「うずのしゅげ通信」

 2017年1月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

「人類共通の体験」

私の俳句作法

俳句

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私家版句集「風の蝶」(pdf)私俳句「ブラジルの月」(pdf)
東日本大震災について (宮沢賢治にインタビュー)
「劇」「性教育」「障害児教育」「詩歌」「手話」
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謹賀新年
旧年中は「うずのしゅげ通信」をご愛読いただき
ありがとうございました。
本年もよろしくお願いいたします。

 昨年は、これまでのように俳句に明け暮れた一
年でしたが、また体の方に思わぬ故障が見つかっ
た年でもありました。これからは一年一年を大切
に過ごしてゆきたいと思います。

頭を寄せて嬰(やや)のぞく顔初詣

皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
            2017年 元旦
2017.1.1
「人類共通の体験」

朝日新聞の読書欄(2016.12.18)につぎのような一節をみつけました。
井上都さんの「ごはんの時間 井上ひさしがいた風景」という本の書評を、 保阪正康さんが書いておられて、その中にあったのです。
井上都さんは井上ひさしの娘さんです。

「食事を通して、自らとふれあった人たちの思い出を綴(つづ)る。 父井上ひさし、母、そして夫や肉親、知己の表情や生の瞬間が巧みな筆調で描きだされる。  怒る井上ひさしがいる。たとえば『クラブハウスサンドイッチ』では、『父と暮らせば』執筆の折、 被爆者の声を懸念する著者に、 父は『原爆は人類共通の体験なんだ』と顔色を替える。」(保阪正康)

これは、すごい言葉です。
実は私も原爆をテーマにした脚本を何本か書いています。

「地球でクラムボンが二度ひかったよ」(改訂版) (高・大)
      宮沢賢治が原爆のピカを見た 〈13名〉[30分]

二人芝居 「地球でクラムボンが二度ひかったよ」 (高・大)
      宮沢賢治が原爆のピカを見た [60分]

朗読劇(一人芝居)「竃猫にも被爆手帳を」 (高・大)
        「猫の事務所」の竃猫の被爆手記 [50分]

「パンプキンが降ってきた」 (小・中)
      戦争中、模擬原爆で予行練習って、ほんとうにあったの? 〈20〜30名〉[40分]

脚本「風船爆弾」 (小・中) 〈戦後70年企画〉
      −銃後の戦争− 〈15〜25名〉[30分]

一人芝居 「水仙の咲かない水仙月の四日」 (高・大)
        三年寝太郎は核戦争を生き延びるか? [40分]

短篇戯曲「人の目、鳥の目、宇宙の目」 (高・大)
        −原爆三景− 〈7名〉[30分]

これらの脚本を書くとき、被爆者でもない自分が書いてもいいのだろうかと、いつも悩んでいました。この本の表現を借りれば、「被爆者の声を懸念」していたわけです。
だから、賢治先生が銀河鉄道から原爆の閃光を見るといった設定にしたり、竃猫を主人公にしたり、 あるいは模擬原爆の話にしたり、未来の核の冬をテーマにしたりしたり、といった 策を弄してきたのです。
しかし、井上ひさしさんの言われるように「原爆は人類共通の体験なのだ」と考えれば、そんなに 「恐れる」必要はなかったのかもしれません。
もちろん、そこに充分な配慮が必要だとしても、自分もまたその「人類共通の体験」 を受け継いでいるのだと、 そんなふうに考えればいいのだと、気がついたのです。
あらためて、井上ひさしさんから、励ましをもらったような気がしました。

補注
この本を手に入れようとあちこちの本屋で探しているのですが、 まだ見つけることができずにいます。


2017.1.1
私の俳句作法

最近俳句に打ち込んでいます。

俳句を読む機会も増えています。
俳句を読んでいるといろんな見方があるものだと感心します。 同じ季題でもいろんな切り口があって、人ぞれぞれにそのことを句に詠んでいます。
俳句の上手はいくらでもおられます。 こんな新鮮な切り口があったのかと、虚を突かれることもしばしばあります。 私には、とてもそんな句を詠む力はありません。
そこで、自分としての句に対する向かい合い方を整理しておこうと思います。
その基本になるのは、俳句も文学だということです。 この考え方は、桑原武夫の第二芸術論にも通底しています。
二つ目は、俳句は私性の文学だということです。
つまり俳句の主語は基本的に私であるということです。 もう少し広げれば、俳句は、私の辺(ほとり)を詠むという暗黙の了解があると考えているのです。
だから私は、自分の詠む俳句を私俳句と呼んでいます。
そうして、詠まれた俳句には自分の烙印がなければならないと思います。
もう少し、言い方をかえれば、俳句は日常と自分との出会いがしらに生まれる詩句である、と 考えているのです。
そんなふうにして、口を突いて出た俳句を、私は自問自答の「ボケとツッコミ」によって、 試しています。
「こんな句ができたよ」と俳句でボケると、
「ふーん、それが何の意味があるの?」と突っ込むのです。
ここで私のほとりからかけはなれたものや俳句特有の嘘をはねてしまいます。
そんなふうにして、「ボケとツッコミ」のハードルを越えたものだけが、 俳句といえるのだと考えています。
まあ、単純化して言えば、私の俳句作法はこのようなものです。
作法はともかく、俳句に出会ってよかったという思いがあります。 この歳になってもなお本気で打ち込めるものがあるというのは幸せなことではないでしょうか。


2017.1.1
俳句

〈12月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉

剥き易しとお手玉みかん呉れにけり

人をへだつる心の在り処冬の蝿

凩の一吹き古家(ふるや)を膨らます

遺影枠替へてなほ問ふ霜夜かな

芭蕉は知らず終(つひ)の西行冬の月

片口に蒸らす独り茶雪催

孫とゐて仏間に冷えし蜜柑喰ふ

隠り沼(こもりぬ)に水鳥の立つ棒の杭

寄鍋や些少の手抜き咄家も

兵たりしが遺句にはあらぬ開戦日

村の集ひに燗の薬鑵の二つ沸く

息白きものの祈りに長短(ながみじか)

煤払ひ嬰(やや)の気になる翁面

翁面煤払ふ髭黒ずみて

漱石の妻も師走の朝寝かな

男より見ての悪妻漱石忌

永らへていのち羨(とも)しき冬苺

極月の二日続きの昼の月

貧乏が話の振り出しクリスマス

はじめてのクリスマスカード子の師より

色落ちせぬかポインセチアに霧吹きて

冬の虹歩を移しても濃くならず

喪中葉書に折り返す文龍の玉

頬の痩(こ)け父に似てきし冬至風呂

茶の花が遺影の前で咲きにけり

倍生きてこの体たらく柚子の風呂

影踏みて冬のスクランブル渡りきる

枇杷の花ひとごとならぬことを聞く

(薬師寺のお身拭いの記事に)
行く年の僧お身拭ふ顔直(ひた)と見て


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