「うずのしゅげ通信」

 2017年5月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

漱石の閃き

フェイスブック

俳句

「うずのしゅげ通信」バックナンバー
「うずのしゅげテーマ別拾い読み」
私俳句「ブラジルの月」(pdf)私家版句集「風の蝶」(pdf)
東日本大震災について (宮沢賢治にインタビュー)
「劇」「性教育」「障害児教育」「詩歌」「手話」
ご意見、ご感想は 掲示板に、あるいは メールで。

「賢治先生がやってきた」には、 こちらからどうぞ

2017.5.1
漱石の閃き

漱石の「吾輩は猫である」が朝日新聞に連載されています。
その関連で、2017.4.1に次のような記事が載りました。
「虚子がうなった漱石の閃き
俳体詩を共作 「猫」誕生の舞台裏」
と題されています。
内容は次のようです。

〈「週刊朝日」1928(昭和3)年4月15日号に、高浜虚子が夏目漱石「吾輩は猫である」 誕生の舞台裏をつづった「「猫」の出来る前」が掲載されている。虚子は漱石に「猫」を書かせる ことになったきっかけを、「ホトトギス」誌上で共作した俳体詩「尼」にあると強調する。
この文章は「定本高浜虚子全集」に未収録でほとんど知られていなかったが、自筆原稿が東日本大震災を機に宮城県亘理町の江戸清吉コレクションで確認され注目されている。〉

ところで、上の文章にある、(虚子が漱石と)「「ホトトギス」誌上で共作した俳体詩「尼」」 というのはどのようなものなのでしょうか。その冒頭部分が記事に引用されています。

〈女郎花(おみなえし)女は尼になりにけり 虚子
弦の切れたる琴に音も無く 漱石
天蓋(てんがい)のつづれ錦の帯裁ちて 虚子
歌に読みたる砧(きぬた)もぞ打つ  漱石 〉

575に77を付けてゆく連歌のようなものなのですね。

〈虚子は「尼」を引用しつつ、「共に作りながら、漱石の狂想乱調縱(じゅうおう)奔逸収拾すべからざるものが あるのにひそかに驚いた。〉

というのです。
〈この俳体詩の「尼」で(漱石の)天才の閃きを認めた〉虚子は「ホトトギス」誌上に「吾輩は猫である」を書くように漱石に勧めたのです。

〈虚子はこれまでも俳体詩が「猫」の きっかけと書いているが、「尼」をここまで評価する証言は埋もれていた。〉

ということで、 今回、あらためて昭和3年の「週刊朝日」が見直されたというわけです。

−−そうか、俳句には閃きが必要だと虚子は考えていたのか、というのがこの記事を読んでの 私の第一印象です。
日頃、俳句は閃きだけではない、と考えて、閃きだけの俳句を疎んじてきた私としては、 無視できない証言です。
もちろん閃きは俳句の大切な要素だということは私も認めます。閃きがない俳句は、それこそ 月並み俳句、橋にも棒にもかからない凡句でしょう。
しかし、閃きだけではほんとうに心を打つような句はできないのではないでしょうか。

虚子が言う「狂想乱調縱(じゅうおう)奔逸収拾すべからざるもの」というのが意味深長です。
狂想とは「非現実的で、とりとめのない考え。」(大辞林)
乱調とは「詩歌が法則からはずれていること。」(大辞林)
奔逸とは、「自由気ままに行動をすること。」(大辞林)

すべてが閃きの要素を羅列しています。
しかし、虚子が信じていたのは、あるいはこれらの言及において踏まえていたのは、 漱石の教養、経験といったものではないでしょうか
。 それがあってこその閃き、狂想乱調縱(じゅうおう)奔逸な閃きを収拾させるものが、漱石の 経験、教養。そのことを信じていたればこその虚子のこの言葉だったように思われるのです。
だからこそ、虚子は、「ホトトギス」に「猫」を書くように慫慂したのではないでしょうか。
現実があっての狂想、正調があっての乱調、収拾があっての奔逸、漱石にはそれだけの経験、教養 があることが、虚子には当然わかっていたはずです。

文学が閃き、頭の良さだけで、勝負が決まってしまうとしたら、これほどつまらないことはありません。 そこに人生経験や、その経験を踏まえた思索があってこそ人を感動させる文学が生まれてくるのではないでしょうか。
俳句もまた文学であるというのが、私の基本的な考えとしてあります。
俳句は言葉の閃きだけのコピーではないのです。そこにしっかり作り手の考え方、人生経験が盛り込まれていなければ、 つまらないのは当然です。
ある人の句集を読んで、結局、作者の人となりも人生の片鱗もわからなかった、ということがよくあります。 これが文学と言えるのでしょうか。
現代の俳句に感じる私の不満の由って来るところは、そういうことではないかと思うのです。


2017.5.1
フェイスブック

〈 4月1日にフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。

目を合さぬ君が先頭初ざくら

聞き做(な)しの耳なきわれや花辛夷

  (昨年左腎臓摘出)
ろ過装置一つはづされ四月馬鹿

  (減塩食)
待つともなく待つ薄塩の花菜漬

近つ飛鳥古墳公園の桜も咲き始めました。
朝、近くの施設の人たちが散歩しておられます。 その集団の先頭をきっているのはいつも自閉症の青年。
ということで、今日は初桜の句。

山はまだいろの浅葱(あさぎ)や初ざくら  森澄雄

古墳公園の山も木の芽の淡い浅葱色。」


〈 4月25日にフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。

  (近つ飛鳥博物館)
銅鐸の音はこんなか亀鳴けり

  (CT検査)
息を止めてと啻(ただ)には聞けぬ薄暑かな

病変喩(たと)ふオープンサンドの春野菜

駅ナカに尻尾の切れし蜥蜴かな

近つ飛鳥博物館ロビーの図書コーナーに銅鐸の模造品が置かれています。棒も添えられていて、叩いてみると昔の音が蘇ります。
二句目、三句目、なかなか病院との縁がきれなくて、ここ半月ばかりで数度検査を受けています。薄暑は夏の季語ですが。
ということで、今日は亀鳴くの句。

亀鳴くはきこえて鑑真和上かな 森澄雄

亀鳴くということ自体が事実にそぐわないということもあり、 荒唐無稽な句が多いなか、この句には納得させるものがあるように思います。盲目の鑑真和上なればこそ亀の鳴くのが聞こえるかもしれぬということでしょうか。」


2017.5.1
俳句

〈4月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉

聞き做しの耳なきわれや花辛夷

  (昨年左腎臓摘出)
ろ過装置一つはづされ四月馬鹿

  (減塩食)
待つともなく待つ薄塩の花菜漬

初ざくら妻は日傘をさし始む

剃り残しの髭そつてゆく花の山

己(し)が寿命知らず桜の寿命云ふ

  (義兄)
待つとなく病棟に待つ初ざくら

花三分見上げて探す昼の月

蝦夷塚にほど遠からず花辛夷

車椅子の犬も菜の花隠れかな

後ろ向きの試歩にたんぽぽ遠ざかる

阿修羅より掻き出す粘土山笑ふ

高貴寺にほど遠からぬ蕨の巣

われも兄逝きし子も兄初蕨

寝たきりの若きを押して花菜道

春愁や大江を読まぬ五、六年

春暁の看護師に見すバーコード

背伸びしてお練り供養や草の餅

花衣染井吉野の寿命など

亀鳴くと丈六仏の伏目かな

ふらここや身の内濯ぐごとき風

切岸の草戦がせて春日傘

包みにくき縮の袱紗春愁ひ

河内野に頭(づ)大き仏葱坊主

たんぽぽの軸で持つしかなき絮毛

旅装解く花の波紋の道を来て

木の股にででむし山椒枯れにけり

鶯の声にも豊満あるごとし

チューリップ折り紙名人肘枕

  (聖徳太子御廟のある叡福寺)
揚雲雀太子の寺は阿らず

山椒の枯るれば去年(こぞ)の木の芽和

黒革のチェロ立ちて春のエレベーター

   (弘川寺にて)
西行の谷駆けくだる花の風

たんぽぽの絮呆けては重なるも

チューリップ手折るに妻は躊躇はず

  (近つ飛鳥博物館)
銅鐸の音はこんなか亀鳴けり

  (CT検査)
息を止めてと啻(ただ)には聞けぬ薄暑かな

病変喩ふオープンサンドの春野菜

駅ナカに尻尾の切れし蜥蜴かな


「うずのしゅげ通信」バックナンバー

メニュー画面に