「うずのしゅげ通信」

 2017年7月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2017.7.1
「ぼくたちはざしきぼっこ」の上演

「この劇は1999年秋の文化祭で、(高等養護3年生50人ばかりで)上演しました。
この劇の発想のもとには、生徒たちはそれぞれの家の「ざしきぼっこ」なのではないか、 という考えがあります。
ざしきぼっこ役ははじめから狙いを付けていた生徒がいました。 声が大きく台詞も力強く言えるので、彼ならと期待していたのです。 だから彼が自分から名乗り出てくれたときは、ありがたかったのです。
彼は理解力もあり、記憶力もそこそこで、ざしきぼっこ役は彼しかいませんでした。 しかし、彼の記憶力は奇妙なものでした。日常の理解力や記憶からは想像できないことなのですが、 三年経ってもまだ名前を覚えていない教師がいるといった奇妙さなのです。 担任の名前は確かに覚えていますが、わたしはどうだったでしょうか。
しかし、彼はまじめに取り組んでくれました。 彼がみんなをひっぱっているというのが演出に付き合ってくれた教師の感想でした。 それでも四十あまりの台詞は覚えきれませんでした。 練習の終盤、彼にはそれがかなりプレッシャーになってきたように思えました。 ざしきぼっこはほうきを持っていました。 それでそのほうきにカンニングペーパーを張り付けることにしました。 彼はそれをお守り代わりに、まあ、時々はちらちらと盗み見ながら本番を乗り切ったのです。 もちろん客席からそれが見えていたことはいうまでもありません。 しかし、そんなことはなんでもないことでした。 彼は努力のかいあって充分に賞賛にあたいする成果をあげたのでした。
劇の終わり近くで、賢治先生の一行が去っていくとき、「あっ、夜だ。」という生徒の台詞で、 背景の絵がめくれて、夜空に変わる仕掛けがしてありました。 「たちまち夜になった。」というのがつぎの台詞でした。
予行のときはうまくいったのに、本番では背景を支えていた紐が、 背景をつるすポールのワイヤーにひっかかってめくれかけたまま止まってしまったのです。 わたしはフットライトの操作で舞台の前にいて指示を出したりしていたのですが 、そのときは頭の中が一瞬真っ白になりました。生徒はバックの背景を指さしたまま固まっています。 さすがにつぎの台詞を言いませんでした。台詞をつないで次に行くか、すこし待つか、 わたしの頭はフル回転していました。背景が斜めにすこしめくれかけたままもがいていました。 舞台そでで教師が必死に努力している様子が見えるようでした。しばらく待ちました。 背景がすこしずれました。脈がある。もうすこし待ちました。するとするっとめくれて、 するすると背景が変わっていきました。客席から「ほー」という声がもれ、 拍手がわき起こりました。星に銀紙をはりつけた背景のみごとさへの驚きもあったのでしょう、 やっとめくれたという安堵と、その努力にたいする応援の気持ちも含まれていたかもしれません。 客席は味方していてくれました。わたしは、そう感じてほのぼのした気持ちになったのです。 担当の教師は、うちあげのとき、必死でもがいていた様を打ち明けてくれました。大笑いでした。

後半、ざしきぼっこの地球脱出を阻止すべく、 つぎつぎにアニメの人物やら水戸黄門などやら登場します。 これは生徒の希望によるものです。
劇の脚本を書き始める前に生徒を集めて希望を聞いたのです。
「吉本新喜劇」「ドラえもん」「水戸黄門」「恋愛もの」……
これはむずかしい、と思いました。落語の三題話以上の難題でした。それで、 これらの人物がつぎつぎに登場する場面を考えたのです。狂言の「唐人相撲」が念頭にありました。 そもそもこの劇自体が狂言仕立てになっているのは、読めば分かっていただけると思います。
吉本新喜劇のパチパチパンチの島木の役を割り振った生徒が昼休みに 「ぼく、いやや」とねじ込んできました。話し合いをして、裸にはさせない、 という条件で折り合いがついたのですが、ひごろのひょうきんさに似ず 彼の演技は最後まで恥ずかしさをふっきれなかったようです。
古畑仁三郎の生徒もそうでした。そもそも古畑を登場させようと考えたのは、 彼が昼休みの時間、僕が副担をしている教室に来て、 彼の好きな女生徒の前で古畑のものまねをしたのです。それがあまりに上手だったので、 「文化祭の劇でそれやってみるか?肝心のときになって逃げないかな」 と念をおして役を作ったのでした。 しかし、本番ではそのものまねがいつもの彫りの深さを発揮できていなくて、 口先だけのものになっていたのは残念でした。
チャーリー浜を演じた生徒は、ぼやき漫才が得意といった生徒で、 ギャグをいろいろ考えてきて、練習では笑いの渦だったのです。実際に採用したギャグも、 どこかから採ってきたのか、自分で考えたのか、よくできていたと思います。
ドラゴンボールの孫悟空が登場してカメハメ波を発射する場面があります。 カメハメ波は空気砲を想定していました。空気砲をご存知ですか? 段ボール箱に十数センチの穴を開けておいて、その箱の中を煙で充たして、 両側からぼんとたたくとドーナツ型の煙が飛び出てくるのです。空気だけなら、 見えない空気のドーナツが飛んでいくわけです。煙なら煙のドーナツが飛び出て来るのです。 夏休みに家でドライアイスの煙を使って実験をしてみました。 数メートルならドーナツ弾は充分に飛ぶのですが、はたしてそれが客席から見えるかどうか。 その手のことが好きな教師に相談したところ、煙を出す方法をいろいろ工夫してくれました。 実験もしてくれたようでした。予行のときは、煙玉のゴルフボールを使ってやってみました。 コンとたたくと煙がでてくるやつです。コンペの開会式とかで使うものらしいのです。 ゴルフクラブで打つと煙を出しながら飛んでいくという仕掛けになっています。 舞台袖で教師がゴルフボールをトンカチでコンとたたいて、 生徒が持つ段ボール箱に放り込む手はずでした。しかし、それが、片方は発火したが、 もう一方は発火しなかったらしいのです。空気砲の闘いは成立しませんでした。それに、 煙が薄くて空気砲のドーナツ玉ははっきり見えなかったのです。失敗でした。 そのわりには煙たくて、舞台のあちこちで生徒たちが咳込んだだけでした。 しかたなく本番では筒状のクラッカーを買ってきて、ボンというふうに紙テープを飛ばしたのでした。 金糸、銀糸がパッと散ったわけです。
生徒が突然の破裂音にかなり驚いていたのは言うまでもありません。

劇中では、井上陽水の「傘がない」、それにオリジナル曲の「賢治先生はふしぎな先生」「ぼくたちはざしきぼっこ」の3曲が歌われます。
「賢治先生はふしぎな先生」は、「賢治先生がやってきた」のテーマ曲です。 こんども作曲は同僚のY.I.さんにお願いしました。 「思いっきり演歌調でいきましょう」というY.I.さんのことば通り、 できあがってきた「ぼくたちはざしきぼっこ」は、ユーモラスな演歌そのもの。 演歌振りが得意な生徒もいて、その生徒を中心に本番では振り付けも しておおいにもりあがったのでした。」

【追伸】
この「ぼくたちはざしきぼっこ」は、以後何度か上演されています。
上演のビデオをいただいた学校もあり、生徒の感想を送ってもらった学校もあります。
しかし、それらを掲載することはできません。それで、自分の演出したときの経験を再録することに しました。
今読み返してみると、 吉本新喜劇の場面などは、内容を改定する必要があると感じました。 しかし、この脚本の基本的な枠組みは、いまでも十分通用すると思います。
また、どこかで上演していただけたらと願っています。


2017.7.1
フェイスブック

〈6月28日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

河内野に狐火絶えてほうたる

蛍か蛇か竹箒もて汀(みぎわ)掃く

ほうたるの流れに落ちて瞬(まじろ)がず

竹箒みぎはの蛍搦めたる

蛍這はせ半跏思惟の指となる

ほうたるやたましひ二十一グラム

幽明を越ゆるとすればほうたる

ほうたるを見たと云ふ妻問ひ詰めず


今日は雨に降り籠められて、蛍の句を詠んでみました。
二句から四句。子どもの頃の蛍狩りを思い出して。
蛍狩りの道具は竹箒でした。溝川の草や石垣に光っているものを見つけると竹箒で掃き落とします。 流れに落ちたものが蛍であると見極めれば竹箒に搦めてすくい取るのです。 子どもの頃のことですから蛍狩りそのものの風情などわかりません。 ただ夕暮れが待ち遠しかったことは覚えていますから、楽しかったにちがいありません。 そんなふうにして採ってきた蛍を蚊帳の中に放したりしたこともあります。
四句目以下は、昨年から今年にかけての蛍を詠んだ句を集めてみました。
六句目、以前魂の重さを測ると称して実験がなされたことがあります。
ということで、今日は蛍の句。

蛍臭き手をほうたるの水に浸く  加古宗也



2017.7.1
俳句

〈6月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉

短夜や湯呑みを水に寝かせ置き

水やれば土浴ぶる蟇跳び出せり

走り梅雨寝耳に注ぐ雨の音

   (風土記の丘、一須賀古墳群)
古塚の百基に響く牛蛙

   (逝きし人に)
天の川果つる地に果つあはれとも

ほうたるを見たと云ふ妻問ひ詰めず

幽明を越ゆるとすればほうたる

短夜の湯呑みを水に横たふる

ヒロシマにまず生え初めし十薬と

走り梅雨寝耳に注ぐ雨の音

蝸牛色鉛筆の糞をする

  (弘川寺にて)
緑蔭の西行墓標八百年遠忌(おんき)

時の日や露子がドンを聞きし寺内町(まち)

王陵の谷に水張る植田かな

玉音の正午睡蓮閉ぢはじむ

地に下ろす種にも厭地梅雨旱

丸き鍵盤あれば紫陽花のかたち

川筋を遡行する風合歓の花

捨て臼の穴に十薬ひしめける

噴水も衰ふるもの影薄し

蛍這はせ半跏思惟の指となる

玉虫や金の耳輪の出でし塚

声漏るるほどの悔いありえごの花

わが弓手(ゆんで)棘深々と夏薊

夏薊指紋に棘の血が滲む

翁面笑ひてをりぬ昼寝覚

癇性の雷鳴に雨降りはぢむ

老鶯のふくらとなりて声の艶

蝸牛山椒の棘も苦にならず

緑蔭に犬の遺骨を持ち来たり

  (近つ飛鳥博物館の玄関)
安藤建築にも燕の巣打ちっぱなし

枇杷の如き尻突き出して燕の子

河内野に狐火絶えてほうたる

蛍か蛇か竹箒もて汀掃く

ほうたるの流れに落ちて瞬(まじろ)がず

竹箒みぎはの蛍搦めたる

蛍這はせ半跏思惟の指となる

ほうたるやたましひ二十一グラム

幽明を越ゆるとすればほうたる

ほうたるを見たと云ふ妻問ひ詰めず

  (柿古木を伐る)
白雨やみて柿の年輪幽かなり

  (得生寺にて)
丈六の脇侍は名のみ涼しけれ

不機嫌は隠しおほせず牛蛙

切岸のひと日遅れて滴れる

正客になれないままに窓守宮(やもり)



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