■■■Diary ■■■
12.SEP.Sun.
ブルー・グロット
青の洞窟とハジャー・イム遺跡※ これは旅行前の計画で、実際の行動とは異なっています。
本日のスケジュール 午前 タクシー マルタ島南部 ●ブルー・グロット(青の洞窟)
〜●ハジャー・イム神殿と
イムナイドラ神殿午後 バス 夕 セントジュリアン 散策〜夕食 Lapsi Hotels(St.Julians)泊 ●=内部見学
ベッドで天井を仰ぎながら、もう一眠りしようと考えていた。今日は日曜だし仕事のメールも来ていないはず。なのに、ふと気づいちゃったのだ。"そういえば、このホテルではまだ接続していないっけ‥‥ちゃんと繋がるのかしら?" かくして、もそもそ起きだし、ごそごそパソコンを引っぱり出すことに‥‥(笑)。ここでも外線が切れていた。レセプションに電話して繋げてもらい、受信だけ済ませると再びベッドに潜り込む。もし他の人がそばにいたら、まるで夢遊病者に見えたことだろう。
次に目覚めたときさえまだ6時。今度は何をするでもなくボーっとしていた。そこへいきなりザーッという音! "も、もしかして !? " そう思うと同時に跳ね起き、カーテンを開ける。案の定、どしゃ降りじゃないの!! "今日はブルー・グロットに行きたいのよぉ〜" 呆然としているうちに "雨" という言葉すら知らないみたいにカラッと晴れてしまったが‥‥。うーん、騙されちゃダメダメ! また急に降るかも知れない。かといって予定を明日に回したところで賭けでしかないしなぁ。
バ
ル
|
タ
湾
8時半に朝食に出掛けた。昨夜のレストランが宿泊客用のバイキングになっている。トレーに乗せたのは、ライ麦パンのトースト1枚、アイルランド産バター、マルタ産いちごジャム、ハム1枚、ヨーグルト+アプリコット(缶詰)半切れ、グレープフルーツジュース、コーヒー。以上。
ホントはいろいろあったのに。いつもながら朝からガンガン食べられないのが悔しい‥‥。
そして9時半ごろ、予定通りブルー・グロットとハジャー・イム遺跡に向けて出発する。どちらもバス停からかなり離れているらしいので、帰りはともかく行きはタクシーにしたかった。フロントでタクシー代を尋ねるとタクシー会社に電話で確認してくれた。「£7,5だそうです。頼みますか?」 後から思えば、ここでちゃんとした料金のタクシーを頼むのが賢明だった気がする。でもこの時は "バレッタで乗れば距離が短いから少しは安くあがるかも‥‥" なんて余計な計算をして、断ってしまった。
バス停に立ってはみたものの何台もが満員で目の前を通過して行く。カフェの開店準備をしている女性に聞くと、この辺にタクシー乗り場はないと言う。ホテルに戻るのもバカらしいし、大人しくバスを待つことにした。やっと止まってくれたバスは一緒に乗った10人ぐらいでちょうど満杯。次のスリーマで待っていた人たちは、いったい何台のバスにフラれたことだろう。(バス=¢15)
車で魚を売りに来ていたおじさん
シティー・ゲートに着いたときは10時半をまわっていた。サンデー・マーケットのテントが並んでいるけど、ひやかすヒマもない気がする。スタスタとゲート前に行って客待ちしているタクシーに声をかける。「ブルー・グロットまでいくら?」 「往復で10ポンドだな」 「片道は?」 「片道でも同じさ」 「戻って来なきゃならないから?」 「そうだよ」
往復ならホテルで聞いた片道ML7.5よりお得だわ♪ 心配していたほどふっかけられるわけでもないのね。「でもハジャー・イムにも行きたいんだけど‥‥」 「ならハジャー・イムも含めて10ポンドでいいよ」 「それならOK!」
MALTA島
全体図
とても感じの良い運転手さんだった。途中、あちこち指さして説明してくれた。一段落したころ、この辺から一番近い砂浜はどこかと尋ねると、ダッシュボードからヨレヨレの絵葉書を出して見せてくれた。「ここだよ、ビルゼブジャ。ついでに行くかい? 一度戻ることになるから20ポンドになるな」 ML10でさえ2850円。その倍となるとちょっと贅沢が過ぎる。お金がないからやめておく、と断った。雲行きが怪しくなったのはそのあとだ。いや、天気ではなく運転手の話‥‥。
「ブルーグロットでボートに乗るのかい?」 「ええ、乗りたい♪」 「じゃあまずハジャー・イムへ行こう」 理由も聞かずに従う形になってしまった。洞窟内の海の色は午前中がキレイだって聞いたけど、運転手さんにはそれなりの考えがあるに違いない、と。そしてブルー・グロットをやり過ごしたころのこと。彼はとうとう本題に入る。「ハジャー・イムは遺跡に入るのかい?」 「ええ、もちろん」 「ハジャー・イムのパーキングで待って、ブルー・グロットでも待つのなら20ポンドになる」 「でも最初に10ポンドって言ったじゃない!」 「待ち時間のことは聞いてない」 「行ってすぐ引き返す観光客はいないでしょ〜!」 パーキングに到着してからも押し問答が続く。ブルー・グロットで待たないならML15。待つならホントはML25欲しいところだがML20。最後まで譲ってくれなかったので、「じゃあ歩く。片道なら10ポンドでいいのよね!」 と言い捨て、ML10を置いて降りちゃった。確かに待ち時間も含めてML10では安すぎる気がしなくもない。念押しが足りなかった、とも思う。でもまさかヨーロッパでこんな足元を見るようなやり方に遭遇するとは! それにホテルで聞いたML7.5だけ払えば良かったかなぁ‥‥。
でも遺跡の敷地内に入って青い空を見上げ深呼吸したら、むかついた気分がスーッと消えた。それほど空が雄大に見えた。
ハジャー・イム神殿 (Hagar Qim Temples)
open:夏期は毎日7:45am−2:00pm(冬期は月〜土8:15am−5:00pm/日8:15am−4:15pm)。 入場料:ML1(イムナイドラ神殿と共通)。
ハジャーイム
イムナイドラ
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世界遺産 『マルタ古代巨石神殿群』 のひとつ。私にとってはタルシーン神殿、ゴゾ島のジガンティーヤ神殿に続いて3つ目だけど、ここは海が見晴らせる遺跡ということで外せなかった。もっとも考古学博物館にある小さなMagna Mater(女神像)がいくつか出土したことのほうが学術的には重要なのだろう。
"Stones of prayer" という意味のハジャー・イムは、紀元前3000年頃から始まっている。最初の発掘は1838年。ただし神殿群が明白になるのは1909〜1910年、さらに調査や修復が行われたのは1950年代になってから、とのことだ。3つの独立した神殿から成っているが、良い状態で残っているのは中央神殿だけ。
時間がずれていたのか、タルシーン神殿ほどには混んでいなかった。だから内部はゆっくり一巡。あとはちょっと離れたところから海と神殿裏側を眺めていた。
さて、次はイムナイドラ神殿だ。"どうやって行けばいいの?" フェンスからその方向を眺めていると、通りすがりの人が「一旦、外へ出ないと行けないよ」 と教えてくれた。
イムナイドラ神殿 (Mnajdra Temples)
遊歩道を下っていくと小屋がある。係員さんにハジャー・イムで買った共通チケットを見せて中に入った。
イムナイドラとは "lookout" という意味だそうで、海がすぐ目の前に広がっている。ここも最初の発掘(1940年)ではしっかりした研究がされず、1920年代、50年代に再調査されている。3つの神殿のうち最も古い東の神殿は紀元前3500年頃、西の神殿と中央神殿は紀元前3000年〜2800年ごろのもの。この神殿群は土台に高低差が作られいるのが面白い。まるで探検しているような気分でうろちょろしてしまった。
十分楽しんだあと、来た道を引き返してハジャー・イム脇にあるレストハウスへ。もう12時近い。食事をしている人もいるようだけど、とにかく喉が渇いていた。そこで外の席に座ってマルタ・オリジナルの炭酸飲料、キニー(Kinnie)¢35だけを注文。昨日のツアーでガイドさんがキニーはオレンジやハーブなどを使っていると教えてくれて、5日前に口に合わないと思ったくせに再度チャレンジしてみたくなったのだ。でも今回はダイエット・キニーでなく普通のキニー。喉の渇きも手伝ってか、ダイエットよりはずっと美味しく感じた。
20分ほど休憩して席を立つ。パーキングにはタクシーが数台。念のため暇そうな顔をしているひとりの運転手に聞いてみたが、やはりお客さんに待たされていると言う。ま、最初は歩くつもりだったのだ。歩いて行こう!
ハジャー・イムからブルー・グロットへの道は下り坂。そのうえ日が陰ってきたので助かる。"でも、どのくらい歩かなきゃいけないんだろ‥‥" ちょうどそのとき、向かい側から上ってくる若いカップル。これは聞いたほうがいいってことね (と勝手に思いこむ(笑))。「すみません、ブルー・グロットから来たんですか?‥‥ここからどの位かかります?」 「あそこに建物が見えるでしょ? あの辺なんだよ。ここから20分位じゃないかな」 そう聞けば一安心。後はのんびり風景を楽しみながらの20分だった。
そしてボート乗り場への分岐にたどり着く。ところが、ほんのちょっと前からポツポツきていた雨がとうとう本降りになってきた。"あ〜、最悪ぅ〜!" 傘を引っぱり出していたら、どこに行こうか悩んでいるように見えたのだろう。隣りの畑からおじいさんが顔を出し、「ボートに乗るならこっちだけど、展望台はあっちだよ」 と教えてくれた。「ありがとぉ♪」 ホント、マルタの人って親切だなぁ。それにしても今日は良いことと悪いことが交互に巡ってくる日!?
道を下っていると1台、2台・・・帰っていく観光バスとすれ違った。やっぱり午前中がキレイだからだよね。こっちが先!とタクシーに主張しなかったのが今更ながら悔やまれる。しかもパーキングに着いたころ、雨はいよいよどしゃ降りに!!!
青の洞窟
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目の前にバー&レストラン King Fisherがあった。考えてみればこれも 「アンラッキーあればラッキー」のひとつだろう。ハジャー・イムで食べていたら今ごろ大雨の中をこっちに向かって歩いているところだ。とにかく昼食にするしかない、と雨宿りしている人たちの間を抜け、2階の店に入って窓際に陣取った。メニューにはもちろん魚のグリルなどもあるが、軽そうなスナックの欄から 『玉子、ソーセージ、フレンチフライのセット(サラダとパンも付いてML1.45)』 を選び、グラスワインも注文。食べているうちに段々雨は小降りになって終わる頃にはもう陽が差していた。1:15、会計をしてもらい(ML2.25)、店を出る。
青の洞窟 (Blue Grotto)
ボート乗り場に行くとおじさんが他の観光客に 「先にあっちでチケットを買ってきて」 と、奥の小屋を指さしていた。私も彼らに続いてチケットを買いに行く。料金はML2.5。戻るとちょうど数人のお客さんが乗船しているところで、私たちが乗って9人、満席になった。そしてすぐに出発。
ボートは外海に出て、崖に沿って進む。崖には洞窟がいくつも口を開けている。ブルー・グロットというのはその中で一番大きな洞窟のことだそうだ。まず小さめのもの2つに入り、次にブルー・グロット、その後もいくつかの洞窟に寄ってくれた。心配していた美しく妖しい輝きを放つ水の色も見ることが出来た。どちらかといえば、この時刻でも良く日が当たっていた後半の洞窟のほうが特に綺麗だったような気がする。
2:10、パーキングのあたりを歩いていたらタクシー・ドライバーが声をかけてきた。ハジャー・イムでお客さんの帰りを待っていた人だ。「バスに乗るの? 今日は日曜だし、1時間に1本しか来ないよ。ズリーだったら5分に1本来る。ズリーまで2.5ポンドで行ってあげるよ」 お客さんが戻るまで一稼ぎってところか。でも魅力的なオファーだ。実はバスがここまで通じていることも知らなかったのでズリーまで歩く覚悟だったのに、あっけなく決意が崩れた。「2.5ポンドね。OK」 するとその運転手、あっちのタクシーに乗れと去って行ってしまった。"ん!‥‥イヤな予感‥‥" 替わって近づいてきた運転手に念を押す。「ズリーまでよ」 「ズリーのバス・ターミナルまでだね? 3ポンドだよ」 "ほらコレだ" 「彼は2.5ポンドって言ったわ!」 その運転手は確認に行った。そして談合の結果、最初の運転手が私に向かって叫んだ。「3ポンドだ!」 "ったくぅ〜。わかったわよ、いいわよ、ML3払ってあげるわよ!" 歩いても30分ぐらいのものだろうが乗ってしまった。このあとビーチにも行きたいし‥‥。
そして115番に乗り継ぎだ(¢15)。ビルゼブジャに行くかと聞くと、お客さんも運転手も 「行くよ」 と教えてくれた。3:00発、到着時刻はメモっていない。
ズリー (Zurrieq)
マルタが初めて10教会区に分割されたとき(1436年)に教区教会が置かれた古い町。聖ヨハネ大聖堂の天井画を描いたことで知られるイタリア人画家、Mattia Pretiが数年住んでいた町でもある。
5分でズリーのバス・ターミナル (と言うよりバス停が並ぶ広場) に到着した。ほぼ町の中心なのだろう。教区教会がちょっと離れたところに見える。でも辺りは人通りもなくひっそりとしていた。もっともこの時刻、しかも日曜だ。マルタ中が静まりかえっていることだろう。
空港のあるルカの先、St Vincent de Paolaで乗り換えができそうだった。出発直前のバスの運転手が「ヴァレッタ行きだよ」 と声をかけてくれる。マップを見せて聞くと 「ソコは通らない。35番のバスなら行くよ」 とのこと。歩道のヘリに座って待っていると35番とほぼ同ルート (でもなんと滅多にないハジャー・イム、ブルーグロットから来たはず!) の138番が来た。St Vincent de Paolaに行くことを確認して乗り込む(¢15)。しばらく気付かなかったけど、このとき慌てて乗ったのでお尻に敷いていたガイドブックを置き忘れてしまった。2:27発、2:45着。ズリー 〜
ビーチ
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ビルゼブジャ (Birzebbuga)
マルサシュロックの南に位置する町。南端にはPretty Bayと呼ばれる砂のビーチがあり、その先はカラフラーナの町につながる。北端にはGhar Dalam (アールダラム先史遺跡) や、Borg in-Nadur (巨石神殿跡とブロンズ時代の居住跡)がある。北西は国際空港の滑走路の終わりに接し、南西にはハルファール(旧・英国軍の離着陸場)がある。
町に入って最初に停車したのが町の中心だったみたい。大勢が降りたのに私は降りそびれてしまった。すぐにバスのブザーを押して次で下車。それがちょうど砂浜の終わり付近だった。カフェが1軒あった。日曜だからか地元っ子たちで満席だ。ガンガンの音楽と、それに負けないようにしゃべる若者たち‥‥開け放たれているので実に賑やか。ふとなんだか懐かしい "海水浴" という言葉が浮かぶ。
靴を脱いで、これまた地元の若者で賑わう砂浜を歩いた。そして甲子園球児よろしくビニール袋に砂をすくい入れる。やっとゲットできたマルタ島の砂♪ そのために来たので今日は水着を持参していない。あとは遊歩道を散歩したり、ベンチで休憩したりしていた。
帰る直前に公衆トイレに寄った。着替え場所になっているらしく、中には帰り支度をしているティーンエージャーの女の子が数人。マスカラや口紅を直しながら、きゃっきゃと楽しそうにおしゃべりしている。考えてみれば久しくこういう場所に出入りしていないんだなぁ。昔、アメリカのディスコ (死語だね) なんかの化粧室に行くとこんな感じだったっけ。
4時近く、ちょうどやってきた11番のバス(バレッタ行)に乗った(¢15)。乗客は私の他に若者たち15人と観光客2人。出発まで1〜2分だったが、その間に一瞬、運転手がラジオのボリュームをめちゃくちゃ大きくして、みんなの喝采を浴びていた。おじさん、やるじゃん!ってカンジで。3段ぽっくりサンダルの女の子は禁煙の車内でタバコを吸う。日本ならムカつくところだろうに "いずこも同じね" とミョーな感動をしてしまっていた私‥‥。
そして7〜8分してからのこと。なんと!バスがガソリン・スタンドに入って給油を始めるじゃない! ゴゾ島ツアーの送迎バスが給油したときも驚いたけど、なんたってこっちは路線バス! それに島全体を走破したって長距離とは言えない土地だ。"ここってヨーロッパだよねぇ?" と目が点、お口あんぐり状態になってしまったのだった。
MALTA
中心部
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4:25にシティーゲートに到着。ここで62番に乗り換える(¢15)。ホテル近く、バルータ湾のバス停に着いたのが4時半すぎ。買い物でもしようと、1つ先のスピノラ湾で下車した。
セント
ジュリアン
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セントジュリアン (St.Julian's)
同じセントジュリアン地区でもスピノラ湾周辺はレストランが集中している。湾沿いはもちろん、その裏側にも。今晩はこのうちのどこかで食べようとあちこちうろついては店の前に掲げてあるメニューを検討し、その合間にお土産も物色するといった感じになった。結局、買ったのは絵葉書4枚と、いかにもお土産!のマグネット2ヶ(しめてML 4.98)。
お土産は
こちら↓
そろそろホテルに戻ろう。短パンでレストランに入るのは気が退けるから着替えてこなくちゃ。途中のベンチで休んだりしながら歩いても、5時半ごろにはホテル前に着いた。あとは通りを横断するだけというところで、そこにあるオープンエアの店 Sea Front Restを見たら急に喉が渇いてきた。そのままツツーっと吸い込まれてしまい、フレッシュ・オレンジジュースを注文(¢95)。なんか休憩ばっかりしているよね〜。でもこういう風景の中でゆったり過ごすのが一番の充電になる気がする。途中、近くのマウント・カーメル教会から鐘の音が聞こえてきた。鐘といっても賛美歌一曲!録音テープかもしれないけど、なかなかイイ感じだ。
ワンピースに着替えて6時半にホテルを出た。さきほどと同じ海沿いを歩いて15分弱、スピノラ湾に面したレストランのひとつに入る。
Cafe Rafael
ここに決めたのは、一度食べておきたかったマルタ料理 ブラジオリ (Bragioli) があったのと、外の席が気持ちよさそうだったから。席に案内された頃はまだドリンクだけで長居をしているお客さんもいた。たしかに夕方の風に吹かれながら食前酒、という利用の仕方も良いかもしれない店だ。料理はブラジオリ (ML 3.65) だけにしておく。牛肉のお料理なのでワインは赤〜♪と、まだ飲んでいなかった Emmanuel Delicata 1/2ボトル (ML 2.30) を注文。出てきた皿は想像通りのマルタ的分量。時間を掛けてなんとか制覇したら、ワインもきれいに消えていた。合計でML.5.95、チップを含めML 6.5。
ほろ酔い気分で潮風に吹かれながら歩いた。人通りはそう多くはない。でも車はけっこう通っている。これは単なる私の勘でしかないのだけど、あまり危険の臭いがしないように思う。それにしても夜道をひとりで歩くなんて!出発前には想像もしなかったけどね‥‥。そしてコーナーを曲がればバルータ湾というころまで来たとき、背後からスピーカーを通した声が近づいてきた。振り返ると宣伝カーだった。選挙かな?それともイベントのお誘い? 若くキレイな女性たちが身を乗り出すようにして、にこやかに手を振っている。ワケが分かっていない私にも‥‥。この宣伝カーのおかげでその後ろに大渋滞ができていたのも、なぜか微笑ましかった。