ケアルというのは、あくまで修復するだけの回復魔法だ。
内因的な疾患を癒すことはできない。
だが、セルフィはケアルで治せるはずのない失血性のショック状態を、一瞬のうちに治してみせた。
それは魔女でもない限り、本来はありえないことなのだ。
以前にリージュから、セルフィのバングルが、リノアとお揃いだと指摘されたことがあったとセルフィは言っていた。
ただし、それ以上のことは詮索されなかったし、興味もないとも言われたと。
だが、リージュにはそれで充分だったのだろう。セルフィが、魔女であると既に明らかなリノアとお揃いのバングルをつけていて、人の身にはありえない治癒魔法を使うというだけで、先天性の心臓疾患を持ち、明日をも知れぬ身の恋人を持ったリージュには、それでもう充分すぎるほどの希望の光になったはずだ。
「……怖い顔になってますよ」
ふいに、リージュがいつも通りの穏やかな笑みを浮かべた。
言葉を失っていたのはほんの数秒で、もう常の任務中と同じ理性的な態度に戻っている。
それでもわずかに伏せ気味の紫の瞳が、隠された動揺の一端を物語っていた。
「そんなつもりじゃないですよ、スコールさん。今日会っていただいたのは単純にクレアがセルフィさんを見てみたいって言ったからだし、クレアはセルフィさんのことを、SeeDでスコールさんの恋人だってこと以外何も知りません。他意なんてまったくないんです。
まあ、クレアを気に入ってくれたらいいなあとか、セルフィさんがクレアを気に入ってくれたら、もしかしたら、あわよくば……なんて下心が、まったくなかったとは言いませんけど」
それは当然そうだろうと、スコールも納得する。
淡い期待が、クレアと仲良く喋っているセルフィを見てますます膨らんで、直接彼女に願い立ててしまいたくなったとしたって、それは不思議でもなんでもない。
プライベートで関わったことは一切なかったが、今の言葉に嘘はないのだろうと、その程度のことは信頼できるくらいには、リージュという男のことをスコールは知っているつもりでいた。
「……一応、言っておくが」
口を開きながら、今ここでセルフィが戻ってくるのは困るなと、頭の片隅でちらりと思う。それなりに空気を読むのはうまいから、恐らくある程度の時間は潰してくるだろうが……。
「どんな力であれ、何の代償もなしに手に入れられるものはない。それは、あれの力も同じだ」
強大な力の代償として記憶を奪うG.F.
人としての愛情を奪っていく魔女の力
この世界で何か大きな力を手に入れようとするならば、必ず何かを奪われる。
「……ええ、知っています。多分」
何かを諦めるように眼を閉じて、リージュが肯定した。
エスタの病院でスコールとリージュ、ついでにICUにいた患者達を治してしまった後、セルフィが昏倒したことはリージュも当然知っていることだった。
――あの少女の持つ力、それを得るための代償は、彼女の命そのものなのだということを。
「……もし、スコールさんなら、どうしていましたか?」
何か自分達は話をしていたのだろうか、時間の経過が少し曖昧になっていた。
気づいたときにはリージュがまっすぐこちらを見て、そんなことを聞いていた。
「俺と、スコールさんの立場が、逆だったら」
そんなこと聞くなよ、とスコールは心の中で訴える。
そんなことを聞かれて、答える言葉などあるわけがない。
だって、自分はきっと望むだろう。愛した女が死にかけて、それを救える可能性のある唯一の存在である女を見つけ出したなら、たとえその女の命を削ることになろうとも、愛した女を救って欲しいと願うだろう。そんなエゴを抱かずにいられるほど、自分はきっと綺麗な人間ではない。
「……セルフィに危険なことはさせない」
だから、そんなエゴを抱えたまま、相手のエゴを押し潰すようにそう言った。
「たとえあれが望んでも、俺がそれを許さない。俺が許さなければ、あれは絶対にバングルを外さない。……だから」
その気になれば、それこそ自分の身を顧みなければ何でもできると、あの少女は言った。
今までずっと、そんな彼女の力を望むのは、破壊のために、あるいは野心のためにその力を使いたい者ばかりなのだと勘違いをしていた。
「わかっています」
こんな風に、個人のレベルで、救いを求めるようにその力を欲しがられるなんて、思ったこともなかった。
「……わかっています、ちゃんと」
リージュは繰り返して、困ったような、けれどいつも通りの柔らかい笑顔を維持してスコールを見た。
難色を示されるくらいの予測はしていただろうが、ここまでスコールの強硬な反発に遭うとは思っていなかったのかも知れない。
精神的な動揺をほとんど露わにしない男だから、彼の内心は窺い知れない。
「すみません、心配をおかけしたみたいで。……俺、先にガーデンへ帰ってますね」
スコールを班長として何度も任務を共にした忠実な部下は、こんな時でもちゃんとスコールの機嫌を正しく読み取って、彼の望むとおりの言葉を口にした。
「今日はありがとうございました。セルフィさんにも、そう伝えてください」
「……ああ、わかった」
低い声でスコールが応えると、リージュはにっこりと改めて笑って、そのまま軽く手を上げてからガーデンの方へと歩き去っていった。
(…………)
その背中が見えなくなるまで見送って、スコールは額に手を当てて溜息をつく。
まったく、最後の最後にとんでもない爆弾を残していってくれたものだ。
セルフィの耳には入れておくべきだろうかと少し考え、隠しておく理由もないかと結論を出す。どうせある程度は察しているに違いないのだし。
しばらくその場で彼女が戻ってくるのを待っていたが、戻ってきそうもないので、とりあえず彼女が行ったであろう小売店へ足を伸ばすことにした。
「そ〜なの、それでね、そのおまけでもらったアイスは近くにいた子供にあげちゃったんだけどね、その子が食べたらな〜んと、またアイスが当たっちゃったの〜!」
「へえ、そりゃすごい確率だねえ!」
「…………」
で、迎えに行った小売店では、セルフィが両手に(!)アイスをそれぞれ握りしめて、店主の老人相手にアイスのおまけを連続ゲットした時の思い出話を熱く語っていた。
一瞬にしてこちらの緊張感をへにょへにょと奪っていくこの脱力オーラは、ある種天才的とすら思えてしまう。
無言で眺めているスコールに、気配を感じたかセルフィが振り返り、ぱあっとおひさまよろしく全開の笑顔になった。
「あっスコール、ちょ〜どよかった! はいはいこれこれ」
言うなり容赦なく右手に持っていたアイスをスコールの口へと突っ込んでくる。
口で受け止めないと顔や髪にぶつかって悲惨なことになるのが明らかで、避けようもなくばくりとアイスキャンディを咥えてしまったスコールをセルフィは満足げに見やってニコニコしていた。
「それおいしいでしょ〜新発売のミント味なんだよ〜! さっきアイス食べたら当たりでね、もう一本おまけでもらっちゃったんだ〜! あたしってな〜んか、アイスの当たりくじ引くの上手いんだよね〜」
「……もう一本……?」
突っ込まれたアイスを引っこ抜きながら、スコールは怪訝な顔をした。
当たりを引いた、ということはその一本は既に食べ終えた後ということのはずで、スコールの口にたった今セルフィが突っ込んだのがそのおまけでもらったアイスなわけで、となると彼女の左手に握られているチョコレートでコーティングされているアイスキャンディは一体……。
「あっこれはね、おかわりの2本目なのです!」
「…………」
まだそんなに暖かな季節とは言い難いはずなのに、よくそんなにアイスばかり食べられるものである。
「あ、そうそうスコールご所望のあったかい飲み物もばっちり購入済みなのです! はいど〜ぞ!」
レジの店主の前に置き去りになっていた缶コーヒーを思い出したようにセルフィが渡してくれ、スコールはそれを受け取って、ついでにその横に置かれていた自分の財布も回収した。
「ちゃんと男は黙って無糖のコーヒー! にしといたからね〜!」
「毎度」
楽しげにセルフィと話をしていた店主の老人がおかしそうに笑いながらスコールに声をかける。スコールは目礼だけで応え、まだ何やら熱くおまけについて語りたそうなセルフィを促した。
「……行くぞ」
「あ、うん。じゃあおじいちゃん、また来るね〜!」
「はいよ、またどうぞー」
ご機嫌でひらひらと老人に手を振って、セルフィはぱたぱたとスコールに追いつき店を出る。
外に出てもリージュの姿がないことに、彼女から疑問の声は聞かれなかった。
溶けてしまわないうちにとアイスを舐めるというよりかぶりついているセルフィの背中を見ながら、別に食べたくもなかったがもらってしまったので仕方なく、スコールはミント味のアイスキャンディをもそもそ舐める。……意外と味は悪くない。
しばし夜道で、2人してアイスを片付けることに集中する。
さっきのリージュとの会話時を思い浮かべれば、何とも緊張感のない空気が漂っていた。
「ん、ごちそ〜さま〜」
小さく細いくせに食べるスピードが異様に速いセルフィは、食物の温度が熱かろうが冷たかろうが関係がないらしく、驚異的な速さでアイスを完食してみせた。――というか、さっきレストランで前菜からメインディッシュ、デザートまでしっかり食べておきながら、何故アイスが2本も入ってしまうのかスコールにはさっぱりわからない。
こいつの胃袋はどういう構造になってるんだ、と内心で思いながら何とかアイスを片付け、すっかり冷えてしまった口内をぬるくなったコーヒーでわずかばかり温めてから、スコールは口を開いた。
「……リージュは先に帰ったぞ」
実に今更な話題だったが、一応報告する。
「そっか」
そんなことは既に見てわかっているので、セルフィもあっさりとした返答だった。
優雅に巻かれた銅色の髪は大人びているのに、未練がましくアイスの棒を舐めている様子は相も変わらず子供じみている。
魔女の力に匹敵するような能力を持って生まれ、新たに莫大な力の遺産を継いでしまったなんて、こうして見ていたら嘘のようだ。
「……セルフィ」
「な〜に?」
呼びかけると、ケージドレスの華奢な裾をふわりと翻して少女が振り返った。
胸元に輝くグリーヴァのペンダントを見ながら、スコールは少し言葉を探し、どう聞いていいか思いつかなかったので単刀直入に問いかけた。
「……助けられるのか?」
主語も目的語もすっ飛ばした問いかけだったが、セルフィは特に聞き返すこともせず、うーん、と唇に人差し指を当てて小首を傾げた。
「どうだろ。確かクレアさんは、生まれつき心臓が悪いんだよね?」
「そう言ってたな」
ふわん、と裾を優雅に揺らしてセルフィはスコールに近づき、缶コーヒーを持っていない方の手を握ると、軽く引っ張るようにして歩きながらもう一度、うーんと唸った。
「どこがどういう風に悪いのかがわかんないから、断言はできないんだけど。生まれつきだったら、助けてあげるのは無理だと思うな〜」
「無理?」
意外なその返答にスコールが眉を寄せると、セルフィはスコールの顔を見てこくりと頷いた。
「えっとね、えと、ケアルっていうのは、元の状態に『修復』する魔法でしょ? 破れた血管とか皮膚を元通りに繋いだり、折れちゃった骨をくっつけたり」
スコールが頷くと、セルフィは前方に眼を向けて言葉を続けた。
「で、あたしとかリノアとかが使う魔女の力は、それよりはも〜ちょっと高性能だけど、基本的にはケアルとおんなじ、『修復』してることには変わんないのね〜。元の状態に戻してるだけなの。
ケアルが外科的な修復だとしたら、内科的な修復ができるっていうか……そ〜だな、『復元』してるって言ったらわかりやすいかもしれない」
言いながらセルフィは繋いだ手を持ち上げて眼の高さにすると、双方の手を見つめた。
「たとえば今、スコールの手首がぽーんって取れちゃったとするでしょ?」
何だか物騒なたとえだが、スコールは一応突っ込みは入れず頷いた。
「で、その手首をくっつけてケアルかければ、とりあえずくっつくよね。切り口ぐちゃぐちゃだと神経とか上手く繋がんなかったりするけど、一応外科的な『修復』はできるから、血管も繋がって血も止まるよね」
実際に四肢を欠損するような場合は、ケアルでは対応しきれないことも多いが、幸運に恵まれてすぐに処置ができれば回復できることもあるので、スコールは黙ってまた頷いた。
「うん。でね、『復元』っていうのは、たとえばどぱーって動脈から流れちゃった血液とか、損傷激しくてケアルでは回復できない神経とかを、可能な限り元あった状態まで戻すってこと。ハインじゃないから完全に元に戻すってことは無理だろうけどね〜。
けど、単純に細胞とかの再生力を高めて〜ってこともするけど、それが間に合わない時はもう、力業で無理矢理元の状態に近づけるしかないから、魔法いっぱい使わないといけなくって、それがこないだのエスタの病院であたしがやったことなんだけど」
つまり、復元することは可能でも、復元相手の命の危機など復元に時間がかけられない場合、本来必要とされる以上の力を使わざるを得ないから、あの時のセルフィのようにガス欠でぶっ倒れるようなことになるわけだ。
「循環不全を起こしてる人には、起こす前の状態に復元するし、それこそ心臓が中で破れちゃって大変って人だったら、破れる前の心臓に復元するっていうのも、完璧にとはいかないだろうけど、多分できると思うよ。もちろん、こっちの負担は考えなくて、だけど。
ただ、クレアさんの場合、生まれた時からもう、心臓に欠陥がある状態なわけで……どんなに復元したところで、正常だった時が一度もなかったら、それ以上にはならないと思うな〜。
もし『本来あるべきだった状態』に変えるとなったら……あたしに医学的な知識がないと難しい気がするな〜。それってもう、肉体改造の域に入っちゃうでしょ〜?
肉体改造っていうと、アデルみたいなムキムキになったり、アルティミシアみたいにほそ〜くなっちゃったりっていうのを思い出すけど、あれは魔女の力が、一番力を使いやすい形に器を変えちゃってるものだから、同じに考えるのは意味ないと思うし……」
セルフィはそこでまた小首を傾げ、独り言のように付け加えた。
「自分の身体のことだったら、また違うのかなぁ〜……前に痛覚消してみたことあったけど、あれは頭でどうすればいいのかわかってやったわけじゃなかったけどできちゃったし……」
……何だかすごく怖いことを言っている気がする。
「何だ、それは」
「ん? ああ、それはすぐやめちゃったよ。やっぱ何も感じないのって怖いっていうか気持ち悪いんだよね〜。……けっこう便利っぽい気がしたんだけどな〜」
……だからそういう怖いことを至極当然そうに言わないでくれセルフィ。
「まあ、そんな感じだから、多分無理だと思うよ〜」
スコールの心中などまったく無視して、セルフィはあっさりと結論づけてにっこり笑う。
「……そうか」
言いたいことは山のようにあるが、しかし現在進行形でやらかしていることではない以上叱ったところで意味がないこともわかるから、スコールは非常に不満ではあるがそれだけを言って口を閉じるしかなかった。
以前、この少女が黙ってバングルを外して何かをしていた時、恐らく自分の身体を使ってあれこれ実験したのだろうと予測はしていたが、思った以上に色々なことを自身で試していたようだ。
彼女の滅茶苦茶ぶりはよく知っているつもりだが、こうもこちらの想像を遙か上へ行く行動を取られてしまうと――憤っていいのか、苛立っていいのか、呆れるべきなのか、色々と気分が複雑すぎてどう表現していいのかわからない。
「だいじょぶだよ」
ふいに、セルフィが静かな声で言った。
驚いて眼をやると、彼女は繋いだままの手を軽く振りながら、前方に視線を向けたまま唇を動かしていた。
「クレアさんのことは嫌いじゃないけど、友達じゃないし、クレアさんの病気は、あたしのせいってわけでもないし。
……あたしは神様じゃないから、困ってるからって、誰彼構わず、自分犠牲にしてまで助けてあげられない。大事な人以外にそんなこと、あたしはしないし、できないよ。
大事な人だったら、命がけでも何でも助けたいって思うかも知れない。けどそれは、あたしが良い人だからじゃなくて、あたしがその人を喪いたくないから、そうしたいって思うだけなんだよ。その人のためじゃなくて、あたしのためにそうしたいって思わなかったら、あたしにはできないよ」
「…………」
スコールが言葉を失っているのも構わずに、セルフィの口調は淀みなく続いていた。
まるで、いつかこんな日が来ることがわかっていて、とっくの昔に自分のスタンスを決めていたかのような潔さで。
「だからスコールも、気にしなくていいんだよ。だって立場が逆になったら、きっと2人とも同じように考えて、同じように行動するんだから。
あたしが死にかけてクレアさんが助けられるかもって思ったら、スコールはきっとクレアさんに助けて欲しいってお願いしようとしてくれるよね〜?
そしたらね、リージュはきっと今のスコールとおんなじに、クレアさんを犠牲にはできない〜って言うんだよ。
そんなの、人間だから当たり前のことだよね〜? 神様みたいな聖人になんて、普通はなれないもん。……そんなのはみんなお互い様なんだから、それを誰かに悪いなんて思わなくていいんだよ」
鈴の音のような声は、いつもより少しだけ大人びた口調で柔らかにスコールを気遣っていた。
言われて、ようやくわずかばかり棘のように刺さっていた罪悪感が抜けていく。
病気を持った女性を目の当たりにし、それを救えるのはセルフィだけかも知れないと言われ、それを恋人可愛さに一蹴したようなものだったスコールは、内心の奥深くではやや動揺していたようだった。リージュの口にした願いが自身のエゴと同じものだと指摘され、また能力的に救うのは不可能であるとセルフィ本人に言い切られたことで、かなり気が楽になった。自分にもその程度の良心があったことが少し意外だった。
「魔女はかわいそう」
ぽつりと、セルフィが澄んだ声で突然言ったので、スコールはどきりとした。
彼女がこんなふうに、あからさまに同情を口にすることは珍しいことだった。
「ず〜っと思ってたんだ。リノアが魔女になって、あたしがこうなって、色んな人に出会って、ず〜っと思ってた。
きっと今までの魔女もみんな、おんなじことを体験してたんだろうな〜って。
怖いって、気持ち悪いって、そう思われるだけじゃなくて……魔女にもできることと、できないことがあるのに、魔女なんだからできるだろうって勝手に決めつけて、期待されて、失望された人達、きっといっぱいいるんだろうな〜って。
悪い魔女だけじゃなくて、良い魔女もいっぱいいたって本には載ってたけど、そういう良い魔女にはみんなが、良いことをして欲しいって勝手に期待すると思うんだ〜。
自分にない力を持ってたら、自分にできないこと、ぜ〜んぶできるって夢見ちゃうことってあるもんね。
ハインを神様扱いして、魔女を偉大なる神の末裔なんて崇めるのも、恐怖だけじゃなくて、そういう期待の裏返しもあるんだよね。勝手に神様にして、崇めてるから私は助けてください、どんなものからも救ってくださいって、勝手に希望の光にして、勝手にすがって、勝手に安心しちゃうんだよ」
彼女の言葉は、恐らく真実を言い当てているのだろう。
今現在だって、リノアはガルバディアで魔女として畏れられながらも、ある種の守り神めいた存在として勝手に崇められている側面が確かにある。――事実、魔女がいる国に、おいそれと攻め込む国などないからだ。
ハインが神として定義されている以上、それを崇める宗教だって存在する。それらの信者はいよいよもって、魔女を神の末裔として神格化する。それが善なる神になるのか邪神になるのかはともかくとして。
そうして神格化されればされるほど、野心のためにそれを利用しようと考える輩だけでなく、リージュのようにわずかな希望を見出して、その力に期待し、救われたいとすがりついてくる者もいただろう。
今回のクレアはセルフィの手に負えないケースだったからまだ良かったが、もしクレアが後天的な病気で死にかけていて、セルフィが彼女の言う『力業』でなら強引に救えるのだとしたら、救う義務などなく、セルフィを犠牲にしたくないという願いは正当なものだとわかってはいても、やはり良心は咎めたに違いない。
「ハインはみんなが言うような神様じゃなかったから、あたしも神様なんかにならなくていいんだって、それだけは最初っからず〜っと思っていたんだよ」
するりと、スコールと繋いだ手を放して、セルフィは両手を後ろで組みながらととん、と数歩前に出た。
「ハインはあたしを神様にするために力を貸してくれたんじゃなくて、あたしが生きてくために力を貸してくれただけなんだから」
あの時のセルフィは、それだけの力を借りなければ目覚めることもできなかったのだから。
彼女が脆弱な人間としての器しか持たないという、それは確固たる証拠だった。
「誰にどんなふうに期待されても、絶対ぜ〜ったい、それだけは自分でちゃんとわかってなくちゃ〜って、ホントにず〜っと思っていたんだよ」
自分はきっと、幸運だったのだろう。
誰もが手に入れたいと望んで決して手に入れられない、死にかけた者を力ずくで生の岸辺に引きずり戻すだけの奇蹟の力を、この少女だけが与えられて眼を覚ますことができた。
それを与えられていなかったら、彼女は今でも昏睡していたか、悪くすれば死んでしまっていた。
もしそうなっていたら、今頃自分は己の力の及ばない領域を目の当たりにして、リージュのように必死でかすかな希望を探し求めていたかも知れないのだ。
「……ああ」
ほんの少し前まで彼女の手と繋いでいた手を握りしめた。
「俺も、ちゃんとわかってる」
今更確認するまでもなく、彼女はただの人間に過ぎないということを。
そんなこと、リノアの時からちゃんとわかっていた。
「うん」
振り返って、セルフィが笑う。
「それなら、だいじょぶ」
スコールがわかっていてくれたらそれでいいと、そう言った。
その笑顔を見て、改めて思う。
彼女の力を怖がって、排除しようとしてくる者。
彼女の力を利用しようと、奪いにやってくる者。
それだけでなく、彼女の力に希望を見、彼女の善意を期待して救いを求める手を伸ばしてくる悪意のない者からも、自分は守ってやらないといけないことを。
「リノアは、だいじょぶかな。……さすがに大統領のおうちに助けてくださーいなんて行く人は、あんまりいないかな〜」
「……いたところで警備員に追い返されるのが関の山だろう」
何しろ大統領令嬢である。あの娘を溺愛している父親がほぼ確実に、耳に入れるべきではない余計な声はシャットアウトしてくれるだろう。
とはいえ、リノアはセルフィとくらべて、博愛主義的な面が強く同情心も強い。セルフィのように、きっぱりと自分は神じゃないと言い切りはねのけるような割り切り方は恐らくできないから、救いを求める声を聞いたら同情に流されて、傷つかなくていい場面で傷つくことになる可能性は非常に高い。
リージュは面識のないリノアの元へのこのこと出向くような男じゃないが、こういうケースもあるのだということは、カーウェイやアーヴァインあたりに伝えて、注意を喚起しておいた方がいいかもしれない。
そんなことを思いつつ、こちらを向いてにこにこしながら後ろ向きに歩いているセルフィを何となく眺めて、その先に小さな段差があることに気がついて、スコールは慌てて声をかけた。
「おい、後ろ――」
「はにゃっ!?」
がくん、と小さな身体がバランスを崩す。
宙を泳いだ細い腕を、スコールの伸ばした手が掴むより早く、よろけながらもセルフィは辛うじて転ぶのをこらえ、下の段差に着地しながら、ようやく届いたスコールの手にすがって体勢を整えた。
「うあうあうあ、びっくりしたあ〜」
段差が小さかったのが幸いしたらしい。本当に驚いたように頬を上気させながら、セルフィは足元を確認している。
「危機いっぱ〜つ」
緊張感のない感想を聞き、スコールはちょっと溜息をついてしまってから、掴んだ細い腕に視線を落とした。
「……そんなだから、生傷が絶えないんだ」
綺麗に髪を巻いて、可愛らしいドレスワンピースも着ているのに、中身は本当に相変わらずのセルフィのままだ。
少しは年相応の落ち着きも身に付けろと思いつつ、ふと頭の中にある考えが浮かんで、スコールは何も考えずに言葉を続けた。
「今、ふと思ったんだが」
「なに?」
真顔のスコールに、セルフィはまだ少し驚いたような顔をしていたが、それでも翠の瞳を真面目に向けてくる。
その瞳を間近に見下ろして、いつかトラビアで真っ赤になってセルフィが問いかけてきたことを思い出しながら、スコールは自分の思いつきを口にした。
「元の状態に『復元』することが可能なら、たとえばケアルでは残った傷跡なんかも綺麗に消すことが可能ってことにならないか?」
生傷が絶えなくて、任務では結構な大怪我もちょこちょこしていて、ケアルで癒しきれずに残ってしまった傷跡もそれなりにあって、それを気にしていたことがあったような記憶があるが、先ほどセルフィがした説明からいくと、彼女ならそんなものはいとも簡単に解決してしまえるような気がする。
「…………」
きょとん、とセルフィは眼をまんまるにして、まじまじとスコールを見上げた。
「…………」
何となく、スコールもじっと唇を引き結んで、そんな彼女を見つめ返してしまう。
ぽかんとしたセルフィの顔は、何となく間が抜けていて可愛かった。
そのまま互いの顔を眺め合うこと数十秒。
「…………ああっ!?」
素っ頓狂な声でセルフィが叫び、彼女がこれまで一度たりとも、検討すらしたことがなかったことをスコールに教えた。
「そっ、そんなこと、全然考えたこともなかった〜!! そ、そっか、そう考えればできるかも〜!?」
叫びながらぶぶぶぶん、と彼女が両腕を振り回したので、スコールはとりあえずぶつからないように彼女の腕を放して身を引いた。
(……というか、考えたこともないって……)
何だか頭痛がする。
あの時自分に傷跡が気になるかと、真っ赤な顔で問いかけてきた姿は反則的に可愛らしかったのに……。
「気にしてるなら普通考えるだろ、どうにかしようって……」
腰に手を当てて溜息をつきながらスコールは小さく呟く。
あんな顔をしておきながら、実は大して気に病んでいなかったのか、はたまたスコールが気にしないと言った途端に、ならいいかとすっぱりさっぱり気に病むのをやめてしまったのか……どちらにしても図太いというか逞しいというか、セルフィらしいといえば至極セルフィらしくはあるのだが……。
そういえば以前エスタの主治医あたりに、セルフィの遺産は彼女の望み通りに体内で作用して、彼女の身体を健康に保つ効果を持っているらしいとか何とか聞いた気がするが、治ってしまっている怪我の跡に関してはケア対象外なのか、それともセルフィの無意識下にすら気がかりとして残っていないからそのままだったのか、どちらもありえそうで判断に苦しむところである。
「あっ、えと、スコールも消したいかな!?」
あれこれ考えているスコールの耳に、衝撃の事実に気づいた後に脳内でどう展開したのか、唐突に問いかけてくるセルフィの声が飛び込んでくる。
一瞬何のことかと考えて、それから額とか身体とかにいくつか残っている傷跡のことだと思いつき、スコールはセルフィに視線を向けた。
セルフィの身体内で完結する魔法ならバングルを外す必要はないが、スコールもとなるとそうもいかない。どうせこちらは男だし、額の傷も女顔と揶揄されることがなくなってちょうどいいぐらいなので、謹んで辞退することにした。
「……いや、俺はいいから……自分のことだけ心配してろよ……」
「う、うん、そうだね……」
セルフィは頷いて、それにしても、と頬に両手を当てて首を横に振った。
「うあ〜しょっく〜……今までのあたしの悩みは一体〜!」
「……悩んで……たのか……?」
突っ込む気力もなくした。
そこそこ深刻な話をしていたような気がするのに、またしても緊張感がへにょへにょと抜け去って消えてしまった。
はあ、と溜息をつきながら天を仰ぎ、すっかり陽の落ちた夜闇に輝く大きな月を視界に映す。
昔実地試験の時にドール電波塔の山頂から見たのとまったく変わらない、大きな月。
その蒼ざめた月の色は、どこかあの青年の銀髪を思い起こさせた。
ふと気がつくと、いつの間にかあっさりとショックから立ち直ったらしいセルフィも同じように月を見上げていた。切り替えが異様に早いのはこの少女の特徴である。
「マックス先生とゼルがね、あたしのランクが下がったら、スコールと一緒にお仕事できるかも〜って言ってたよ」
話題が唐突に変わるのもいつものことだから、スコールは肩をすくめただけで突っ込みは入れずに応える。
「……マックス先生が?」
「うん。ほら、スコールがAのままであたしがランク下がると、ちょうどバランス的にあたしと先輩とか、スコールとリージュみたいな感じになるでしょ?」
先輩、というのが彼女と良く任務で一緒に組んでいた、あの飄々とした男であることは聞くまでもなかった。
確かに2人ともがAランクでは、よほど大きな任務でも入らない限り一緒に組むことはないだろうが、セルフィのランクが2、3も下がってリージュやマルストと同ランクぐらいになれば、話はまったく変わってくる。
リージュは有能かつ忠実で理想的な部下だったし、SeeDとして共に仕事をするのに何の不満もなかったが、組むのがセルフィとなったらもはや次元が違う。能力の高さも、相性の面でも。
「マックス先生がそう言いだしてるんだし、あとはシュウ先輩に根回ししたら、きっと、ていうか絶対一緒にお仕事できるようになるよ〜!」
むん、と両手を拳に握り、トレーニング頑張らなくっちゃとセルフィは気合いを入れている。
(……マックス先生がそう言っているということは、ガーデン側の意志がそういう方向性に決まったということか……)
どれほど生徒達に理解ある態度を示す教官であるといえど、それでもガーデン側の人間であることに違いないマックスの、それもSeeDを統括する立場にある彼の言葉は恐らくそのまま、ガーデンの意志そのものだ。
ここまで来て、もはやスコールとセルフィの2人を卒業後は手放さざるを得ないと諦めたガーデンは、2人をセットにして扱うことで、こちらに流れる情報量などをコントロールするつもりであるのかも知れない。スコールとセルフィの頭の中に入っている情報は、そのままエスタ大統領の耳にも入ってしまうからだ。
無論ラグナは現在のバラムガーデンマスターではあるが、スポンサーの耳に入れておかない方がいい情報というものは決して少なくないだろう、こんな商売をしているのなら。
「ゼルがね〜、あたしとスコールならコンビでの任務達成率歴代一位とかも目指せるかも〜って! ねえ、ねえ、それってすっごいカッコ良くない〜!? 絶対カッコいいよね〜!」
裏の事情がどうであろうと、とりあえず眼前の現実を120%楽しんでしまおうというセルフィの姿勢は常に変わらない。
それを見ているとあれこれ考えているのが馬鹿馬鹿しくなってくるのもいつも通りで、スコールは唇の端にかすかな笑みを刻んだ。
「……大きく出たな」
「それはもう〜! あたしとスコールだもん!」
朗らかに絶対の自信を込めて少女が断言する。
ふっと小さく、吐息とも笑いともつかない息をついて、スコールはやれやれと遠くを見た。
これだけ本人が乗り気になっているからには、こちらも付き合わざるを得ないに違いない。
休暇明けからは何だかんだと忙しくなりそうだ。
「こ〜ら、何他人事みたいな顔してるの〜! セフィちゃんと一緒に伝説作っちゃうんだからね、頑張るんだからね!
んじゃガーデンに帰ろう〜」
「……おい」
またしても脈絡などぶっ飛ばしまくって、セルフィは両手でスコールの左手を掴んで引っ張る。
後ろ向きで歩くとまたコケるぞ、と言おうとする前に、セルフィは右手だけできちんと手を繋ぎ直して、機嫌良さそうに前を向いてぴょこぴょこ歩き出した。
一時手を繋いでくれないと拗ねたりはしたものの、基本的にずっと上機嫌だったのは、どうやらスコールと一緒に任務に行けると聞いたおかげだったらしい。さっきのリージュとクレアの話なんてすっかり忘却の彼方――少なくとも表面的には――に追いやってしまっているようだ。
そんな現金さに少し呆れ、けれどとても微笑ましくて、そういうあり方に救われてきたから、だから、
(俺が守る)
細い指が絡まる感触を心地良く思いながら、一度眼を閉じる。
眼を開いても、もう頭上の月は見上げずに、ふわりふわりと歩くたび揺れる銅色の髪を視界に映しながら、スコールは繋いだ温かい手を引き寄せた。