「うずのしゅげ通信」

 2016年6月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

原爆の劇

松尾あつゆきの句

俳句

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東日本大震災について (宮沢賢治にインタビュー)
「劇」「性教育」「障害児教育」「詩歌」「手話」
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2016.6.1
原爆の劇

5月24日付朝日新聞の天声人語に、こんなふうなことが書いてありました。

「元広島市長の平岡敬さんは新聞記者時代、被爆者たちの体験を記事にするたびに 『あんたはわかっていない』と言われたという。阿鼻叫喚の地獄図。原爆症の苦しみ。 実態を表現することがいかに困難かを、著書でのべている。
『もういっぺん原爆が落ちりゃあ、ようわかるんよ』と言われたことも。……」

私はこれまでに原爆を主題にした脚本をいくつか書いています。このホームページ「賢治先生がやってきた」で、それらの脚本を読むことができます。
原爆を経験したことも、被爆者が身近にいたこともない私としては、 原爆をテーマにした脚本を書くのは、かなり勇気のいる仕事でした。
名をあげるのもおこがましい気がしますが、井上ひさしさんの「父と暮らせば」という すばらしい戯曲があります。井上さんは、被爆者ではありませんが、大変な勉強家で、 原爆関係の本を渉猟して、読み込んで、また広島に脚を運んで被爆の現実に接することで、 あの脚本を書き上げられたようです。
井上ひさしさんには他にもう一つ、ヒロシマの被爆少年たちをテーマにした脚本 「朗読劇 少年口伝隊一九四五」があります。これもすばらしい脚本です。
これらの脚本を書くためにどれだけの努力をされたのか、想像にあまりあります。
比較するわけではありませんが、私もまた、そんなふうに被爆者の証言を読んだり、 ドキュメンタリーを見たりして、 原爆の実態に触れるための努力はしてきたつもりです。

原爆をテーマにした最初の脚本は一人芝居「水仙の咲かない水仙月の四日」という作品です。
これは一人芝居の脚本で、宮沢賢治の「水仙月の四日」という作品をパロディ化して、 未来の核戦争後の核の冬を描いています。
宇宙へ修学旅行に出かけていて被爆しなかった寝太郎を、雪婆んごが、 核の冬雲から雪を降らせて苛むといった筋になっています。
もちろん、歴史的な事実である広島、長崎の被爆についての言及はありません。

次は、二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」という奇妙な題の戯曲です。
これは二人芝居で、宮沢賢治が、地球から七十光年離れた銀河鉄道のある駅で望遠鏡を覗いていて、 地球に原爆が落とされた閃光を目にするところから話がはじまります。 その閃光が何の光なのかという賢治の疑問を巡って、様々な人物が登場し、 入れ替わり立ち代りのやり取りがなされて、七十年前の原爆投下 の事実が明らかになってゆきます。昭和8年に亡くなった賢治は、原爆のことを 知らなかったのです。 しかし、ここにも被爆者のことは描かれていません。光を発しない惑星が一瞬ピカッと光った、 その原爆の閃光と、地球からの電報で送られてきた原民喜の詩が読み上げられるだけです。
この脚本、その難しさにもかかわらず、高校の演劇部によってこれまでに二回上演されています。
後に、この二人芝居の脚本を、数人の配役で演じ分ける形に書き換えて、 「地球でクラムボンが二度ひかったよ」(改訂版)にしました。改訂とは言え、 割愛したところもあり、内容的には最初の二人芝居の方が私の考えにそったものです。 しかし、この改訂版も幸運なことに上演されています。

そして、次に書き上げたのが、「パンプキンが降ってきた」という脚本でした。
模擬原爆のパンプキン爆弾が、敗戦間近の昭和二十年頃日本各地に落とされていたという事実を、 童話風の劇に仕立て上げたものです。
題材からして、ほんとうの原爆ではない、ということから、小学校の六年生くらいでも上演できる 原爆をテーマにした劇というのが、私の当初からの狙いでした。 その狙いがどこまで実現できたか、今の私には判断できないところがあります。 現職のころなら、勤務している学校で上演して、脚本の不備を手直ししてゆくという段階を通じて、 脚本のレベルを演じる生徒の年齢に相応しい形に仕上げていたのですが、 この脚本を書き上げたころはすでに退職しており、自作自演は適わなかったからです。
しかし幸運なことに、この劇は、これまでに多くの中学校や小学校で 上演していただいています。
とは言え、上の説明から推測されるように、この脚本もまた原爆そのものを扱った ものではありません。

そして、その次が短篇戯曲「人の目、鳥の目、宇宙の目」 という脚本です。 これは、人の目、鳥の目、宇宙からの目で見た原子爆弾の情景、 それらを切り貼り細工したような脚本になっています。
人の目とあるのは、原民喜の原爆の詩を朗読することで、鳥の目は、原爆のきのこ雲の上を飛ぶ よだかの目からみた情景を、そして宇宙の目は、宮沢賢治が銀河鉄道の駅で目にした閃光で 表現しています。
しかに、ここに登場する被爆者は、原民喜だけです。彼の詩が原爆のヒバクシャを代表する 形になっています。ここでも私は自分自身の考えで被爆者を描くことから逃げているわけです。
私は被爆者を一人も舞台に立たせることができなかったのです。
しかし、この脚本も、いくつかの高校で上演されました。

こんなふうに、ずっと人間の被爆を劇化することを避けてきた私としては、 どうにかして実際のヒロシマを書いてみたいという思いから逃れることが出来ません。 その思いから書き上げたのが朗読劇(一人芝居)「竃猫にも被爆手帳を」です。
この脚本は、たしかに歴史的事実としてのヒロシマを舞台化したものです。しかし、 題名から推測されるように主人公は人間ではありません。賢治童話「猫の事務所」に登場する 竈猫を主人公にした一人芝居なのです。原民喜の家の飼い猫という設定にはしましたが、竈猫の 被爆の話であることは事実です。
それでも、書き上げてみて、原爆の現実を知らない私が、いかに主人公が猫とはいえ、 こんなふうな被爆の劇を書いてよかったのだろうかという 思いは拭いきれません。
そういった逃げの意識があったからかどうか分かりませんが、この劇は、これまでに上演されたことがありません。
昨年、ある団体から上演の申し入れがあったのですが、残念ながら途中で立ち消えになって しまいました。
そして、現在の風潮を考えると、この劇の上演はますます遠のいてゆくように 思われます。


このように、私はこれまでに原爆関連の学校劇の脚本を五本も書き上げながら、 いまだに人間の被爆を扱ったものを書くことができていません。 私の心の中には「あんたにはわかっていない」とつぶやく自分自身の幻の被爆者がいるのです。 そのつぶやきを克服できる日が来るのかどうか、今の私には分かりません。


2016.6.1
松尾あつゆきの句


5月18日にフェイスブックの投稿した文章です。

「 今日の拙句です。

父の便りの古色涼しき袋棚

水風船の爆弾抱へ素足の娘

空華の句あつゆきの句やえごの花

論文がすなはち遺稿短夜や

余花の雨論引用の数空し



二句目、昨年夏、たまたま目にした風景。中学生の男の子たちが、 道路で水のかけあいっこをしているところに参戦してきた妹らしいいたいけな少女。 素足で水風船を抱えて、水を浴びせかけられながらもひとり彼らに爆弾攻撃をしかけていたのです。
三句目、空華は斎藤空華、あつゆきは松尾あつゆきのことです。
ふたりの句を引用しておきます。

露けさやいのちの果の火は浄ら  斎藤空華

なにもかもなくした手に四まいの爆死証明  松尾あつゆき
 」


この松尾あつゆきという俳人についてです。
以前に彼の句を何かで読んで心に刻み付けられました。

以下の内容は、インターネットで調べたものです。

明治37(1904)年、長崎に生まれ、長崎高等商業学校を卒業して、 商業学校の教員をしておられました。在学中から自由律俳句に親しみ、24歳で萩原井泉水の「層雲」 に入会。昭和20(1945)年、長崎で被爆し、妻と子ども四人のうち長男、次男、次女の 三人を失います。
被爆を詠んだ句集「原爆句抄」を遺しました。

被爆直後からの句を、日にちを追って。

八月九日 長崎の原子爆弾の日
     我家に帰り着きたるは深更なり

   月の下ひっそり倒れかさなっている下か

八月十日 路傍に妻とニ児を発見す
     重傷の妻より子の最後をきく(四歳と一歳)

   すべなし地に置けば子にむらがる蝿

     長男ついに壕中に死す(中学一年)

   炎天、子のいまわの水をさがしにゆく

   母のそばまではうでてわろうてこときれて

   この世の一夜を母のそばに月がさしてる顔

   外には二つ、壕の中にも月さしてくるなきがら

  八月十一日 みずから木を組みて子を焼く

   とんぼうとまらせて三つのなきがらがきょうだい

   ほのお、兄をなかによりそうて火になる

  八月十二日 早暁骨を拾う

   あさぎり、兄弟よりそうた形の骨で

   あわれ七ヶ月の命の花びらのような骨かな

  八月十三日 妻死す(三十六歳)

   ふところにしてトマト一つはヒロちゃんへこときれる

  八月十五日 妻を焼く、終戦の詔下る。

   なにもかもなくした手に四枚の爆死証明

俳句でも、彼の場合は自由律俳句ですが、これだけのものが詠める、こんなふうな 自己表現が可能なのかと考えると、 何か俳句に対する信頼が湧いてくるようです。


2016.6.1
俳句

5月にフェイスブックに投稿した句です。

命終に耳は残ると亀鳴くや

芍薬の初花桶に寝かせけり

まむしの屍しの字をなほも突きをり

兵たりしは一生ものか更衣

甲斐犬と老骨駆ける立夏かな

夕立ちて謀反の匂ひと思ひけり

亡き人のつらきこと聞く白雨かな

兵たりし父の折目や更衣

卯月けふ青深み待つ昼の月

緑陰に農らゐて何云ふでなく

ひとりごと聞くはあはれや葱の苗

理科室に天蚕(てんさん)の繭うすみどり

街道は塔にますぐや鯉のぼり

後退る試歩の背中の新樹光

父の便りの古色涼しき袋棚

水風船の爆弾抱へ素足の娘

空華の句あつゆきの句やえごの花

論文がすなはち遺稿短夜や

余花の雨引用の数空しとも

身軽さの孫の寝相やさくらんぼ

人見知り十薬の香に目をあぐる

夏ごろも笑ひて小さき歯が二本

笛好きなくせ風に怯えて青嵐

孫もつまむ塩加減よき豆の飯

夏の棘零さずに剪る山椒の木

炎天の棘の影濃き山椒かな

炎天や山椒は人の手を嫌ひ

不幸とは決して思はず花山椒

検閲朱暑中見舞の父の字に

掌の窪に仁丹ほどのかたつむり

夏の蝶寄れば渦巻き渦を解き

ふためきて溝跳び越えし蜥蜴の子

三月堂出て夕ごころ葛の餅

乳の孫抱きたき妻の卯月旅

鬼百合や庭に鬼の字佳かりける

救世観音笑まひておはす卯月の忌

手の風で燭吹き消すや夏座布団

焙じ茶の茶粥がうまし溝浚へ

「ヒバクシャの声絶ゆる日」の白雨かな

原子野に十薬生えしその十薬か

去年(こぞ)の空蝉けふ潰しけりオバマの日

二上の夜は死者の声牛蛙

十薬や茶粥冷たきまま啜る



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