「うずのしゅげ通信」

 2017年9月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

『地球でクラムボンが二度ひかったよ』の俳句

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2017.9.1
『地球でクラムボンが二度ひかったよ』の俳句

ヒロシマの原爆忌の前日、八月五日にフェイスブックに投稿したものです。

「今日の拙句です。

  (拝啓宮沢賢治様)

銀河鉄道の窓からピカを見ましたか?

教師をしていた頃、私は劇にのめり込んでいました。
自分で脚本を書いて養護学校の生徒たちと上演していたのです。
そのころ書いたものの中に『地球でクラムボンが二度ひかったよ』という脚本があります。
原爆をテーマにしたもので最初から高校演劇での上演を想定していました。
宮沢賢治は1933年に亡くなっていますから太平洋戦争のことも原爆のことも知りませんでした。 その賢治が原爆のことを知ったらどのように考えるだろうというのがこの劇で 考えてみたかったことです。そのためにはどういう条件が整えばいいのかを考えました。 そしてつぎのような設定にしました。
賢治が銀河鉄道の車掌をしていて、地球から72光年離れた銀河鉄道の駅にある望遠鏡で (あの百円望遠鏡です)、地球を眺めていたと想定します。
賢治が望遠鏡を覗いた瞬間、地球の日本のあたりがピカと光ります。 地球は惑星ですから暗いはずです。その地球が光を発したのです。 原爆が投下されたのは、1945年の8月6日です。その原爆の閃光が72年かけて、 地球から72光年離れたこの銀河鉄道の駅に今日のいま達したのです。
何の閃光だろうと賢治は考えます。
それがドタバタ劇のはじまりです。
この劇はこれまでに二回、高校の演劇部によって上演されています。
ということで、今日の句が生まれました。」

追伸
上の文章にある『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、メニュー画面で見ることができます。
この劇には、二つのバージョンがあります。まず、最初に書いたのは二人芝居 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』です。もう一つは、『地球でクラムボンが二度ひかったよ』 (改訂版)で、数人で演じる普通の芝居に書き直して、内容も少し分かりやすくしました。
興味のある方はご一読ください。


2017.9.1
フェイスブック


〈8月21日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

(広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像、霊宝殿のあまりに暗ければ)
月白の暗きに半跏思惟仏

月白の月待つ心弥勒仏

辺りして半跏思惟の月の客

五十余像を統べて半跏の月のゑみ

月白に邪鬼も清むるゑまひ仏

月白に深手いたまし千手観音

京都に用事があり、その傍ら、昨日は永観堂、今日は広隆寺を訪いました。
ということで、今日は広隆寺で詠んだ句です。霊宝殿には五十数体の仏像が展示されています。そのなかでも特に目を引くのが、二体の弥勒菩薩半跏思惟像です。
ということで、広隆寺を詠んだ句を探してみました。
たまたま書棚にあった「地名俳句歳時記」(六 近畿T 滋賀 京都)に次の句が見つかりました。

花粉にあらぬ灯を浴び冷えゐん弥勒像  磯貝碧蹄館」

追伸
「月白(つきしろ)」というのは、月が出てくる前に少し明るくなることで、秋の季語です。

〈8月23日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

永観堂 五句
 (水琴窟に異国の人々群がりて)
耳集ふ水琴窟の秋暑かな

 (素足で歩く異国の若者)

秋の素足や頭上注意の階(きざはし)に

金の耳見返り阿弥陀の逝く花野

 (夕べに供華を換へて)

竜胆を宵の阿弥陀に挿し換へて

廻廊に秋暑の鯉の動かざる

引き続き京都の句です。一昨日は太秦の広隆寺、今日は永観堂を詠んだものです。 永観堂(禅林寺)といえば見返り阿弥陀と紅葉ですが、私が訪ねたのは八月二十日、 当然のことにもみじはまだ青々としていました。見返り阿弥陀を拝観しましたが、 本堂にも外国の方の多いのには驚かされました。
二句目、見返り阿弥陀さま、正面から見ると耳が際立って輝いておられます。
四句目、拝観したのは夕刻でしたが、供華を換えておられました。
ということで、今日は永観堂を詠んだ句。引用は一昨日と同じ 「地名俳句歳時記」(六 近畿T 滋賀 京都)。

歩きては憩ひては水の若楓  渡辺水巴

これは夏の句ですが。」


〈8月27日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

 (読経を早回しする僧)
早回すつくつく法師の有り難み

数となる死の軽々し蛍籠

 (広隆寺霊宝殿のあまりに暗ければ)
夏帽子取り月白(つきしろ)の半跏像

 (広隆寺霊宝殿の前の池に蓮の実)
仰向けの邪鬼も哀れやはちすの実

 (永観堂 見返り阿弥陀)
金の耳ひたと拝みぬ晩夏光

八月も終わりということで、今日は句の棚ざらい。
一句目、以前に墓苑で読経の僧が早回しするのを聞いたことがあります。それはみごとでしたが、 ありがたみはなく……。法師蝉も早回しをすることがあるように思うのですが。
三句目からは、先日の京都の句の詠み直しと新たな句。
言うまでもありませんが、二句の蛍籠、三句の夏帽子、五句の晩夏光などは夏の季語。
ということで、今日は法師蝉の句。

法師蝉こと穏やかに運びをり  星野立子

星野立子の句は、自分に寄り添った詠み様で、私の好みに合っています。この句の「こと」は、何の事なのでしょうか。法師蝉とありますから、もしかすると法事なのかもしれませんね。


2017.9.1
俳句

〈8月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉


 (PL花火大会三句)
存へて去年(こぞ)のなごりの昼花火

先客の白髪染むる遠花火

 (十数年前病院で)
父を看取るや看護師の訊く花火弁当

蚊柱や柱で数ふるものの幽(かそけ)さ

ベランダに蝙蝠のゐる甥新居

 (拝啓宮沢賢治様)
銀河鉄道の窓からピカを見ましたか?

 (俳人松尾あつゆき)
第二芸術などと思はず長崎忌

  (賢治忌にブラジルで逝った人に)
賢治忌のポルトガル語の遺灰証明

「息を止めて」と擬死を死にをりこがねむし

 (先祖の墓参り)
いく柱蚊柱のごとき幽(かそけ)さに

父母の鋏遺れりかねたたき

せめてもの水もり上げて墓洗ふ

 (七十二年とは云へ)
玉音とほく原爆ちかし八月忌

玉音の正午の時報涼新た

奥山にかなかなの波引くばかり

〈 広隆寺 六句 〉

(広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像、霊宝殿のあまりに暗ければ)
月白の暗きに半跏思惟仏

月白の月待つ心弥勒仏

辺りして半跏思惟の月の客

五十余像を統べて半跏の月のゑみ

月白に邪鬼も清むるゑまひ仏

月白に深手いたまし千手観音

〈 永観堂 五句 〉

 (水琴窟に異国の人々群がりて)
耳集ふ水琴窟の秋暑かな

 (素足で歩く異国の若者)
秋の素足や頭上注意の階(きざはし)に

金の耳見返り阿弥陀の逝く花野

 (夕べに供華を換へて)
竜胆を宵の阿弥陀に挿し換へて

廻廊に秋暑の鯉の動かざる

 (読経を早回しする僧)
早回すつくつく法師の有り難み

数となる死の軽々し蛍籠

 (広隆寺霊宝殿のあまりに暗ければ)
夏帽子取り月白(つきしろ)の半跏像

 (広隆寺霊宝殿の前の池に蓮の実)
仰向けの邪鬼も哀れやはちすの実

 (永観堂 見返り阿弥陀)
金の耳ひたと拝みぬ晩夏光

見も知らぬわが句となれや曼珠沙華

月光が菊の挿し木を傾けて

蛍籠数となる死の軽さかな

 (永観堂)
見返りの弥陀に花換ふ夜長かな

新涼や頭上注意の階(はし)素足


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