージュもあたし達と同じ孤児院に来てたかも知れないんだねぇ〜」
「そうですね。……まあ、クレアの家族には感謝していますよ」
ふうん、とセルフィは頷いて、それからふっといたずらな笑顔になってリージュを見た。
「そゆことなら、リージュもクレアさんと一緒に、おうち帰っちゃえば良かったのに〜。別に今すぐ任務とかはないんでしょ〜?」
誤魔化してあげても良かったのにと、セルフィは朗らかにリージュをからかって笑う。
リージュは微苦笑を返し、彼女の歩幅に合わせて歩きながら口を開いた。
「そうしたいのは山々なんですけどね、来週頭に入院するので、準備で忙しいんですよ」
入院という単語に少し驚いたが、そう言えば先ほど、生まれつき病気だとか何とか言っていた気もする。
そういうことならあの不健康そうな顔色なども、説明がつく。
「来週頭っていうと、入学式の日〜?」
「ええ」
「そっか〜、じゃあ付き添いできないねぇ〜」
セルフィは特別驚いた様子もなく、同情の色すら浮かべずに、いつも通りの調子で応じている。
「まあ、バラムの病院ですから。見舞いはいつでもできるから平気ですよ」
「ふうん、そっか〜。バラムの病院なら、先輩がいるとこかな〜?」
セルフィが小首を傾げてスコールを見、スコールは肩をすくめてそれに返した。
「……だとしても、入学したての医学生が患者と接する機会は、まずないだろうな」
「それもそうだよね〜。お勉強に忙しいよね、きっと」
ころころとセルフィは笑う。
こういう時の彼女は、仔猫ではなく捉え所のない蝶々姫のセルフィだ。
「生まれつき、心臓が悪いんですよ」
穏やかなリージュの言葉に、話題が逸れて終了したと思っていたスコールは内心少し意外に思い、セルフィは特別何も言わずに視線だけを彼へと向けた。
「小さい頃から何度か手術してるんですが、先天性のものなので根治するってわけにもいかないそうで。ああいう性格なんで元気そうに見えるんですけどね」
ふうん、と真面目な顔で相槌を打っているセルフィは、傍から見るだけでは興味があるのかないのか、同情しているのかしていないのかがさっぱりわからない。
リージュの言葉はどちらかというとセルフィに向けられているようで、そのためどこか客観的に2人の表情や会話を捉えることができていたスコールは、何となく嫌な感じがして少し眉を寄せた。
「じゃ、ずっと治らないの?」
「成人できただけでも奇蹟だそうで。明日止まってもおかしくないみたいなんですよ」
その言葉にはスコールも驚き、セルフィも少しだけ翠の瞳をまるくした。
溌剌とした話し方とは裏腹に、何とも嫌な危うさを感じたことを思い出す。――そう、健康を害した肉体にひたひたと迫ってくる、昏い何かを。
「だから会わせてあげられて本当に良かったですよ。今日はありがとうございました」
穏やかなリージュの言葉に、セルフィはわずかな一拍を置いてから、にっこりと明るく笑って首を振った。
「こっちも楽しかったから全然おっけーだよ〜! 時間あったら、お見舞いにも行くね!」
朗らかな笑顔のまま、セルフィは前を向いてぴょこぴょこと歩いていく。
その背を見つめて、リージュが相変わらず穏やかな口調のまま問いかけた。
「クレアのことは、気に入ってもらえましたか?」
「うん? 気に入るっていうか……いい人だよね〜! 面白いし」
セルフィはちょっと振り返って、小首を傾げながらも笑顔で肯定する。
「なら良かった」
安堵したようなリージュにセルフィはまた背を向けてぴょこんぴょこんと跳ねるように歩いていくが、スコールはますます嫌な感じが強まってきて、眉をきつく寄せずにいられなかった。
こちらの視線にはまるで気づかず、リージュはセルフィの背中ばかりを凝視している。
その眼差しにどこか思いつめたものを感じ取って、スコールはちょっと息をのみ、リージュが意を決したように改めて口を開いた直後、彼の声に自分の声を無理矢理かぶせるようにしてセルフィに呼びかけた。
「――セルフィさ……」
「セルフィ」
人通りのほとんどない道だったので、スコールの声は自分でも驚くほどよく響いた。
セルフィが足を止めて振り返り、まっすぐスコールの方を見る。
「な〜に?」
リージュとスコール、両方が同時に自分を呼んだことは百も承知していただろうが、彼女は当たり前のようにスコールを優先する。
わかっていたことだがそんなことに少し安心して、スコールは自分の財布を服の隠しから引っ張り出すと、それをセルフィに向かって放り投げながら静かに命じた。
「この先に店があるだろ。なんか飲み物買ってこい」
まだこの時間でも営業している小売店があることを思い出してそう言うと、セルフィは財布を両手でキャッチして、特に何も言い返したりすることなく、あっさりとした笑顔で頷いた。
「りょ〜かい。あったかいの? つめたいの?」
「ホットで」
「セフィちゃんの分は飲み物とアイス両方買ってもいい?」
「アイスでも飴でもなんでもつけろ」
「やったぁ〜」
相変わらず、恐ろしいほどセルフィの口調には緊張感がない。
漂っているこの妙な空気なんてものともせず、ほのぼのとセルフィは喜んで、ようやく視線をリージュへ向けた。
「リージュは? なんか買ってくる?」
呼びかけられたリージュは、スコールが突然声を出したことにひどく驚いたように立ちつくしていたが、セルフィの声にようやく我に返ったように眼を瞬いて、小さく首を横に振った。
「あ……いえ、俺は」
「そっか。じゃ、いちきま〜す」
こだわりなくセルフィはあっさり男共に背を向けて、軽やかな足取りで少し先にある小売店の方へと走っていってしまう。
こういうところで空気を読むのは変に上手いなと思いつつ彼女を見送り、それからスコールはちょっと息をつくと、リージュの方を横目で見た。
セルフィの去った方をどこか呆然と見送っている端正な横顔を見ているうちに、だんだんとスコールは自分の感じた嫌なものの正体に気づいてくる。
グランディディエリの森での任務後、失血性ショックで死にかけた自分をセルフィが助けた時、リージュも『もののついで』で救われていたはずだ。
ケアルは回復魔法と呼ばれてはいるが、その本質は『修復』だ。損傷した肉体を修復して、元の状態に回復させる効果があるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。免疫作用やら細胞再生力やらを高めてくれるような医学的効果があるわけじゃない。傷の深さや状態によっては、完全に元の状態に修復することさえ困難という、万能とはほど遠い魔法なのだ。――もしそんな万能性がケアルにあれば、スコールやサイファーの額の傷跡はとっくの昔に消えているし、戦地における兵士の死因は即死以外ありえないことになってしまう。
だから、ショック状態に陥って死にかけた人間の肉体の損傷を、ケアルで修復・回復させたとしても根本的な解決にはならない。血管損傷を修復したことでそれ以上の出血は抑えられるが、既に起きている循環不全を癒してくれるわけではないから、きちんと病院で輸血や輸液を行う必要がある。
それはガーデンで教育を受けてきたSeeDには常識にすぎない。リージュもSeeDだから、それは当然わかっているはずで、だからこそあの日、エスタの病院でセルフィが垣間見せた能力の一端は、彼にとって信じがたい奇蹟だったに違いない。
「……すまないな」
低い声でぽつりと言うと、リージュがようやくこちらを見た。
紫色の瞳はいつも通り穏やかで、内心にどんな感情を抱いているかは悟らせない。
この男はいつでも、そんなふうだった。
「あんたが、どんなつもりなのかはわからないが……」
言葉を探してスコールは一度言葉を切り、それから少し前に、セルフィがリージュと話をしたと教えてくれた内容を思い出して、ゆっくりと言った。
「……あいつのバングルを外す権限があるのは、俺だ。あれを外さない限り、あいつはただのSeeDに過ぎない。用があるなら、俺に言ってくれ」
「…………」
リージュが言葉を失ったように唇を震わせ、スコールは自分の感覚が間違っていなかったことを知った。