アンソロジー「詩歌」

[見出し]
2000.1〜2002.12

短歌からの出発

父の俳句

短歌

井上陽水はやっぱりすごい

「まど・みちお」っておもしろい

嵐山光三郎「多摩の細道〜俳句で死を思う〜」に感激

高明浅太詩集「学校はおせっかい」(関西書院)

花だより

竹山広の短歌

「うずのしゅげ通信」 バックナンバー

2000.2.
短歌からの出発
形式を整えるために、バックナンバーに準備号を用意することにしました。
ところが、さて「うずのしゅげ通信」の準備号に何が相応しいかとなると、はたと行き詰まり、 迷いに迷ったあげく、「ええいっ、こうなったら洗いざらいさらしてしまえ」 と開き直ることにしました。 そもそも何かを書いて読んでもらうということは、 怖いまでに自分をさらすということじゃないでしょうか。 一連の「賢治劇」でもう十分に自分をさらしているのに、 いまさら何を臆することがあるのか、という心境です。
それで、これまで詠んだ短歌もここに載せようという気になったわけです。もちろん、 作歌していたのは短い期間とはいえ、それはかなりの数になりますので、 その中から特に「賢治劇」に相応しいものを選ぶことにしました。
短歌はすべて同人誌「火食鳥」(堺市)に掲載したものです。

心閉ざす自傷の終(つい)に打ちつけし額の傷よ百毫(びゃくごう)の位置
   (注:「百毫」というのは、仏の額の白毛)

この歌は、一部「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」に使いました。 賢治先生が自分のメモ用紙にこの歌を書くという場面があるのです。 もっとも最初の一句はなくて、二句目からの引用になっています。
宮沢賢治は若い頃は短歌を作っていましたので、そんなふうな筋にしたのです。
歌の意味はそんなにむずかしくないと思います。 以前教えた生徒のことです。 彼は自閉傾向があり、自傷の「癖」がありました。爪を噛んだり、手を噛んだり、いろいろあったのですが、 感極まったときに額を机にぶつけたりもしたのです。 だから額はたこになって盛り上がり、まるで仏像の百毫のように見えました。
また、彼が仏様のような無垢さをもっているということもダブらせたつもりです。

花芽葉芽口に含みし自閉児ははつかな温み甘みを言えり

この歌は字面のとおりで、理科の授業で花の蜜をすわせたところ 「温かくて甘い」という感想、そのことを詠んだものです。

暗事(くらごと)のわが思いあり自閉児は海の瀑布図飽かず眺めき

この歌も理科の授業で、軽い自閉症をもった生徒が、 太古、人が海の果てに瀑布を想像して描いた絵を飽きずに眺めていた有様を詠んだものです。 彼を見ている自分の暗い気持ちが表れているでしょうか。

家出せし遅滞児探し蓮池に牛蛙きく鳴き処(ど)しらずも

生徒が行方不明になって探しにいくということがよくありました。 そのときある寺の蓮池のどこかで牛蛙がさかんに鳴いていました。

一言の二言の台詞気に病みて爪噛みはげしき自閉のいのち

文化祭で劇をするとき、一人に一言か、二言の台詞が課せられます。 それでさえ苦にして爪噛みがはげしくなる生徒がいるのです。

紙すきの野草の残る一枚の粗き賀状を児にわたしおり

野草をつかって紙すきをして年賀状をつくりました。

山葡萄の朱にそまりたる手を忌むと銀杏雌株になすりつくるは

遠足の時、山葡萄の汁が手について、潔癖に銀杏の木になすりつけている、 そんな様子でしょうか。

削ぎ削ぎしするどきやじりを手に取りて危うき遊びを自閉児はなす

早老いの時のかなしみダウン児の星見る空にくらき藍満つ

ダウン症で望遠鏡で星を見るのが趣味という生徒がいました。 いまでもときどき駅で出くわしたりするのです。 そんなとき、つい「星をみているかい」と聞いてしまいます。 すると彼は獅子座流星群のことなど、教えてくれるのです。
これはしかしとてもかなしい歌なんです。

つぎは自分でいくぶん気に入っている歌です。

伎芸天の黒きみおもてあるなしの風のすべらよ細き指まで

朱の唇(くち)に秘仏のおそれほの見えて救世観音はただものでなし

斑鳩の五百枝(いおえ)の河に黄花あふれ救世観音の暗きに溺る

花影濃く陶板地図の冷えてあり 二上(ふたかみ)の陰(ほと)王陵の谷

馬蹄形の門閉じられき 遊園の冬のプールに降る宇宙塵

獄中歌読み下しつついかなごの遅き朝餉(あさげ)に釘煮を喰らう

このくらいにしておきます。あらためて読んでみて、 何とむずかしい歌が多いことか、あらためて感じてしまいました。 いまならもうすこしやさしく詠むのに、というのが感想です。 集中して詠んだのは、いまから十年くらい前なので、それから考えると、 すこしは成長したのでしょうか。


2000.8.1
父の俳句

「うずのしゅげ通信」のバックナンバーを見ているとどうも肩に力が入りすぎているようです。 それでなくても暑いのに、もうすこしさっぱり味でゆくことにします。
わたしの父は、若い頃すこし俳句をかじり、五十歳くらいでふたたびはじめたので 合計すると俳句歴四十年有余といったところでしょうか。そのわりには上達していません。 それでもなにやらそれらしい俳号までもっています。素由というのです。 十年ばかり前に、喜寿の祝いをかねて「万年青(おもと)の実」という 句集を出したこともありますが、ほとんどはただものの日常詠ばかりです。 そんな中に、たった二つですが気に入っている句があります。

秋の蚊の妻の乳房につまずける

目づまりの印二つ捺す夜学生

二つ目の句は、父の師匠筋の誰かの著書に引用されているのを見せられたことがあります。 夜学生の持っている印鑑、おそらくは家から持ってきたものです。 その印鑑、掃除などしたことがなくて目づまりをしている。何かの配達か、 おそらくは現金書留が送られてきて、その受け取りに印鑑を捺したのですが、 なにしろ目づまりしていて字がはっきりしない。しかたなくもう一回印を捺している。 それだけのことなのですが、何かおかしい。古めかしいのですが、 それでいておかしさの気配がある。もともと俳句は俳諧といわれていて、 諧謔を詠み込むのが本筋だったはずですが、この句にはその俳諧味があるように思います。 何でもない句ですが、それが師匠に採られた理由でしょうか。

何でもなさは、最初の句でも同じです。猛々しい夏の蚊とちがって、 秋の蚊は弱々しげです。ふらふらと飛んできて、 浴衣からのぞく萎びたような妻の乳房にとまりかけ、つまずいたふうに姿勢をくずして、 また飛んでいった、そんな様子が目に浮かびます。ちょっとエロチックな感じもありますが、 俳諧味とない交ぜられていて、嫌みはないように感じられます。

その母も逝ってすでに七年になります。母が亡くなったころ、生徒に親を亡くすということ、 あるいは死ということについて話をしたことがあります。 そのとき考えたことが「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」 という脚本のもとになっています。そのことを思うと、 この「銀河」の脚本も自力で書いたつもりでいますが、 じつのところ母の死というものを契機にして書かせてもらったんだなと、 そんなことを考えてしまいます。現代人はもっと他力というものに謙虚にならないと いけないのかもしれません(このあたり何となく五木寛之調。)。 最近とくにそんなふうに感じることが多いように思います。 この作品はまだ上演できていません。高等養護の生徒にはむずかしすぎるのでしょうね。 でも、「死」ということについて、どのようなかたちでか、 養護学校の生徒にも話をしていかなければならないことは明らかだと思うのです。 もし、幸運にもこの劇が上演できるとすれば、 最初に書いたようにボランティアとの共演という 形にならざるをえないと期待しているのですが。
お盆を控えてそんなことを考えてしまいました。


2000.9.1
短歌

「短歌誌「歌壇」に「火食鳥」の紹介記事」
「歌壇」の歌誌紹介の欄で「火食鳥」が取り上げられています。
会員の歌が紹介されていて、私の歌もあります。最近歌を作っていないので、 すこし気恥ずかしいのですが、つぎのような歌です。

水のもむ風のもみあう音としてわがまぼろしやとうとうと響(な)る

たとえば山に入ると渓谷がある。深い渕から水流の音が聞こえ、 また谷筋で風のもみあう音も耳に入ってくる。 それがまるで私の内らのまぼろしが鳴るかのようにとうとうと響いている。 いまや現実の音なのか、幻聴なのかさえ分からくなってしまった。 あえて解釈すれば、そんな意味になるでしょうか。
お恥ずかしいしだいです。
では、本題に移ります。

「関谷藤子歌集『椿の海』」をいただきました。
わたしたち同人誌「火食鳥」の仲間、 歌人の関谷藤子さんが二冊目の歌集「椿の海」を出されたのです。 限定200部の出版ということで、なかなか手に入らないと思いますので、 ここで紹介させていただきます。
関谷藤子さんは、伊東市在住で、現在八十六歳。若い頃に故 坪野哲久に師事され、 1973年(五十九歳)に第一歌集「藤」を刊行しておられます。
だから今回の「椿の海」は第二歌集ということになります。
ここに集められている歌はすべて同人誌「火食鳥(季刊)」(堺市)に掲載されたものです。 関谷さんがことばの響きを聞き取るすばらしい耳、感性と、 ことばを紡ぐすばらしい技量をもっておられることは一読すればわかります。 それがなんと八十六歳。文学に年齢など加味する必要などまったくありませんが、 しかし、それにしてもなんという柔軟性。老化はすなわち精神の硬化である、 といった常識が関谷さんの場合はまったくあてはまりません。
気に入った歌を引用してみます。([ ]内は、連作の表題です。)

 [まぼろしもがも]

毘廬遮那(びるしゃな)の春の伽藍(がらん)に月光す邪鬼の面輪のうかぶを見れば

毘廬遮那仏の伽藍の中に月光が射していたのだ。邪鬼の面輪がうかんでいるのを見て気がついた。 といったふうな意味でしょうか。毘廬遮那は大日如来、邪鬼は悪神、 いつも踏みつけられていますね。

高窓の月のあかりて浮かぶこそ人間的にて邪鬼かなしかる

高窓の月が明るくて邪鬼の面輪が浮かぶ、その表情、仕草が人間的でかなしいような、 とでもいったことでしょうか。

いわれなく邪鬼といまわれいつまでも踏まれているや 立ちてみせてよ

「いまわれ」は「忌まわれ」ということか。「立ちてみせてよ」という呼びかけが、 関谷さんの関谷さんらしさです。

 [象]

まびき菜のおひたし青くよそおいて黄瀬戸の茶碗重宝します

一連の歌の中に「片身なる黄瀬戸の茶碗」とあります。

 [水の垂簾](「垂簾」はすだれ。)

梅雨ふけの露の紫沖縄の飴をねぶりぬほどろほどろに

沖縄の歌を詠むは古しとう古きが好きさなつかしくして

露の紫とは露草の藍色のことか、そんな色の飴をねぶったというのだ。 「ほどろほどろ」はまだらにということだが、ほどろほどろなのは何なのか。 意味はわかりにくいが、ことばの響きがいい。

 [雁のたまずさ]

野がえりの浄めのてしお梅一花闇に咲きいて闇をも淨む

だれかを弔っての帰り、浄めの塩を踏む。ふと気づくと梅が一輪闇に咲いていて、 闇を浄めているようだ。

 [空音]

とりとめて言うこともなくかえりきてすずろにすする春の白粥(しらがゆ)

「すずろ」は、何となくということ。

 [こぼれ萩]

梅雨萩とう沖縄萩のむらさきにしぐれはすぎぬ音なきしぐれ

沖縄萩とは、どんな萩か?

白髪に卷きて舞うべく手にとらば匂うべしやも領布(ぬの)の紫

沖縄にいまだえゆかずこだまして安土屋(あさどや)ゆんたはじめてききぬ

 [春の盃]

残り世のひとりの時間夢の間の夢のつづきの沙丘を歩む

一人住みの関谷さんの寂寥と覚悟がよくでていて、好きな歌です。

〈詩は志なり〉遺語やうたてき後夜月梁塵秘抄なぜかおもえる

「遺語」は師の残した言葉。「うたてき」は納得できない、 不可解であるの意。

 [青霞]

二上山(ふたかみ)は葛城山の北のはて渇仰ここに峠路(とうげみち)こゆ

みまくほりし二上山(ふたかみやま)のそのすそのほたるぶくろのうなだれてみゆ

渇仰は渇くような信仰、「みまくほりし」は見たいとおもっていたの意、 ついに二上山に来た。「ほたるぶくろ」はキキョウ科の草、 つりがねそう。

たたなわる青垣山の青がすみ畝火香具山耳梨かげる

「畝火香具山耳梨」は万葉集の表記による。

 [翳]

みのおとろえいわずしもあれゆるやかに右の眼(まなこ)ゆなみだ流れて

「右の眼ゆ」は右目からの意。

 [低唱]

島島のあさどやゆんたききならしいまだたずねずもうしわけなし

関谷さんの沖縄憧憬は深い。「もうしわけなし」は、歴史を踏また上で、 いたってまっとうなことばとして発せられている。

 [神さまの謡]

沖縄の島土黒く少しでも踏まばや見ばやみばや踏まばや

みえぬ象(もの)森にみていてひとりすむひとりがすきさすこしあわれで

森の中には有象無象がいて、一人住みをなぐさめる。

 [浮き椿]

高窓の光ながれて大寺の邪鬼のまなこと悲しみのあう

「邪鬼のまなこと悲しみのあう」というところがいい。邪鬼と目が合ったとき、 そこに悲しみを見てとり、また自分の目にも悲しみのいろがあったはずだという意味か。

意味の取りやすい声調の通ったものを選んでみました。 それでも短歌の意味はそんなにはっきりと割り切れるものではないですね。 底が見えては魅力が半減するからでです。曖昧だということではありません、 一応納得しつつ、その底にまだ何かを秘めているというのが魅力なのではないでしょうか。



2001.5.1
井上陽水はやっぱりすごい

井上陽水「ハロー・グッバイ」(平成12年12月21日放送)の再放送を見ました。 陽水の曲は好きで、「ぼくたちはざしきぼっこ」にも「夢の中へ」を 使ったほどなのですが、最初の放映のときは、ほんのすこし覗いただけで、 チャンネルを変えてしまったのです。しかし、今回は最後まで見ました。
で、何が分かったか?
やっぱり井上陽水の曲はすごい。
番組の冒頭、彼は「氷の世界」を作曲したときの気持ちをつぎのように解説しています。
「「氷の世界」はね、その頃から、まあことばは悪いけど、でたらめといちゃわるいけど、 つまり聞いている人に懇切丁寧に、「十番線に列車が入ります。 白線の後ろにお下がりください。」とか、「もうそろそろ新横浜なんで、 荷物棚に忘れもののないように、乗り換えはどうこう」と、本当に親切な面が日本にはあるけど、 きっと音楽にもあって、テレビにもあると思うけど、こうこうこういことでこの人がいらして、 こういうご挨拶があって、お話がもりあがって、こういうかたちでお話を収束して、 なるほどね、なんてテレビを見ている人が思って、そして終わっていくべきだ、 なんていう人がきっと多いと思うんですよ。そういうものにたいして本当にそうかな、 なんて思って、「窓の外ではリンゴ売り」とやったような気がするんですけど、 そのときディレクターの人からちょっとこれでいいのかななんて言われたことは象徴的な こととして覚えていますけどね。ぼくがいまそういう立場だったら絶対に許さない(笑い) ……そんなことは、ないけど(笑い)……。」
彼は、分かってもらえなくてもいいやと、己の音楽を投げ出したと言っているのです。
なぜか?時代が突きつけてくるもの、それに呼応するように内からわき上がってくるもの、 それらを音楽的に分かりやすい形で表現することを拒んだということでしょうか。 分かりやすい詩句、分かりやすい音楽的情緒、それらを放棄して、 「氷の世界」を投げ出してみたというのです。たしかに歌詞は難解です。

窓の外ではリンゴ売り 声をからしてリンゴ売り
きっと誰かがふざけてリンゴ売りのまねをしているだけなんだろ
僕のTVは寒さで画期的な色になり
とても醜いあの娘をグッと魅力的な娘にしてすぐ消えた
今年の寒さは記録的なもの こごえてしまうよ
毎日、吹雪、吹雪、氷の世界
(二番略)
人を傷つけたいな、誰か傷つけたいな
だけど出来ない理由はやっぱりただ自分が恐いだけなんだな
そのやさしさを秘かに胸にいだいてる人は
いつかノーベル賞でももらうつもりでガンバッてるんじゃないのか
ふるえているのは寒さのせいだろ 恐いんじゃないネ
毎日、吹雪、吹雪、氷の世界

竹田青嗣「陽水の快楽」(河出文庫)において、「氷の世界」について、 つぎのように分析しています。
「「氷の世界」は、初期の陽水の透明なセンチメンタリズムの世界にはじめて姿を現した 心情の破調を告げている。(中略)繊細に敷きつめられた抒情の地が一瞬破れ、 彼の生々しい欲望の動きが、聴き手のことなどおかまいなしに荒々しく顔を見せた、 という感をうける。しかも、ここで注意すべきは、この情動の一瞬の錯乱が、 生のどういった情景からもたらされたものなのか、詩からはよく読みとれない、ということだ。」
「ここには、ロマン的憧憬の世界に突如侵入してきた、現世的な不幸のにおいがある。」 とも言っています。
声をからしているリンゴ売りの声は、ほんとうかどうか分からないがなぜか偽の声であり、 テレビ画面は寒さのために(理由になっていない)色が変になり、醜い娘を魅力的に見せる。 ここには確かなものは何もないのだ。氷の世界だけが、吹雪だけが確かなのだが、 そこに妙なものが侵入しようとしている気配があるのです。それが、偽のリンゴ売りの声であり、 画面の変色のようなのです。
そんな世界だからこそ、「人を傷つけたいな、誰か傷つけたいな」 という突拍子もないことばが兆してもふしぎはありません。それができないのは、 「やっぱり自分が恐い」からという心理的な重石があるうちはよかったのです。 しかし、いまや「人を傷つけたいな」ということばは、ストレートに現実の犯罪を 誘発しているようなのです。
現在から見れば時代を先取りしていた詩句、これらは陽水のロマン的憧憬の世界を、 内と外とが呼応して破ってくる現世的なものの表現になっている、そんな気がしてくるのです。 (難解きわまりない「陽水の快楽」もこのあたりの分析は共感できるのです。)

そして、「ハロー・グッバイ」にもどって、番組ではいろんなゲストが招かれて陽水の曲を 歌うのですが、後半、井上陽水が他人の曲を歌うという趣向になっていました。 「コーヒールンバ」「旅人よ」「星のフラメンコ」。それらの曲を陽水が歌っているのを 聞いていると、なぜか、それらの曲の安易さがどうしても見えてくるのです。 反対の側面を言えば、「氷の世界」について見たように、井上陽水の歌がいかに 自分をせめぎ上げて、内なる声を聞き取り、時代の風に耳を澄まして、作り上げてきたかが、 自ずと感じとれるのです。どれだけ危うさを秘めているかが分かるのです。陽水は、 他人の曲を歌うときはもはや手を入れることなど考えなくていいので、 気が楽に歌えるというふうなことを言っていましたが、ぼくにはそこに楽さを感じるということが、 逆に陽水が自分の曲を発想しようとするとき、いかに自分を窮地に追い込み、 内面の真実と現実とのせめぎあいをみなもとにして作曲しているかを浮かび上がらせて いるような気がしたのでした。
で、振り返って、自分の劇はそれだけ突き詰められているか?と、 考え込んでしまったのでした。


2001.6.1
「まど・みちお」っておもしろい

あるばん、もうねようかとおもって、なんということもなく、ちゃんねるをかえていたら、 たまたまきょういくテレビで、ねじめしょういちさんが、しをよんでいたのです。

 おならはえらい
 おならはでてきたとき
 ちゃんとあいさつする

ぼくは、おもわずひきこまれていったのです。まど・みちおのしでした。
まど・みちおってしっていますか?あの、ぞうさん、ぞうさん、おはなが ながいのね、 というしをかいたしじんです。
ねじめさんのろうどくが、とてもよかったのです。とくに、ことばあそびの 「もぐら」のしなどかんげきでした。
ぼくは、だいぶんまえにちょっときょうみをもって、さかた・ひろおちょの でんきをよんだことがあるのです。きょうみはそのままねむっていたのですが、 いままたかきたてられています。ふるほんやで、ぜんししゅうをさがしてみよーっと……。


2001.7.1
NHKの課外授業「ようこそ先輩」
嵐山光三郎「多摩の細道〜俳句で死を思う〜」に感激

紫陽花のみずみずしさはどうでしょうか。花はいうまでもなく、 葉っぱのやわらかでみずみずしい緑そのものに魅せられてしまいます。
どうして、紫陽花はこんなにみずみずしいのかと、ついそんなことを考えてしまいます。 まるで、紫陽花の花や葉っぱが茎を通じて地下水脈に直截つながっていて、 そこから水を汲み上げているかのようなのです。
そういえば、紫陽花の軸には髄があって、それは綿のようにふわふわしてるのです。 以前に弓で円板を回転させる古代の火起こしを作ったことがあります。 そのとき軸木に使ったのが紫陽花の乾燥した幹でした。 枯れた軸木を擦ると綿のような髄が粉になって火種になりやすいのです。 紫陽花にちなむ水と火の関係……。ふしぎなものですね。
最近、ひさしぶりに興味深い授業を見ました。
NHKの「課外授業ようこそ先輩」で、嵐山光三郎氏が後輩の小学生にされた授業 「多摩の細道〜俳句で死を思う〜」です。かつて「課外授業ようこそ先輩」は すばらしい内容に満ちていました。ところが、時間帯が日曜6時台に変わってから、 時間がすこし短縮されたからでしょうか、内容もその分薄味になっていると感じていました。 しかし、嵐山光三郎さんの授業は、ひさしぶりに感動させられるものでした。
それは嵐山さんの後輩、東京・国立市の国立学園小学校6年に 「俳句を通して生きること死ぬことを考え」させるという内容でした。 はじめは、すこし難しいかなと思って見ていたのですが、 後半の「追悼句をつくろう」のあたりになると、俄然死を考えるということに集中してきたのです。 俳句という伝統的な小詩形の力でしょうか。小学校6年生でありながら、 「メメント・モリ」、まさに死を思い、死を考え、そして、 生を考える授業となっていったのです。
小学生でもここまで考えることができるということはすばらしい発見でした。
筆者が勤務する高等養護学校でこれだけの授業ができるとは、思いませんが、 すこしでもこの深みに近づく努力はしなければならない、そんなふうに反省したのです。
おなじように、「死について考えよう」というメッセージを込めた 賢治劇「「銀河鉄道の夜」のことなら美しい」を舞台にかけてみたい気が しきりにしています。
それはさておき、嵐山氏の「多摩の細道」に触発されて、 わたくしも八年前に逝った母の名を詠み込んだ 追悼句をつくってみました。
紫陽花や遠つ飛鳥の日照り雨


2001.8.1
高明浅太詩集「学校はおせっかい」(関西書院)

古本屋でちょっとおもしろい詩集を見つけたので、紹介させてください。

「こだわり」
ひのまるもきみがよも
今回
あたりさわりなく
いや
きょねんも
おんなじように
みすごした
小さながっこうなもんで
小さなしょくいんしゅうだんなもんで
なみかぜたてずに
いきまひょと
うやむやのうちに
ひのまるもきみがよも
まかりとおっていく
門のところに
舞台の真正面のところに
ポールに
でかでかと
まかりとおって
でかでかでかと
おおごえでうたわれて
みんなしゅんとしている

「にぎりこぶし」
絵にかいたこどものことしか
あたまにない
絵にかいたこどもをきりぬいて
ああでもない
こうでもないと
ぎろんひゃくしゅつ
みんなみんなうまくいきそうで
おおうなずきだ
きりぬいたこどもを
いじくりたおして
あしも手も
首ももぎとってしまって
それでも
うまくいったとはくしゅかっさい
がんばりましょうと
にぎりこぶし

「がっこうにこどもはにあわない」
つくづく
がっこうに
こどもはにあわない

こどもを
こんな手ぬきコンクリートの
いれものに
おしこんで

ほら
こどもはだまらない
こどもはならばない

三十人 四十人
あそびざかりの子を
ちいさなへやに
おしこんで

ほら
こどもはむかついている
こどもはちばしっている

つくづく
がっこうに
こどもはにあわない

こうもんにつくえといすをつみあげて
げんかんのげそくばこをつみあげて
ロビーのおきがさいれをつみあげて
こどもをがっこうにいれないで

まちのあさに
こどもをかえす
まちのひるに
こどもをかえす

がっこうをもぬけのからに
すればいい
がっこうをもののけのすみかに
すればいい

そうすれば
ちょっとおもしろそうと
やってくる子もあるかも
しんないけど

「がっこうにこどもはにあわない」が、いいですね。自分も教師なのですが、 学校に子どもは似合わないという一句に、一瞬、虚をつかれたような気がしました。 小学校の現状はそこまで来ているのでしょうか?
そんなことを考えてインターネットを見ていたら、高明浅太のホームページを見つけました。 「ひるねのねごと」という名前がついていました。ねごとのわりには、 とりあげられているテーマは重いのですね。興味のある方はのぞいてみてください。
http://www02.so-net.ne.jp/~asatosi/dai4.htm 「ひるねのねごと」


2002.4.1
花だより

ねがはくは花のしたにて春しなん そのきさらぎのもちづきのころ

西行の歌です。
花の下で、春に死にたい。きさらぎ(陰暦二月)の満月のころに。
そして願いどおり、西行は、二月二十六日、晩年庵を結んだ河内の国の弘川寺で 死を迎えたのでした。
その弘川寺、大阪から奈良に抜ける水越峠手前の河南町弘川の地にあって 、わたしの家から近いということもあり、花の季節にはよく訪ねたりもするもです。
しかし、今年は残念ながら行けませんでした。行かない内に、 例年になくはやい桜の季節が過ぎようとしています。
弘川寺には、西行法師の墓があり、一度は訪ねていただきたいお寺なのですが、 普段は訪れる人もすくないようです。それでも、西行の歌に誘われてか、 花の季節はにぎわいます。だから、桜の追っかけを自認する わたしとしては見逃せない場所なのです。
わたしの散策コースにある近つ飛鳥博物館や、 そのまわりの古墳公園にも桜の木が植わっていて、 その木が成長してようやくにぎわいを見せるようになってきたのです。 古墳めぐりのコースにも所々に山桜などがあって、趣を添えています。 古墳と桜という組み合わせがいいのかもしれません。古墳の闇と桜の光、 この取り合わせが絶妙とも言えます。時間があると散策にでかけるのです。
桜の花にたいするあこがれをこんなにつよく持つようになったのは いつごろからでしょうか。若いころは、そんなではなかったのです。 それがいつごろからか、季節になるとこころの底から桜を見たいと思うようになりました。
何がそんなに自分を駆り立てるのかはわからないのですが。

花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に

ながめている間にわが身を時間が通過していく。この小野小町の歌に 歌われる時間感覚は痛烈で、身につまされます。「いたづらに」うつろうのは花の色であり、 またわが身をつらぬく時間なのです。こんなに敏感な時間への感受性を、 むかしの人は持っていたのでしょうか。
現代人のわれわれは、忙しい忙しいと言いつつ、時間の経過を感じるのはせいぜいが一年の経過 、たとえば教師であるわたしとしては、生徒たちが卒業していく、といったことによって 一年の経過を感じ取るといったところがせいぜいです。
花の色は移りにけるなと、つまり花の色にことよせて、時間よ止まれと命じることはできません。 時間のはかなさがあって、わが身がいとおしいのであり、それゆえに花はこんなにも美しく 感じられるのだと、そういうことでしょうか。

ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも

上田三四二吉野行で詠んだ「花信」のなかの一首。
桜の美しさは、樹を見上げたとき、花を透き通してふりそそぐ淡い光、かすかに 桜の色合いをおびた光のうつくしさにあると思います。その淡さが何かを思わせるようです。 考えてみると、紅葉の美しさも、たなびくような紅葉を通過してくる光の微妙さに あるように思われるのです。
その光の微妙さが、何かを思わせる。はるかな思いに誘う。
桜の花が空からの光を濾過して、ほんのりと桜色を帯びた光だけを通している。 その桜の花びらが散るとき、まるで光を引くようなあんばいで、 ひらひらとかずかぎりないはなびらが吉野の谷に散ってゆく、というのでしょうか。
何度も読んでいると、ある瞬間、ちる花は、まるでいきとし生けるもののような 気がしてきます。生けるものが光をひいて散っていく、そんなイメージが浮かんでくるのです。
そんなふうにして見比べていると、上の二首は、同じような内容を詠んでいるようにも 思えますね。時間の流れに浮かんで流れていく生命のあわれさ、はかなさ、あやうさ、 それゆえのうつくしさ、わたしもまたそういったことを無意識のうちに感じて、 桜の追っかけをするようになったのかなと考えさせられてしまったのでした。
デジカメを買いました。もう少ししたらここに、たとえば弘川寺、 あるいは近つ飛鳥博物館の桜の写真を添えられるかもしれません。いま、準備中です。


2002.8.1
竹山広の短歌

「短歌」(角川書店)8月号が竹山広特集をしています。 竹山広は、最近「迢空賞」を受賞した歌人です。 自選百首につぎのような歌があります。

一分ときめてぬか俯す黙祷の「終り」といへばみな終るなり

一分の黙祷はまこと一分かよしなきことを深くうたがふ

もうすぐはじまる高校野球。その甲子園球場で八月十五日正午きっかりに、 プレイを中断して行われる黙祷、一年にたった一分の祈り、 上の二首は、その黙祷に違和感をあらわしているのです。何にたいする違和感なのでしょうか。 黙祷のありようにたいしてなか、あるいは、 その背景にある現代という時代にたいしてなのでしょうか。
違和感を持つののは、もちろん竹山広氏です。大正九年生まれだから もう八十歳を超えています。その竹山氏が、黙祷に違和感をあらわしているのです。 そのことを考えてみたいのです。
もちろん歌にある黙祷は甲子園での黙祷ではありません。 竹山広氏は長崎で被爆しているということを考えると、ここでいう黙祷は、 原爆記念日のそれをさしていると考えるのが妥当な気がします。そこでおこなわれる黙祷に、 違和感を感じているようなのです。違和感はねじれのようなものでしょうか。 過去と現代の感覚のねじれ。
だから、とりあえずは過去から確かめてみるしかありません。 被爆から三十五年をおいて竹山氏のよって歌い出された被爆のようすはつぎのようなものでした。

傷軽きを頼られてこころ慄(ふる)ふのみ松山燃ゆ山里燃る浦上天主堂燃ゆ
松山も山里も長崎の地名。

まぶた閉ざしやりたる兄をかたはらに兄が残しし粥をすすりき
竹山は兄を亡くしているのです。

橋下に死してひしめくひとりひとり面おこし見てうち捨てゆきし
死屍いくつうち起こし見て瓦礫より立つ陽炎に入りてゆきたり
肉親を捜して、ひとりひとり顔をおこして見ては、そのまま打ち捨てて、 かげろうの中に消えていく人たち。

積みあげし死体に移りゆかむ火をふたところより人はつけしか
人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきしてのひら
被爆の細部を見ていたたしかな目。

この坂のここにこときれゆきたりしひとつの顔をのがれつづけつ
死の前の水わが手より飲みしこと飲ましめしことひとつかがやく
死者の記憶はいまにいたるも生きているようなのです。

おそろしきことぞ思ほゆ原爆ののちなほわれに戦意ありにき
被爆の後もなお、戦意があったと。

被爆時の記憶さえ妻と相たがふ三十五年念念の生
妻は妻の灯に安らへよわが点す灯はみづからに降りゆかむため
竹山広氏は、被爆の歌を三十五年たってから発表しはじめたのです。 その間、彼の心の中で醸されていたものはなんだったのでしょうか。 妻の記憶と自分の記憶がちがっているという発見。そこから、妻は妻の灯、 われはわれの灯をともすしかないという見極め。 そして、現在は、どこにたたずんでいるのか。

孫よわが幼きものよこの国の喉元は熱きものを忘れき
二万発の核弾頭を積む星のゆふかがやきの中のかなかな
日本も世界もどこに向かおうとしているのか、というのです。

病み重る地球の声のきこゆると言わしめてただ神は見るたまふ
地球の病みはますます重くなる一方、どこにいますのか、 神はただ見ておられるだけ。
この歌は、たしか昨年、大岡信「折々の歌」でも取り上げられていましたので、 記憶しておられる方もおられるのではないでしょうか。
病み重る一方の地球、熱いものを忘れた日本、それが一分の黙祷への違和感の 源にあるにちがいないように思います。
被爆経験を踏まえた深い言葉がここにあります。それゆえに襟をただして、 聞き取りたい、いつもこの言葉の側に立ちたいと考えてきました。

賢治先生でも原爆の問題を扱ったことがあります (「地球でクラムボンが二度ひかったよ」)。 わたしは戦後世代であり、広島、長崎とこれといったゆかりもありません。 だから、どういうふうに原爆の問題を劇化するかはむずかしかったのです。 そこで思いついたのが、宮沢賢治が銀河鉄道で地球から五十五光年離れた駅にいて、 そこから望遠鏡で地球を覗いていて、広島、長崎の原爆のピカを見てしまうという設定でした。 地球は惑星ですから普段は光らないのですが、原爆の閃光は宇宙からも見える光だったのです。 ピカの光がその駅にくるまでに五十五年かかったということです。 だから、宮沢賢治は、そのときはじめて、被爆を知ったのです。 賢治は、昭和八年に亡くなっていますから、原爆のことは知らずに銀河鉄道の旅に 旅立っていったのです。その賢治に、五十五年かかって、被爆の光景が届いたのです。 賢治のところに、被爆から五十五年たった今、被爆の今がやっと届いたのです。
その状況は、現代の子どもたちが、原爆の話をきくという体験をする、そのことの比喩です。 例えば、語り部の人の話を聞く。それは被爆の日を現在のこととして、現前させるわけです。 それは、原爆の光景が五十五年かかって子どもたちの心にいまとどいたという状況と 言えなくはないと思います。そんなかたちでしか、いまの子どもたちは原爆を 体験することができないのではないでしょうか。想像力を精いっぱい働かせたとしても、 それがもっとも良心的な現代っ子の「被爆体験」のような気がしたのです。 それが「地球でクラムボンが二度ひかったよ」という劇を書いた理由です。

「地球でクラムボンが二度ひかったよ」の思いつきなど吹き飛ばしてしまうかのように、 竹山氏の短歌は、 事実としてのすごさをもってわたしに 迫ってきたのです。被爆から三十五年、竹山氏の心の中で、発酵していた被爆体験は、 観念ではなく、一つ一つの事実の手触りをもって、自ずから立ち上がるように、 歌となって立ち上がってきたようなのです。上で見ていただいたように、 それらは、決して難解な歌ではありません。一人でも多くの人にその歌が読まれることを願って、 簡単にですが、自分なりの紹介をさせていただきました。
追伸
ちょうどこの「うずのしゅげ通信」を書きあげたつぎの朝、偶然、 「天声人語」(2002.7.30)に 竹山さんのことばが取り上げられていました。
「最近のことばから。
『戦争中、私たちは勝った勝ったと喜んでいた。戦争賛美の歌など二度と作りたくない。 その裏返しに、平和賛美だけの歌も絶対に作らないぞと思いますね』と語るのは 短歌の賞をトリプル受賞した竹山広さん。」
竹山さんは、いつのまにか短歌の賞をトリプル受賞していたのでした。


「うずのしゅげ通信」 バックナンバー

2002年 12月号 よさこいピック(高知)、 「イーハトーブへ、ようこそ」改訂版、 SS「賢治先生御用達、出前プラネタリウム」
2002年 11月号 「抱きしめたい」賛、 祭りのあと、 チャップリンは手話を?
2002年 10月号 「ホームレス、賢治先生」(続)、 「アートママ」賛歌、 SS「小惑星が地球に?」(続)
2002年 9月号 「ホームレス、賢治先生」、虫、二題、 SS「小惑星が地球に?」
2002年 8月号 竹山広の短歌、性教育は砂糖が溶けるまで、 父の俳句
2002年 7月号 性教育「顔の美人さがタイプ」、保護者参観、 演劇の時代?
2002年 6月号 母の声、助走、性教育、 SS「百年たったら……」
2002年 5月号 総合学習に演劇を、障害者の職場、 性教育グッズ
2002年 4月号 花だより、性教育はこころの教育?、 SS「プラネタリウム」
2002年 3月号 1万アクセス、ボケとツッコミの構造(続)、 SS「訴訟」 
2002年 2月号 一人芝居「水仙の咲かない水仙月の四日」、 SS「わたしキスをしたんよ。」、「本害」? 
2002年 1月号 「音のない世界で」(続)、 SS「流星をとばして」、「これからどうなる21」 
2001年 12月号 「チャップリン」上演、 「障害者」ということば、「音のない世界で」 
2001年 11月号 誰が、誰を励ますの?、本人たちの劇を、 沖縄への修学旅行が中止
2001年 10月号 畑山博さん追悼、「モダン・タイムス」、 糸井重里「インターネット的」
2001年 9月号 養護学校の教科書 、YAHOOで本を、 時間の化石
2001年 8月号 あかちゃんはおしりから?、 高明浅太詩集「学校はおせっかい」、 遺品の中に「軍人勅諭」
2001年 7月号 嵐山光三郎「多摩の細道」、 近代家族と障害者の性、 科学の進歩はもうたくさん
2001年 6月号 大江健三郎の定義集、まど・みちお、 「性教育に人形劇を」LIVE
2001年 5月号 原爆を板にのせる、井上陽水はすごい、 賢治劇は星座?
2001年 4月号 HRで「吉本新喜劇」、アイボが我が家に、 知的障害児の高校進学
2001年 3月号 「Access denied」、 生徒のお笑いのレベル、ウォーキングのひそかな楽しみ
2001年 2月号 「地球でクラムボンが二度ひかったよ」、 性はどんなふうに話題に?、手話の記号化
2001年 1月号 新年の挨拶、賢治童話は“いじめ”でいっぱい、 山本おさむ著「どんぐりの家」
2000年 12月号 風がうれしい虔十、 養護学校は生き残れるか?、「知的障害者」という言い方
2000年 11月号 理想は高く! 高木仁三郎さん 追悼、  障害者の性
2000年 10月号 落語「銀河鉄道 青春十七切符」(続々)、 インターネット感想、十代の犯罪
2000年 9月号 性教育U、 落語「銀河鉄道 青春十七切符」(続)、歌集「椿の海」
2000年 8月号 性教育T、 落語「銀河鉄道 青春十七切符」、短歌
2000年 7月号 性教育、 「チャップリンでも流される」、映画「八日目」
2000年 6月号 演出秘話「賢治先生」、 「ざしきぼっこ」、「イーハトーブ」他
2000年 5月号 「うずのしゅげ」の小耳、演劇の癒し、 賢治は喜劇は?
2000年 4月号 障害児教育のHPを、 障害児教育にとっての「宮沢賢治」、知的障害者はなじまない
2000年 3月号 かしわ哲著「あったかさん」他
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「寅さんの『実習生、諸君!!戦後五十年だよ』」
2000年 春 準備号 短歌からの出発


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