2000.1〜2002.12
演出秘話「賢治先生がやってきた」
演出秘話「ぼくたちはざしきぼっこ」
演出秘話「イーハトーブへ、ようこそ」
演出秘話「寅さんの『実習生、諸君!!戦後五十年だよ』」
「チャップリンでも流される」について
夢
落語「銀河鉄道 青春十七切符」
落語「銀河鉄道 青春十七切符」(続)
二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」
原爆を板にのせる方法?
「チャップリンでも流される」が上演
一人芝居「水仙の咲かない水仙月の四日」を上梓しました
手話劇「ホームレス、賢治先生」について
手話劇「ホームレス、賢治先生」について(続)
「イーハトーブへ、ようこそ」改訂版
「うずのしゅげ通信」 バックナンバー
知的障害者の職場ということについて、以前から考えていました。卒業生はほとんどが製造業で、
それも単純作業に就いていきますので、それは現実的かつ緊急の問題でした。
そもそも、知的障害者は、考えようによってはもっとも産業資本主義の現代に不向きな、
生きづらい人間のように思います。その彼らに社会が準備した仕事は、
どのようなものなのでしょうか。想像されるように、その仕事はいい条件であるはずはありません。
効率優先の社会から疎外された彼らが追いやられる場所は、
いったいどんな場所なのでしょうか。
そのことをさらに考えるために、卒業生の就職先について統計をとってみたことがあります。
次に引用するのが、その考察です。
単純作業が生み出される過程については、中岡哲郎氏の本を参考にしています。
中岡哲郎氏の論考は、製造工場で熟練作業がどのようにしてパート労働者でも
担うことができる単純作業に変貌していくのかが詳しく分析されているのです。
熟練の作業工程が分析され、機械化、流れ作業化がなされます。
そこに導入される機械の入口、出口、あるいはライン作業として、単純作業が生まれます。
わたしが生徒の現場実習の巡回で訪ねた工場でもまさにそのようであったのです。
しかし、生徒たちはそんな単純作業にもついていけないようでした。
速さに、あるいは巧緻性についていけないのです。だから、養護学校の卒業生のほとんどのものは、
流れ作業に就くことはできず、流れ作業に繰り込まれている人の補助とか、
流れ作業とは切り離された内職的な作業に就くということが多いのです。
以下の文章は、「統計的にみた卒業生の就労実態」という題で、
研究紀要に発表したものです。
そこから、一部を引用してみます。
まず卒業生の進路先について業種別に統計をとった資料があり、
それをもとに分析を進めています。
「資料の表は業種別にとってあるが、職場の実態を具体的に把握するためには、
職場でどのような職種に就いているかをみていかねばならない。
例えば、プラスチック製品製造業にも金属製品製造業にもバリ取り作業があり、
幾分かの違いはあるものの、卒業生の職場の実態は『バリ取り作業』でくくるほうが
より正確にとらえることができるからである。
本校の卒業生の場合、単純な作業が多い。工場の機械化がすすんだとき、単純作業は、
ベルトコンベアによる流れ作業の職場に、あるいは、縫製工場のように、
コンベアはなくても半製品は流れており、その分業として、また機械の入口出口、
といったところに生じるが、実際そのような製品の流れに乗れているものは、
どれほどいるのだろうか。流れ作業のスピードにはついていけず、
機械の入口出口の作業では採算のとれる早さで作業できないといったことも多い。
そうなると主な製品の流れにかかる作業工程からはじきだされることになる。
いわゆる補助作業に甘んじなければならなくなってしまう。このことは、
雇用の不安定さや低賃金とも関係している。しかし、おおざっぱにいえば、
機械化によって生じた単純作業に対応できるか、できないか、
といったところが本校の卒業生の実態である。そして、
そういった職場は主にパート労働者の職場である。
パート労働でも対応できるまでに仕事の単純化がなされており、
それについていけるものは、パートの女性労働者に囲まれ、
あるいはその指導のもとに働いている。パート労働者に支えられている。
労働密度の高い職場ではパート労働者とのトラブルもあるが、
ちょっとした善意で励まされることも多い。しかし、
作業の単純化もパート労働にたえられる程度の単純化であり、
本校の卒業生にとってはそれでもなお難しい。
平成2年度の卒業生についてざっとした統計をとってみると(厳密な作業の分類が難しいため)、
ベルトコンベアのあるなしにかかわらず、工場内の製品の流れのなかで作業をしているものが、
就職51名中14名(28%)(内訳は靴下のセット機も含めて電子部品製造等のコンベア作業9名、
縫製等の分業5名)、機械の入口出口の作業(例えば、プラスチック成型機の出口での製品
の箱詰め等)が7名(14%)、残りの30名(58%)が、主な製品の流れからそれた、
あるいは離れた、いわゆる補助作業である。このなかには、
例えばプラスチックや金属のバリ取り作業、製品をつめる箱作り、コンテナの洗浄、
縫製工場の糸きり、裏返し、靴下の揃え作業等がある。
製品の流れについていけるものはよいが、早さや、巧緻性においてついていけないものは、
補助作業となる。補助作業はどこにでもあるのかもしれないが、
同種の補助作業が持続してあることが雇用の条件といえる。
作業の流れをみて対応していくことは難しいからである。」
このような考えがあって、この劇「チャップリンでも流される」はできたのです。
チャップリンに登場してもらったのは、彼が宮沢賢治の同時代人であり、
賢治はチャップリンの映画を見ていましたし、
チャップリンが日本に来たとき、顔を合わせていたと想定してもなんら
おかしくないということもあります。
また「モダンタイムス」の例の有名な場面、
チャップリンがベルトコンベアの作業で流されている演技が頭にあって、
宮沢賢治と労働について話をしてもらうとおもしろいかな、という発想が浮かんだからでした。
まだ、上演はしたことはありませんが、劇の難易度からいえば、上演可能な気がします。
もっとも能率主義からは遠い知的障害者にどのような職場を準備するかということで、
その社会の性格が分かるように思っています。
どういう場を設けるのが相応しいのか、いろいろな意見を聞きたいところです。
2000.8.1
夢
一連の賢治劇は養護学校の生徒たちが演じるのにはむずかしすぎる
という感想を持たれる方も多いと思います。
特に重度校の先生方はそう考えられる方が多いでしょう。
「賢治先生がやってきた」、「ぼくたちはざしきぼっこ」はすでに上演していますし、
また「イーハトーブへようこそ」は読み合わせをしたりはしています。
また「チャップリンでも流される」は、上演可能だと考えています。
しかし、「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」となると、生徒たちだけで演じきるには、
荷が重すぎるのです。「賢治のイフはめんだうだ」はもっと論外です。
だから、わたしとしては、ボランティア劇団と生徒たちの共演、
あるいは教師と生徒たちの共演という形で上演するのが一番理にかなっていて、
実現の可能性があるというふうにひそかに期待しているのです。
地域のボランティア劇団が、大道具や小道具を持って回ってくる。
賢治先生や風の又三郎など主要人物を演じるのは彼らで、生徒たちは、
生徒の役で出演するのだが、前もって台詞の練習などをしておく。
1、2回のリハーサルをして、学校の舞台で本番。それを鑑賞する生徒たちは喜んでくれること請け合いです。何しろ自分たちの仲間も出演しているのですから。それに賢治先生は、やはりどこかからやってきた「まれびと」(折口のいう)が演じた方がそれらしくていいように思います。
生徒たちはもちろん宮沢賢治なんて、名前も知らないでしょう。
わたしの勤務する高等養護学校では、名前だけは知っているものもいくぶんかはいますが、
賢治先生がどのような人物かは、知らないに等しいはずです。
そこであらかじめ宮沢賢治について勉強しておく必要もあるかもしれませんが、
でも宮沢賢治について知ってもらう劇と考えたっていいわけです。
宮沢賢治に触れることはそれだけの値打ちのあることだと思うのです。
どちらかの劇団の方々、そんなふうなボランティア活動を計画してもらえませんでしょうか。
おそらくそんなかたちでしか、たとえば「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」という劇は、
上演されることはないような気がします。だからそれがわたしの夢なのです。
2000.9.1
落語「銀河鉄道 青春十七切符」
−賢治先生、いじめに乗り出す−
賢治劇と悪、ということで言えば、賢治劇には悪がありません。これは欠点か?
あきらかに欠点だと思っています。
賢治先生が大肯定の姿勢で舞台を支えているために、悪を登場させにくいのです。
しかし、つぎは悪の登場する劇を書きたいと思っています。
悪というといろいろ考えるところもあるのです。
PTAの係りをしていたとき、みょうな分類になりますが、
つぎのようなことを考えたことがあるのです。
この家庭ではこどもを育てるのに性善説でそだてられたな、
この家庭は性悪説で育てられたな、とふとそんな推察が浮かぶことがありました。
どこか僭越な感じがするのですが、直観的にそんな考えがよぎるのです。
そのとき、生徒の顔も同時に浮かんできます。すると、どうでしょうか。
性善説の家庭に育った生徒は概して性格に社会に受け入れられやすい面を色濃く持っているのです。
性悪説の家庭で育った生徒は社会に受け入れにくい面を顕著に持っているような感じがするのです。
両親の思想的な問題もあって、どちらがいいとは言えないと思います。
しかし、それはみごとにそうなのでした。
だから、わたしとしては性善説環境を生徒に補償したいという気持ちもあるのです。
それを支えているのが賢治先生のような気がします。
しかし、賢治劇に悪を登場させることも必要です。人間界には悪がいっぱいあるのですから。
しかし、悪が登場する劇は難しくなるのです。
たとえば、「賢治のイフはめんだうだ」のように生徒の理解を超えてしまうのです。
夏休みを利用して悪を組み込んだ劇を作ろうといろいろと考えてみました。
しかし、構想倒れで、狙いどおりのものはできなかったのです。
でも、その副産物として、いじめ問題を扱った落語ができてしまいました。
「落語『銀河鉄道 青春十七切符』」といいます。お暇があれば読んでみてください。
これには悪が登場します。主な観客に高等養護学校の生徒を想定するような配慮はしていません。
彼らは中学校でいじめられた経験のあるものが多いのですが、
それでも内容がすこし難しすぎるように思います。
昨年亡くなられた桂枝雀師匠の落語に「夢たまご」というのがあって、
その仕掛けを使わせてもらいました。しかし、完成度ということからいえば、まだまだ「半熟」です。
批判をいただいて改訂していきたいと考えています。
ちなみにこの際少々言い訳をさせてもらえれば、文学的に言えば、
賢治劇一連のレベルが鑑賞にたえるぎりぎりの線だと思います。
これよりやさしくすれば、内容的な水準を保つことができなくなる。
難しくすれば生徒たちが理解できません。その微妙な、ここぞという水準で脚本を書けたのは、
わたしが高等養護学校に勤務しているという幸運な事情があったからだと思います。
しかし、これでもたわいのない劇だと思われる方も多いと思います。
でも、内容的には見かけ以上に考えを煮詰めたつもりなのです。
古い友人が共感をもってそのことを言ってくれたことがあり、
とても嬉しかったことを覚えています。
2000.10.1
落語「銀河鉄道 青春十七切符」(続)
なにしろはじめての落語でっしゃろ。どんなもんやろうか、
どんなふうに読んでもろとるんやろうか、と心を揉んどります。
「はじめは、何がおこるんか、ちょっとおもろいけど、まん中あたりからくどうなって、
小説みたいで読むのがしんどうなったわ。」
「大阪弁の賢治いうのもユニークで……。」
と、あんまり芳しゅうない(?)二、三の感想はもろうとりますが、
それだけで自分でもようわかりません。
それで、というわけでもないんですが、今回少々解説でもさしてもらおう、思うとります。
「銀河鉄道 青春十七切符」、このなかにつぎのような箇所がありまっしゃろ。
智宏「そういえば、この銀河鉄道というのは、えらい若いのが多いな。 高校生みたいなんばっかりやで。」
賢治「彼らはね、青春十八切符でのってきてるんや。」
マサオ「銀河鉄道にも青春十八切符があるんですか?」
賢治「そりゃあある。十七でもつかえるで。このごろは、十七歳が多い。 みんな事件を起こしよった少年たちや。わたしがつれてきたんやけど。」
−−「お母ちゃん、ぼくをゆるしてくれるやろか」
賢治「この少年は、学校でいじめられてたやつらを金属バットで殴っけがさして、 それから家に帰って母親を殴って死なしてしもうたんや。 母親につらいおもいをさしとむないというんやろうな。」
この箇所はどないしようかえらい迷いました。
ほんまにあった事件にちこうてなまなましすぎて、どないぞせんないかんやろうか、
「お母ちゃん」を「お父ちゃん」に変えるとか、せやけど姑息ですわな、
迷いに迷ったすえに、しゃーない、やっぱり逃げんとこ、
逃げたらこの落語の値打ちがないようになる、そう考えましてん。
いじめを癒す賢治先生の銀河鉄道の旅に、彼にもついていって欲しかったんですわ。
種明かししたら、もともとはこのセリフは「銀河鉄道の夜」にありますねんで。
「『おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。』
いきなり、カムパネルラが、思ひ切ったといふように、少しどもりなあら、 急きこんで云ひました。」
ジョバンニはまだ知りまへんけど、そもそもカンパネルラが銀河鉄道に乗ってるのんは、
自分がザネリを助けて溺れてしもうたからですわな。そのことを母親に許してもらえるやろうか、
ということですわ。
状況はだいぶちがいますわな。それでもおなじセリフがなりたつんですな。それが、
まあことばのことばたるユエンというやつで。
ブラックホールも「銀河鉄道の夜」に出てきてます。
そこらあたりどないなってるかちゅうとですな、銀河鉄道の旅の最後のあたりですわ。
「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」 カンパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。 ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまひました。 天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいてゐるのです。 その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えず たゞ眼がしんしんと痛むのでした。
まるで、宮沢賢治先生さんは、ブラックホールを知ったはったみたいでっしゃろ、
せやけど、そんなことはないんですわ。ブラックホールちゅうもんがあるんとちゃうか、
というのはほんあたらしい理論的な発見やさかい、賢治先生が知ってたはずないんですわ。
もっとも宮沢賢治先生は、かの有名なアインシュタインたらゆう学者の相対性理論たらちゅうのは、
知ってはったと思いますけどな。なにしろ同時代人でっさかいね。
(このことに関してはれっきとした本まででてるんですわ。
竹内薫/原田章夫「宮沢賢治・時空の旅人ー文学が描いた相対性理論ー」が、
それです。)
そのどほんとあいた石炭袋の孔=ブラックホールがかまぼこの鳴門みたいに渦を巻いとって、
それが豚の鼻の穴みたいに二つもあって、と言うわけですわな。
豚はチャーシューからの連想です。そのブラックホールに吸い込まれそうになって目が覚めて、
「あやうく『豚に心中(真珠)』するとこでしたわ」というのがオチになってるわけです。
このオチ、えらい熱心にオチの分類なんかしてはった枝雀師匠の気にいってもらえますやろか。
2001.2.1
二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」
ずいぶん迷ったのですが、二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」を
ホームページに上梓することにしました。
先日NHK教育テレビでやっていたのですが、広島を語る会の語り部たちが
2001年3月で引退されるというのです。修学旅行生など、
広島を訪れる人たちに自身の被爆体験を語り続けてきた語り部の方たちも高齢になり、
語る会の活動を存続させることができなくなった、ということもあるのですが、
原爆学習のために修学旅行先を広島に選んだ中学、高校生の語りを聞く姿勢にも問題が
あるようなことが匂わされていました。たしかに、現代の中高生にしてみれば、
広島・長崎の被爆も、自分たちが生まれる前の遠い昔のできごとであるにすぎないのでは
ないでしょうか。語り部の方たちへの礼儀をわきまえない態度は論外として、
むりやり興味を持てというのもへんなような気がします。
彼らは原爆の事実をどう感じとっているのか。そのことを想像しているうちに、
この劇の題材が浮かび上がってきたように思います。修学旅行で広島に着いて、
さて被爆の状況を想像しなさいと言われても、それは五十五光年の距離を隔てて
原爆の光景を見ているようなものではないのかということなのです。
それでもなおかつ被爆の悲惨さを身に引きつけようとすれば、
想像力を働かせるしかありません。そのことを言いたかったわけです。
二人芝居と銘打っていますが、シテは賢治先生として、ワキは役柄ごとに人物を変えれば、
それなりの人数を出演させることができます。
「クラムボン」の意味の齟齬については、承知で使っています。
「地球でクラムボンが二度ひかったよ」という題名では、「クラムボン」は、
原爆を表しています。つまり「眩むbomb」というイメージが優先されているわけです。
「やまなし」の中では蟹を表しているようなのです。
だから「クラムボンが二度ひかったよ」という使い方をすると、
「やまなし」の「クラムボンはかぷかぷわらつたよ」というセリフと齟齬をきたして、
違和感を持たれるかもしれません。まして、賢治童話を大切なものとしておられる方に
とっては許されないと思われるでしょう。まあ、しかし、
意識下のそんな混乱もまたわたしの狙いでもあるのです。また、
どうしても「眩むbomb」のイメージを題名として使いたいというこだわりもありました。
かちかちのケンジリアンという方には寛恕を願うしかありませんが、
そんな遊びもまたおもしろいと思ってくださる方もあるのではないかと
かってな想像もしているのです。
2001.5.1
原爆を板にのせる方法?
井上ひさし作の二人芝居「父と暮せば」(新潮文庫)は、
残念ながら実際の舞台に接する機会はまだですが、
テレビ放映されたドキュメンタリー番組でその一部を見、また脚本を読んだかぎりでは、
なかなかすばらしいできのように思われます。
被爆して目の前で死んでいった父が、まったく偶然生き残ったがために
自責の念に苦しむ娘のもとに幻となって現れるという仕掛けは、
被爆者の心理を語るためのまたとない自然な仕掛けになっています。
被爆体験を文学でどう描くか、これはとてつもなくむずかしい問題をはらんでいます。
原爆手記を井上氏は、人を励ます聖書にも匹敵することばと思いなし、
繰り返し読み込んでこられたようです。被爆者でないものが原爆を主題に扱おうとすれば
、被爆者の手記を己の表現とするまで読み込むか、あるいは「黒い雨」のように
日記を引用させていただく、そういうやり方しかないのでしょう。井上ひさし氏は、
そのゆえに、聖なることばを読むようにして原爆手記を読んでこられた。
手帳に書き写してもこられたのです。そこに見出されることばが、
「父と暮せば」の中にふんだんに織り込まれているらしいのです。
井上氏の被爆者のことばにたいする真摯な態度にわたしは脱帽しました。
「父と暮せば」は、井上氏のたゆまぬ努力のすばらしい成果であると考えています。
しかし、原爆はすでに五十五年まえ、半世紀以前のできごとであります。
広島を訪れた修学旅行生たちを前にしても、被爆者の語る声がだんだんと届きにくい
状況になってきていることは否めないのではないでしょうか。被爆経験が、
もはや過去のこととして、色あせたといっているわけではありません。
たとえば、一つの例で言えば、被爆者の見る夢はいつまでもあざやかに生々しいはずなのです。
しかし、時間経過の重み、これは認めざるをえないのではないかということなのです。半世紀がたち、
被爆者の高齢化が進み、語り部としての活動から引退する人たちがふえて、
語り部の会が解散するというニュースまで聞かれる現代だからして、
原爆に関してどのような文学表現がありえるかと、考え込まざるをえないのです。
そのことがずっと頭にあって、かろうじて思いついたのが、つぎのような仕掛けなのです。
原爆の投下から半世紀を隔てて、賢治先生がきょう、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の
とあるステーションで広島のピカをみるという想定です。そのときヒロシマの
原爆のひかりが賢治先生に届いたのです。歴史事実としては、地球歴で五十年以前の
ことではあっても、1933年(昭和八年)に亡くなってから銀河鉄道に乗って、
五十五光年を旅してきた
賢治先生にとっては、原爆の投下は、はじめて知ったという意味でまさに今のできごとなのです。
そこには地球時間では五十五年の経過があるとしても、賢治先生の今においては、
今の切実さは幾分なりと保たれているはずなのです。それまでは賢治先生はヒロシマ、
ナガサキの悲惨を知らないままに、のほほんと銀河鉄道の旅を楽しんでいたのです。
そして今日、悲惨の事実を知らされたのです。
考えてみると、賢治先生が経験した事実は、
戦後世代の若者がはじめて原爆のことを聞かされた状況と似ていないでしょうか。
地球での五十五年という時間経過は、劇中では五十五光年という距離に
変換されているだけなのです。修学旅行生が広島にいってはじめて現実を知らされたという状況、
それは、まさに昭和八年に死んだ賢治先生が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅で
はじめてピカを望見したという状況とたいして変わらないように思うのですが、
どんなものでしょうか。それが「地球でクラムボンが二度ひかったよ」を書いた
動機なのです。井上ひさしさんのようなやり方は、わたしには困難であると考えたがゆえに、
このような方法を考えださざるをえなかったのですが、そのような状況を設定したために、
原爆開発の問題や核の均衡による冷戦、核の冬の問題などについても盛り込むことが
できたのでした。
追伸1
言うまでもなく、現在も地球を中心とする半径五十六光年の球体の外では、ヒロシマ、
ナガサキの悲惨は知られていないのです。光の速さ以上の速さはなくて、
原爆投下の情報もまた光の速さを越えては伝わらないからです。原爆以前と以後の断裂は、
球面として広がりつつあるのですが、地球の汚名は、まだ宇宙のほんの一郭に
とどめられているわけです。そんなことを考えていると宇宙とか時間とか歴史とかは、
なんとふしぎなものかと考えてしまいますね。
追伸2
「父と暮せば」で美津江に思いを寄せる青年(木下)の出身は岩手県とされていて、
夏休みがとれたら岩手へ来ないかと誘われているのですが、そのことを父に打ち明ける場面で、
宮沢賢治のことが出てきます。「童話や詩をえっと書かれた人じゃ。
この人の本はうちの図書館でも人気があるんよ。うちは詩が好きじゃ?」
という美津江のセリフがあるのです。劇が想定されている昭和23年に図書館に
賢治の本があったのだろうか、とあらためて年譜を見ると、
昭和9年に文圃堂の全集(全三巻)刊行、昭和14年には十字屋書店の全集(全六巻)刊行、
昭和二十一年には組合版宮沢賢治文庫(全十一冊予定のところ六冊のみ刊行)とあり、
図書館にあってもおかしくないと納得。そんなことを調べているうちに、
もしかしたら岩手県出身の技術者で原爆の資料集めに熱心な木下というのは、
井上氏の中では、どうも賢治の似姿で描かれているのではないかという気がしてきたのですが、
思い過ごしでしょうか。意見を聞かせてください。
2001.12.1
「チャップリンでも流される」が上演
わたしの勤務する養護学校で、賢治劇「チャップリンでも流される」が、
はじめて自分以外の手で演出されて、上演されたのです。これまではすべて自作自演だったので、
うれしい反面、複雑な気持ちでした。(興味のある方はまた脚本を
読んでいただければと思います。)
はじめに工場の単純作業を集団演技で表現する場面があるのですが、
その場面はなかなかおもしろくできていました。しかし、
宮沢賢治がチャップリンといっしょに羅須地人協会にタイムスリップしてからの内容は、
夢の中のことに改作されていたのですが、やはり難しすぎてこなれていなかったように思います。
考えるまでもなく、これはすべて原作の責任なのです。たとえ中軽度の養護学校であれ、
実際に上演するとなれば、もっとやさしくなおすべきだと思いました。
賢治劇で言えば、「賢治先生がやってきた」「ぼくたちはざしきぼっこ」は、
自作自演で上演したことがあり、また「イーハトーブへ、ようこそ」は
一部改作して性教育で読み合わせをしたことがあって、使えないことはないのですが、
「チャップリンでも流される」や「「銀河鉄道の夜」のことなら美しい」は、
思いつきの勢いに「流され」て、高等養護学校での上演という枠を踏み外してしまったような
ところがあり、実際の上演では、もっと書き直さなければならないと思います。
無責任な言い方ですが、原案くらいに考えた方がいいのかもしれません。
もちろん基本の考え方は変えようがないと思っていますが……。
2002.2.1
一人芝居「水仙の咲かない水仙月の四日」を上梓しました
一人芝居「水仙の咲かない水仙月の四日」は、なかなか難産でした。
一年かかっています。もちろん一年をかけて推敲していたということではなくて、
アイデアが熟さないままに、一年が過ぎていったということです。
最初から二つの方針を持っていました。三年寝太郎を主人公にする。
これは二十数年くらい前に佐竹昭広「下克上の文学」(筑摩書房)を読んで以来、
いつかは寝太郎を取り上げてみたいという気持ちがあったのです。
「下克上の文学」は、すばらしい本でした。三年寝太郎の「ものぐさ」が都に
のぼってからは「まめ」に変貌をとげるのですが、その変貌の秘密を「のさばる」の
「のさ」ということばで解きあかしたみごとなものでした。
興味のある方はぜひ読んでみてください。それは、さておき、
今回上梓した脚本を書くにあたってのもう一つの方針は一人芝居を
書いてみようということです。一人芝居の魅力というのはどこにあるのでしょうか。
やはり人生の不条理をかき口説く語り物の魅力につきるように思います。
ということは、一人芝居には老人が似合うということでもあります。
それで、雪婆んごの登場となったわけです。
以上の経緯によって、雪婆んごが三年寝太郎のことを物語るという形式が決まったわけです。
もっとも実際にはそんなに論理的に筋書きが決定したのではありません。
いろんな筋をころろみて、最終的にいまのようなものになったのです。
とりあえずは、読んでみてください。ご意見をいただけたらありがたいのです。
追伸1
「障害者」や「知的障害者」といったことばは出てきませんが、テーマ自体が
その問題を扱ったものであることは説明するまでもないことと思います。
「知的障害児」とされる、わたしがひごろ接している生徒たちのかけがえのなさを、
どうにかして取り上げたいというのが最初の動機でした。
おなじような気持ちで書いた脚本に「ぼくたちはざしきぼっこ」があります。生徒たちを、
座敷にいるだけでその家を豊かにするというざしきぼっこになぞらえたものです。
彼らがほんとうのざしきぼっこについて、地球から去ってしまおうというのです。さあ、たいへん。
地球の大変です。続きは、じっさいに読んでみてください。
二つの脚本はおなじ動機から出発しています。
しかし、「ざしきぼっこ」は喜劇、「水仙月」は悲劇、
そこが決定的に違うところです。わたしの個人的好みは喜劇にあるのですが……。
何はともあれ、なにごとも読んでから、ということで、どうぞ、一編なりとお読みいただけたらと、
伏してお願いいたします。
追伸2
言わずもがなのことですが、わたしは当然のことに「水仙月」で雪婆んごが難詰するつまらない
人間の一人であります。弱い、つまらない、くだらない、打算の人間そのものなのです。
だからこそ、理想像としての賢治先生にこだわりつづけているのであり、
また、わたしの学校の生徒たちのことを書かずにはおれないのです。
そんなわたしが養護学校にいて感じる幸せは、生徒たちのすばらしさ、かけがえのなさ、
であり、また賢治先生をうかがわせる先生がおられるということです。そのことには、
どれほど感謝しても感謝しすぎることはないと考えているのです。
2002.9.1
手話劇「ホームレス、賢治先生」について
手話劇「ホームレス、賢治先生」を上梓しました。
「手話劇」を書きたいとずっと考えてきました。手話が出てくる劇とはちがいます。
聴覚障害者が登場する劇で、台詞の一部に手話が使われることはあると思います。
しかし、わたしが書きたかったのはすべての台詞が手話で演じられる劇です。
日本語などなくてもいいのです。ただ、観客として健聴者を拒まないのなら、
手話の台詞に音声が付随してもかまわない。そんなふうな劇が、ほんとうは書きたかったのです。
そうすると、当然のことに、脚本は手話で書かなければならいはずです。
しかし、手話を文字様のもので表記する方法がありません。
「うずのしゅげ通信」(2001.2)
でも触れたことがありますが、以前ろう学校に勤務していたとき、
手話の記号化ということを考えたことがあります。しかし、結局試案の段階を出なかったのです。
だからでしょうか、今でも手話の表記というものには興味があって、
ときどきは手話の本などを覗いてみるのですが、
これといった提案は出てきていないようです。
書くのがむりなら、いっそ手話のイラスト、写真、あるいはビデオでというやり方も考えられます。
しかし、それも誰かがやってくれるのなら、おもしろい試みになるにちがいないと思いますが、
自分がやるとなると話は別です。
手話は場面で生きてくる言語です。想像するだに空恐ろしくなるほどの困難な作業になりそうです。
それでしかたなくいつも通り日本語での脚本になりました。
ただ、これを手話でどう表現するかということは常に念頭にありました。
ということで、いや、にもかかわらずと言うべきでしょうか、
ずうずうしくも「手話劇」と銘を打ってしまって、
ちょっと後ろめたい気もしています。そこは寛恕願うしかありません。
ただ、聴覚障害の人たちが演じるのに不合理なセリフや、無理な状況設定がないようには
気をつけたつもりです。もし、そんな表現が紛れ込んでいれば、ご教示ください。
手話で演じる劇を一度書いてみたいとずっと考えてきました。それを試みたわけですが、
さて、できあがってみると、手話で充分に演じられ、また理解してもらえるだろうかという
危惧がのこります。
いつも書き上げたあと、さて自分ならどういうふうに演出するだろうかと、
なんども心の中で反芻してみます。
一場のホームレスの賢治先生には、あまりセリフがありません。
はじめから賢治先生が手話を使うのは不自然だからです。
しかし、ろう学校の生徒たちとこころを通じ合わせることができる、
そこが演出のポイントだと思います。
二場では、賢治先生が手話を使いはじめます。しかし、
たどたどしい手話であまり目立たないようにします。
ここで歌われる「月夜のでんしんばしら」は、ろう学校の生徒にもリズムがとれるように、
太鼓やらたたいて派手に演じた方がいいかな、そのためには、
あらかじめ楽譜を配っておくという方法もあるな、とか考えています。
それなら、いっそう、劇中で使われる「春と修羅」の序
「わたくしといふ現象は」の詩、あるいは「銀河鉄道の夜」の「石炭袋の孔」
の一節などは、楽譜と一緒にテキストを配っておくという手もあるなと。
「月夜のでんしんばしら」の歌詞は、どんなふうに手話になるのかな?
「でんしんばしらのぐんたいは、はやさせかいにたぐひなし」、この歌詞を、
行進のリズムに乗って、手話で表現することができるかな。
また、セリフは、日本語優先ではなく、手話優先で演じればいいと考えています。
なぜこんなことをわざわざ言うのかというと、日本語のセリフにできるだけ忠実にということを
求めてはいないからです。「シンコム」と称される手話を使って、
「日本語を話しながら、その日本語の単語に対応する手話単語をならべていく」(注)
ようなやりかたで演じることを想定してはいないからです。手話に翻訳して演じるといった
感覚でやっていただきたいということです。
あくまで手話劇であり、手話で観客にしっかりと理解してもらうことのほうが大事、
そのために劇のテンポが少々遅れたとしてもしかたがないと思います。
手話でこれだけの表現ができるか、と書きながらそのことを危惧したことはありません。
たしかにむずかしい箇所もなくはないと思いますが、このくらいの表現に耐え得ない
手話ではないと信じます。
「日本語−手話辞典」(監修、米川明彦)という分厚い辞書が出ています。
それでも、語彙が足りない。すこし抽象的なことになるとたちまち語彙不足を感じます。
しかし、手話は日常語において非常に豊かな世界を持っています。
この劇でそれが生かせればと思います。
一つの劇を手話で演じきって、手話語彙の使い方を芸術の中で確認していくということも
とても大切なことだと考えるのですが、どうでしょうか。
これまでにも「うずのしゅげ通信」で話題にしたことはありますが、ろう学校に勤務していたとき、
またそれ以後、
手話について考えてきたことをそそぎ込んでいます。手話と聴覚障害者の関係、
聴覚障害者のことばである手話と日本語の関係、等々です。
未熟な点、考え尽くされていない観点など多々あると思います。
ご教示いただいて、また改訂していきたいと思います。
注、「シンコム」という言い方については、月刊「言語」1998、4月号特集
「手話の世界」所収の木村晴美「手話入門−はじめての一歩」ではじめて知りました。
2002.10.1
手話劇「ホームレス、賢治先生」について(続)
「ホームレス、賢治先生」は、「賢治先生」シリーズのおそらく
最後の作品になるだろうと思います。
「ホームレス、賢治先生」は、劇の骨格としては、
これまでも何度か繰り返してきた民話の「見るなの座敷」型と「鶴の恩返し」型
を足して2で割ったような型と「往相還相」型を基本にしています。
「見るなの座敷」型というのは、見てはいけないと禁止されていた座敷を
のぞいたために大切なものを失うというもの、「鶴の恩返し」は、有名な「夕鶴」の
パターン。
「往相還相」型というのは、往って還ってくるというもの。
浄土真宗の往相還相をもじって名づけたものです。賢治先生は、
一度は銀河鉄道で出発したのですが、ふたたび地球に帰還してくるのです。
その理由はいろいろ考えられますが、戻ってきて、結局は、生徒たちが「見るな」の禁を
犯したためにふたたび銀河鉄道で去っていくという筋になっています。
だから「ホームレス、賢治先生」は、これまでの劇を集約したようなストーリー展開に
なっています。
そんな筋書きで手話劇を作ってみようと考えたのです。
それはむずかしいことではありませんでした。しかし、劇のむずかしさのレベルをどうするか、
これは一筋縄ではいかない、いつも頭を悩ませる問題です。
分かってほしいということで、あまりにもやさしいレベルに設定すると高校生である生徒に
ふさわしくないものになってしまいます。むずかし過ぎると意味がわからないままに
演じるということになってしまいます。すこしむずかしい箇所があって、
そこだけは、「えーい、まあいいか」と無理遣り突破するといったところが一番いいのではないかと
考えています。それでも、わたしの劇はむずかしすぎるという評が多いように思います。
言い訳をするわけではありませんが、わたしとしては、演じるものにも観客にも、
すべてをわかってもらおうとは考えていません。劇のような作品は、そのときは意味不明でも、
イメージがのこっていればいつかそこから芽吹くことがあると思うのです。それを信じているのです
。だから、ついついむずかしくしてしまうということもあります。わからなくてもいい、
ということに寄り掛かってしまうのです。自分でもそのことに気がついています。
寄り掛かりすぎじゃないかという不安がいつもあります。もうすこし現時点で分かってもらう
レベルで努力すべきではないか、というふうにも思うのです。
できれば、生徒たちが演じて、すこしむずかしい程度の水準、そう考えて書き始めるのですが、
書いているうちに、すこしむずかしくても、ええい、いいか、というのが積み重なって、
結局は、断定はできませんが、ボランティアの参加で支えないと演じられないような
レベルになってしまう、そんなふうな危うさを感じています。
考えれば考えるほどむずかしいな、と感じてしまいます。
最初の「賢治先生がやってきた」や「ぼくたちはざしきぼっこ」は、
まさに上演するために書き下ろしたものでした。文化祭で、学年劇の担当になり、
11月はじめにある文化祭に向けて夏休みに書きます。どういうふうに演出するかを考えながら
書いていくことになります。生徒たちに分かってもらえるようにという限界も設定しています。
そういうふうに状況が見えていても、劇のレベルの設定となるとほんとうにむずかしいのです。
脚本ができあがってみるとむずかしすぎたのではないか、と不安が先にたちます。
それは実際に劇の練習にとりかかってからも続いています。そして、練習の困難を乗り切って
やっと本番に漕ぎ着けたとしても、観客にとってどうだったのかなという気持ちが残ります。
劇のむずかしさの上限レベルを決めるというのは、それくらい困難で微妙な問題だと考えています。
それを、実際の生徒たちの顔を思い浮かべることで、どうにか乗り越えてこれたというのが
実状だったような気がします。
演じるものが決まっていて、上演が目の前に控えていてさえそうなのですから、
とりあえずは上演の見込みがないとなると、さらに困難が増すのは想像できると思います。
劇のむずかしさのレベルは、知らず知らずのうちに上昇しています。一定レベルの上限を
超えてしまうのです。生徒たちが演じるというレベルから、先ほど述べたようにボランティアの
劇団があって、生徒たちに見せるために劇をやってくれる、
そんなレベルにまでなってしまうのです。「チャップリンでも流される」や
「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」などは、最初は生徒たちの上演を想定しながら、
一段階アップした例かもしれません。だから、上演に際しては大々的な書き直しが
必要になります。「口上」にも書いたように、「座付き作者」として、
生徒たちの顔を思い浮かべられる教師が、生徒名を入れてセリフを割り振り、
内容がむずかしすぎれば削るという作業が欠かせないように思います。
原作者としては、無責任な発言かもしれませんが、すべては演じる生徒の表情や癖を思い浮かべる
ことができるもののみが、養護学校の脚本を書く資格があるのではないか、
というあたりまえのことの確認になります。
手話劇「ホームレス、賢治先生」もそんな面を持っていると思います。
たとえば、むずかしくなりすぎた場面をあげれば、ホームレスが賢治先生であることを
証するために、電信柱を伝わる電気の速さは「世界に類なし」といった
「月夜のでんしんばしら」の歌や、「有機交流電流」の詩とかは、
かなりむずかしい部類でしょうか。また、ひかりの化石、
氷砂糖の説明なども分かりにくいかもしれません。もっとやさしく、
言い換える必要があります。「むかしのひかりが凍ってできた氷砂糖が埋まっている海岸」
とでもすればいいのでしょうか。また、賢治先生が理科の先生の証明など、
プランターに育てたミニトマトと話ができるとか、
そんなことで表した方がいいかもしれません。
とにかく、もし実際の上演となればやさしく説明し直す必要があると思います。
いい案があればご教示のほどを。
【追伸1】
また「人間ゆうゆう」(2002、9、4)で
、「知的障害がある若者がミュージカルに挑戦」という番組を見ました。
東京都立青鳥養護学校の生徒たちが、「葉っぱのフレディ」を脚色した
ミュージカルにした挑戦する半年を描いた「虹をつかむステージ」を紹介するものでした。
劇を指導した教師や出演した生徒たちが登場していました。すばらしいミュージカルでした。
「生と死」の物語としての「葉っぱのフレディ」のテーマをよく理解して、参加していました。
生徒が「人に見せられる劇ができてよかった」と感想を述べていましたが、
まさに見せるにあたいする舞台ができていたと思いました。
ここにも一生懸命さ、切実さがありました。
レベルということで言えば、かなりのハイレベルに設定されていたと思います。
「賢治先生がやってきた」、「ぼくたちはざしきぼっこ」よりも上、
「イーハトーブへ、ようこそ」と同じくらいに照準されていたのではないでしょうか。
もちろん、「チャップリンでも流される」や「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」よりは
下といったところです。
【追伸2】
例えば、「ホームレス、賢治先生」の筋にそってみんなで脚本を作るという
授業を考えてみます。
筋の展開に必要なセリフはすでに書き込まれていて、一郎「 」といった枠を設けた
脚本を生徒たちにしめしてもいいと思います。
一場で、賢治先生がホームレスのようなかっこうで倒れています。それを見つけた
生徒たちのセリフは空けてあります。自分たちで考えさせるのです。
賢治先生のことを家で話題にする。その場面のセリフも考えてもらいます。
また、たとえば大切な設定を考える場面もあります。例えば、最後のあたり、
賢治先生はどうして、地球に還ってきたのか、その理由をみんなで考えて、
セリフを埋めていきます。そのようにして、完成したシナリオで劇を上演する、
そんな授業も可能なのではないでしょうか。
2002.12.1
「イーハトーブへ、ようこそ」改訂版
賢治劇は今回の「手話劇『ホームレス、賢治先生』」で打ち切るつもりです。
だから全部で十編ということになります。(本当に打ち切り?)
しかし、心残りがいくつかあるのです。
その一つが性教育をテーマにした「イーハトーブへ、ようこそ」の内容に
不満があることです。もうすこし現代的なものにしたい、という気持ちがあります。
自分自身の古い性概念がどうしようもなく露呈しているような気がするのです。
そこで、「イーハトーブへ、ようこそ」の改訂版を作りたいと考えているのです。
それは、こんなふうなものです。
とりあえずは、「イーハトーブへ、ようこそ」の劇(もちろん人形劇)がはじまります。
ところがそれを演じていると客席からクレームがつくのです。
劇は中断やむなきにいたります。
客の挑発に乗って、演出家が人形劇の舞台の横から出てきます。
そして客の不満を聞いてみるともっともなのです。客席からの応援もあります。
そこで、客席に隠れている作者を呼び出して、相談が始まります。
そうなると「改訂版『イーハトーブへ、ようこそ』」は、「イーハトーボへ、ようこそ」の人形劇を
劇中劇とした論争劇の様相を呈してきます。演出家、作者、男女を含む客の何人かの論争の末に、
結局、客の要望を盛り込んだ筋に変わっていきます。
大道具や小道具も変えなければならないかもしれませんが、
そこは人形劇だけに簡単といえば簡単です。
そんなふうにして性教育劇「『イーハトーブへ、ようこそ』改訂版」ができあがる。
もし、これが実現すれば融通無碍、「イーハトーブへ、ようこそ」は
どんどん成長していくことができるはずなのです。共同製作ということになりますね。
原「イーハトーブへ、ようこそ」は、そのためのたたき台です。
どんなものでしょうか?
「うずのしゅげ通信」 バックナンバー
2002年 12月号 よさこいピック(高知)、
「イーハトーブへ、ようこそ」改訂版、
SS「賢治先生御用達、出前プラネタリウム」
2002年 11月号 「抱きしめたい」賛、
祭りのあと、
チャップリンは手話を?
2002年 10月号 「ホームレス、賢治先生」(続)、
「アートママ」賛歌、
SS「小惑星が地球に?」(続)
2002年 9月号 「ホームレス、賢治先生」、虫、二題、
SS「小惑星が地球に?」
2002年 8月号 竹山広の短歌、性教育は砂糖が溶けるまで、
父の俳句
2002年 7月号 性教育「顔の美人さがタイプ」、保護者参観、
演劇の時代?
2002年 6月号 母の声、助走、性教育、
SS「百年たったら……」
2002年 5月号 総合学習に演劇を、障害者の職場、
性教育グッズ
2002年 4月号 花だより、性教育はこころの教育?、
SS「プラネタリウム」
2002年 3月号 1万アクセス、ボケとツッコミの構造(続)、
SS「訴訟」
2002年 2月号 一人芝居「水仙の咲かない水仙月の四日」、
SS「わたしキスをしたんよ。」、「本害」?
2002年 1月号 「音のない世界で」(続)、
SS「流星をとばして」、「これからどうなる21」
2001年 12月号 「チャップリン」上演、
「障害者」ということば、「音のない世界で」
2001年 11月号 誰が、誰を励ますの?、本人たちの劇を、
沖縄への修学旅行が中止
2001年 10月号 畑山博さん追悼、「モダン・タイムス」、
糸井重里「インターネット的」
2001年 9月号 養護学校の教科書 、YAHOOで本を、
時間の化石
2001年 8月号 あかちゃんはおしりから?、
高明浅太詩集「学校はおせっかい」、
遺品の中に「軍人勅諭」
2001年 7月号 嵐山光三郎「多摩の細道」、
近代家族と障害者の性、
科学の進歩はもうたくさん
2001年 6月号 大江健三郎の定義集、まど・みちお、
「性教育に人形劇を」LIVE
2001年 5月号 原爆を板にのせる、井上陽水はすごい、
賢治劇は星座?
2001年 4月号 HRで「吉本新喜劇」、アイボが我が家に、
知的障害児の高校進学
2001年 3月号 「Access denied」、
生徒のお笑いのレベル、ウォーキングのひそかな楽しみ
2001年 2月号 「地球でクラムボンが二度ひかったよ」、
性はどんなふうに話題に?、手話の記号化
2001年 1月号 新年の挨拶、賢治童話は“いじめ”でいっぱい、
山本おさむ著「どんぐりの家」
2000年 12月号 風がうれしい虔十、
養護学校は生き残れるか?、「知的障害者」という言い方
2000年 11月号 理想は高く! 高木仁三郎さん 追悼、
障害者の性
2000年 10月号 落語「銀河鉄道 青春十七切符」(続々)、
インターネット感想、十代の犯罪
2000年 9月号 性教育U、
落語「銀河鉄道 青春十七切符」(続)、歌集「椿の海」
2000年 8月号 性教育T、
落語「銀河鉄道 青春十七切符」、短歌
2000年 7月号 性教育、
「チャップリンでも流される」、映画「八日目」
2000年 6月号 演出秘話「賢治先生」、
「ざしきぼっこ」、「イーハトーブ」他
2000年 5月号 「うずのしゅげ」の小耳、演劇の癒し、
賢治は喜劇は?
2000年 4月号 障害児教育のHPを、
障害児教育にとっての「宮沢賢治」、知的障害者はなじまない
2000年 3月号 かしわ哲著「あったかさん」他
読者サービス映画券
「寅さんの『実習生、諸君!!戦後五十年だよ』」
2000年 春 準備号 短歌からの出発