■■■Diary ■■■
切手6.SEP.Mon.

静寂の古都、

 イムディーナとラバト
本日のスケジュール
午前  バス(ヴァレッタ乗り継ぎ) ←夏期は直行もある
ラバト 聖パウロ教会・聖パウロの洞窟〜聖パウロ
のカタコンベ(できれば聖アガサのカタコンベ)
午後  徒歩
イムディーナ 堡塁広場で昼食〜ファルツォン邸〜カーマ
ライト教会〜サンタソフィア邸〜大聖堂〜
大聖堂博物館〜中世の時代館〜インガ
ネスの家〜聖ベネディクト教会〜
イムディーナの土牢〜見張り台
 バスでホテルに戻って夕食
Hotel Fortina(Sliema)泊
=内部見学 / =外観のみ 
※ これは旅行前の計画で、実際の
行動とは異なっています。

今朝は4:30にお目覚め。まずポットのお湯を沸かす。顔を洗って、のんびりコーヒーを飲みながらパソコンに向かう。まるでずーっとそうしてきたかのように‥‥。だいたいもう1週間位ここにいる気分なのよねぇ〜。"USA Today"の天気予報ページによるとマルタは今日も晴れ、最高気温32℃‥‥。
7時をまわったころ朝食に出かけた。メイン・レストランは昨日より混んでいる。ピークの時間帯みたい。皿を手に料理を物色に行く途中、「やあ、Keiko! おはよう」 の声に振り返った。「あ、お早うございます。昨日は有り難う」 ボブとアイリーンは食事を終え、お茶を飲んでいるところだった。アイリーンに「お嬢さんは如何でした?」 と尋ねたら「無事に帰っていたわ。とっても元気そうだった!」 彼女のほうこそ昨晩の別れ際とはうって変わってメチャクチャ元気だ。少し今日の予定について話したあと、二人はレストランを出ていった。

今日はイムディーナ、ラバトという2つの町へ行くことにしている。
ルーペ forMap
MALTA島
全体図
イムディーナ (Mdina) /ラバト (Rabat) 内陸部の高台にあり、元々は1つの町だった。
古くは青銅器時代に人が移り住んでいたらしい。B.C.1000年頃にはフェニキア人がここを要塞化したと考えられている。彼らはここを"Malet(避難の場所)"と呼び、B.C.200年頃、古代ローマ人がここを首都に定めてからは"Melita(メリータ)"になった。そのうち"メリータ"は島全体の名としても用いられるようになる。彼らは町を堅牢な壁で囲い、死者は壁の外に埋葬した。870年、マルタを占領したアラブ人が当時の町の1/3を新たな堀と城壁を築いて"Mdina(壁に囲まれた町)"とし、"Rabat(都市周辺)"と分割した。
ノルマン人支配の時代(1090-1194)に城壁はより強固に再建され、アラゴン王国支配下では1422年のトルコ軍の攻撃にも耐えた。政府機関はイムディーナに置かれ続け、聖ヨハネ騎士団が1530-1532年だけBirgu(現・ヴィットリオーザ)に司令本部を移したものの、1571年にヴァレッタができるまで首都だった。多くの人々がヴァレッタに移ってからも知識階級は代々引き継がれた宮殿に暮らし、貴族の自治機関である"Universita"がここに残った。1693年のシチリア・マルタ大地震で崩壊後にバロック様式で再建された宮殿が多いが、14、15世紀の古いものも残っている。アラゴン時代からは『Citta Notabile(優美な街)』、騎士団時代からは『Citta Vecchia(オールド・シティー)』、今では『サイレント・シティー(静寂の街)』の異名を持つ。現在の人口はたった500人だそうだ。
一方、ラバトのほうは人口13,000人、古代ローマの境界線を越えて広がって、古代の地下墓地カタコンベはすっかり住宅地区の下に隠れてしまった。商店や工芸品を製造販売する店も多く、生活感のある町になっている。
夏期は直行バス[65]もあるらしいけど、どのぐらいの頻度で来るかが不安。そこで、ひとまずヴァレッタへ出て乗り換えることにした。スリーマのバス停で待つこと5分、車内もなんとか座れるほどの混み具合。昨晩のことが嘘のように順調にヴァレッタへ着いちゃった(¢15)。バス・ターミナルは行き先ごとに停車位置が決まっていて、バスのフロント・ガラスには路線番号が表示されている。イムディーナ・ラバト行き[80,81]を探しながら、今後に備えてノートに乗り場の図を書きとめておくことにした。なんて気が回るのかしら?って思ってたけど、翌日買ったバスルート・マップに出てたんだ〜(ガッカリ‥‥)。
目指すバスを見つけて近づくと、乗降口の前に異彩を放つお婆ちゃんがいた。"サマンサのママ(『奥様は魔女』の)みたーい!!" お花やフルーツのついた麦わら帽子、白いフリル付きの長袖ブラウスに薄手のベスト、ショッキング・ピンクのパンツ、首にはシフォンの花柄スカーフ。それに負けないバッチリ・メーク。よほど日焼けしたくないのねぇ‥‥。彼女は地元の女性にイタリア語で、このバスはイムディーナに行くかと尋ねていた。公用語はマルタ語と英語だが、イタリア語もけっこう通じるのだ。そこで「イムディーナまでいくらですか?」 とイタリア語で割り込んだ。「¢18よ」 地元の女性もイタリア語で答えてくれた。
サマンサ・ママは「まあこの人はイタリア語が解るわ!」 連れの中年女性に嬉しそうに話している。「いえいえ、ちょっとだけ」 バスに乗ってからも「どこから来たの?‥‥イタリア、来たことあるんでしょ?‥‥何処へ行った?‥‥そう!私はローマ、彼女はフィレンツェから来たのよ。イタリアは好き?‥‥」 こっちは地名とスィー しか言えなかった。

若い運転手が乗り込んできて集金を始めた。¢18がなかったので、行き先を告げながら¢25コインを出した。このくらいなら許されるハズ。「お釣りは待ってて、ちゃんと覚えてるから」 そう言ってチケットをくれた。そして順番に後方をまわる。一度、戻ってきてハンドルの中央部分を外して小銭を出した。他でもお釣りが必要になったようだ。"ふーん、そうなってるのか。へそくりかしら? でも私の分は〜?"
ひととおり巡回すると運転席にすわって新たに乗ってくる人から集金するだけ。どのくらい経ったのだろう。5分後ぐらいのような気がするが、外から彼に向かってオジサンが怒鳴りだした。どうやら次のバスの運転手らしい。マルタ語なので訳がわからないけど早く出発しろと言っているみたい。こちらの運転手クン、逆ギレしたのか「チケットを持ったまま後ろのバスに移ってくれ」 乗客に向かって叫ぶ。皆、どうしようもないといった顔で指示に従った。ただ1人、観光客の中年男性が「なぜだ訳を話せ、訳を なんて食い下がっていた。無視して立ち去ろうとする運転手クンに、私は「お釣りをまだもらってないわよ」 と立ちはだかった。言われて思い出したようだ。わかったわかったという表情をしながらポケットを探って¢10 くれた。¢3多い。昨晩に続いて、またしても儲かっちゃったぞ
次のバスは私たちを乗せると、待っていましたとばかりに----実際、待っていたのだけど----出発した。
しばらくすると窓の外は都会から田園に変わり、またしばらく走ると運転手が「イムディーナだよ と叫んだ。本には約20分と書いてある(時計を見なかったのでハッキリしたことは判らない)。運転手は降りる人に「そこを真っ直ぐ行けばゲートがあるよ」 と教えていた。ほとんどの人がバタバタと降りていく。"でも地図のバス・ターミナルとは違う場所だなぁ。そういえば最初に乗ったバスはイムディーナからラバトへ行くはずだったけど、このバスはナンバーを知らずに乗ってしまったんだっけ‥‥" 不安になって後ろの若い子に「ラバトは次でしょ?」 と聞くと、「ここで降りなきゃダメだ、次は××だよ」 ですって。あわてて私も降りた。

photo-St.Augustine教会
聖オーガスティン教会の前には、何の意味をもつのか
綺麗な柱が並んでいる。私はこの道を奥に行った。
ラバトの中心部はイムディーナから500〜600m。だけど沿道で降ろされて "ここはどこ?" 状態だ。とりあえず他の人たちとは反対方向へ行けばいいやと歩き出したんだけど、どっちに向かっているのかも判らない。イムディーナのゲートへ出たほうが安全かも‥‥。引き返して少し行くと聖オーガスティン教会 (St.Augustine Church) があった。ようやく現在地が地図と一致して、そこからラバトの町に入って行くことにした。この教会はヴァレッタの多くの建築物を建てたジェローラモ・カッサールが1571年に建築したものだそうだ。

住宅街を奥へ進む。猫一匹見かけない狭い道、中をうかがい知ることもできない砂色の石造りの建物。どこが『生活感のある町』なんだろ? 加えて光と陰の強烈なコントラスト。白昼夢でも見ているような錯覚に陥る。何が出てきても "太陽のせい" と納得しちゃうかも‥‥。が、実際前方の角から現れたのは警官だった。ふと我に返り、無言ですれ違うのも気まずいように思えて、挨拶がてら聖パウロ教会はどこかと尋ねてみた。「あー、ちょっとややこしいよ。この先を左に曲がると、すぐまたコーナーがある。そこは他へは行けないから道なりに右へ行く。それから‥‥」 とっても丁寧に教えてくれた。彼の言葉を復唱しながら進むと、あったあった。タンクトップ姿だったので教会にはいる前に教会見学には必需品の上着をリュックから引っぱり出して羽織った。

聖パウロ教会・聖パウロの洞窟 (St.Paul's Church / St.Paul's Grotto)
ラバト
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DoorToPhotoPage
open:9:00am-12:00noon, 2:00pm-5:00pm。
17世紀にマルタの建築家Lorenzo Gafa(ロレンツォ・ガッファ/1630-1704)が建築したものだが、後にかなり改修された。ファサードは18世紀のもの。ガッファはこの教会の中に1617年に建てられた聖プブリオの礼拝堂(Chapel of St.Publius)を組み込んでいる。その地下室の途中にはさらに古い、60年に使徒パウロが難破して隠れ住んだと伝えられる洞窟がある。下りてみると洞窟のところで中年のご夫婦がガイドの説明を聞いていた。そこで先に地下室を見て、彼らが去ってから洞窟を見た。ロンドンで買ったガイドブックによれば "現地ガイドは、いかにして使徒パウロがこの洞窟に閉じこめられたか、を雄弁に解説する" そうなので、ちょっと聞いてみたかったんだけど‥‥っていっても聞いてもよく判らないか‥‥。

教会を出て、前のパリッシュ広場 (Parish Square) から延びている道の一つ、聖アガサ通りを探した。通りに入ってすぐ、聖パウロのカタコンベがあるはずなのだ。ガイドブックの小さな地図はイマイチ判りづらくて、ちょっとウロウロ。広場周辺には地元の人たちのための店が並んでいた。

聖パウロの地下墓地 (St.Paul's Catacombs)
open:夏期は毎日8:00am-1:45pm(冬期は8:15am-5:00pm)。入場料:ML1
4世紀〜6世紀に使われていたと考えられる、この町で最大規模の埋葬地(‥‥ということはマルタで最大のカタコンベだ)。入口で入場料を払って階段を下りるとメイン・ホール。その左、2段下がった所がチャペル。そして墓穴のあいた回廊は必要に応じて拡張されたらしく、無秩序に広がっている。何世紀も前に盗掘され、19世紀の終わりに発掘調査が行われたときには墓はカラだったという。
私は他に人がいないのを良いことに、墓穴にカメラを置いてタイマー撮影をしたりして遊んでいた。そのうち女性観光客が2人やって来たようだったが、姿は最後まで見かけなかったし、私より先に出ていった。

続いて聖アガサの地下墓地・博物館 (St.Agatha's Catacombs & Crypt Museum) へ行くつもりだった。聖アガサがローマ皇帝デシウスの迫害から逃れた地下室があり、フレスコ画が残っていることで有名なのだ。ところが行けども行けども、そこへ通じるらしき脇道がない。なだらかな下り坂を10分近く進むと、町を取り巻いているらしい幹線道路に出てしまった。どうやら地図を見間違えて1本隣の道を歩いていたようなのだが、自信がないので諦めることにした。イムディーナでゆっくりしよーっと
photo-Mdina MainGate 観光客が
ひっきりなしに
往来する
イムディーナの
メイン・ゲート。




パリッシュ広場まで戻って、その先も行きと同じルートを採る。まっすぐ行けばギリシャ門という入口があるけど、やっぱりメイン・ゲートから入りたい。初詣で鳥居をくぐりたい‥‥みたいな感覚?
門が見えないうちからそこに続くアプローチは大渋滞だった。ここが入口なのは、ラバトで道が判らなくなった私にも一目瞭然。観光バス、自家用車、タクシー‥‥それに周辺を回ってきたのか観光馬車で乗り付ける人もいる。もちろん路線バスで来た人、観光バスに戻る人‥‥ど、どこがサイレントォ〜??

メイン・ゲート (Main Gate)
凱旋門の形をしたメインゲートは1724年、それまでの跳ね橋から入るゲートに代えて、騎士団長 Manoel de Vilhena(マノエル・ドゥ・ヴィルヘーナ/ポルトガル人/在任1722-36) によって建造された。上部にはヴィルヘーナの楯形紋章があり、内側には最も古く有力な貴族だったインガネス家(Inguanez) の紋章と、使徒パウロ、聖プブリオ、聖アガサの像がある。
新しい騎士団長が任命されると、このメイン・ゲートで貴族の自治機関だった "Universita" の代表に迎えられ、特権を与えられる象徴として街の鍵を受け取ったのだそうだ。イムディーナが京都でヴァレッタが江戸ってところかな。
とりあえず休憩した〜い!! バスを降りてからずっと歩き通しだったもの。もう11時半だ。建物はあとでゆっくり見ることにして一気にメイン・ストリートのVillegaignon通りを大聖堂前の広場まで歩く。途中、アトラクションの広告を配っているお姉さんがいた。中世のコスチュームを着て、まるでディズニーランド

予想通り広場のそばにカフェがあった。コーラ(¢35)を注文して、やっと一息。ホッ‥‥。
フランス人観光客がお店の人と意志の疎通ができずに困っていた。見かねた他のツアーのガイドさんが通訳してあげていた。彼女は休憩中だったようだけど職業柄かとっても世話好き。そのあと他のお客さんがいなくなったので写真を撮ろうとしていたら「撮ってあげましょうか」 なんて言って私を写してくれたりして‥‥。しばらく休んで外へ出ると、彼女は広場でツアーのメンバーが集合するのを待っていた。
大聖堂はお昼休みに入っているので、まずはその奥にある大聖堂美術館を見学することにした。

大聖堂美術館 (Cathedral Museum)
open:月〜土9:00am-1:00pm, 1:30-4:00pm。日祝=休館。入館料:LM1
イムディーナ
中心部
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元・神学校だったバロック様式の建物を使って、19世紀の終わりに設立された。Saverio Marchese伯爵(1757-1833)---誰だ?それ--- のコレクションを中心に、14〜19世紀のマルタ、イタリア、フランドル絵画や、コイン、祈祷書、古文書などが展示されている。古い建物にありがちな薄暗い中で観るコレクションは、心なしか重みがあるように思える。
メイン・ストリートへ戻ってさらに北へ。Castle
最も古い貴族の宮殿という サンタソフィア邸 (Palazzo Santa Sophia)カーマライト教会と修道院 (Carmelite Church and Convent)聖ロークのチャペル (Chapel of St.Roque)‥‥外観を眺めながら奥へ進む。
チャペルの先にはコスタンツォ邸 (Palazzo Costanzo) がある。1階は中庭を利用したレストラン、2階はMedieval Times(中世の時代館)というアトラクションをやっていて外壁にはポスターが並んでいる。中世を再現した幾つかの部屋を歩いてまわるらしい。ちょっと中に入ってみると暗い建物の向こうに中庭があった。宮殿内部はやはり立派なものだ。入口の案内嬢もやはり中世の衣装だった。隣は保存状態の良い ファルツォン邸 / ノルマンハウス (Palazzo Falzon / Norman House)。そこを過ぎると堡塁広場だ。この間、約100m。メイン・ストリートは総延長でも250m弱といったところなのだ。
広場の一歩手前で日本人らしき女の子がひとり、建物の写真を撮っている。私も手前から目を付けていたアングルだ。彼女が取り終わるのを待って撮影。そして「日本の方ですか?」 お互い同時に声を掛けあうことになった。一緒に展望の良い堡塁広場 (Bastion Square) の端まで歩き、城壁にもたれて旅行の話で盛り上がった。考えてみたら日本語で話すのは成田空港以来はじめてだわー。フランスに語学留学しているという彼女(お名前、忘れちゃった)は2ヶ月の夏休みで色々な国をまわり、チュニジアからマルタに渡ってきたとか。スゴイ羨まし〜い!! そんな彼女も「マルタに来て良かった、とても気に入った」ですって。うん、居心地いいよね〜。
どこかでお茶しよう‥‥ということになり、聖アガサ通りを西に歩いてCiappetti Tea Gardensという店を見つけた (住所:5, St.Agatha's Esplanade, Mdina TEL:45-99-87)。奥まで覗いてから入口に近い中庭の席につくことにする。ほかにお客さんがいなくて落ち着けそうだったのだ。とうにお昼は過ぎたというのにお腹が空かないので二人ともビールだけ注文(料金不明)。リーフレットには"Imagine.....sitting on the bastions, under the orange trees in the garden, listening to running water and chirping birds."なんて書いてあったが、ホントに木々に囲まれて雰囲気のある店だ(ただし蜂さえいなければ‥‥)。日本人を何人見かけたかとか、夜の大砲の音のこととか(ヴァレッタはうるさいのだそうだ)、そんな話をしながらビールをチビチビ。

どのくらい経っただろう。店を出て、中世の空気が漂う小路を歩いた。彼女はヴァレッタに戻るという。そこで別れて、そばにあったアトラクションに入ってみることにした。幾つかある中で一番面白そうに思えたので‥‥。

The Nights of Malta (マルタの騎士)
住所:14/19 Casa Magazzini, Magazines Street, open:月〜金=10:30am-4:00pm, 土=10:30am-3:00pm
入口で料金ML2.25を払う。解説は何語がいいかと聞かれた。マルタ語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語しか選択肢がないので、英語を選んだ。ヘッドフォンを渡され操作方法を教わって、次の回までロビーで待つように指示される。しばらくすると受付のオバサンから中に入る許可が出た。中は小振りな映画館になっている。それでもお客さんは多くないので座席は半分くらい空いていた。冷房がガンガン効いていて上着を着ても少々寒い‥‥(マルタでは珍しいんじゃないかな)。
扉が閉まり、映画が始まった。ヘッドフォンのスタートボタンを押すとフィルムに合わせて解説が聴ける。イムディーナの歴史を分かりやすくまとめた映画だった。なーんだ、これだけ?と思うと大間違い。座席ごとにグループ分けされて次の部屋へ進むのだ。そこから先は騎士たちの時代と生活を蝋人形(120体)で再現している。シーンごとにいくつもの小部屋に別れていて、ヘッドフォンの解説を聴きながら歩いてまわる。一つの部屋が終わると「次の部屋へ」 ヘッドフォンの声が移動を促す。考えてみればみんな自分のヘッドフォンの指示で動いているなんてチョット異様な気もするけどね‥‥。センサーがあるらしく、移動すると効果音が鳴ったり照明がついたりして次の解説が始まる。戦乱の時代だっただけにケガ人の蝋人形は痛々しいけど、質実剛健な騎士たちの暮らしぶりがよく解ったし、なかなか楽しめた。騎士団時代以来、火薬庫だった場所に5年を費やして作られたアトラクションなんですって。
さて、表通りに戻って大聖堂を見に行こう。
大聖堂etc.
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大聖堂 (Cathedral)
open:毎日9:30-11:45am, 2:00-5:00pm。
ここは聖パウロに捧げられた教会だ。ラバトの聖パウロ教会も手がけたイムディーナ生まれの建築家、Lorenzo Gafa(ロレンツォ・ガッファ/1630-1704)の傑作とされている。前身である12世紀のシシリアン・ノルマン様式の建物が1693年の大地震で聖具安置室と聖歌隊席を除いて破壊されてしまい、1697年にガッファが再建を委任されることになったのだそうだ。
ファサードは控えめなバロック様式で、中央扉の上には町の紋章がある。その両脇には1702年、この大聖堂を奉納した当時の騎士団長と司教の小さな紋章も見られる。
でも観光客の入口は博物館に面した側廊のほうのドアだ。その前で上着を羽織った。外は死にそうなほど暑かったけど、一歩中に入ると辛くはなくなった。中には服装チェックのオジサンがいて、傍らにはタンクトップや短パン姿の人に貸し出す布が置いてある。
教会内部は、外観のシンプルさとは違って小さいながらもゴージャスだった。

メイン・ストリートにある土産物屋に入ってみる。行った場所の絵ハガキは出来るだけその日のうちに手に入れることにしているのだ。でないとドレを買ったか判らなくなったりするのよねぇ‥‥。というわけでイムディーナの絵ハガキを数枚購入。

ゲートの方に向かって歩いた。着いたときすっ飛ばした辺りを見るため‥‥。
まずはインガネスの家 (Casa Inguanez)。今は絶えてしまったインガネス家は、メイン・ゲートに紋章があることからも判るように最も古く有力な貴族だった。メイン・ストリート、Villegaignon通りはその屋敷から始まっている。建築様式の違いこそあれ、他の宮殿と同じく重厚で大きな建物だ。その向かいが聖ベネディクトの礼拝堂 (St.Benedict's Chapel)聖アガサの礼拝堂 (St.Agatha's Chapel)
そして角を曲がってゲート内側の小さな広場に出ると、見張り台 (Tower of the Standard)がある。これは16世紀のもので、かつては見張りと合図のための塔だったが、現在は警察が使用しているそうだ。
広場をはさんで見張り台の前に荘厳な玄関があるのがヴィルヘーナ邸 (Palazzo Vilhena / The Museum of Natural History)。1730年、騎士団長Anton Manoel de Vilhenaの別邸として建てられたバロック様式の宮殿だ。もとは自治体(Universita)があった場所で、法廷、監獄の独房、土牢、絞首台も併設されていた。1908年に英国当局が病院に改造して以来1956年までその役目を果たしていたが、1973年に国立自然科学博物館となった。

このイムディーナの法廷の他に、ヴィットリオーザ(ヴァレッタが出来る前に騎士団が本拠としていた町)の司教庁も管轄下の聖職者を審理する法廷を擁していた。この宗教裁判所はカトリックの宗旨を異端者から守ったり、教会と政府の紛争を調停する。また1530年に聖ヨハネ騎士団がマルタにやってきて最高裁判所はヴィットリオーザに置かれた。これは民法上の訴訟や刑法上の事例を扱い、のちにヴァレッタに移される。これら3つの機関はそれぞれが関連する囚人を収監していた。
‥‥てなわけで現在はミュージアムになっているヴィルヘーナ邸の地下室、イムディーナ土牢 (Mdina Dungeons) を見に行く。
open:毎日9:30am-5:00pm。入口はメイン・ゲートの脇、城壁に沿って階段を下りていく。入場料のML1.4を払うと土牢の絵ハガキをくれた。ついでにガイドブック¢25も買って、奥へ進む。
土牢
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危険!WayToPhotoPage

怖いものOKという方のみ入場可
通路沿いに小部屋が並び、古代ローマ時代の奴隷や囚人、ビザンチンやアラブ時代の法律、中世の拷問器具、疫病の発生、処刑場‥‥と、蝋人形で再現している。そもそも中世の処刑ってどこでも残忍きわまりないものだ。道具類だけ展示してあるものは見たことがあるが、それでも鳥肌ものだった。蝋人形がいるとホントにリアルで血なまぐさいよぉ〜。あー、くわばらくわばら‥‥(それじゃあ異端者になっちゃうか!)。
裁判所に関連する有名人たちの解説もあった。例えば、1573年イタリアはベルモ生まれの画家カラヴァッジョ(Caravaggio, 本名Michelangelo Merisi)は1608年騎士団長の招きでマルタにやってきたが、その年の終わりに、ある騎士と口論になり投獄された。すぐにドラマチックな脱走を遂げてシチリアのシラクーサに逃れたとか‥‥。またナポレオン・ボナパルトは1798年にマルタを占領し、宗教裁判所を廃止したとか‥‥。

でも、こわいこわいと思いながら、けっこう写真とか撮ったりしていた自分が一番こわかったりして?
時計を見ると 3:40。そろそろスリーマに帰るとしようか。
帰路
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メインゲートを出て、"そうだもう一つのゲート、ギリシャ門 (Greeks Gate) まで行ってみよう"と思い立った。イムディーナの城壁に沿うグリーンベルトを西へ向かって歩くと、堀の下にその門はあった。昔はこの辺に鉄道の駅があったのだそうだ。今はマルタに鉄道は1本もない。バスに押されて廃線になったらしい。

バス・ターミナルへ戻った。80番のバスが止まっていたので運転手を待っていると65番のバスがやって来た。夏期のみ運行しているスリーマへのダイレクト便だわっ 運転手に「スリーマに行く?」 と尋ねたら、「ああ、乗って待ってな」 と言われた。しばらくして4:10ごろ、ほとんどガラガラのバスは出発した。行きと違ってこのバスはイムディーナから見えた町、モスタを経由する。そして海側に出るとサンジュリアンを通ってスリーマのフェリー乗り場前まで。違うルートがとれてラッキー!! これはダイレクト便といってもヴァレッタ以外の町同士をつなぐという意味で、途中で乗り降りはできる。
ただバス料金の特別区になっているモスタを通るバスは料金が高い。この65番バスは¢40だった。乗車時間約30分、4:40ごろスリーマに着いた。

スリーマの海岸通沿いにあるカフェ・オアシスで休むことにした。表のパラソルの下に座ってカプチーノとミネラルウォーターを注文。昼食代わりのビールから何も飲んでいなかったのに気付いたら、一刻も早く何か飲まないといられなくなっちゃった。ホテルのバーならタダなんだけどね〜。ちょっと勿体なかったかな。それから歩いてホテルに帰った。

6:30、1階(Ground Floor)にある、このホテルでは一番のレストランカトラリー Mangal Restaurant に出かける。昨晩、フロントで予約を入れておいた。明日はこのホテルをチェックアウトしなければならないので、最後の夜ぐらい要予約のレストランに行ってみようと思ったのだ。何かの記念日で来ている地元の人もいる。写真を撮る勇気が出なかったのが残念‥‥。
料理は日替わりのコース。前菜がくるまえびとフェタ・チーズのタルト。冬レンズ豆のスープ。第一皿のパスタはファルファッレ・ローザ(ハム、マッシュルーム、グリーンピース、クリーミー・トマト・ソース)。第二皿は、めかじきのSANMORILIO(オリーブオイル、ガーリック、フレッシュ・ミント、オレガノ、レモンジュース)。ワイン。それからケーキとコーヒー。
美味しかったのでキレイに平らげて、死にそうなくらいお腹イッパイになった。部屋に戻ってすぐにでも寝たいところだけど、明日はチェックアウト。パッキングしなきゃー!!



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