「うずのしゅげ通信」
2017年8月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2017.8.1
「ぼくたちに赤紙が来た」の上演
「ぼくたちに赤紙が来た」という劇は2005.10月、私が当時勤務していた高等養護学校
の文化祭で上演しました。
そのときの上演記録です。
「今年の文化祭で上演した「ぼくたちに赤紙が来た」をホームページに載せました。
私が勤務する学校が創立30周年をむかえたということもあって、
その時代に行って先輩に自分が抱えている悩みについて意見を聞くという筋を考えたのです。
生徒たちから「菊次郎とさき」(当時放映されていたビートたけしのテレビドラマ)とか、
蛇踊りをやりたいという希望があったのでそれらの意見も部分
採用することにしました。
しかし、先月号の「うずのしゅげ通信」にも書きましたが、
まずは、時間を遡るということのリアリティーをどういうふうに確保するか
というむずかしさがあります。小説やドラマ、劇などでタイムマシーンを登場させたものは、
だいたいにおいてリアリティーに欠けているように思うのです。
上演するときのわかりやすさということもあります。むずかしい理屈では、
観客を納得させることはできません。
それで、タイムトンネルを採用することにしました。タイムマシーンよりも
タイムトンネルの方が単純なだけわかりやすいはずです。
しかし、タイムトンネルの存在は、あるものはあるのだと
強行に主張するとして、
では、どうしてタイムトンネルの現在の入口を発見するか、そこがむずかしいところです。
それで、昔に住んでいるざしきジィジィからの伝言を携えたカメが現れる出口、それが
タイムトンネルの入口であるという
仕掛けを考えました。
そこで、生徒から希望が出ていた蛇踊りの案が浮かび上がってきました。
どういう脈絡かは分からないのですが、蛇踊りをしたいという希望もあったのです。そうなると
生徒たちを乗せて時間のトンネルと通っていく乗り物として、
猫バスならぬ蛇バスというものを考えざるをえなくなってきます。そして、つてをたよって、
蛇踊りの胴体も、どこかの神社から払い下げられた練習用のものを借りることができて、
迫力を添えることができたのです(一緒に借りてきた蛇の頭は養護学校で作ったものらしいです)。
昔に行くからには、戦争の時代に戻りたいものです。しかし、生徒たちはもちろん、
生徒の親もまた戦争をしらない世代です。いまや、戦争を演じることの困難は
言うまでもありません。それで、戦争の時代は、あっさりと通り過ぎることにしました。
ということで、劇のテーマとしては、戦争の時代に触れて平和の意味を考えるということと、
もう一つ、時間を遡るというそもそもの発想をもたらした生徒の悩み、
その悩みに関連した障害の受容ということに落ち着きました。
しかし、この受容というのは養護学校に勤めてきた経験から言っても、
なかなか一筋縄ではいかないむずかしいテーマなのです。
二場の教室の場面でタイムマシーンの話題が出て、そこでたけしがつぎのように自分の悩みを
賢治先生に打ち明けます。
たけし ぼくは、むかしの生徒に聞いてみたいことがあります。
賢治先生 どんなことを聞きたいのかな。
たけし ぼくはよくわからないんです。この学校に入学してもう一年もたつのに、
まだそれでよかったのかどうか決められないんです。
賢治先生 まだ、悩んでいるのかい。
たけし 自分でもよくわからないんです。
……だから、30年前の先輩に聞いてみたいんです。「この学校に入学してよかったですか?」、
「そんなことで悩んだことはないですか?」って、タイムマシーンで行って聞いてみたいんです。
そんな悩みを抱えたたけしは学校が創設された頃の生徒たちに会って、自分の悩みをぶつけてみます。
最後にたけしは、現代にもどってきて、つぎのような確信にいたります。
たけし この学校に入ってよかったかどうかはわからないけれど、友だちもできたし、
楽しい思い出もあるし、卒業してから後悔しないようにがんばっていこうと思ってるんだ。
そんな結論でいいのかどうかは、私にもわかりません。生徒たちは自分自身で悩んだり考えて、
克服していくしかない問題だと思います。
劇の反省会で生徒たちと、このテーマについて話し合いをしました。
やはり養護学校に入学するに当たっては、生徒たちも悩んだようです。四十人ばかりの内、
二十七、八人もが悩んだと挙手して、私を驚かせました。もちろん悩みの内実はいろいろあるに
ちがいありません。中学生がどこの高校に進学しようかと悩む、
それと似通った進路の悩みもあったでしょうが、
また、個々によっては障害受容といったむずかしい問題を孕んだ、単なる進学の悩みとは違った、
深い悩みや苦しみもあったにちがいないのです。それは子どもだけではなく当然のことに親もまた
悩んでいて、生徒たちからはそういった家族の内輪話も出ていました。
対応によっては持て余すほど危ない発言も当然のように飛び出してきたのです。
しかし今回は、そういったことにはあまり拘らないで、
受け流すようにして話し合いを進めたのでした。
また、残念なことは、入学してもう一年半もたっているのに、
入学したことを後悔しているという生徒が数人もいたことです。
しかし、それは、入学するにあたっての悩み迷いがいまだに持続していると
受け止めたいと思います。
障害受容ということに関しては、私のスタンスとしては、突き放すようですが、
本人が、苦しくても、なんとかしてちょっとずつでも受け入れていくしかないと思っています。
本人が納得するしかない問題だからです。周りのものができることは、
彼の歩みをねばり強く見守り、場合によっては何らかの援助をするといった
ことくらいしかないのではないでしょうか。」
〈追伸〉
今読み返してみて、こんな深い思いをこめた劇を養護学校高等部でしていたのかと、あらためて
思い出を反芻しています。
興味のある方は、メニューから「ぼくたちに赤紙が来た」を探して、ご覧いただけたらと
思います。
2017.8.1
フェイスブック
〈7月26日にフェイスブックに投稿した少文です。〉
「今日の拙句です。
風鈴や良寛の身のまかせやう
父の亡き部屋の風鈴翁面
向日葵や卑弥呼の鏡百余枚
菊挿すや父晩年の花鋏
(津久井やまゆり園事件一周忌)
山百合ヤ名ハ享年ノミ黙祷ス
昨日、菊の花をいただきました。そこに菊の軸木も添えられてあり「挿し木にどうぞ」と認めてあったので、さっそく挿してみました。
五句目、津久井やまゆり園事件から今日で一年。黙祷するしかありません。
ということで、今日は風鈴の句。
風鈴の短冊の句が賢すぎ 後藤比奈夫
さて、賢すぎる句とはどんな句なのでしょうか。」
〈追伸〉
津久井やまゆり園事件については、いまのところこの句を捧げるのみです。
考えなければならないことがいろいろあって、自分なりに思いを整理することができません。
また、ご意見をおきかせください。
2017.8.1
俳句
〈7月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉
(得生寺薬師如来)
初蝉や耳に金泥のこりをり
あとしざる蝉は退路を断たるるも
(海老蔵さんと勸玄くんの宙乗り)
初蝉やけふ宙乗りの高み得て
こしょれ地蔵のこしょれは腰折れひめじょおん
(近つ飛鳥博物館特別展)
古鏡五面睡蓮のごと伏せてあり
川筋を遡行する風合歓の花
癇性の雷鳴に雨降りはぢむ
(叡福寺)
一遍の訪ひし寺道をしへ
サシで聴く河内音頭や缶ビール
(安江不空)
羅や不空の軸に折り目あり
噴水も老いて阪急三番街
塀越しに鬨(とき)の声あり凌霄花
ひぐらしやつくづくひとの死の序(ついで)
(劉暁波氏死去)
遺灰と声いづれ懼るる初蜩
初蜩父母の声忘れ果つ
(近つ飛鳥風土記の丘)
かなかなや深山(みやま)に古墳暴かるる
かなかなや吐息の壺は幼にも
(近つ飛鳥博物館)
端居して展示古鏡のジグソウパズル
妻がまず立ち止まりたる草いきれ
墓石に数珠かさねおき遠蜩
残生はひぐらしの道逝くばかり
麦藁帽子昼の星座に仮寝かな
刃こぼれの鎌の手触り夏の月
夏回廊遊び心の杖の音
風鈴や良寛の身のまかせやう
父の亡き部屋の風鈴翁面
向日葵や卑弥呼の鏡百余枚
菊挿すや父晩年の花鋏
(津久井やまゆり園事件一周忌)
山百合ヤ名ハ享年ノミ黙祷ス
庭よぎる蝶の道あり涼しけれ
窓越しに蜜柑の花の夜の香り
手花火や仏像の爪幼爪
こんな句じゃないと風鈴扇ぎをり
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