「うずのしゅげ通信」

 2017年4月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2017.4.1
時節

スウィフトの『ガリヴァー旅行記』の中にラグナグ渡航記があります。
そのラグナグでは、まれに永遠に死なない人間が生まれます。 その不死人間は幸せかというと、そうでもないようなのです。 なぜなら、彼らは不死ではありますが、不老ではないからです。 死ねないままに、老いさらばえ続けなければならないのです。 そうなるとその生き様は悲惨なものにならざるをえません。 死を与えられない苦しみは筆舌につくしがたいものであると容易に 想像することができます。

一方、わが国の良寛さんにつぎのような言葉があります。
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。 是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」
地震に際して友人を見舞った手紙の中の一節です。

『ガリヴァー旅行記』のラグナグの一章を読むと、 この良寛さんの言葉「死ぬ時節には、死ぬがよく候。」がじつに素直に腑に落ちます。
やはり死ぬにも時節というものがあるのかもしれないと思われてくるからふしぎです。 そして、その時節がくれば、死ぬのがよいようなのです。

私の卒業した高校のプールには5メートルの飛び込み台がありました。 だから、プールは結構深かったのです。
何年生の頃かはっきりしませんが、水泳授業のためにプール際に集合しました。 すると突然体育の教師が「これから飛び込みをする」と言って 男子生徒に上に上がるように促したのです。
そのあたりのことはよく覚えていないのですが、全員に強制したわけではないので、 「どうしても嫌なものはやめとけ」いったことだったのではないかと思います。
しかし、男子生徒たちはこぞって飛び込み台にあがりました。
私も、その一人でした。上から覗き込んだとき、後悔しました。 一瞬、どうしようかと心が揺れました。しかし、高校生は、見栄っ張りです。 やめるのは恥ずかしいような雰囲気がお互いを縛り付けていました。
やがて、教師に促されて飛込みがはじまったのです。もちろん立ち飛び込みです。
飛び込み台は5メートルですが、目の位置までの高さがありますから、およそ7メートル足らずです。 上から覗き込むと、飛び込んだらプールの向こう側に飛び出してしまいそうに見えます。 勇気のあるやつからか、おどけものからか一人、また一人と飛び込んでいきます。
それぞれに葛藤はあったのでしょうが、そんなことに関係なく順番が進んでゆきました。
私は、少し怖気づいていました。怖いと思いました。しかし、高校生としての見えもあります。 下から、女生徒やすでに飛び込んだものが見上げています。 いまさら、やめるとは言えません。
私が飛び込んだのは、すでに六、七割の生徒が飛び込んだあとでした。
人生で一番の思い切った決断だったように思います。
私を追い込んでいったのは、取り残される恐れでした。
最後の一人になったらどうしようという思いが私の背中を押したように思います。
空中を落ちてゆく感覚があって、水に突っ込み、目の前を泡が昇ってゆきました。
いまでも水に突っ込んだ瞬間の目の前が泡で覆われた様子が微細に浮かびます。
ほんの短い時間で、私は浮き上がってきました。そして、何事もなかったかのように ゆっくりと泳いでプールから上がってきたのでした。

最近、鮮明にこの飛び込み事件のことを思い出しました。
いまになってこの体験がどれだけ貴重なものであったかがわかります。
当時の体育の先生に感謝しなければならないと思います。
人の生死もまたこのようなものではないかと。

言わずもがなのことですが、この死ぬ時節というもの、私のようにすでに古希にちかいものの たわごとと考えていただければと思います。もっと若いものは 諦念することなく生への執着をもっていただきたいと願います。


2017.4.1
フェイスブック

〈 3月11日にフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。
今日は東日本大震災の日。

耕しや下根子桜の下ノ畑(はた)
  (『下ノ畑ニ居リマス 賢治』)

下根子桜(しもねこさくら)というのは、宮沢賢治が教師を辞めて立ち上げた私塾、 羅須地人協会(らすちじんきょうかい)のあったところの呼び名です。 彼はそこの宮沢家の別宅に住んで、畑を耕したり、村人を誘って農業技術の講習会や 音楽会などを開いていました。農民芸術概論綱要もここで講義されたものです。
畑作業をしているときには、玄関の黒板に『下ノ 畑ニ 居リマス 賢治』と白墨で書かれていました。
賢治もまた被災地を耕す一人。」


〈 3月17日にフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。

バーコードと化し病棟の遠霞

点滴の時したたらす遅日かな

春暁や導尿管のワイン色

菜の花の煮浸し載せて配膳車

春逡巡確率と云ふも病かな

検査のために検査入院していました。
検査後は、点滴と導尿管に縛られてはいたものの、無為に過ごす時間があり、俳句を推敲したり することもできました。」


2017.4.1
俳句

〈3月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉

本復の嫗仕出しに雛あられ

雛の日のエスカレーター止まりをり

いづくより遺影の前のめをとびな

   (さる旧家の女雛)
まぶた腫るる女雛いささか気にかかる

啓蟄や母似と云はれし歩の運び

けふよりの余命(よみょう)芍薬芽吹きけり

   (道明寺、試みの観音)
又の名で呼ばるる観音春うらら

耕しや下根子桜の下ノ畑(はた)
    (『下ノ畑ニ居リマス 賢治』)

陽炎の窓幸福と云ふ手話が見ゆ

活字踏むなと戒めいまに大試験

耳鳴りも春興の具やにぎはしき

初蝶や孫入学の袋もの

耕しや下根子桜の下ノ畑(はた)
 (下根子桜は地名。そこに賢治の羅須地人協会や畑がありました)

枝垂れ梅どしゃぶりの玻璃くだりけり

廻廊の声筒抜けや初燕

バーコードと化し病棟の遠霞

点滴の時したたらす遅日かな

春暁や導尿管のワイン色

菜の花の煮浸し載せて配膳車

春逡巡確率と云ふも病かな

  (かつて勤めていた養護学校)
奇声と云ふものの力や卒業式

  (道明寺)
試みの観音初音を聞きたまふ

  (亡父)
麻酔なき貫通銃創紫木蓮

  (得生寺)
亀鳴くや丈六仏は伏目にて

  (入院時手首にバーコード)
バーコードと化すたはやすさ四月馬鹿

土削る鍬の刃に韮匂ひけり

切り干しに赤かび付きし四温かな

溝浚へ賢治は農に容れられず

庭菫鎌の勢(きほ)ひに過(あやま)てり

さきがけの枝と聞きしが花莟む

  (古墳公園に謡する人のいて)
古墳(ふるづか)に初音と競ふ謡かな

過ちて合掌難き彼岸僧

  (退院して)
ふらここや身の内濯ぐごとき風



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