どこかで聞いたようなタイトルです。
某有名ロールプレイングゲームの三作目と四作目のサブタイトルを文字って合体させてみました。おわかりでしょうか。
ある国に、崔杼(さいじょ)という人がいました。その国の王に仕えていました。
この人が、主君である王を殺しました。
殺人ですから、当然動機があります。
普通は、権力を求めてのことですがこの人の場合は違います。
国王が、崔杼の妻とできていて、たびたび逢瀬を重ねていたのです。つまり不倫です。
お相手が自分の主君であるのですから、崔杼としては辛いところです。昔の中国では、親と主君は絶対的な上位者です。滅多なことでは逆らえません。ですが、この不倫は、崔杼にとっては、滅多なこと、でした。奥さんをよほど愛していたのでしょうか。だとすると、裏切られたという気持ちが、暗く心の奥底にたまったことでしょう。
「みんな、殺してやる」
という心境に達しました。
王を殺しました。奥さんも殺されたかどうかはわかりません。
「崔杼、其の君を弑す」
国王が崔杼に殺されると、その国の歴史を記す記録官は、こう書きました。
事実をビシッと書いたのです。
崔杼が、この国の王を殺した!
中国人は、昔から歴史をとても重んじてきました。そして、歴史がはるか未来まで残ることを知っていました。
ですから、崔杼は怒りました。自分の名が「主君殺し」という汚名とともに後世まで伝わるのです。先ほども言ったとおり、昔の中国では、親と主君は絶対的な上位者です。私でたとえるならば、
「馬青(私の名前です)、その親を殺す」
と、何千年も後の世まで言われ続けるようなものです。この話は紀元前500年くらいのことですが、およそ2500年後の今にも伝わっています。
自分に対する後世の評価なんて、自分が死んでしまえば関係ないじゃないか、と思える人はいいのですが、歴史を重んじる昔の中国人はそういうふうには考えられません。
私は、2500年後に私が親を殺したなんて言われ続けるなんて嫌です。崔杼も嫌でした。
そこで、彼は記録官に命令します。
「私が王を殺したという記録を削除せよ」
「お断りいたします」
記録官は、間断おくことなく突っぱねました。
もともと権力のあった崔杼は、王を殺し、今や相当の権力者となっています。
「削除せねば殺すぞ」
「お断りいたします」
答えは変わりません。
崔杼は、この記録官を殺しました。自ら記録を破り捨てました。
次の記録官になったのは、殺された記録官の弟でした。
「崔杼、其の君を弑す」
その弟も全く同じことを書きました。崔杼が削除を求めてもガンとして聞きません。崔杼はこの弟も殺しました。そして、記録を破り捨てます。次の記録官になったのは、殺された記録官の兄弟の末弟でした。
「崔杼、其の君を弑す」
この末弟も、また同じことを書きました。無論、死を覚悟してのことでしょう。彼らは、歴史の記録官として、死にたかったのだと思います。偽りを記すことは、記録官である彼らにとって死より耐えられないものだったに違いありません。
崔杼はとうとう諦めました。
その後、地方の記録官が一人、都に姿を現しました。
彼は、王都の記録官が崔杼によって皆殺しにされたと聞いて、記録する本(この時代では竹簡か木簡ですが)を持って、事実を記すためにやって来たのです。もちろん、死を覚悟しての上京です。三人の記録官の兄弟と同じです。
ですが、崔杼が記録の削除を諦め、事実が記録されたことを知ると、彼は自分の任地へと帰っていったのです。ある史書に、
「既に書せりと聞き、乃ち還る」
と、あります。この記述に、私はこの地方の記録官の歴史に対する想いを感じます。何事もなかったかのように帰っていく彼の背中が、とても大きく見えます。この話を小説にしたならば、彼に「事実が記されれば、それでよい」と呟かせたいです
余計な修飾がないから、言葉により重みを感じます。漢字という文字の、すごさです。
歴史というのは、勝者によって記されます。そのため、勝者にとって都合の悪い内容は書き換えられることがあります。歴史によって、自己正当化をするのです。それは、現代においても続いていることで、仕方ないことかもしれません。
私はこの話を知ったとき「嗚呼、中国史を好きになって良かった」としみじみ思いました。
このような記録官たち(とそうではない記録官たち)によって記された歴史を知ることができることを、この上ない喜びだと思います。書き換えられた歴史もまた、学者などではない私にとっては、おもしろいものであることに変わりはありません。
死を賛美するつもりはありませんが、私は、命を賭した記録官たちに拍手を送りたいです。もっとも、彼らは文字をつづる手を一瞬だけ止めて、こう言うでしょう。
「記録官として、当然のことをしただけです」
ちなみに、舞台となったこの国は斉(せい)という名です。時代はあの有名人孔子(こうし)が生きた時代で、春秋時代 です。不倫をやって崔杼に殺された国王は荘王(そうおう)という名です。いろんな国に、荘王という名の王様がいるから中国史はややこしいですね。
以上、蛇足でした。
まずは、以前置いてあった掲示板で、飛び蹴りさんに指摘していただいた点を訂正します。
一つは、崔杼の読み方。
崔杼は、「さいじょ」ではなく、「さいちょ」と読むことが多いようです。
私が、この話を知った『中国五千年』(陳瞬臣著)は「さいじょ」と書かれていました。
「杼」という字は「ちょ」や「じょ」「ひ」とも読むので、さいじょという読み方が完全に間違いかどうかまではわかりませんでした。
もう一つは、崔杼に殺された君主のこと。
「荘王」ではなく、「荘公」です。
細かい話になりますが、当時(春秋時代)、「王」を名乗れたのは、周の君主のみ――とされていました。中央から遠く離れた場所にあった、楚(そ)や呉(ご)、越(えつ)といった国の君主は、「王」を名乗っていましたが。
荘王(そうおう)で有名なのは、第二十三回で取り上げた楚の国王でしょう。この人も春秋時代の人ですが、王、を名乗っていますね。
周王朝の権威が完全に失墜した戦国時代には、多くの国の君主が、王を名乗ることになります。
さて、「孔子(こうし)が生きていた時代で、春秋時代」という記述をしました。孔子が生きていたのは、約350年続いた春秋時代の後期です。
春秋時代という名称は、孔子の生まれた国、魯(ろ)の歴史記録官が記した編年体の記録(前722年〜前481年)を、孔子が整理編纂して著したとされる『春秋』という書物からきています。
原典をあげておきましょう。
「既に書せりと聞き、乃ち還る(聞既書矣、乃還)」は『春秋左氏伝』(『春秋』の解釈本といわれている)
「記す者たち、そして歴史へ・・・」は――どうでもいいですね。まぁ、一応あげておくと、前半部が、『ドラゴンクエスト4 選ばれし者たち』で、後半部が、『ドラゴンクエスト3 そして伝説へ』です。