■■■Diary ■■■
切手11.SEP.Sat.

ゴゾ島日帰りツアーに参加
本日のスケジュール
午前  ホテル・チェックアウト(荷物を預ける)
バス
タルシーン タルシーン神殿
午後 バス
マルサシュロック 昼食〜野外マーケット
ホテル移動
セントジュリアン ショッピング〜夕食
Lapsi Hotels(St.Julians)泊
=内部見学 / =外観のみ 
※ これは旅行前の計画で、
前日に振り替えています。

バッチリ4時半に目が覚める。目覚ましが鳴る30分も前だ。ゆっくり朝の日課を済ませ荷物をまとめ終えても8時の集合時刻までまだ2時間近くあった。ホテルの朝食は7時半からだから今日はパスするつもり‥‥。"中途半端にヒマになっちゃったなぁ‥‥そうだ!チェックアウトして公園へ行こう!"
すっかり自分の庭のような気分だったアッパー・バラッカ・ガーデンもセント・ジュリアンに移れば気軽に立ち寄れなくなるだろう。それに今なら日の出に間に合うかも♪ (4泊分のチップ、1ML

フロントのおじさんは深夜〜早朝の担当なのか初めて見る人だった。LM75(4泊+夕食1回+電話代)をカードで払い、荷物を預ける。PC入りのバッグと、本やハチミツの瓶ですでにかなり重くなったスーツケース。PCは「こわれ物だから気をつけてね」 と念を押しておく。



←アッパー・バラッカ・
  ガーデンの日の出


↓ベンチで朝食
外に出たのが7時。
公園のテラスに立つと、太陽はスリー・シティーの左、外洋と接するリカゾーリ岬のむこうに出たばかりだった。写真を1枚撮ったあと、テラスの石欄に肘をつきながら太陽が上がっていくのに見入っていた。もう長い間この町で過ごしてきたような、でも絵空事の中にヒョイと置かれてしまったような、両極端ともいえる不思議な気分‥‥。"あー、もうこのヴァレッタともお別れなんだわ"

我に返ると急にお腹が空いてきた。公園内の売店はまだ開いていないのでバスターミナルへ出てみる。期待通りキオスクは営業していた。パスティッツィを食べよう! "野菜入り" と "リコッタ" の2種類あると言われ、野菜入りを選ぶ。それに紙パックのオレンジ・ジュースで¢26。"さてどこかで落ち着いて食べたいな‥‥" 自然に足は集合場所のフェニシア・ホテルに向いていた。中央分離帯が肥大化したみたいな公園を見つけ、ベンチに腰掛ける。パスティッツィの "野菜" とは、どうやらビーンズらしい。気温24〜25℃ぐらいの爽やかな時間帯。集合場所は目と鼻の先なので5分前に席を立てば十分だった。学生たちの集合場所なのか、若者たちが数人集まっては迎えのバンに乗って去って行く。そんな様子を眺めながら日記を書いたりして時間をつぶした。

ホテル前には既に何組かツアーのピックアップを待つ人々が立っていた。一見してこのル・メリディアン・フェニシアにお泊まりと判るシックなパンツ・ルックのフランス女性4人組、タンクトップに短パン姿のドイツ人グループなど。皆、8時を5分ほど過ぎたころから時計を気にしはじめていた。英国人のおばさまが「マルタ・タイムだわ!」 と眉間に皺を寄せる。
さらに5分ほど経過しただろうか、最初のバンがやって来た。それから1台、2台‥‥最後に私が申し込んだツアー、SMSの大型バスが現れた。参加者名簿と照合してもらってバスに乗り込む。ガイドさん曰く、「ここで乗るのはあなただけです。これから順番にお客さんを拾うので、おつきあい下さいね」
ルーペ forMap
MALTA島
全体図
考えてみれば一番効率が悪かった。島の北端にあるフェリー乗り場は今日から泊まるセント・ジュリアンのほうがずーっと近いのだ。"明日のツアーを探すべきだったな‥‥" ちょっぴり悔やんでいるうちにバスはスリーマの海岸通りへと入る。
最初の停止場所はケネディ・ノバ・ホテル。次は私が4日前まで泊まっていたフォルティナ・ホテル。そしてスリーマ裏側へ回ってプルレナ・ホテル。海沿い、タワーロードのバス停ではかなりの人数が乗り込んだ。それからメトロポール・ホテルを経て、セント・ジュリアンのバルータ湾沿いのバス停、最後に少々奥まったところにあるフォーラム・ホテル。8:50ごろ、やっと全員が揃った。

ここでガイドさんのご挨拶。「私は英語のガイドです。他の地区から来るバスにドイツ語とハンガリー語のガイドが乗っているので、ゴゾ島に着いてからは言葉別のバスになります。ドイツ語の皆さん、それまでは私だけで、ごめんなさい」 "‥‥ってことは、まだ全員ではなかったのね‥‥"
バスは再び海沿いに出た。この辺りも岩場ばかりだ。その先、Salina Bayには17世紀からあるという塩田が広がっていた。続くSt. Paul's Bayはリゾートホテルやビーチパラソルが並ぶ。
このころ、日差しと人いきれで車内の温度はどんどん上昇していた。突然、後ろの座席で男性が叫ぶ。「ダス イスト ザウナー!!」 "ふーん、ドイツ語ではザウナなんだ" などと感心している場合じゃあない。エアコンが壊れているうえに窓が開かないタイプときているから、もう最悪。ゴゾ島では別のバスだと聞いて、しばらくの辛抱と思うしかなかった。
道はまた内陸に向かい、上り坂になる。ガイドさんは眼下に見えるのがR.アルトマン監督の映画 『ポパイ』 が撮影された "Popeye Village" と教えてくれた。1980年からはセットを利用したテーマパークになっている。
そして坂を下ればMellieha Bay。あった、あった!砂浜〜♪ マルタで一番長い砂浜だそうだ。なぜそんなに砂浜、砂浜と騒ぐかって? それは 『マルタ島の砂』 なるスタンダード曲があることから 「砂をお土産に」 というリクエストを友人から受けたから。そして "ならば私自身の記念にも" という気持が日に日に強くなってきたから。だけど後日再訪するにはメッリーハはちと遠いのよねぇ〜。

フェリー
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チルケッワ (Cirkewwa) の桟橋にフェリーが停泊しているのが見えてきた。「運が良ければアレに乗れますよ」 とガイドさん。バスを降り、乗船待ちの長ぁ〜い列の最後尾につく。独語ガイドさんに率いられた同朋たちもすぐ前にいた。しかし並んでから20分、9:50過ぎにフェリーは私たちを積み残したまま出ていってしまった。
次のフェリーはこちらに向かっているところ。列が進まなくなったので、みな思い思いにくつろぎ始めた。列から外れて座り込む人、海沿いまで行って一服する人。私も桟橋のヘリまで行ってみたけど、早々に引き返して大人しく待つことにする。迷惑をかけたくないというだけでなく、胸に付けるツアーのシールをもらっていなかったから‥‥。他の人たちは名簿と照合するときに渡されていた。そのことを申し出ても 「じゃあ後であげましょう」 と言われたきりになっている。珍しい東洋人はもう覚えたからシールなんて不要ってことみたい。でも乗船時にどうチェックされるのかも知らない私はガイドさんにピッタリくっついているほうが安心。
しばらくして彼女が乗船券を配り始めた。「帰りも使うので無くさないで下さいね〜」 と大声を張り上げながら、真っ先に手渡してくれた。

入口でチェックを受けてデッキへ上がる。ほとんど待たずに (10:20ごろ) フェリーは桟橋を離れた。座席はとうに塞がっていたので、しばらくは立って景色を眺める。それから一つ下のフロアーへ降りて、中央にある売店でコーラを買い(ラージ=ML0.5、やっぱり割高)、ラウンジで飲んだ。第3の島、コミノ島を右に見てフェリーは静かに進んでいた。そして10:45ごろ、イムジャーの港に到着。

ゴゾ島 (Gozo) 
人口約25,000人、14km*7kmのマルタ共和国第2の島。最も高い場所でも海抜176mというなだらかな土地が広がる。主な産業は農業で、作物はポテト、オニオン、メロン、ネクタリン等々。輸出もしてはいるが、段々畑で機械化や灌漑ができないために非常に不経済なものになっているとか。他に、漁業、牧畜業、塩田、採石場(石灰岩)などもあるとはいえ、雇用不足から多くの島民がオーストラリア、USA、カナダなどへ移住したらしい。もちろんマルタ本島へ移住、通勤する人々も多い。近年は観光業が成長してきたとはいえ、観光客の多くはマルタ島から日帰りで訪れる。
歴史は古く、B.C.5世紀には人が住んでいたとされる。1551年トルコの襲撃で、屈強な島民は奴隷として売られ、その他は殺されるという悲劇に見舞われた。その後も海賊などの奇襲が相次ぎ、19〜20世紀には近隣列強の影に脅かされ続けたという。

イムジャー (Mgarr)
マルタ島のチルケッワから約6km、ゴゾ島の玄関口。港に適した地形のため、太古の昔からゴゾと外界をつなぐ場所だった。


ガイドさんにくっついて新しいバスまで歩く。ここからは英語と独語、2台に分乗することになる。こちらのバスは半分がハンガリーの団体、ガイドさんも英語とハンガリー語の2人体勢だった。
最初の観光場所はジガンティーヤ遺跡。シェウキーヤ (Xewkija) の町を右折すると間もなくバスが停まった。
古代遺跡 etc.
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ジガンティーヤ (Ggantija)
ユネスコ世界遺産に登録されている 『マルタ古代巨石神殿群』 のひとつで、土地の人々はここを伝説の大女が造った神聖な場所と信じてきた。長い間に土砂が堆積し、いくつか高い石が突き出るだけになっていたが、1827年に発掘される。その記録は書かれなかったようで、居合わせたドイツ人画家の水彩画と記述が残るだけだそうだ。そしてそのまま放置されていたために多くの発掘品が失われてしまった。体系的な調査が始まったのはずっと後の1933年から。
ジガンティーヤ遺跡は隣りあった南北2つの神殿から成っている。南の神殿のほうがより大きく古い。クローバー型の奥の部屋は3600B.C.、前室は3200B.C.のもの。一方、北の神殿は3000B.C.ごろのものだ。ガイドさんに北の神殿を案内してもらったあと解散になり、約15分の自由時間があった。ざっと南の神殿を見て外側を一周し、バスの待つ駐車場まで歩いた。

次に降りたのはオシャレな邸宅風の建物の前だった。ここは ゴゾ・ヘリテイジ (Gozo Heritage)
歩いてまわると簡単にゴゾの歴史が解るというアトラクションだ。英語組は2組に分けられて入場。イギリス人家族(子供2人とご両親)、中年のご夫婦、それに私、この7人が1グループとなった。
最後に土産物売場に出る。なるほど、みんなが揃うまで買い物をどうぞ、というわけね。外へ出ようとすると雨が一粒二粒‥‥仕方なく軒先にいた。一緒に回ったご夫婦もやって来たので、おしゃべりで時間をつぶす。彼らはベルギー人。どうやら英語組でネイティブじゃないのは、この3人だけらしい。それもあってこれ以降、仲良くしていただいた。ブリュッセルにほど近いフラマン語圏の町から来たそうだ(町の名は聞き流してしまった(^^ゞ)。「いろいろな言葉が話せるんでしょう?」 「それがそんなことないのよ、あとはドイツ語が片言ぐらい」 ‥‥それで充分ではないか‥‥。

雨は小雨にもならずに終わって12:40すぎ、バスに乗り込む。これからパラツッオ・マルゲリータというところでランチだそうだ。場所はサンナートという地区、のようだった(団体行動だとどうも位置が不確実になってしまうのだ)。飲み物は別料金、各自がバーコーナーで買って来るシステムで、私はグラスワインの赤(¢30)にする。席に戻ると、ペンネ・アラビアータ、ローストビーフ、チョコレートケーキが順番に運ばれて来た。お味のほうは、うーん、機内食みたいかな? 例によって量はとても多く、男性陣も食べ残していたほど。

2時近く、再びバスに乗って移動だ。次はフォンタナ (Fontana) とガイドさんが言う。Fontanaとはイタリア語で給水場とか噴水っていう意味だけど、私の地図を見てみると地名のように書かれていた。ここにあるのは 騎士の洗濯場 (Knight's Wash House)、自然の洞窟を利用して17世紀後期に造られた共同洗濯場だ。それが道路の両側に2つあるという。
そのひとつを前に解説を聞いてから30分ほどの自由時間になった。目の前にレース専門店(ファクトリー直営)があるのだ。さすがに町中の土産物屋よりずっと品数が多く、私もお土産を買うことにする。セーター類もあったけど、この暑さでは買う気が起きない‥‥。
レースはこちら→ CLICK !
2:35、またバスで出発。
ヴィクトリア (Victoria / Rabat)
島のほぼ中央にあるゴゾ最大の町。経済・文化の中心でもあり、丘の上のシタデル(城塞)とその周辺に広がっている。町の名は1897年、ヴィクトリア女王在位25年 (Diamond Jubilee) を記念して付けられたものだが、島民は昔ながらの 「ラバト」 という名で呼んでいる。
城塞の起源はカルタゴ人やローマ人の時代にさかのぼる。島全体を見渡すことができるため、870年以降マルタを占領したアラブ人も同じ場所に新たな要塞を築いた。1551年トルコ軍によってすっかり破壊され、16世紀後期〜17世紀初頭に騎士団が再建。1637年まではゴゾの住民は夜間、城塞内で寝泊まりすることと法で定められていた (ただし内部に住居を建てることはできなかった)。その法律が撤廃されると人々は下に新しい町をつくって住むようになり、緊急時だけ城壁内に避難した。


ヴィクトリア
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シタデル (Citadel)
シタデル(城塞)の建設は主として16〜18世紀だが、17世紀以降に建てられた家はほとんどない。そしてその後は大部分が荒れ地になっていた。1960年代にようやく往時の道路や建物が再建され、建物のいくつかは博物館として利用されている。裁判所(現・政府オフィス)や、司教公邸などもある。私が参加したツアーでは大聖堂を見学、それから眺めの良い稜堡(砦の上)まで歩き、解散になった。そこから各自で下の町にある広場まで歩く、集合は3:25、ということだった。広場ではずいぶん待ったから、急げば他の建物のひとつも見て来られたんじゃないかな? でもその時は、みんなと一緒にまっすぐ集合場所に向かってしまった。

メイン広場 (Main Square)
シタデルから下りてくるとSt.James教会に突き当たる。その左にあるのがメイン広場(またはインデペンデンス広場)で、文字通りこの町の中心的な場所のようだ。ベンチもカフェのテーブルも、みんなふさがっていて実に賑やか。それどころか教会周辺には人が鈴なり状態だった。もっとも私たちもその辺に立っていたわけで、ツアーの人がほとんどなのだろう。私は待っているついでに近くで絵葉書を買った(3枚/¢36)。

バスは集合時刻を見計らって広場前を走るリパブリック・ストリートに一時停止する。古い町のど真ん中、駐車スペースなど作れないのだろう。それに町を貫く大通りといえども決して広くはない。私たちはバスが停まった数ブロック先まで早足で行進した。

一路、西へ向かう。道の終わりは広い駐車場になっていた。その先はもう海。このドウェイラ湾 (Dwejra Bay) 一帯は自然が創り出した雄大な景観が続く。

アズレ・ウィンドウ (Azure Window)
アズレ
ウィンドウetc.
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大きな岩のアーチ。海から突き出ていて確かに窓のようにも見える。アーチの上部は徐々に浸食されていて、崩壊してしまうのもそう遠いことではないらしい。
バスを降りる前に説明があった。ここでは4:30まで自由に過ごして良い。ボートに乗ることもできる。但し、ボート代ML1は自己負担とのことだった。当然、ほとんど(たぶん全員)がボート乗り場を目指す。海とは反対側へ小道を下っていくと湖があった。

インランド・シー (Inland Sea)
ドウェイラ湖 (Dwejra Lake) ともいうその湖は、高い崖で外海と隔てられているが、自然にできた穴から海水が流れ込んでいる。ちょっとした浜になっていて、泳いでいる人も見受けられる。その横に地元の漁師さんたちがやっている観光用ボートが並んでいた。料金を払ってボートに乗り込む。6人だったか8人だったか、ボートがいっぱいになると順次出発。1艘ずつ穴を通って外海に出て行く。

アズレ・ウィンドウをくぐったり、いくつか洞窟に入ったりしながら絶壁沿いに遊覧する。洞窟内は光の加減できれいなブルーに輝いていた。ただ一番大きな洞窟でもカプリ島の 『青の洞窟』 よりは狭かったように思う(カプリ島のほうは遠い昔の記憶だから自信ないけど‥‥)。そしてファンガス・ロック (Fungus Rock) の近くまで行ってUターン。エンジン全開で湖に戻ってくる。
ファンガス・ロック (Fungus Rock) はドウェイラ湾内に浮かぶ岩山。マルタ海綿 (Maltese sponge/Cynomorium coccineum) という、ヨーロッパでは唯一ここファンガス・ロックだけで見られる植物に覆われているのだそうだ。騎士団時代は、その植物に止血効果があるとされて傷の手当てに用いられた。そればかりかヨーロッパの王侯貴族に高値で売れるので騎士団が専売権を握っていた。当時は本土との間に渡したロープにカゴを吊して行き来するようになっていて、沿岸の見張り塔には警備員が常駐していたという。

ボートを降りてから、アズレ・ウィンドウ近くまで行ってみる。舟から仰ぎ見るのも良いが、上からのほうが全体が良く見える。
バスに戻る途中、アイスクリーム屋(ワゴン車)が出ていたので思わず買い食いしてしまった。ミックス・アイス(バニラ・チョコ・いちご・ピスタチオ)をカップで(¢40)。
集合時刻まであと3分、私がバスに乗り込むとハンガリー組は誰もいないのに英語組は全員揃っていた。そういえば何故か毎回ハンガリー・チームのほうが遅いが、個人の性格?国民性?

そんなことはともかく、こうして観光は全て終了、あとは帰るだけになった。4:35に発車して5:00にはイムジャーのフェリー乗り場に着く。そして「アレに乗るから急いで」 というガイドさんの後ろを皆で追いかけた。
今度は列もさほど長くなく、無事に乗船できた。行きとは違う形のフェリー。最上部のデッキだけでなく下のカフェテリアの周囲も外にベンチがある。その席を確保して間もない5:15、フェリーは出航した。

30分ちょっとでチェルケッワに着くと、行きと同じくエリア別のバス。ベルギーの御夫妻とはここで別れる。今度はエアコンの壊れたバスじゃなかったけど、メッリーハを過ぎたあたりでガソリン・スタンドに寄ったのには少々ビックリ。他の国でもお客を乗せたままガソリンを入れるのには何度か遭遇した。でもそれはタクシー。ツアーバスは初めてだ。まあピンチヒッターってことで酌量の余地はあるか‥‥。
そのあとちょっとだけ雨が降った。路面が濡れていたから、しばらく降っていたみたいだ。ゴゾでそんな雨に遭わなくて良かった。
行きと反対に参加者を降ろして最後はまた私だけになる。6:50分頃?フェニシア・ホテル着。バスを降り、ガイドさんにお礼を言ってカスティーリャ・ホテルまで歩いた。

フロントにはいつものオジサンがいた。預けた荷物を受け取ってタクシーを呼んでもらい、料金も確認してもらう。セント・ジュリアンまでML6
ルーペ forMap
MALTA
中心部
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ホテル移動
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今日から3泊するラプシ・ホテルはセント・ジュリアン地区の中でもスリーマ寄りのバルータ湾に面している (HPは→こちら)。チェックイン後、簡単に荷を解いてから表に出た。
ホテル入口横に2階のレストランへ直行できる階段がある。その前に冷蔵のショーケースが置かれていて新鮮そうな魚が並んでいた。ちょっとだけバルータ湾沿いを歩いてみて、やっぱりホテルのレストランに行こう!と引き返す。もう8時すぎ。私にとっては遅い時間なんだもの。そう遠くまで行きたくない。
カトラリー店名は Upstairs at Main Street (Bar & Bistro)。全体にオシャレなインテリアのホテルで、レストランも同様にカンジが良い。でも、みんなスピノラ湾側のレストランに行ってしまうのかお客さんはまばらだった。おかげで足元まで総ガラスのバルータ湾が見渡せる席に案内してもらえた。あまり大きくないオススメの魚を聞くと「今日はWhite Bream(鯛の一種)のいいのが入っています」 と言われ、それをグリルしてもらうことにする。マルタでは Sazgu という名の魚だとも教えてくれた。もちろん、白ワイン(シャルドネの1/2ボトル)も注文。
出てきたお皿には私にピッタリサイズのお魚のほかにサラダとフライドポテトも添えてあった。これとマルタパンで充分。最初はそう思った。ところがところが、プリプリッとした白身は思った以上に美味。もっと大きくても良かったかと思えるほどで、あっという間にペロリと平らげてしまった。で‥‥フルーツサラダを追加注文。最後はエスプレッソで締めて、なかなかリッチなディナーになった。魚がML5、フルーツML0.95、ワインML2.6、エスプレッソML0.5、しめてML9.05は部屋にチャージしてもらい、ホテル内に通じる裏口?から店を出た。

さあ、寝るとしよう! ホテルのレポートは後日にさせていただくことにして‥‥。



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